偽りの島に探偵は啼く

渋川宙

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最終話 涙

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「倫明」
「頼む。見逃してくれ」
「――」
 倫明は朝飛を見て笑うと、だっと走り出した。
 全員が呆気に取られる中、日向だけは違った。追い掛けるべく走り出す。
「小宮山さん。早く」
 日向の声で、追い掛けなければと朝飛も動いた。そのまま他のメンバーも追い掛けようとしたが
「止めとけよ」
 信也の言葉に立ち止まった。
「あんた、聡明の手伝いをしたんだよな。全部知ってたんだろ」
 そしてそのまま、健輔は信也に詰め寄る。
 最初からなんかいけ好かないと思っていたが、とんでもないことをやっていたわけだ。
「知ってたのは、田中に嫌がらせするってことだけだ。考えてみろよ。弟の倫明さえあっさりと殺そうとしたんだぜ。俺だってそのうち殺されていた。あの人は、邪魔な奴に対して容赦はしなかっただろうよ」
「それは」
「それに、俺は倫明の気持ちも解るぜ。成功しなきゃって空回っている感じが、俺にそっくりだ。だからこの先は」
 下手に介入してやるな。
 信也はそう言ってそっぽを向く。
 健輔はどうしようと、美樹や真衣、そして織佳を見た。
 同じ目標を追う者として、この問題はどうすべきなのか。それが解らなかった。その問題を考えるには、健輔はまだ若く、そして恵まれている。倫明のように夢を邪魔されることはない。
「小宮山君を信じましょう」
 どうにもならない問題を前に、美樹はそれだけ言っていた。
 そして、三人が飛び出して行ったレストランの入り口に目をやり、祈る気持ちで見つめていた。



「倫明っ」
 朝飛は叫ぶが、怪我して動くのもやっとのはずの倫明は足を止めない。ものすごい勢いで港に向けて駆けていく。その間、血はどんどん滴り落ち、道に点々と赤い印を落としていく。
「倫明さん。逃げてどうするんですか」
 日向も叫ぶが、止まってくれない。
 むしろもっと早くと足を動かしている。そこで、その必死な様子で、朝飛はまた足が止まってしまった。
「ちょっ、小宮山さん」
「あいつ、死にたいんだ」
「なっ。じゃあ、尚更止めないと」
「ええ」
 日向が言っていることは正論だ。でも、朝飛の動きはゆっくりとしたものに変わってしまう。
「小宮山さんっ」
「あいつ、なんでずっとナイフを握っていたと思います?」
「えっ」
「傷のせいで動かなくなりつつある右手で、それでもぎゅっとナイフを握っていたんです。つまり、死のうとしていたんですよ。でも、躊躇っていた。死ねなかった。
 俺は、同じだと言って犯人ではないことと聡明を恨んでいた自白を引き出した。でも、それは同時に最後の躊躇いを取っ払ってしまったのかもしれない」
「――」
 日向はそこではっとなる。
 そう言えば、倫明はあそこに閉じ込められた時点で、いずれ殺されることが解っていたはずだ。いや、もっと前から気づいていたはずだ。
 それなのに加速器への呼び出しに応じた。しかも、先ほど抵抗したのは最後だけだと言っていた。それはつまり――
「大好きだったんですよ、物理が。諦めそうになってもしがみついていたんです。だから、自らが目指す場所が汚されたのが許せなかったというのは本音でしょう」
 二人はゆっくりとながらも、足を進めた。
 自殺を止めなければならないという良識と、止めてさらに苦しめるのかという気持ち。二つがせめぎ合っている。でも、やっぱり死んで解決するのは間違っている。
「あっ」
 そうして、蹲る倫明に辿り着いた。
 海の見える場所に蹲り、そして泣いていた。もう右腕をさらに傷つけることもなく、静かに泣いている。
「倫明」
「なんで、俺、生きてるんだ」
「――」
 その問いを、かつて朝飛は何度もしたことがある。
 龍飛じゃなくて、自分だったよかったのにと、何度も思った。でも、それは解決にならない。いつだって、生きている奴にしか選択権は存在しないのだ。どんなに苦難の道が待っていようと、変えるには生き続けるしかない。
 それに朝飛は気づいたからこそ、頑張ってきた。
「お前には、先がある。お前が殺したのは、お前を縛る遠慮という柵だ」
「――」
 その言葉に、倫明がゆっくりとこちらを振り向いた。怪我をしているところを無理に走ったものだから、出血が多量で顔が真っ青だ。
「倫明。お前はここで終わっていいのか」
「っつ」
「やりたいことがあるんじゃないのか」
 朝飛の問い掛けに、倫明は瞳を揺らす。どうしようかと躊躇っている。
 ここで思い留まってくれ。
 再び、ここで死んでいいのかと、そう疑問に思ってくれ。
 そう願う。
「俺は」
「俺が一緒にいるから。頼む」
 逡巡する倫明に、朝飛はそっと近づいた。倫明は一瞬だけ海の方を見たものの、最終的には、差し伸べられた朝飛の手を取った。朝飛はすかさず、震える倫明を抱き締める。
 それは、かつての自分を抱き締めているかのような気持ちにさせた。それでも、自分は生き残ってよかったのだと、強く思う。
「俺、こんな、ううっ」
 ぬくもりにほっとした倫明のすすり泣く声が港に響く。
 小笠原からやって来た船がゆっくりと島に近付き、ようやく総てが終わったのだと日向はほっと息を吐き出していた。





 夏休みももう終わろうとする頃。事件の総てが決着したと日向からメールで報告が合った。
 信也の部屋に残っていたクーラーボックスや釣竿袋から聡明の指紋が検出され、さらに聡明が使っていた部屋に残っていたバッグから、亜ヒ酸の入った瓶も見つかった。これにより、事件は聡明が犯人だと決定し、倫明は正当防衛が成立する見込みだという。
「でも、すっきりしないね」
 高校に戻り、事件の記事が載る新聞を読んでいた美樹は顔を膨らませる。
 そこには、聡明が精神耗弱でありその末の犯行と発表されている。どうやらこの辺りは、日向が暗躍したようだ。
「大きな会社なんだ。まさか全部を詳らかにすることはないよ」
 朝飛は、ぼんやりと窓の外を眺めながら答えた。
 これから、倫明は心の傷と戦い、家族と戦いながら生きていくことになる。逃げられた自分とは根本的に違う。この差が大きいなと実感していた。それでも、生き残ったことが良かったと言えるよう、出来る限りのサポートはしたいと思う。それが、生き残れと言った自分の責任だ。
「小宮山君。島出身だったんだね」
「うん」
「そして、辛かったんだね」
「そうだね」
 朝飛の答えはどうにも手応えのないままだ。事件以来、こんなことが多くなった。
 でも、さすがの美樹もこればかりは強く注意できなかった。
 身近な人が、心の傷を抱えているなんて知らなかった。その事実が大きい。
「小宮山君が恋愛しないのって、ひょっとしていずれ両親と会うことになるから、とか」
 しかし、このまま触れずに終えてしまっていいのか。そう悩んだ美樹は、少しばかり変化球を投げてみる。
「ううん。それよりも」
「それよりも」
「家族ってものが、怖いのかもしれない」
「――」
 その言葉に、美樹は何も言えなかった。いや、その先に続けたかった言葉を飲み込むしかなかった。
 いつか、あなたの家族になっていいですか。
 その言葉を、朝飛に伝えられる日は来るだろうか。
 美樹は朝飛の傍に立つと、同じように、あの日の朝と同じく晴れ渡った空を眺めていた。

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