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第三章 組立
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サアラちゃんのメールアドレスを呼び出して、昨日撮ったばかりの写真を添付して、送信ボタンをクリック。送信済みメールを開く。フラッシュのせいで、わん太郎の目が赤く光ってる。
サアラちゃん、こんなのわん太郎じゃない、って思ったらどうしよう……画像補正したかったけど、お昼休憩終わっちゃうし……。
少し後悔してる僕の前では、イリカさんが机に突っ伏して寝てる。いつもなら、かわいい寝息が聞こえるんだけど、今日は、呼吸をしてるのも分からないくらい静か。やっぱり、昨日の疲れだろうな……本当に申し訳ない。どうしよう、あと五分でお昼が終わっちゃうけど、起こせない。
「ツクモト」
後ろから名前を呼ばれた。内臓に直接働きかけてくるようなダンディーな声だったから、振り向かなくても上司のサガミさんだって分かる。
「はい」
振り向きながら、今の自分の仕事について思い返す。サガミさんは、仕事以外のことでは話しかけてこないんだ。
後ろにいたサガミさんは、すでに僕を見てなくて、イリカさんを見てた。僕もイリカさんを見る。
「タカミヤ」
イリカさんがビクっとなりながら、ものすごい速さで頭を起こした。
「シロウ君! 成長したの?」
……ど、どうしよう、意味が分からないけど、なんか悲しい。
「起こしてすまない。二人とも、ちょっと来てくれ」
サガミさんの表情はいつも通り、っていうか他の表情見たことないけど。いつも通りなんだけど、僕ら二人に声をかけたあと、僕らが返事をする間もなく歩き始めた。いつものサガミさんなら、必ず相手の反応を見てから動くのに、ちょっと変だ。僕もイリカさんも慌てて立ち上がり、サガミさんのあとについてく。
サガミさんは、このフロアの打ち合わせスペースに入った。打ち合わせスペースは透明なガラスで仕切られてて、外の音がほとんど入ってこない。逆を言えば、よっぽど大きな声を出さなきゃ、外に音は漏れない。内緒話もできる。
「単刀直入に訊く」僕がガラス戸を閉めた瞬間、サガミさんが話し始めた。「連続殺人について調べているのか?」
「はい」
イリカさんが即答する。たぶん、サガミさんの質問の内容を予測してたんだ。しかも、この先の対応の仕方も全部決めてるような気がする。
「分かった。じゃあ、今の俺の考えは二年前とまったく同じだから、あとでツクモトに伝えておいてくれ」
サガミさんは僕をチラッと見て、イリカさんに視線を戻す。イリカさんはまったく動かない。そのまま数秒間沈黙。
じっと見てなきゃ分からないくらい本当に少しだけ、サガミさんは目を伏せた。
「その取材は禁止する。そんな仕事の指示は出していない。もし今後、同様の取材行為が発覚した場合は、二人併せての懲戒解雇とする。副社長からの厳重注意だ」
そんな――
「すいません、僕がタカミヤさんを巻き込んだんです、責任は僕にあります、解雇されるなら僕だけです」
予想以上の罰を突きつけられて早口になる。僕は自業自得だからしょうがない。だけどイリカさんは違う。僕が取材するって言ったのが一番の原因なんだから。
「責任の割合は関係ない。指示された業務の範疇を超える取材行為を王都放送職員の肩書きを使って行っていた事実。その事実に対しての処遇だ」
「どうして二人一緒の解雇なんですか? タカミヤさんはもうその取材をしません。解雇されるなら僕一人です」
「タカミヤは取材しないが、お前は取材を続けるのか?」
「……」
「お前がもう取材しないと言えば、タカミヤも取材をやめるはずだ。お前が取材を続けると言えば、タカミヤも取材を続けるだろう。落ち着いて考えろ。意地張って取材続けて、そんな方法でしかお前のしたいことはできないのか?」
「できません」
「シロウ君」
イリカさんが僕を見てる。イリカさんの表情がない。僕に、黙って、ほしい、のかな。
「すいません、失礼しまぁす……」
後ろから突然声がした。びっくりして振り返ると、ガラス戸を少しだけ開けた別部署の女性が、こっちの様子を窺ってる。
「一時から予約していたのですが……」
いつの間にか、打ち合わせスペースの周りに五人くらいのスタッフ。みんな書類やパソコンを持ってガラス越しにこっちを見てる。
「すまない、もう出るから」
サガミさんはそれだけ言うと、僕とイリカさんをまったく見ずに、打ち合わせスペースから出てった。僕は、イリカさんと話がしたかったけど、イリカさんもすぐに出てってしまったから、慌ててついてく。イリカさんは、そのまま自分の席に戻った。サガミさんはいない。
「どうしますか?」
ほとんど意味のない言葉をイリカさんの背中にぶつける。
「仕事終わってから、話そう」
やまびこみたいな返事だった。
その日、イリカさんもサガミさんも普段と同じように仕事をしてた。だけど僕は無理だった。気がつくと、いつもより声が小さかったり低かったりした。意識しないといつもどおりの声が出せないなんて、こんなに自分が気分屋だとは思わなかった。もしかして、昨日イリカさんが言ってた『素直』っていうのは、こういうことなのかも……もっとタフにならなくちゃ……。
仕事が終わってから話そうとイリカさんに言われたから、とりあえず、ずっと仕事をしてた。やらなきゃいけない仕事は山ほどあるから、いつまでも続けてられる。だけど、明日の朝まで仕事をしてるわけにもいかないから、二十四時になったら僕から話しかけようと思ってたけど、二十二時のちょっと前、サガミさんが帰ってすぐ、イリカさんが話しかけてきてくれた。まだフロアには結構人が残ってるけど、僕らの班はもう僕とイリカさんしかいない。
「さて、話そうか」
席に座ったまま話しかけてきたイリカさんの表情は、いつもどおり柔らかい。向かい合って座ってる僕とイリカさんのデスクの上には、お互いの顔を隠す物が無いから、二人とも座ったまま話せる。周りからはパソコンの操作音くらいしか聞こえてこないから、ひそひそ声でも充分聞こえる。
「はい」と返事したものの、何から話そうか迷ってしまう。
「じゃあまず、サガミさんの考えっていうのかな、二年前に私が言われたこと話すね」僕の様子を見て、イリカさんが話を始めてくれた。「こないだメグちゃんと三人でごはん食べたときに話した、少子対策法に良くない部分があるんじゃないかって話、覚えてる?」
二回うなずく。忘れるわけない。あのときのメグ、もとい失礼の塊のせいで、僕の寿命は三年くらい縮んでる。
「その話を最初にしたのがサガミさんだったんだけど、二年前ね。そのときに言われたのが、任された仕事を完璧にこなしていて、なおかつ、王都放送職員としての将来性に繋がる行動であれば何をしても構わない、って感じの言葉だった。で、サガミさんのその考えは今も変わってない、らしいね」
「もしかして、僕の仕事に何か問題があったんですか?」
「んー、私の見てる限りでは無かったと思うよ。たぶん、私たちの仕事が問題じゃなくて、私たちが調べようとしてることが問題なんだと思う」
「前言ってた、国の圧力ってやつですか?」
「かもね。そうだとしたら、二年前の私のときとは比べものにならないくらいの圧力がかかってることになるね」
「懲戒解雇ですもんね」
僕が言うと、イリカさんはなぜか微笑んだ。
「それは、たぶん、うそ」
「え? 嘘?」
イリカさんに言われて気付いた。僕らが勝手にやってる取材は、確かに指示された業務の範疇を超えてるけど、かといって犯罪をしてるわけじゃない。しかも、休日の自主的な行動だし、担当の仕事をサボってるわけでもない。なのに、減給とか停職をすっ飛ばして、いきなり懲戒解雇っていうのは変だ。そんな理由で懲戒解雇なんてしたら、むしろ、会社が違法な状態になるんじゃないか?
「じゃあ、取材続けられるんですか?」
「取材は中止しよう」
微笑んだイリカさんが、よどみなく言った。僕の頭は、イリカさんの言葉と表情を同時に処理できなくて混乱してる。太陽と月を同時に見てるような気分。生きてるのに死んでるような気分。懲戒解雇が嘘だから取材するんじゃないの? なんで中止なの? 中止って言ってるのになんでイリカさん笑ってるの?
「え、なんで、ですか? 懲戒解雇は、嘘なんですよね?」
「お昼ね、サガミさんの話のあと、メグちゃんにメールしておいた。取材は中止って」
「大丈夫です、あいつ意外といい奴なんで、取材再開ってメールしておけば何も問題ないです、むしろ――」
「シロウ君」イリカさんが僕の言葉を遮った。微笑んだままのイリカさん。「私は王都放送にいたいの。お願い、中止して」
「……言っ、てることが……めちゃくちゃですよ……」
僕は、それだけ言うのが精一杯だった。イリカさんの顔も見れず、自分のデスクにあるキーボードを見続ける。言いたいことはたくさんあるのに、どの言葉も自分勝手で惨めでろくでもないことばっかりだ。やばい、なんか泣きそうだ。
沈黙が数十秒間続いてるあいだ、僕は涙が出ないように我慢してた。そのあいだずっとイリカさんに見られてた気がする。きっと、イリカさんは微笑んでたと思う。いつもドキドキしながら眺めてたイリカさんの笑顔なのに、今は見たくない。
静かなフロアだから、イリカさんが動いてるのが分かった。マウスを操作してる。書類をまとめてる。デスクの下からバッグを取り出して、ごそごそしてる。ノートパソコンを閉じた。立ち上がって、イスを動かして――
「おつかれさま」
言葉と同時に足音。躊躇も迷いも感じられない一定のリズムが僕から遠ざかってく。
イリカさんの背中を見て、全部終わらせよう。我慢してる涙を全部出して、お酒をちょっと飲んで、すぐ寝れば、明日からまた楽しくイリカさんとおしゃべりできる。
たぶん、それは、きっと、とても、幸せだ。
どうやって帰ったのかあんまり思い出せないけど、気が付いたら家にいた。
お酒は買ってない。涙も出てない。きっと、こうやって人間は強くなってくんだな。もしかして僕、少しだけハードボイルドになったかも。
帰ってくるあいだずっと考えてたのは、どうやったらイリカさんに迷惑をかけずに取材できるか、ってことだった。
もうイリカさんは取材しない。これは確定。だけど僕は取材する。これも確定。僕が取材してるのバレたら、僕だけじゃなくてイリカさんまでクビになる。これは可能性低そうだけど、サガミさんがあそこまで言い切ってるのが怖い。だから、僕が取材しても、イリカさんがクビにならない確率百パーセントの方法を考えなきゃいけない。でも、そんな方法あるのか?
コンビニ飯を食べながら、シャワーを浴びながら、歯を磨きながら、ずっと考えてたけど、良い方法が何も思い付かない。部屋の電気を消して、布団に入って、スマートフォンで時間を確認したときに思い出した。メグにまったく連絡してない。まずい。メグのことすっかり忘れてた。
夜中の一時、いつものメグなら間違いなく起きてるけど、最近は昼型生活になってるから、きっと寝てるだろうな。とりあえずメールかな。いや、でも、メグだって今の詳しい状況を知りたいだろうし、怒られるの覚悟で電話しよう。
部屋の電気をまた点けて、メグに電話。ツーコールくらいでメグが出た。
「おせーよ」ぶっきらぼうなメグの声。でも、怒ってなさそうだ。
「ごめん、忘れてた」
「なんかあったのか?」
「うん、上司にバレた。上司というか会社というか」
「取材が? やっぱ中止か?」
「んー……イリカさんからのメール、なんて書いてあった?」
「問題が起きたから取材は中止、詳しいことはシロウから、みたいな」
どうやら、イリカさんのメールには、取材の中止しか書かれてなかったみたい。とりあえず、今日の出来事を一通り話した。
「確かに、シロウの話聞いてるだけだと、イリカさん変だな」メグが言う。
「でしょ」
「ケンカでもしたか?」
「してないよ」
「冗談だよ、怒るな」
「怒ってない」
「とにかく、イリカさんはもう取材しないってことだな」
「うん」
「シロウは? どうすんだ?」
「取材したいけど、イリカさんに迷惑かけずに取材する方法が思い付かない……」
僕はまた考え込んだ。メグも黙り込んで、けっこう長い沈黙。
「……分かった。俺もなんか考えといてやるから、今日はもう寝ろ」
「うん、ごめん、寝る」
サアラちゃん、こんなのわん太郎じゃない、って思ったらどうしよう……画像補正したかったけど、お昼休憩終わっちゃうし……。
少し後悔してる僕の前では、イリカさんが机に突っ伏して寝てる。いつもなら、かわいい寝息が聞こえるんだけど、今日は、呼吸をしてるのも分からないくらい静か。やっぱり、昨日の疲れだろうな……本当に申し訳ない。どうしよう、あと五分でお昼が終わっちゃうけど、起こせない。
「ツクモト」
後ろから名前を呼ばれた。内臓に直接働きかけてくるようなダンディーな声だったから、振り向かなくても上司のサガミさんだって分かる。
「はい」
振り向きながら、今の自分の仕事について思い返す。サガミさんは、仕事以外のことでは話しかけてこないんだ。
後ろにいたサガミさんは、すでに僕を見てなくて、イリカさんを見てた。僕もイリカさんを見る。
「タカミヤ」
イリカさんがビクっとなりながら、ものすごい速さで頭を起こした。
「シロウ君! 成長したの?」
……ど、どうしよう、意味が分からないけど、なんか悲しい。
「起こしてすまない。二人とも、ちょっと来てくれ」
サガミさんの表情はいつも通り、っていうか他の表情見たことないけど。いつも通りなんだけど、僕ら二人に声をかけたあと、僕らが返事をする間もなく歩き始めた。いつものサガミさんなら、必ず相手の反応を見てから動くのに、ちょっと変だ。僕もイリカさんも慌てて立ち上がり、サガミさんのあとについてく。
サガミさんは、このフロアの打ち合わせスペースに入った。打ち合わせスペースは透明なガラスで仕切られてて、外の音がほとんど入ってこない。逆を言えば、よっぽど大きな声を出さなきゃ、外に音は漏れない。内緒話もできる。
「単刀直入に訊く」僕がガラス戸を閉めた瞬間、サガミさんが話し始めた。「連続殺人について調べているのか?」
「はい」
イリカさんが即答する。たぶん、サガミさんの質問の内容を予測してたんだ。しかも、この先の対応の仕方も全部決めてるような気がする。
「分かった。じゃあ、今の俺の考えは二年前とまったく同じだから、あとでツクモトに伝えておいてくれ」
サガミさんは僕をチラッと見て、イリカさんに視線を戻す。イリカさんはまったく動かない。そのまま数秒間沈黙。
じっと見てなきゃ分からないくらい本当に少しだけ、サガミさんは目を伏せた。
「その取材は禁止する。そんな仕事の指示は出していない。もし今後、同様の取材行為が発覚した場合は、二人併せての懲戒解雇とする。副社長からの厳重注意だ」
そんな――
「すいません、僕がタカミヤさんを巻き込んだんです、責任は僕にあります、解雇されるなら僕だけです」
予想以上の罰を突きつけられて早口になる。僕は自業自得だからしょうがない。だけどイリカさんは違う。僕が取材するって言ったのが一番の原因なんだから。
「責任の割合は関係ない。指示された業務の範疇を超える取材行為を王都放送職員の肩書きを使って行っていた事実。その事実に対しての処遇だ」
「どうして二人一緒の解雇なんですか? タカミヤさんはもうその取材をしません。解雇されるなら僕一人です」
「タカミヤは取材しないが、お前は取材を続けるのか?」
「……」
「お前がもう取材しないと言えば、タカミヤも取材をやめるはずだ。お前が取材を続けると言えば、タカミヤも取材を続けるだろう。落ち着いて考えろ。意地張って取材続けて、そんな方法でしかお前のしたいことはできないのか?」
「できません」
「シロウ君」
イリカさんが僕を見てる。イリカさんの表情がない。僕に、黙って、ほしい、のかな。
「すいません、失礼しまぁす……」
後ろから突然声がした。びっくりして振り返ると、ガラス戸を少しだけ開けた別部署の女性が、こっちの様子を窺ってる。
「一時から予約していたのですが……」
いつの間にか、打ち合わせスペースの周りに五人くらいのスタッフ。みんな書類やパソコンを持ってガラス越しにこっちを見てる。
「すまない、もう出るから」
サガミさんはそれだけ言うと、僕とイリカさんをまったく見ずに、打ち合わせスペースから出てった。僕は、イリカさんと話がしたかったけど、イリカさんもすぐに出てってしまったから、慌ててついてく。イリカさんは、そのまま自分の席に戻った。サガミさんはいない。
「どうしますか?」
ほとんど意味のない言葉をイリカさんの背中にぶつける。
「仕事終わってから、話そう」
やまびこみたいな返事だった。
その日、イリカさんもサガミさんも普段と同じように仕事をしてた。だけど僕は無理だった。気がつくと、いつもより声が小さかったり低かったりした。意識しないといつもどおりの声が出せないなんて、こんなに自分が気分屋だとは思わなかった。もしかして、昨日イリカさんが言ってた『素直』っていうのは、こういうことなのかも……もっとタフにならなくちゃ……。
仕事が終わってから話そうとイリカさんに言われたから、とりあえず、ずっと仕事をしてた。やらなきゃいけない仕事は山ほどあるから、いつまでも続けてられる。だけど、明日の朝まで仕事をしてるわけにもいかないから、二十四時になったら僕から話しかけようと思ってたけど、二十二時のちょっと前、サガミさんが帰ってすぐ、イリカさんが話しかけてきてくれた。まだフロアには結構人が残ってるけど、僕らの班はもう僕とイリカさんしかいない。
「さて、話そうか」
席に座ったまま話しかけてきたイリカさんの表情は、いつもどおり柔らかい。向かい合って座ってる僕とイリカさんのデスクの上には、お互いの顔を隠す物が無いから、二人とも座ったまま話せる。周りからはパソコンの操作音くらいしか聞こえてこないから、ひそひそ声でも充分聞こえる。
「はい」と返事したものの、何から話そうか迷ってしまう。
「じゃあまず、サガミさんの考えっていうのかな、二年前に私が言われたこと話すね」僕の様子を見て、イリカさんが話を始めてくれた。「こないだメグちゃんと三人でごはん食べたときに話した、少子対策法に良くない部分があるんじゃないかって話、覚えてる?」
二回うなずく。忘れるわけない。あのときのメグ、もとい失礼の塊のせいで、僕の寿命は三年くらい縮んでる。
「その話を最初にしたのがサガミさんだったんだけど、二年前ね。そのときに言われたのが、任された仕事を完璧にこなしていて、なおかつ、王都放送職員としての将来性に繋がる行動であれば何をしても構わない、って感じの言葉だった。で、サガミさんのその考えは今も変わってない、らしいね」
「もしかして、僕の仕事に何か問題があったんですか?」
「んー、私の見てる限りでは無かったと思うよ。たぶん、私たちの仕事が問題じゃなくて、私たちが調べようとしてることが問題なんだと思う」
「前言ってた、国の圧力ってやつですか?」
「かもね。そうだとしたら、二年前の私のときとは比べものにならないくらいの圧力がかかってることになるね」
「懲戒解雇ですもんね」
僕が言うと、イリカさんはなぜか微笑んだ。
「それは、たぶん、うそ」
「え? 嘘?」
イリカさんに言われて気付いた。僕らが勝手にやってる取材は、確かに指示された業務の範疇を超えてるけど、かといって犯罪をしてるわけじゃない。しかも、休日の自主的な行動だし、担当の仕事をサボってるわけでもない。なのに、減給とか停職をすっ飛ばして、いきなり懲戒解雇っていうのは変だ。そんな理由で懲戒解雇なんてしたら、むしろ、会社が違法な状態になるんじゃないか?
「じゃあ、取材続けられるんですか?」
「取材は中止しよう」
微笑んだイリカさんが、よどみなく言った。僕の頭は、イリカさんの言葉と表情を同時に処理できなくて混乱してる。太陽と月を同時に見てるような気分。生きてるのに死んでるような気分。懲戒解雇が嘘だから取材するんじゃないの? なんで中止なの? 中止って言ってるのになんでイリカさん笑ってるの?
「え、なんで、ですか? 懲戒解雇は、嘘なんですよね?」
「お昼ね、サガミさんの話のあと、メグちゃんにメールしておいた。取材は中止って」
「大丈夫です、あいつ意外といい奴なんで、取材再開ってメールしておけば何も問題ないです、むしろ――」
「シロウ君」イリカさんが僕の言葉を遮った。微笑んだままのイリカさん。「私は王都放送にいたいの。お願い、中止して」
「……言っ、てることが……めちゃくちゃですよ……」
僕は、それだけ言うのが精一杯だった。イリカさんの顔も見れず、自分のデスクにあるキーボードを見続ける。言いたいことはたくさんあるのに、どの言葉も自分勝手で惨めでろくでもないことばっかりだ。やばい、なんか泣きそうだ。
沈黙が数十秒間続いてるあいだ、僕は涙が出ないように我慢してた。そのあいだずっとイリカさんに見られてた気がする。きっと、イリカさんは微笑んでたと思う。いつもドキドキしながら眺めてたイリカさんの笑顔なのに、今は見たくない。
静かなフロアだから、イリカさんが動いてるのが分かった。マウスを操作してる。書類をまとめてる。デスクの下からバッグを取り出して、ごそごそしてる。ノートパソコンを閉じた。立ち上がって、イスを動かして――
「おつかれさま」
言葉と同時に足音。躊躇も迷いも感じられない一定のリズムが僕から遠ざかってく。
イリカさんの背中を見て、全部終わらせよう。我慢してる涙を全部出して、お酒をちょっと飲んで、すぐ寝れば、明日からまた楽しくイリカさんとおしゃべりできる。
たぶん、それは、きっと、とても、幸せだ。
どうやって帰ったのかあんまり思い出せないけど、気が付いたら家にいた。
お酒は買ってない。涙も出てない。きっと、こうやって人間は強くなってくんだな。もしかして僕、少しだけハードボイルドになったかも。
帰ってくるあいだずっと考えてたのは、どうやったらイリカさんに迷惑をかけずに取材できるか、ってことだった。
もうイリカさんは取材しない。これは確定。だけど僕は取材する。これも確定。僕が取材してるのバレたら、僕だけじゃなくてイリカさんまでクビになる。これは可能性低そうだけど、サガミさんがあそこまで言い切ってるのが怖い。だから、僕が取材しても、イリカさんがクビにならない確率百パーセントの方法を考えなきゃいけない。でも、そんな方法あるのか?
コンビニ飯を食べながら、シャワーを浴びながら、歯を磨きながら、ずっと考えてたけど、良い方法が何も思い付かない。部屋の電気を消して、布団に入って、スマートフォンで時間を確認したときに思い出した。メグにまったく連絡してない。まずい。メグのことすっかり忘れてた。
夜中の一時、いつものメグなら間違いなく起きてるけど、最近は昼型生活になってるから、きっと寝てるだろうな。とりあえずメールかな。いや、でも、メグだって今の詳しい状況を知りたいだろうし、怒られるの覚悟で電話しよう。
部屋の電気をまた点けて、メグに電話。ツーコールくらいでメグが出た。
「おせーよ」ぶっきらぼうなメグの声。でも、怒ってなさそうだ。
「ごめん、忘れてた」
「なんかあったのか?」
「うん、上司にバレた。上司というか会社というか」
「取材が? やっぱ中止か?」
「んー……イリカさんからのメール、なんて書いてあった?」
「問題が起きたから取材は中止、詳しいことはシロウから、みたいな」
どうやら、イリカさんのメールには、取材の中止しか書かれてなかったみたい。とりあえず、今日の出来事を一通り話した。
「確かに、シロウの話聞いてるだけだと、イリカさん変だな」メグが言う。
「でしょ」
「ケンカでもしたか?」
「してないよ」
「冗談だよ、怒るな」
「怒ってない」
「とにかく、イリカさんはもう取材しないってことだな」
「うん」
「シロウは? どうすんだ?」
「取材したいけど、イリカさんに迷惑かけずに取材する方法が思い付かない……」
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