殺された伯爵夫人の六年と七時間のやりなおし

さき

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54:魔女の集まり

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 光を失った目を閉じ、プリシラは再びゆっくりと目を開けた。

 何も見えない。視界すべてが黒で覆われている。
 深夜の明かり一つ灯っていない部屋の中で目を覚ましたかのよう。否、それよりも視界は悪く、目を凝らしても周囲には何も見えない。朧げな影はおろか、自分の指先すらも見えていないのだ。

 真っ暗闇だ。
 あるいは視覚を失ったのだろうか。

 そんなことを考えつつも胸中は落ち着いており、プリシラはひとまずその場に座ることにした。

 そうして少し経ち、プリシラは『何も見えない』のではなく『何も無い』のだと理解した。
 床も天井も無い。まるで真黒なインク瓶の底に座っているかのように暗闇が満ちて他には何も無いのだ。もしかしたら底だと思っていることすら勘違いで、ただゆるりゆるりとインクの海に沈んでいっているのかもしれない。

「不思議ね……」

 この場所も、この場所に居ることも、この場所に居てもなお動揺もせず小波一つ立てない胸中も、なにもかも不思議だ。
 そうプリシラが考えていると、真っ暗闇の中にまるでスポットライトを当てたかのように突如光が灯った。眩しさに思わず目を覆う。

「やぁプリシラ、……目を覆ってどうしたの?」
「眩しいのよ。クローディア、出来れば光を弱めてくれないかしら」
「あぁそうか、そういうものか。ごめんよ。ちょっと待ってね」

 あっけらかんと謝罪の言葉をクローディアが口にすれば、同時に彼女の周辺を照らしていた光が和らいでいった。
 これで問題無いかと問われ、プリシラが頷いて返す。ようやく目も慣れてきて改めてクローディアに向き合えば、彼女は柔らかな光を纏いながら楽しそうに微笑んでいる。
 差し出される彼女の手を取り、プリシラはゆっくりと立ち上がった。自分の足元がポッと柔らかく光った。

「ここはどこなの?」
「どこと言われても答えようがないなぁ。私がプリシラを連れてきたくて、プリシラが来るべき場所だよ」

 暗闇を歩きながらクローディアが話すも、彼女の話の内容は相変わらずだ。
 だが不思議と今のプリシラには彼女の言わんとしていることが理解出来た。腑に落ちるかのように納得してしまうのは、つまりきっと、そういう事なのだろう。
 そうして歩きだして間もなく、前方にテーブルセットが見えた。暗闇の中だというのにその一角だけは明るくなっている。

 大きめの楕円形のテーブル、周りを囲むのは七脚の椅子。
 座っているのは大人びた女性と、その隣には五歳程度の小さな女の子。それと椅子の背もたれに停まる海鳥が一羽。その隣の一脚には低木の木が鉢植えごと置かれている。
 残りの三脚は空席だ。だが不思議とそのうちの一脚には『誰かが居る』と感じられた。つまり空席は二席だ。

「魔女……?」
「そうだよ。みんな時戻しの魔女。やぁみんな久しぶり」

 クローディアが片手を挙げて告げれば、椅子に座っていた女性と少女も片手をあげて応じた。
 低木の木が葉を揺らし、海鳥がミャウミャウと鳴く。きっと彼女達も応えているのだろう。

「あの海鳥、いつも海辺にいた海鳥? 魔女だったの?」
「そうだよ。そういえば前に彼女のことを使い魔って聞いてきたけど、使い魔じゃなくて魔女だよ」
「それならちゃんと挨拶をしておけば良かったわ」

 いまからでも間に合うかとプリシラが真剣に悩めば、クローディアが笑った。
 魔女達も楽しそうに微笑んでいる。

「はじめまして、プリシラ。今回は私の時戻しに巻き込んでしまってごめんなさいね」

 そう謝罪の言葉を告げてきたのは椅子に座る少女。
 五歳程度の外見に対して口調は随分と落ち着いて大人びているが、海鳥でさえ魔女だというのだから、彼女の幼い姿と内面はまったく違うはずだ。
 以前にクローディアが魔女は時間に囚われないと言っていたが、この幼い少女もきっとプリシラの倍以上、それどころかプリシラでは想像出来ない年月を生きているのだろう。

「貴女の時戻し?」
「えぇ、そうよ。時戻しをする前の六年前に、私ってば本を一冊間違えて売り払ってしまったの。気付いたのが時戻しをする前の今日でね、もうその時には本は絶版になっているし、出回りの少ない本だから探すのも手間で。だから六年前に戻ったのよ」

 探すよりも時間を戻した方が比べるまでもなく楽だ。そうあっさりと魔女が言い切る。
 事実魔女にとってはそうなのだろう。周囲で聞いている魔女もクローディアもこの話に口を挟むことはしない。

「でもそのせいでプリシラを巻き込んでしまったのよね。ごめんなさいね、ビックリしたでしょう」
「確かにビックリはしたわ。でもおかげで良い人生が歩めたから謝らないで。むしろ感謝したいくらいだわ」
「そう? それなら良かったわ」

 魔女が穏やかに微笑む。幼い少女のあどけなさを顔立ちに宿しながらも、まるで妙齢の女性のような笑みだ。
 そんな魔女に対してプリシラもまた微笑んで返し……、だが次の瞬間、「でも」と声を低くさせた。
 自分の顔から笑みが消え去ったのが分かる。顔は前を向きながら、眼前の魔女達に目を向けながら、それでもプリシラは別のものを虚空に見出した。

「まさかオリバーを殺すなんて、私も考えが甘かったわ」

 プリシラの脳裏に浮かぶのは、胸をナイフで突かれたオリバーの姿。
 刺されたオリバーは庇うように胸を押さえていたが血は止まらず、プリシラも彼を支えようとしたが叶わずその場に頽れてしまった。
 プリシラを見つめ、掠れる声でプリシラを呼びながら……、彼は息絶えたのだ。

 色濃い彼の瞳。プリシラの味方で居ると宣言してくれた時には力強い決意を宿し、そしてプリシラを見つめる時には声に出せぬ思いを込めた熱を感じさせた瞳が、スゥと音立てるように光を失っていくのをプリシラは見た。
 あれがきっと死の瞬間だ。
 思い出せばプリシラの胸の内がざわついた。全身の産毛が総毛立つような不快感、足元から氷塊が競上がっていくような感覚。だがそれと同時に怒りも湧き上がり、プリシラは激昂のあまり目の前が瞬くのを感じた。

「私から彼を奪った。彼から私を奪った。愚かな男だと思っていたけれど、まさかここまで愚かだったなんて」

 怒りが湧き上がり、それでいて胸のうちは酷く冷めていく。口調は淡々として、己の声ながら凍てつきそうなほどの冷たさを感じる。
 プリシラの人生において、消えた六年間も含めて、これほど冷たい声を発したのは初めてだ。
 そんなプリシラの怒りの訴えに賛同したのはクローディア。彼女は空気を読まずに拍手を送っている。楽し気な笑みで。
 仮に以前のプリシラであったなら「どうして笑っていられるの!?」と憤りを感じただろう。今はもうそんな憤りは無く、むしろクローディアの笑みを見て気持ちは幾分落ち着いてくれた。

「いやだわ私ってば、勝手に一人で話を進めちゃったわ」
「気にしないで。魔女だって大事なひとを傷付けられたら怒るものだよ。大事なひとを傷つけられた魔女を今まで見たことがないから多分だけどね」
「クローディアなりの宥め方だと受け取っておくわ、ありがとう。おかげで落ち着いたし。……ただ、ダレンは許せないわ。許す気も無いし、もう彼も許されないの」

 冷ややかに、怒りを潜ませ、プリシラは言い切った。
 次いで視線を向けるのは一連のやりとりを見守っていた魔女達だ。
 プリシラが言わんとしていることが分かっているのだろう、彼女達は優雅に穏やかに微笑んでいる。……もっとも、ひとの形を取っているのは五人の魔女の内二人だけだ。ゆえに他の者達の表情は分からず、一人に至っては姿さえ見えない。
 だというのに不思議と彼女達全員が微笑んでいるのを感じ取り、プリシラは口を開いた。

「時を戻したいの。協力してくれるかしら」

 プリシラの頼みに、代表するように「もちろん」と返答したのはクローディア。
 他の魔女達も異論はないようで、一部は頷き、一部は動作や気配で賛同を示してくる。

「みんな協力するよ、プリシラ。それでどれだけ戻せば良いのかな。七カ月? 七年? プリシラが望むなら、きみが生まれるずっと前の七十年前にだって戻すよ」
「そんなに戻さなくて良いの。戻すのは七時間で充分よ」
「七時間? 七時間なんてあっという間だけど、それで良いの?」

 不思議そうに尋ねてくるクローディアに、プリシラは笑みを浮かべて頷いた。

「七時間で良いのよ。だってもう、結末は変わらないんだもの」


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