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62:小さく黒い不思議な生き物
しおりを挟む「ジュノ君? 元気だよ」
クローディアの屋敷、そこの客室。
話が始まるや開口一番にジュノについて尋ねたプリシラに対して、返すクローディアの返事は随分とあっさりとしたものだ。プリシラの悩みなど知らず、いや、知っていても理解できないのか、手土産のケーキを頬張りながらである。
「良かった、ジュノは今も元気なのね。でも本当にいつか会えるのよね?」
「まだジュノ君の準備が出来てないからねぇ。私としては早く会わせてあげたいんだけど」
「そう……。でも良いの。ジュノが元気なら。それにクローディアは居場所を知ってるのよね。私には言えないだけで……」
「教えてあげたいんだけどね」
クローディアが申し訳なさそうに話す。
気を遣わせてしまったと感じ、プリシラは慌てて「大丈夫よ!」とクローディアを宥めた。
「ジュノが無事なのが分かればそれで十分だから。そういえば、今日はあの子はいないの?」
話題を変えて、プリシラは周囲を見回した。
かつては御者台で待機していたオリバーも今は隣に座り、プリシラ同様に周囲を探している。
「さっきまでそこの出窓のベッドで寝ていたんだけど、奥に引っ込んじゃった」
「そうだったのね。お昼寝の邪魔をしちゃったかしら」
「気にしないで。今連れてくるよ」
クローディアが立ち上がる。
そんな彼女を、プリシラは慌てて呼び止めた。
「別の場所で寝ていたら無理に起こさなくて大丈夫よ。それに嫌がったら可哀想だからそっとしておいて」
「多少は騒ぐだろうけど大丈夫だよ」
あっさりと返してクローディアは別室へと向かってしまった。
なんだか申し訳ないことをしてしまった。そう考えてプリシラは己を落ち着かせるために紅茶を一口飲んだ。
「プリシラ様はあの生き物を随分と気にされていますね」
とは、クローディアが「さっきまでそこで寝ていた」と言っていた出窓を見るオリバー。
日当たりの良い出窓には紺色のリボンのついた浅いバスケットが置かれており、中には柔らかなタオルが敷かれている。
あれはプリシラが用意したものだ。あの出窓で『あの子』がよく昼寝をすると聞いて、ベッドをプレゼントしたのだ。気に入ってくれたようで、いつも使っているとクローディアから聞いた。
……その姿は一度として見ていないが。
「なんだか凄く気になるのよ。見た目もとても可愛いけど、それだけじゃなくて、胸の奥から惹かれるような感覚がして……。不思議だけど、あの子の事を考えると今すぐに駆け寄って抱きしめてあげたくなるの」
「不思議な生き物なので俺も惹かれはしますが、プリシラ様ほどではありませんね。何かあるのでしょうか」
「でもあの子には嫌われちゃってるのよね。何かしてしまった記憶は無いんだけど……。そもそも、何かしたというほど接してないのよ。あの子、私が来るとすぐに隠れちゃうから」
どうしてかしら、とプリシラが溜息を吐いた。
『あの子』とは、クローディアの使い魔だ。
あの一件の後にクローディアの屋敷を訪ねたところ、彼女の隣には不思議な生き物がいた。
大きさは猫ぐらいで、全身が黒毛の小動物。顔や身体つきも猫に近い。だが背中にはコウモリのような羽が生えており、それを器用に動かして飛ぶ。だが飛ぶといってもお世辞にも速度は早くないので変種のコウモリでも無さそうだ。
初めて見る生き物にプリシラとオリバーが驚いて何かと尋ねれば、クローディアが平然と「私の使い魔だよ」と返してきたのだ。
もっとも、その後すぐに使い魔の小動物は別の部屋へと飛んでいってしまったのだが。
……まるでプリシラから逃げるように。
「私、何か怖がらせちゃったのかしら」
「俺が原因かもしれません。俺もプリシラ様の使い魔というものですし、もしかしたら同種には反応するのかも」
「分からないことばかりだわ……」
魔女になってまだ三年。クローディアは「いずれ色々と分かるようになるよ」と言っているが、まだ分からないことばかりだ。
そうプリシラが眉根を寄せて考えていると、
キュルッ!!!
と甲高い鳴き声が聞こえてきた。
プリシラとオリバーが揃えて声のした方、扉へと視線をやる。
「せっかくプリシラが会いに来てくれたんだから、そろそろちゃんと顔を見せておあげよ」
キィッ、キュッ!
「まだ会えないっていう気持ちも分かるけど、プリシラがここまで心配してるんだから」
キュルルル……
どうやら扉の向こうではクローディアが使い魔の小動物と話しているようだ。プリシラとオリバーには変わった動物の鳴き声にしか聞こえないが、それでも会話がなされているのがわかる。
そうして扉がゆっくりと開かれてクローディアが戻ってきた。プリシラが『あの子』と呼び気に掛けている小動物を抱えながら。
黒い毛で覆われた猫のような見た目。紫色の目。プリシラをちらと見ると羽を広げて自分を包み隠してしまった。やはり怖がっているのか。
「クローディア、そんなに無理に連れてこなくていいのよ」
「そろそろきちんと会った方が良いと思ってたから、気にしないで」
クローディアが使い魔の小動物を抱えたままプリシラの向かいの椅子に座った。
腕の中の使い魔はぴったりと彼女に身を寄せ、それどころか顔を押し付けている。たとえるならば身を隠そうとする猫だ。
その姿は悲壮感すら漂っている。……漂っているのだが、クローディアは問答無用と言わんばかりに使い魔をテーブルの上へと乗せてしまった。
キィー……と哀れな甲高い鳴き声があがったが、それすらも聞く耳もたずで使い魔の体を押してプリシラの方へと押しやってくる。乱暴ではないものの容赦はない。
「ほら、挨拶ぐらいしなよ」
「クローディア、そんなに可哀想なことをしないであげて」
「少し荒療治なぐらいが良いと思うけどね。まぁいいや、しばらく二人で話しなよ」
クローディアが肩を竦める。次いでオリバーに紅茶のおかわりを催促しだすのは、プリシラと使い魔のやりとりに口を挟む気はないという意味だろうか。
それを受け、プリシラはテーブルの上でケーキスタンドに隠れようとする使い魔に声をかけた。優しく、怖がらせないように、囁くような声で。
「こんにちは、元気にしていた?」
挨拶と共に尋ねても返事はなく、使い魔の小動物は己の羽で顔を隠してしまっている。
辛うじて、キィ……と微かに鳴き声がしたが、これは返事だろうか。それとも怯えの声か。
「もしかしてあなたを怖がらせてしまったのかしら。それならごめんなさい。でも大丈夫よ、何もしないわ。触らないから顔を見せて?」
プリシラが優しい声で話せば、キィと小さな声が返ってきた。先程よりも幾分大きいあたりきっと返事だろう。
現に使い魔はそろそろと羽を動かし、顔を上げてこちらを見上げてきた。猫のような顔、紫色のくりっとした目、可愛らしいがどこか悲しそうに見える。
その顔を見た瞬間、紫の瞳と見つめあった瞬間、プリシラの胸に言いようのない感情が湧き上がった。
泣きたいほどに胸が苦しく、これ以上悲しんで欲しくないと切に願う。庇護欲なのか分からない。だ胸が痛み、堪らなくなる。
今すぐに抱きしめてあげたい。いや、抱きしめなくてはいけない。抱きしめさせてほしい。
だが突然抱きしめれば余計に怖がらせてしまう。そう己を律し、プリシラは湧き上がる感情と衝動を押し留めた。
「ようやく顔が見れたわ。可愛い。あのベッド、気に入って使ってくれてるのね」
キユ……、
「私達と同じ物を食べられるって聞いたの。ケーキは好き? マフィンは? いっぱい買ってきたのよ」
キュルルル……、
何を話しかけても、尋ねても、使い魔の小動物は悲しそうな声を出すだけだ。
見つめてくる紫色の瞳もどこか切なげで、プリシラがそっとテーブルの上で両手を広げて呼んでみても近付いてくる気配はない。
その姿もまたプリシラの胸を痛める。苦しくて抱きしめたくなるが、それをしてしまえば怯えさせてしまう。どうしようもないジレンマにまた胸が痛む。
「どうしてそんなに悲しそうなの……」
「そりゃ申し訳ないからだよ」
横から入ってきたクローディアの答えにプリシラは疑問を抱いて彼女を見た。
さっきは「二人で話しなよ」と言っていたクローディアだが、どうやら説明する気になったようだ。ケーキを食べながら、それも随分とあっさりとした態度ではあるが。
「申し訳ないって、どういうこと?」
「どういうって、そのままの意味さ。一回目はプリシラを蔑ろにした挙げ句にダレンに加担してプリシラを見殺しにした、二回目は自分だけ安全な場所でプリシラを助けることが出来なかった。それが申し訳なくて合わせる顔がないんだよ」
「え……?」
淡々としたクローディアの話に、プリシラは理解が出来ないと声を漏らした。オリバーも言葉を失って同じようにクローディアを見ている。
だというのにクローディアは平然と紅茶を飲んでいるではないか。
「それって……」
プリシラは信じられないという気持ちを抱きつつも、胸の内が妙にざわつくのを感じながら改めるようにテーブルの上へと視線をやった。
黒毛の猫のような小動物。それでいて猫にはない羽を生やしている。見上げてくるのは紫色の瞳。
なにもかも違う。髪の色も、瞳の色も、声も。姿も。
だけど、どうしようもなく惹かれ、抱きしめたくなるこの感情は……。
「……ジュノ?」
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