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第二章 人間に崇拝される編

64.愛の伝道師 レカエル

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「ああ、レカエル様……。本当に、本当にお戻りになったのですね……!!」

 イヴはぽろぽろと涙をこぼす。

「わたくし、わたくし……信じておりましたわ! レカエル様がわたくしを見捨てるはずなどないのです!」
「……その割には偽物呼ばわりされたのですが。それどころか悪魔とさえ……」
「ああレカエル様……! その高貴なお顔も優しい声も、何一つ変わっておられない……」
「だからそれならなぜ……。まあ私にとってはつい先日の事ですからね」

 レカエルの静かなつぶやきはイヴの耳には入らなかったらしい。ひとしきり感涙した後、イヴはあたりに目をやった。

「まあ!! ツツミ様にエウラシア様!! あなた方もお戻りに!!」
「う、うん。ていうか最初からいたんだけど……」
「お二人もご無事で何よりですわ!」
「……なんだろ。すごいついでな感じがするよ」
「うー。仕方ないね」

 なんにせよイヴが周りをきちんと認識できるようになったのは喜ばしい事である。と、思ったのだったが……。

「や、やあイヴ。その……大丈夫?」

 後ろからかけられた声にイヴがびくんと肩を震わせた。ぎぎぎ、と音がしそうなほどゆっくりと振り向く。

「あ、あ、あ、アツシ……!」
「あ、あはは……。きちんと名前を呼んでくれるのは随分久しぶり……」
「よくもわたくしの前にまた姿をあらわせましたわねぇぇ!!!」

 瞬時にイヴの目が再び狂気に染まった。

「い、イヴさん! 落ち着いてくださいっ!」
「まったく……。また羽交い絞めにしたくはないのだが」

 タンチョウとミノタリアがアツシをかばうように割って入る。イヴはレカエルの方に向き直り叫んだ。

「レカエル様! この、この男……! 驚かないでくださいませ、なんとアツシは不届きにも神を僭称したのですわ!!」
「え、ええ。聞いていますよ」
「そのせいで、レカエル様は見るもおぞましい紫色の怪物として伝えられることにっ!」
「……ら、らしいですね」
「すでにご存じでしたのね! ならば早く天の裁きを! ひとまず殴って紫のあざで染め上げてくださいませ!!」
「い、イヴさん発想が怖すぎますっ!」

 タンチョウが本気でおびえたように後ずさる。一方のレカエルは引きつった笑みでイヴを見ていた。

「なんていうか……主従揃って猟奇的な考え方するんだね」
「……こうやって客観的に聞くと恐ろしいことを言っていたのですね、私は……」

 これを機に、レカエルがちょっとだけ自分のバイオレンスさを自覚すればいいかもしれない。そう思うツツミであった。




「……という訳で、致し方ない事情があったことはわかっています。イヴもこれ以上アツシたちを責めてはいけませんよ」
「……レカエル様」

 レカエルによって帰還後の経緯を説明されたイヴ。まだ不満げな顔をしてはいたが、レカエルが怒りを収めたと聞いてひとまずは落ち着いたらしい。

「ごめんイヴ。何度謝っても許してもらえるとは思っていないけど、改めてもう一度言うよ。……本当にすまないことをした」
「ふ、ふんっ。アツシの謝罪は聞き飽きましたわっ」

 ぷいっ、とそっぽを向いてしまうイヴ。レカエルがとりなすように後ろから話しかける。

「イヴ。アツシと結婚したのですね。遅くなりましたがおめでとう。正直三人まとめてとは予想外でしたが……」

 イヴは答えなかったが、レカエルは優しい口調で続ける。

「私への忠誠心から無理をしているのではと心配していましたが……。ミノタリアから話を聞きました。あなたにとっても幸せな生活だったのならば何よりです」

 ミノタリアが無言で力強く頷いた。タンチョウもこくこくと首を縦に振っている。どうやらイヴにとって悪い暮らしでなかったことは確からしい。

「冥界に来てからのあなたはひどく疲れてしまったそうですね。私たちの事を正しく伝えてくれようとしたことは嬉しいですが……」

 そんなに無理をすることはなかったのだ。そうレカエルは言う。

「アツシも望んで神を名乗ったわけではないのです。いうなればこれは……愛です」

 ぴくっ。初めてイヴが反応らしい反応を見せた。それに気をよくしたのか、レカエルの口調もどんどん熱を帯びていく。

「愛するイヴが傷ついていくのを見ていられない。そんな気持ちがアツシからは伝わってきました。それはもう、人間をやめてしまうほどの愛が……!」
「大好きで、かけがえのない存在らしいよ」

 ツツミがアツシのセリフを伝える。正確には『三人とも』という前提があるのだが、まあそれ位の省略は許されるだろう。

「そうです! アツシがどれだけあなたを愛しているか……! 愛とはどんな苦難の道をも歩ませる原動力です。なかでも夫婦のそれの尊いこと……!」

 イヴはまだ返事をしない。しかしよく見ると肩が小刻みに震えている。……レカエルはまだ気が付かないようだが。

「こんなにも愛されてイヴは幸せですね。アツシの愛がどれほど深いかわからないあなたでは……」
「うー。レカエル。ストップ」

 エウラシアがイヴの前に回り込み、レカエルを制した。

「なんですかエウラシア? まだまだ愛について……」
「もう。充分。だと思うよ」
「どれどれ? ……わお」

 ツツミもエウラシアの横に並んでイヴの顔を覗き込んだ。エウラシアの言葉が正しいことを理解する。

「充分とは何ですか! アツシの愛は千の言葉を並べ立てても……」
「う、うん。そこまでアツシへの評価が上がったのにびっくりではあるけど。もう大丈夫だって、いやホントに」

 ツツミはニコニコしながらイヴの頭を撫でる。

「よーしよし。あ、イヴ? レカエルには今の顔見られたくないかな?」

 ツツミの問いかけにこくこくと頷くイヴ。レカエルはよくわからないというような視線をエウラシアに送った。

「顔。すごい。真っ赤。眼は。潤んでて。口元は。ニヤニヤ。してる。とろけそう。女の子だね。イヴ」
「……エウラシア、あんま細かく描写しなくていいんだって」

 イヴは耐えかねたかのようにツツミの胸に顔をうずめた。そのまま聞き取れないくらいの小声で言う。

「れ、レカエル様が……。あんなに、愛って……。何度も、仰るので……っ。わたくし……!」
「そーだねー。そりゃあ照れちゃうよねー」

 敬愛するレカエルが、アツシの愛情について熱弁を振るったのだ。イヴの心に響かないはずはない。が、他の者もいる状況でのそれは完全に羞恥プレイである。

 ちなみにアツシの顔もこれ以上ないほど紅潮していた。タンチョウも、ミノタリアですらもなんともいたたまれない表情をしている。

「は、はあ。なんだかわかりませんが。……イヴ。あなたもアツシを愛しているのですね!!」
「わ、わたくしが悪かったですわっ! だからお願いしますレカエル様! もうこれ以上はっ……!」

 レカエルの周りの目を顧みない愛の伝道によって、なし崩し的にイヴたちの和解は成ったのであった。 
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