その少女、舌禍につき

然々

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沈黙の鳥編【第4話】

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夜、窓を打つ風の音が強まっていた。

澪は机に向かい、勉強道具を広げてはいたが、なかなかやる気が起きない。考えてしまう。


教科書の隙間に挟まっているのは、妹・真帆の写真だった。


写真を見てあの頃を思い出した。

二つ年下の中学生。

よく笑う可愛い子だった。

けれどその笑顔は、母親の怒号とともにいつも掻き消された。


母は言葉を武器のように使う人だった。

暴力ではなく、“声”、言葉で人を壊す。


父は沈黙を盾にしていた。

何も言わず、ただ椅子に座って、食卓を見つめていた。いつも叱りつけるのは母の仕事だった。だが、あれは"叱りつける"じゃない。暴力では無いがまるで殴られる様な痛み、精神、心が芯から傷つけられていた。


澪は脳裏に焼き付いていた。

真帆が泣きながら、「お姉ちゃん、なんで言い返さないの」と叫んだ夜を。

その後、真帆は家を飛び出し、戻らなかった。


「真帆がいくなくなったんだよ?何で2人とも何もしないの!?」

だけど私の"声"は両親には響かなかった。

母はその日から誰とも話さなくなり、父は仕事を辞めた。

残ったのは沈黙だけ。


「声って、誰かを壊すんだね。」

澪が小さく呟いた瞬間、喉の奥がズキリと痛んだ。

鳥籠の中の雀が、ピクリと反応する。


「……聞いてたの?」


雀が口を開けた。

声は出ない。

代わりに、澪の妹の声が部屋に響いた。


「お姉ちゃん、やめて。そんな話、しないで。」



澪は立ち上がり、鳥籠を掴んだ。

「やめて、それは真帆の声じゃない!」

叫んだが、叫びは音にならない。

唇が震えただけで、声が出ない。


雀が喉を膨らませた。


「──私の声は、あなたの声。あなたの舌の中に、みんないる。」




その瞬間、澪のスマホが震えた。

通知も発信履歴もないのに、録音アプリが勝手に起動している。

画面には「REC:00:13」と赤い文字。

再生すると、昨夜の彼女の寝息に混じって、誰かの囁きが録音されていた。


「しゃべると、ね。誰かの声を食べるんだよ。」



ノイズ混じりの声は、少女のものだった。

しかしその語尾には、澪の名前が混ざっていた。



翌日。

澪は学校に行く気になれなかった。

高校のクラスチャットでは誰も彼女に話しかけない。

「事故の子」──そう呼ばれていた。


失踪の夜、澪が最後に聞いたのは、真帆の電話だった。

「お姉ちゃん、もう“あの声”のある家に戻りたくない」

その“声”が何を意味していたのか、澪はまだ知らない。


午後、団地の外階段を上ってくる音がした。

記者の久我だった。

スーツの襟が濡れている。

「君が、澪さんだね。」


久我は声を潜めた。

「ここの住人、またひとり……死んだ。三〇三号室の男性。舌が、なかった。」


澪の背筋が凍る。


「何か……聞いていませんか?変な声とか。」

澪は首を振った。

だが、胸の奥では何かが震えていた。


久我が団地の外を見渡す。

「ここは、とある集落の跡地なんですよ。昔、言葉を封じる風習があった。なぜか"囀願(てんがん)集落"なんて呼び方もあるんです。知っていましたか?」


「祖母が……」

澪はその言葉の先を飲み込んだ。


「祖母?澪さんのお祖母様が何か知ってるんですか?」


「いえ…何でもないです。今日は疲れているのでちょっとゆっくりします…」

鳥籠の中で雀が、静かに喉を鳴らしていた。




夜、澪の部屋にノックの音がした。


扉を開けると、久我が立っていた。

「……すみません、もう一度話を。」


久我は録音機を取り出した。

「この団地で、声を録るとおかしなノイズが入るんです。」

スイッチを押す。


『──チチチ……チチ……しゃべると、落ちるの。』


久我が息を呑む。

「……これ、あなたの部屋の真下で録れた音です。

 亡くなった里村さんの声に似ている、と言われていて……」


澪は黙っていた。

彼女の視線は、机の上のノートに釘付けだった。

「舌禍ノ記」のページが開きっぱなしになっている。


久我がそれに気づいた。


「それ……お祖母様の遺品ですか?」


「はい。でも、読まないほうがいい…です。」


「なぜ?」


「読むと、声が出なくなるから。」


久我は笑った。

「まるで都市伝説みたいですね。」

だが笑い声は長く続かなかった。

録音機のスピーカーから、突然彼の声が返ってきた。


『読むと、声が出なくなるから。』



澪が言ったはずの言葉が、録音に残っている。

しかしその声は――久我自身の声だった。


「……おかしいな、今のは……」

久我が機械を見つめる。

その間にも、スピーカーからもう一つの声が流れ出す。


『ありがとう、ミオ。もう一つ、もらうね。』



久我が顔を上げた。

その目に映ったのは、鳥籠の中の雀。

金属の格子を嘴で叩き、こちらを見ている。

喉の奥が、膨らんでいた。


久我が一歩近づいた瞬間、

スピーカーから破裂音。

金属音。

そして、笑い声。


「しゃべると、ね……」



久我が呻き、喉を押さえる。

「ガッ…か…か……かは……ひゅ……ひゅー」


次の瞬間、彼は床に崩れ落ちた。

唇が震え、血が溢れる。

舌が、なかった。


澪は悲鳴を上げようとした。

けれど声が出なかった。

代わりに、雀が彼女の声で囀った。


「ごめんなさい。だって、声が欲しかったから。」



その囀りは、天井から壁へ、壁から団地全体へと伝わっていった。

廊下の蛍光灯が一斉に点滅し、

各部屋から無数の声が囁く。


「しゃべると、落ちるの。」

「しゃべると、ね。」

「落ちるの。」




声が、団地そのものを包み込む。

それはまるで、ひとつの巨大な生き物が呼吸しているかのようだった。


澪は耳を塞いだ。

「いや……やめて……いやぁ!!」

声を出したつもりだが、声が出ない。


だが声は頭の内側から響いてくる。

“沈黙”が、ようやく目を覚ましたのだ。

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