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十年ぶりに故郷へ帰ってきた二十八歳の鷺沢朔也。
無人駅で彼を待っていたのは、幼なじみの榧森千景だった。
八月十六日───送り盆の夕暮れ。
千景に誘われ、翌日取り壊されるという彼女の祖母の屋敷を訪れた朔也は、幼い頃に二人で遊んだ「螺鈿回廊」へ足を踏み入れる。
黒漆の壁に、虹色の貝で描かれた花、鳥、魚、蝶。
そして、その最奥には、一匹だけ存在する奇妙な〈螺鈿の蝉〉があった。
しかし、記憶の中よりも大きくなったその蝉は、よく見ると無数の小さな蝉が重なってできていた。
千景は言う。
「人が死ぬたび、増えるの」
それは、故郷を離れたまま亡くなり、帰り道を忘れてしまった死者を、お盆のあいだだけ故郷へ導くための蝉だった。
やがて朔也は、自分がなぜこの町へ帰ってきたのかを思い出していく。
十年前に言えなかった想い。
帰ると約束したまま過ぎてしまった歳月。
そして、夏の終わりとともに訪れる、本当の別れ。
「夏って、いつ終わると思う?」
送り火が揺れる夜。
二人がようやく見つけた答えの先で、
帰ったはずの者の声が、もう一度だけ聞こえてくる。
───それでも決して、振り返ってはいけない。
文字数 8,320
最終更新日 2026.08.17
登録日 2026.08.17
高校二年の春、写真部の宮代のクラスに、谷澤梢という美しい転校生がやってくる。整いすぎた顔、わずかに遅れて作られる笑顔───なぜか彼女には、人を本能的に遠ざける奇妙な違和感があった。
「ちゃんとできてるか、見てほしい」
そう頼まれ、宮代は放課後の彼女を撮り始める。写真を重ねるうち、二人は少しずつ距離を縮めていく。しかし宮代は気づいてしまう。谷澤の顔が、日を追うごとにクラスメイトたちへ似ていっていることに。
そして辿り着いた三年前の事故記事には、すでに死亡したはずの少女──「谷澤梢」の名前が記されていた。
彼女はいったい誰なのか。
人間らしさとは、いったい誰が決めるのか。
一人の少女の「普通になりたい」という願いと、少年の淡い恋を描いた、青春と恐怖の境界が静かに溶けていく学園ホラー。
文字数 12,261
最終更新日 2026.08.16
登録日 2026.08.16
親友・雁金紬が失踪した翌日から、彼女のBeRealは毎日、通知から二分以内に更新され続ける。主人公・硯川澄乃は、それを紬が生きている証拠だと信じていた。
しかし投稿されるのは、コンクリート壁や道路、公園など、紬の姿がない写真ばかり。やがてその撮影場所が、澄乃の学校、自宅近くへと少しずつ近づいていることに気づく。
そして澄乃は知る。紬のアカウントから投稿している何者かの目的は、紬の生存を偽装することではない。投稿することで、澄乃のBeReal──彼女の「今」を覗き見ることだった。
日常を切り取るはずのSNSが、知らない誰かに現在地を知らせる窓へと変わっていく。
そして最後に判明する。
澄乃が親友の生存証明だと信じて見続けていたものは───。
文字数 9,712
最終更新日 2026.08.14
登録日 2026.08.14
高校二年生の雨宮朔には、昔から壁の染みや雲、木目などが人の顔に見える癖があった。誰にも話さずにいたその感覚を、隣の席の水城依澄だけが同じように持っていた。
雨の日の窓に浮かんだ「猫の顔」をきっかけに、二人は校内や帰り道で“顔に見えるもの”を探す遊びを始める。何気ない写真を送り合い、放課後を共に過ごすうち、朔は依澄に惹かれていく。そしていつしか、朔には世界のあちこちが依澄の顔に、依澄には朔の顔に見えるようになっていた。
恋をすれば、世界に好きな人が増えるのかもしれない。
そう思っていた二人だったが、撮りためた写真には奇妙な共通点があった。そこに見える顔はすべて同じ方向を向き、やがて笑顔から泣き顔へと変わっていく。
さらに依澄は、幼い頃に姉を事故で亡くしたあとにも、家中の模様に姉の顔を見ていたことを明かす。調べた朔は、曖昧な模様や形の中に意味のあるものを認識してしまう「パレイドリア」という現象を知る。
ただの脳の錯覚なら、なぜ二人は同じ場所に顔を見るのか。
なぜ、そこに浮かぶ口の形まで同じなのか。
写真を並べた二人には、それが「逃げて」という言葉に見え始める。
やがて依澄が姿を消す。
朔が街中に浮かぶ無数の“依澄の顔”の視線を追って辿り着いたのは、かつて彼女の姉が命を落とした古い歩道橋だった。
そこで依澄は、姉が死ぬ前日に「大嫌い」と言ってしまったことを告白する。自分は最後まで姉に嫌われたままだったのではないか。その罪悪感を抱え続けていたのだ。
しかし朔が写真を見直すと、「逃げて」と読んでいた口の形は、別の見方をすれば「好き」とも読めた。
それが姉からの言葉なのか。
二人がそう思いたいだけなのか。
あるいは、ただの傷や染みに過ぎないのか。
答えは出ない。
それでも朔は、自分が依澄を好きであることだけは、自分で選んだ意味だと伝える。
世界に最初から意味があるのではない。
人はきっと、無数の偶然や曖昧なものの中から、自分にとって大切な意味を見つけて生きていく。
雨粒の中に猫を見つけたあの日から始まった、少年と少女の恋と、喪失と見間違いをめぐる青春恋愛ホラー。
文字数 7,264
最終更新日 2026.08.13
登録日 2026.08.13
高校二年の夏。数学研究部の久遠遼介は、世の中には必ず答えがあり、正しく考えれば正しい結論に辿り着けると信じていた。
そんな遼介の前に現れたのが、転校生の逆瀬未明だった。
数学は苦手なくせに「パラドックスが好き」と言う未明は、放課後の数学準備室で、遼介に奇妙な問いを投げかける。
「未来の自分に、その選択をすれば必ず後悔すると言われたら?」
「振られると分かっていても、好きな人に告白する?」
「人を好きだということは、証明できる?」
嘘つきのパラドックス、祖父殺しのパラドックス、テセウスの船、証明できない命題――。
答えのない問いを交わすうち、二人の距離は少しずつ縮まっていく。
しかし夏休みを前に、未明は告げる。
八月二十三日、この町を離れ、遠く福岡へ転校するのだと。
「どうせ終わるなら、始めない方がいい」
そう考える遼介と、
「結果が同じでも、そこまでの道は同じじゃない」
と言う未明。
残された夏の中で、二人は初めて、自分たち自身を答えのない問題として見つめることになる。
そして別れの日を目前に、未明は遼介へ最後の問題を出す。
───絶対に証明できないことを、証明してください。
永遠も、未来も、誰かを好きでいることも証明できない。
それでも、証明できないからといって、存在しないわけではない。
答えのない問題を嫌っていた少年が、ひとりの少女との夏を通して、「答えがなくても選ぶ」ということを知っていく。
数学とパラドックスをモチーフに、恋、別れ、記憶、そして不確かな未来を描く青春恋愛短編。
文字数 6,537
最終更新日 2026.08.11
登録日 2026.08.11
御厩透嗣(みまやとうじ)が目を覚ましたのは、九州北部の山中に建つ私立精神療養施設――胎生心理研究院だった。
自分の名前は分かる。
だが、年齢も、職業も、家族の顔も思い出せない。
記憶の中に残っているのは、たった一人の女だけだった。
廻谷まひる(めぐりやまひる)。
夏の海辺で笑ったこと。
古い映画館で手を握ったこと。
二人きりで結婚を約束したこと。
そして婚礼の夜、真昼の細い首を、自分の両手で絞めたこと。
透嗣を担当する精神科医・薬師鼎(やくしかなえ)は、まひるという女性は存在しないと告げる。警察にも戸籍にも、彼女の記録はない。透嗣が抱いている恋愛と殺人の記憶は、長期昏睡と精神的外傷によって作り出された妄想だという。
しかし研究院の夜には、まひるの声がする。
閉ざされた窓の外から、壁の内側から、使われていない院内電話から。
「早く思い出して。
あなたが私を殺す前に」
病棟で出会った少女・終夜水琴(しゅうやみこと)は、自らを「まひるになり損ねた九番目」と名乗る。
水琴は透嗣を、ある日は兄と呼び、ある日は夫と呼び、別の日には父親と呼ぶ。そして透嗣の顔を見つめるたび、懐かしそうに言う。
「また若くなったのね」
研究院の旧病棟には、明治末期から現代までに撮影された患者写真が残されていた。
時代も名前も異なる男たち。
だが、全員が透嗣と同じ顔をしている。
その男たちの隣には、必ず一人の女が写っていた。
廻谷まひると同じ顔をした女。
彼らがたどり着いたのは、透嗣の祖父とされる精神医学者・御厩胎一郎(みまやたいいちろう)が提唱した、異様な学説だった。
胎恋遺伝説。
恋愛感情は、個人の経験から生まれるものではない。強烈な愛情や執着、嫉妬、殺意は生殖細胞に刻まれ、胎児へ受け継がれる。
特定の物語、匂い、音、顔を、母体を通じて胎児へ与え続ければ、生まれた子供に「特定の人間を愛する心」を作ることができる。
透嗣とまひるは運命の恋人なのではない。
何世代にもわたる実験によって、互いを愛するよう作られた男女なのかもしれない。
やがて透嗣は、研究院地下に保存された婚礼事件の記録を発見する。
過去百年の間に、何人もの花嫁が婚礼の前後に殺害されていた。
一人目からは髪。
二人目からは歯。
三人目からは舌。
その後も、眼球、皮膚、声帯、子宮が失われている。
それらは猟奇殺人の戦利品ではなかった。
歴代の花嫁たちから身体と記憶を集め、一人の完全な「廻谷まひる」を作るための部品だった。
二人の愛は、どこまでが実験なのか。
植え付けられた愛は、偽物なのか。
誰かに作られた感情であっても、失う苦しみまで偽物と呼べるのか───。
文字数 32,914
最終更新日 2026.08.11
登録日 2026.08.11
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