信濃川左岸の恋

日立かぐ市

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 一昨日は大雪だった。

 大雪の日は静かに淡々と雪が一日降り続く。風はほとんどなく、一日の気温は最高も最低も大差なく2度くらい。厚い雲のせいで朝から薄暗いけど、夜は真っ白な雪が街灯を反射していつもより明るい。そんな日が大雪になると知ったのは中学に入ってからだ。

 高校生の今になってみると、小学校の頃は寒いも暑いも知らなかったんじゃないかと思う。

 中学に入ってようやく気温を知り、暑くなると嫌々半袖を着たり我慢して長袖を着続けたり、逆に寒くなってもなぜかコートを着ようともせずマフラーだけで我慢するようになったり。

 高校に入るとそれが子供っぽいことなのだとなんとなくわかったんだろう。寒いのを我慢しないでタイツを履いたりストッキングを履いたりする子が出てくる。逆にストッキングを避ける子もいる。

 蒼は小学校でも中学でもタイツ履いてたし今日も履いているけど。

 大雪の日の次の日はたいてい穏やかな曇り空になる。雲には輪郭がなく空一面が均一な薄いグレーに覆われる。もちろん寒い。積もった雪に騒音が吸収されて少し静かになる。昨日もそうだった。

 私は大雪の次の日が好きだ。

 だから目的のない散歩に出た。昨日積もった雪は寒さのせいでまだサラサラとしている。サラサラした新雪の上に足跡を付けたり足跡の上を歩いたり蹴ったり。

 10分もするとそれにも飽きてくるし寒いし、せっかく家を出て歩き出したのに引き返してしまいそうになる。こんな時は何か目標だ。

 アップルパイが美味しいお店?そんなお店を私は知らない。じゃあ温かいミルクティーが飲みたい。でも寒い日といったらやっぱり鍋だ。すき焼き、豆乳鍋、それよりシンプルな鱈鍋がいい。

 地味だしシンプルで主張しないけど、じんわりと美味しくて好き。

 でも鍋はお家で食べるものだから、と考えているうちにローカルニュースを思い出した。古いデパートが閉店するっていう。だから閉店が決まっているデパートを見に行くことにした。

 閉店するデパートがあるのは信濃川の向こう側。その信濃川の向こうにある古い繁華街は何もなくて不便だと話すのをよく聞く。駐車場がないから不便らしい。車を持たない高校生にはわかりにくい不便さだけど、長い橋を渡って行くのが億劫なのか私も信濃川の向こうまで行くことがない。

 綺麗な空なのに、まだ歩道に残る雪のせいか寒いせいか、外を歩く人は少なかった。

 信濃川を渡る万代橋を歩く人もほとんどいない。万代橋の灰色の石で出来た欄干は他の橋よりもずっと低くて腰の高さほどしかない。そこには雪がまだきれいな状態で積もっている。ちょうどいい高さで幅も広いから手に取りやすいのに、誰も万代橋で雪遊びをしていない証拠だ。

 石造りの欄干に積もった5センチの雪をガバっと手に取り丸めては上を飛ぶ白い海鳥に向かって投げたけどまるで当たらない。

 端から始めて橋の真ん中までそれを続けたけど一つも当たらない。そもそも届かない。厚着で動きにくいせいか目一杯投げても雪玉は1メートルも上にあがっていないと思う。

「君、可愛いね」

 見るとダブルのロングコートを着た金髪が立っている。

「やっぱり?」

 寒くないようにセーターを2枚も着て、さらにダウンを着て丸くなっている。可愛くないはずがない。

「ねえ、写真撮らせて」

 そんな事を言われたのは初めてだった。

「雪、投げてるとこ」

 知らない私にそんな風に声をかけるのは気まずいのか、声は大きくないしチラチラと見てはすぐに目線をはずそうとする。

「投げてるとこ撮るの?」
「そう、投げるとこ」
「いいよ!」

 金髪の女性は後ずさりで3メートルくらい距離をとり、ショルダーバッグから長方形の四角いカメラを取り出した。カステラの半分くらいの黒いカメラを胸のあたりに構えて、上から覗いている?

 ちょうど橋の上を飛ぶ海鳥がいたからそいつに向かって雪玉をなげつけた。

 彼女を見ると、よくわからないけどカメラの横についた丸い取っ手みたいなのをいじっている。

「撮れた?」
「もう一回」

 橋の上を飛ぶ海鳥はもういない。ずっと遠くへ行ってしまった。

「えい!」

 代わりに彼女に向かって投げる。雪玉は頭の上を通り過ぎていった。

「撮れた?」
「もう一回!」

 そう言って、また丸い部品をいじっている。カメラを持ってから弾むような声になり目線を外さなくなった。

「おりゃ!」

 見事に彼女の左肩にあたって雪玉はパラパラになって飛び散った。今日当たったのは初めてだ。

「撮れた?」
「撮れた」
「可愛く撮れてる?見せて見せて」

 近づいて彼女が両手で持つカメラを覗いたが、ガラスのようなものがあるだけでそこに写真は写っていない。

「フィルムだからすぐには見れないよ」
「そうなんだ。どのくらい待つの?1分?5分くらい?」
「現像に出すから一週間くらいかな」
「マジで?」
「マジなんだなこれが。デジカメで撮るからもう一回投げてよ」

 一週間後にしか見られない箱型カメラを仕舞うと今度は小さい黒いやつを出した。

「それはどのくらい待つの?」
「すぐ見られるよ」

 そう言ったかと思うと顔の目の前にカメラを構えた。

「ほら」

 手首をくるっと回すとカメラの裏側には確かに私の顔が写っている。慌てているような驚いたような急いでいるような、状況をよくわかっていない、そんな顔をしている。
 っていうか、いつの間に撮った。わずかに変な音がしたような気がしたけど、あれだったのか。

「すごい!」
「凄くはないでしょ、スマホにだってカメラ付いてるんだから」
「確かに!」

 スマホにカメラが付いているのはもしかしたらすごいのかもしれない。しかもスマホは一週間も待たずに見られる。

「でもすごい。私そんな顔してるなんて知らなかったもん」
「そうなの?さっきからずっとこんな顔してるよ」
「マジで?」
「マジで。ほら」

 見せてくれた写真の中で私は欄干に積もった雪を下に流れる信濃川に落としていた。声をかけられる前だ。
 その写真はほとんど色彩がない。明るめのグレーの空、白い雪、いつも同じ色をした灰色の石で出来た万代橋。その下を流れる信濃川の水面は黒のような緑のような不思議な色をしている。

「ごめんね、変な子が欄干ツルツルにしてるのかと思って撮っちゃった」

 カメラを操作して拡大してモニターいっぱいに顔を大きく表示すると、確かにさっき撮られた写真と同じ顔をしている。

「変な子が欄干ツルツル?」

 灰色の石で出来た万代橋の欄干はツルツルじゃなくてデコボコでザラザラしている。

「そうだよね……。実はナンパしようと思ってさ、下から急いで上がってきたんだ」

 橋の下の川沿いの遊歩道のようなところを指さした。白い綺麗な手だ。

「ねえコーヒー飲みにいかない?撮らせてくれたお礼に奢ってあげるから」
「ケーキは?」
「いいよ」
「行く!名前なんて言うの?私は真琴だよ。堀真琴」

 答えるまでにほんの少し間が空いた。

「逢田。じゃあ行こっか」

 二人で橋を渡り、何もなくて不便だと言われている古い繁華街にある喫茶店へ向かった。
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