地球温暖ガールと絶滅フレンズ

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第二章

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「出雲先生、先踏です。今、幕張キャンパスの研究棟入口にいます」

 病院の敷地を出ると、どっと疲れが襲ってきた。一晩中デスティニーを嵐の危険から守り、ダイゴの体力は限界を越えていた。一刻も早く、熱いシャワーを浴びてベッドに倒れこみたかったが、出雲教授に昨晩の一件について、報告しなければならなかった。バッテリー切れのスマホはコンビニでチャージャーをレンタル、充電マークは百パーセント、満タンに戻っていた。スマホの時刻表示は午前七時。

「ああ、先踏君、昨日は先に帰って悪かったね。今まだ出勤途中だ。電車の中だからもう切りたいんだが」

 昨晩のゲリラ豪雨は局所的な現象だった。出雲教授の電車は巻き込まれずに済んだようだ。今言わないとチャンスを失う。

「あ、ええと、あの後デスティニーさんと一晩一緒でした」

 携帯通信に一瞬空白が生まれた。

「ひとばん?」

 出雲教授の怪訝な表情がダイゴの頭に浮かんだ。

「知念さんから、デスティニーさんを病院に送り届けるよう頼まれました。ところが、途中でゲリラ豪雨に巻き込まれたのです」

「なぜすぐに私に電話しなかった!」

 スマホがビリビリと震え、割れた音声が耳に突き刺さる。

「スマホは、あの、バッテリーが切れていました」

「まさか、君、彼女に手を出したのか!」

 発想が短絡的すぎる、ダイゴはいつもの出雲らしくないと感じた。

「そんな、天地神明に誓って、ありません」

「本当か? デスティニーにもしものことがあったら、絶対に許さないからな!」

「大丈夫です。彼女は無事病院に戻りました。先生、それで」

「医師に健康状態を確認したのか?」

 ダイゴはアクシデントの理由、知念がVR酔いで気分が悪くなったこと、エレナが最短ルートを変更したこと、すべてが不可抗力であったことを説明しようとしたが、出雲教授はその機会を与えなかった。

「着いた時、病院はまだ開いていませんでした」

「普通聞くだろう! 君は無責任すぎる!」

「別れた時は元気でした」

 出雲教授はこちらの言い分をまったく聞かない。ダイゴは一方的な叱責に電話を切りたくなった。

「デスティニーは病人なんだぞ。病状は急激に悪化する。君は危機管理意識が根本的に欠如している」

 ダイゴはできるだけのことをしたつもりだ。だが、出雲教授には伝わりそうもない。

「すみません。病院に問い合わせます」

「もういい」

「あ、でも」

 通話はブチ切りされた。ドキドキと激しい動悸に胸が締め付けられる。ダイゴは抗不安薬を取り出し、口に二錠放り込んだ。心臓の上に手を当てるが拍動は鎮まらない。

 なぜ自分だけが悪者なのだ。昨晩の一件は知念が悪いのだ。こちらの言い分も聞かずデスティニーを押しつけた。知念はデスティニーの病状を把握している。対処方法だって知っているはずだ。そもそも知念はデスティニーの実の妹じゃないか、ダイゴの憤りは止みそうもない。

 今度会ったら一言言ってやる、強く抗議する、ダイゴは眉間に皺を寄せて不満をこぼした。

 ダイゴの思考がふと途切れた。強烈な睡魔に抗えず、そのままロビーのソファーにどう、と倒れこんだ。ああ、今はただ、泥のように眠りたい。ところが、目を閉じて数分で、激しいコール音が鳴り響いた。

「もしもし……」

 まどろみの中、ダイゴの意識は朦朧としていた。

「君、昨日デスティニーに何をした!」

 電話の主は出雲教授だった。その強い口ぶりは怒りに満ちていた。

「何って……。嵐を避けて防風林に退避、雨が上がった後は病院まで一緒に歩いただけです」

 自分はやましいことはこれっぽっちもしていない、なぜ信用してもらえないのか、ダイゴは出雲教授の頑なさを不快に感じた。

「デスティニーが手首を切った」

 ダイゴは我が耳を疑った。「さよなら」、凛とした一言が頭の中に甦る。

「そんな馬鹿な。別れる時、彼女は前よりしっかりしていましたよ」

 必死に申し開きをしたが、出雲教授は頑として聞こうとしない。

「三十分で幕張キャンパスに着く。家に帰らず、研究棟入口で私を待つように。知念君と為国さんにも連絡を入れておく」

 今朝の様子から、デスティニーの自殺の可能性を見抜くことは不可能だった。彼女は自ら、もう引きこもりは止めて前進しないと、と前向きになっていたのだ。

 知らず知らずの内に、彼女の気持ちを傷付けはしなかったか、自分の対応に落ち度はなかったか、ダイゴは自問自答を繰り返した。

 出雲教授は予告通り、三十分で東京先端大学幕張キャンパスに到着した。何やらぶつぶつつぶやきながら、前のめりに歩いてくる。時を置かず、知念マリアも小走りで駆け込んできた。下を向いて苦しそうに息を切らしている。

「知念さん、急に電話して悪かった。病院には連絡しておいた。為国さんは少し遅れるそうだ。先踏君、知念さん、行くよ」

 出雲教授は二人を連れて研究室へと急いだ。ダイゴは知念に話しかけたが、相手は取り合おうとはしなかった。

「とりあえずデスティニーの状況を共有しよう。椅子を持って集まってくれ」

 出雲教授はフロアの中心にパイプ椅子を置き、どっかと腰を下ろした。ダイゴ、知念、それから昨晩徹夜で作業をしていた三条が、教授の回りに集まった。

「私が医療センターに電話した時、デスティニーが手首を切って大騒ぎになっていた。時刻は午前七時。どこかで拾った貝殻で手首を切ったらしい」

 ダイゴの息が止まった。デスティニーは、海岸通りでピンクの貝殻をポケットに入れていた。自殺は計画的犯行だったのか。

「一命はとりとめたのですよね! 容態は安定していますか?」

 ダイゴは身を乗り出して出雲教授に迫った。

「発見が早く、大事には至らなかった。ちょっと待って」

 出雲教授はポケットからスマホを取り出し、口元に当てた。

「東京先端大学の出雲です。いつも大変お世話になっております。デスティニーさんの件で、薬師丸先生と少々お話させていただきたいのですが、可能でしょうか? わかりました。ご連絡をお待ちします」

 出雲教授は電話を切った後、ペットショップの子犬のように通路を行きつ戻りつした。そわそわ小刻みな足音が室内に響く。スマホが身震いした。

「薬師丸先生、お忙しいところ、折り返しのお電話、ありがとうございます。その後デスティニーさんの様子はいかがでしょうか? そうですか。ああ~、良かったです。ええ、ええ、安心しました」

 出雲教授はほっと安堵の息をついた。頬が赤味を取り戻し、こわばっていた表情が緩んだ。

「そうですか。面会しても大丈夫ですか? 落ち着いてはいるが、刺激しないように? もちろんです。それではこれから向かいます。面会者は三人まで。了解いたしました」

 出雲教授は通話を終了するなり、バッグを持って立ち上がった。

「デスティニーの精神状態は安定しているそうだ。短時間なら面談も可能だ。ちょっと様子を見に行ってくる」

「先生、僕も行きます」

「私も」

 ダイゴと知念はほぼ同時に同行を願い出た。

「いいだろう。タクシーで行こうか」

 出雲教授は一瞬迷いを見せたが、二人を拒むことはしなかった。

「三条君、一時間ほどで戻ってくる。もし為国さんが来たら、我々が帰るまで待っていてほしいと伝えてくれ。それからこの二、三日『WYS』の挙動が不安定だ。おかしいところがないか、調べてくれないか?」

「先生、不具合については認識しています。昨日も泊まり込みで確認作業をしていましたが、原因不明です」

「そうか。悪いね。大事な時だから早く直して欲しい。無理を言ってすまない」

 三条はシステムの不調を申し訳なさそうに首を振った。

「じゃあ、先踏君、知念さん、出発するよ」

 ダイゴと知念は遅れまじと出雲教授の後に続き、病院へと向かった。
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