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第五章
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「先踏代表、ご説明は以上になります。いかがでしょうか」
東京先端大学教授出雲学は、先踏醍醐の父、先踏将門を幕張の研究室に迎え、仮想空間「WYS」とジオ・エンジニアリングシステム「SCIBOUZ」のデモ及びプレゼンテーションを行っていた。
先踏将門は五十七歳、イタリア製のスーツに身を包み、食い入るようにスクリーンを睨んでいる。袖口にイエローゴールドのロレックスがキラリと光る。眼光鋭く、ただものではない雰囲気を漂わせている。
「いや面白い! 日本のIT技術は海外の二番煎じが多いのだが、御社の構想は視点が斬新、成長性も期待できる。
事業のタネが一つだけでなく、中期、長期の二段構えというのもユニークだ。どちらかが不発でも、もう一方で挽回は可能だ」
先踏将門は日本のスタートアップ投資の草分け的存在で、業界では伝説のベンチャー・キャピタリストとして名が通っている。
「さすがです。一回の説明で当社のセールス・ポイントを正確に理解されている」
「中期テーマのジオ・エンジニアリングは地球温暖化、長期のニューロ・サイエンスはうつ病、認知症等の精神疾患治療に貢献できる。どちらも深刻な社会問題で、世界的なニーズは極めて大きい」
「我々は投資家様の支援を得て、一刻も早く独自技術で社会貢献したいと考えておる次第です」
将門は埋蔵金を発見したトレジャー・ハンターのように目をらんらんと輝かせている。
「ダイゴ、お前の意見を聞かせてくれないか」
「いいんじゃないですか……」
将門の期待に反し、ダイゴの心、ここにあらずだ。そわそわと落ち着きなく、入口の方向をずっと見つめている。
「何だそれだけか、やれやれ、もう少し気の利いたコメントはできないものか」
先踏将門は息子の白けた態度に呆れ気味だ。
「出雲社長、私はダイゴをキャピタリストに育てたかったんですよ。苦労して手に入れたノウハウや人脈を引き継がせたかったのですが、こいつは金貸しは嫌だ、と拒否しましてね。ダイゴを後継者にする夢はほとほとあきらめかけていたのですが、ひょっとすると、今回の案件はダイゴにベンチャー・ビジネスを学ばせるいい機会になるかもしれない」
「我々の会社『ワールド・セイバーズ』のメンバーは、共同設立者である私と海街、システム補佐の三条だけで、本格的な展開には人が足りない。そこでダイゴさんにお力を借りたいと思っています。ご子息は大変優秀な方です。是非当社の取締役として活躍していただきたい」
二十四歳で今をときめくベンチャー企業の取締役。降ってわいたような幸運だが、ダイゴは乗り気ではない。
「ダイゴ、すごいじゃないか。やりがいのある仕事だぞ」
「でも大学院の方も忙しいし」
「先踏君、大学院については私にまかせてくれ。悪いようにはしない」
「出雲社長、それを聞いて安心しました。よし、決めた。是非御社に投資させてください」
将門はぽん、と両手を叩き合わせた。気の早い一本絞めだ。
「本当ですか! 先踏代表にご支援いただければ、もう怖いものなしです」
出雲教授は顔を紅潮させ、満面の笑みを浮かべている。ベンチャー業界では、先踏将門のお墨付きがあれば成功間違いなしと言われている。
「出雲社長、出資は第三割でよろしいですかね。三分の一はいただきたいですな」
第三割、第三者割当増資とは新規に株式を発行して資金を調達する手法だ。会社の株式三分の一を取得すれば、重要な意思決定事項の否決権を手にする。すなわち、先踏キャピタルは『ワールド・セイバーズ』の経営に影響力を持つことになる。
「先踏代表、私は自己資金をそこそこ投入しておりまして、今回のラウンドで一部回収できれば、と考えております」
「了解しました。既存株主の持ち株と新規発行を合わせて、三分の一を持たせてください」
新規の株式発行では出雲教授にお金は入らない。教授は自分の持ち株を譲渡することで売却益を得ようとしているのだ。
「承知しました。ただ、一応念のため、産業イノベーション投資機構や大学の意見もヒアリングさせてください」
「ワールド・セイバーズ」は、従業員三人の吹けば飛ぶような会社だ。今までの運営資金は政府系ファンドと東京先端大学の投資で賄っていた。
取締役は無報酬のため、コストは三条のバイト料とサーバーレンタル費用だけだ。しかし、この先本格的な事業展開のためにはスタッフの拡充や機器の充実が必要になる。
「会社の価値、バリュエーションですが、出雲社長の算定は十億円と控えめですね。正式には我々の財務チームに計算させますが、御社の将来性を考えると、三十億円でも良いと思います。ここは多めにフレッシュマネーを注入して、事業化のスピードアップを図るべきです」
将門は将来会社が伸びると信じ、株式を現在の実力よりも高額で引き受けるという。
「本当ですか!」
「ただし、出資比率三割が条件です。営業や財務面でテコ入れさせていただきたいと思います」
「わかりました。先踏代表のご要望とあらば、喜んでお受けします」
将門の申し出に出雲教授は天にも昇る気持ちだった。現在の持ち株数は出雲教授が四十二パーセント、デスティニーが二十パーセント、残りは産イノと大学だ。評価次第だが、少なく見積もっても、自分の懐に「億」単位の金が転がり込む。出雲教授は秘かにほくそ笑んだ。
「では社長、明日当社の専門家チームにコンタクトさせます。デューデリジェンスの進め方や契約書について相談させてください」
デューデリジェンスとは出資先企業の詳細な調査のことだ。
先踏将門は勢いよく立ち上がり、骨ばった拳をぐっと差し出した。出雲教授はこれを両手で強く握りしめた。
「よろしく! お願いいたします!」
「そうだダイゴ、論文の提出は終わったんだろう? そろそろ家に顔を出せよ。母さんが寂しがっているぞ」
先踏将門は一言言い残すと、部下を引き連れ颯爽と研究室を出て行った。
「これで私の努力は報われる!」
感激した出雲教授は小躍りして喜んでいる。爛爛と目を輝かせ、ウキウキとダイゴに向き直った。
「先踏君、今話したとおり、君には早速入社してもらいたい。肩書は経営企画担当取締役だ。契約書を用意するから、すぐにサインしてくれ」
「先生、お申し出大変ありがたいのですが、取締役なんて僕には無理です。会社務めの経験はないし、そもそも人付き合いが苦手なこと、よくご存じでしょう」
「大丈夫。そんなのすぐ慣れるよ」
出雲教授は上の空、ダイゴの心配をこれっぽっちも気にしていない。
「僕は、人質、ですか?」
「変な奴だなあ。取締役だぞ。会社の経営幹部だぞ。普通は二つ返事で引き受けるものだ」
出雲教授はダイゴに精一杯の便宜を図ったつもりだ。もちろん、父親である将門の心証を良くするためでもある。
「少し考えさせてください。ところで今日、デスティニー打ち合わせに参加するというお話でしたよね。彼女は来ないんですか」
喜色満面の瞳から輝きが消えた。
「私はもう、デスティニーをサポートすることはあきらめた」
口ぶりに多少の躊躇はあったが、出雲教授は既に腹を固めたようだ。
「すみません。どういう意味ですか? 今日デスティニーに会えると思ったから来たのに」
「嘘をつくつもりではなかったが、そう言わないと君はここに来てくれないと思った。私は彼女の居場所も連絡先も知らない」
出雲教授は視線を落としたまま、ぼそぼそと語った。
「できることはすべてやった。だが、デスティニーのために、本来の仕事がおろそかになっている。私にはやるべきことがたくさんある。友人としても、同僚としても、できる支援はここまでだ」
先ほどまでの高揚感は影を潜め、表情に無力感が溢れている。
「デスティニーは天才だが、モノができなければどうしようもない。これからは会社の経営資源をニューロ・サイエンスにシフトする。出資手続き完了後、先踏代表に相談するつもりだ」
東京先端大学教授出雲学は、先踏醍醐の父、先踏将門を幕張の研究室に迎え、仮想空間「WYS」とジオ・エンジニアリングシステム「SCIBOUZ」のデモ及びプレゼンテーションを行っていた。
先踏将門は五十七歳、イタリア製のスーツに身を包み、食い入るようにスクリーンを睨んでいる。袖口にイエローゴールドのロレックスがキラリと光る。眼光鋭く、ただものではない雰囲気を漂わせている。
「いや面白い! 日本のIT技術は海外の二番煎じが多いのだが、御社の構想は視点が斬新、成長性も期待できる。
事業のタネが一つだけでなく、中期、長期の二段構えというのもユニークだ。どちらかが不発でも、もう一方で挽回は可能だ」
先踏将門は日本のスタートアップ投資の草分け的存在で、業界では伝説のベンチャー・キャピタリストとして名が通っている。
「さすがです。一回の説明で当社のセールス・ポイントを正確に理解されている」
「中期テーマのジオ・エンジニアリングは地球温暖化、長期のニューロ・サイエンスはうつ病、認知症等の精神疾患治療に貢献できる。どちらも深刻な社会問題で、世界的なニーズは極めて大きい」
「我々は投資家様の支援を得て、一刻も早く独自技術で社会貢献したいと考えておる次第です」
将門は埋蔵金を発見したトレジャー・ハンターのように目をらんらんと輝かせている。
「ダイゴ、お前の意見を聞かせてくれないか」
「いいんじゃないですか……」
将門の期待に反し、ダイゴの心、ここにあらずだ。そわそわと落ち着きなく、入口の方向をずっと見つめている。
「何だそれだけか、やれやれ、もう少し気の利いたコメントはできないものか」
先踏将門は息子の白けた態度に呆れ気味だ。
「出雲社長、私はダイゴをキャピタリストに育てたかったんですよ。苦労して手に入れたノウハウや人脈を引き継がせたかったのですが、こいつは金貸しは嫌だ、と拒否しましてね。ダイゴを後継者にする夢はほとほとあきらめかけていたのですが、ひょっとすると、今回の案件はダイゴにベンチャー・ビジネスを学ばせるいい機会になるかもしれない」
「我々の会社『ワールド・セイバーズ』のメンバーは、共同設立者である私と海街、システム補佐の三条だけで、本格的な展開には人が足りない。そこでダイゴさんにお力を借りたいと思っています。ご子息は大変優秀な方です。是非当社の取締役として活躍していただきたい」
二十四歳で今をときめくベンチャー企業の取締役。降ってわいたような幸運だが、ダイゴは乗り気ではない。
「ダイゴ、すごいじゃないか。やりがいのある仕事だぞ」
「でも大学院の方も忙しいし」
「先踏君、大学院については私にまかせてくれ。悪いようにはしない」
「出雲社長、それを聞いて安心しました。よし、決めた。是非御社に投資させてください」
将門はぽん、と両手を叩き合わせた。気の早い一本絞めだ。
「本当ですか! 先踏代表にご支援いただければ、もう怖いものなしです」
出雲教授は顔を紅潮させ、満面の笑みを浮かべている。ベンチャー業界では、先踏将門のお墨付きがあれば成功間違いなしと言われている。
「出雲社長、出資は第三割でよろしいですかね。三分の一はいただきたいですな」
第三割、第三者割当増資とは新規に株式を発行して資金を調達する手法だ。会社の株式三分の一を取得すれば、重要な意思決定事項の否決権を手にする。すなわち、先踏キャピタルは『ワールド・セイバーズ』の経営に影響力を持つことになる。
「先踏代表、私は自己資金をそこそこ投入しておりまして、今回のラウンドで一部回収できれば、と考えております」
「了解しました。既存株主の持ち株と新規発行を合わせて、三分の一を持たせてください」
新規の株式発行では出雲教授にお金は入らない。教授は自分の持ち株を譲渡することで売却益を得ようとしているのだ。
「承知しました。ただ、一応念のため、産業イノベーション投資機構や大学の意見もヒアリングさせてください」
「ワールド・セイバーズ」は、従業員三人の吹けば飛ぶような会社だ。今までの運営資金は政府系ファンドと東京先端大学の投資で賄っていた。
取締役は無報酬のため、コストは三条のバイト料とサーバーレンタル費用だけだ。しかし、この先本格的な事業展開のためにはスタッフの拡充や機器の充実が必要になる。
「会社の価値、バリュエーションですが、出雲社長の算定は十億円と控えめですね。正式には我々の財務チームに計算させますが、御社の将来性を考えると、三十億円でも良いと思います。ここは多めにフレッシュマネーを注入して、事業化のスピードアップを図るべきです」
将門は将来会社が伸びると信じ、株式を現在の実力よりも高額で引き受けるという。
「本当ですか!」
「ただし、出資比率三割が条件です。営業や財務面でテコ入れさせていただきたいと思います」
「わかりました。先踏代表のご要望とあらば、喜んでお受けします」
将門の申し出に出雲教授は天にも昇る気持ちだった。現在の持ち株数は出雲教授が四十二パーセント、デスティニーが二十パーセント、残りは産イノと大学だ。評価次第だが、少なく見積もっても、自分の懐に「億」単位の金が転がり込む。出雲教授は秘かにほくそ笑んだ。
「では社長、明日当社の専門家チームにコンタクトさせます。デューデリジェンスの進め方や契約書について相談させてください」
デューデリジェンスとは出資先企業の詳細な調査のことだ。
先踏将門は勢いよく立ち上がり、骨ばった拳をぐっと差し出した。出雲教授はこれを両手で強く握りしめた。
「よろしく! お願いいたします!」
「そうだダイゴ、論文の提出は終わったんだろう? そろそろ家に顔を出せよ。母さんが寂しがっているぞ」
先踏将門は一言言い残すと、部下を引き連れ颯爽と研究室を出て行った。
「これで私の努力は報われる!」
感激した出雲教授は小躍りして喜んでいる。爛爛と目を輝かせ、ウキウキとダイゴに向き直った。
「先踏君、今話したとおり、君には早速入社してもらいたい。肩書は経営企画担当取締役だ。契約書を用意するから、すぐにサインしてくれ」
「先生、お申し出大変ありがたいのですが、取締役なんて僕には無理です。会社務めの経験はないし、そもそも人付き合いが苦手なこと、よくご存じでしょう」
「大丈夫。そんなのすぐ慣れるよ」
出雲教授は上の空、ダイゴの心配をこれっぽっちも気にしていない。
「僕は、人質、ですか?」
「変な奴だなあ。取締役だぞ。会社の経営幹部だぞ。普通は二つ返事で引き受けるものだ」
出雲教授はダイゴに精一杯の便宜を図ったつもりだ。もちろん、父親である将門の心証を良くするためでもある。
「少し考えさせてください。ところで今日、デスティニー打ち合わせに参加するというお話でしたよね。彼女は来ないんですか」
喜色満面の瞳から輝きが消えた。
「私はもう、デスティニーをサポートすることはあきらめた」
口ぶりに多少の躊躇はあったが、出雲教授は既に腹を固めたようだ。
「すみません。どういう意味ですか? 今日デスティニーに会えると思ったから来たのに」
「嘘をつくつもりではなかったが、そう言わないと君はここに来てくれないと思った。私は彼女の居場所も連絡先も知らない」
出雲教授は視線を落としたまま、ぼそぼそと語った。
「できることはすべてやった。だが、デスティニーのために、本来の仕事がおろそかになっている。私にはやるべきことがたくさんある。友人としても、同僚としても、できる支援はここまでだ」
先ほどまでの高揚感は影を潜め、表情に無力感が溢れている。
「デスティニーは天才だが、モノができなければどうしようもない。これからは会社の経営資源をニューロ・サイエンスにシフトする。出資手続き完了後、先踏代表に相談するつもりだ」
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