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【一章〈春〉】未知との遭遇編
06.人工少女との一歩
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寮の外に出る。
春とはいえ夜中だ。外気は肌寒い。本館は閉まってるから、外から直接、研究施設に向かうことにした。
そういえば、今はザンセは普通に後ろをついてきてるな。
ショッピングモールのとき急に立ち止まったり、手を引かないといけなかったのはなんだったんだ。
「はち」
足早に外を抜けようとしていると、つん、と手に何かが触れてきた。
「な、なんだよ」
びくっと体が反応したが、気取られないように取り繕う。
ザンセは、手の平を差し出すようなポーズのまま固まっていた。
「手……?」
また、握ってほしい、という合図なんだろうか。
掴まれるのは怖い。今は、その行為には恐怖しか覚えない。
が、ぶるぶると首を振る。
現実のザンセはそんなことするわけない。そもそも腕力的にありえない。このザンセには、関係のないことだ。
手を繋いで、歩き出す。
そうすると、肌寒いはずなのに、手の平はじっとりと汗ばんでくる。反面、背中には冷たい汗が伝う。
……関係ない、のか? 本当に?
あの精神世界の主はザンセで。俺の手をむしったのも、確かにザンセだ。
なら、関係ない、なんて言えるのか。
むしろこのザンセの精神性が、ああして表れているはずなら……。
「ち、近くなってきたから……」
研究所目前に来て、ザンセの手を払うようにしてほどく。
「人もいるかもしれないし。終わりな」
夜中であっても、研究施設内には案外人はいる。夜勤以外にも、自ら泊まり込んで作業している人も多いらしい。
繋いでるところは見られたくない。そのまま前を向いて歩き出す。ついてきている足音はする。
裏口玄関から入って、明かりがついている部屋を頼りに研究施設の控室に顔を出す。
「あの。すいません」
「ん?」
宿直らしき研究者の人は、慌てた感じで椅子から体を起こす。角田さんだっけか。
「織部くん……?」
「ザンセが俺の部屋に来てたんで、帰しに来たんですけど……」
俺が連れてきたザンセに一瞥くれると、
「ん……ああ。わかった……」
「あとはよろしくお願いします」
とやかく言うこともなく、ザンセを預かってくれたので、俺はそのまま引き返した。
不思議そうにはしてたけど言及はなかったな。というより眠そうだった。
ザンセがここからいなくなっていたことは知ってたんだろうか。誰かが俺の部屋まで誘導したのかと思ってたけど、そうでもないのか?
仮にもし誰かの差金だったんだとしたら、何のためにそんなことを……。
わからないなと思いつつ、帰り道の通路を一人で歩く。
外に出ると、どこからともなく、煙っぽいにおいがしてきた。
煙草のにおいだ。研究施設内では吸う人が多いのか、そこかしこから当たり前のように漂ってるが、このあたりに喫煙所なんてあったっけか。
「あれ。織部くん」
周りを見ると、声が掛かった。
裏口を出てすぐの壁に寄りかかって、煙草を手にしている皆川さんがいた。
「皆川さん……」
「こんな夜更けに会うなんてね。珍しいね」
外に煙草を吸いに来たのか。
さっき通ったときはいなかった。ちょうど入れ違うタイミングだったんだろうか。
「どう? 〈Z-answer〉との進展の調子は」
その呼称に一瞬はてと思うが、すぐに思い当たった。
ザンセのことか。渡された資料に書いてあった。読み、ゼットアンサーで合ってたんだな。
進展の調子、か。
そういえば、皆川さんは俺とザンセの関係性のほうを取り上げていたな。
俺だから起きるのか。だとしたら俺だから、ザンセにああやって手を引き千切られるのか。
手。ザンセがああして手を出してきて、繋ぎたいと意思表示するのは……。
「二度目に……さっき、精神世界に、入りました」
質問の返答ではないけど。あった出来事を口にする。
また意味不明なことだらけだった。話すとまだ心臓が縮む。
皆川さんは興味深そうに、眼鏡の奥を鋭く光らせた気がした。
「ほお」
「変わってました。俺があげたもの、与えたもの、いろいろと影響があって、それが反映されてて……」
考えるよりも先に、堰を切ったように話し出して、気づいたら、首に触れていた。
「手……」
右手で触れていて、思わず呟いた。
「手を……引きちぎられて……」
右の手首を掴む。
ここから先が、引っ張られて、ちぎられた。
現実にはないことだ。現実で手を引きちぎられたら、ああいう痛みや感覚なのかどうかはわからない。
それでもあまりにリアルな血の色や、感触だった。瞼の裏に蘇ると、掻き消したくなる。
全部、俺の想像上の、これぐらい痛いはずだという幻想なのかもしれないけど。
なぜか、なくなった先の感触は冷たかった。なくなった部分から、空洞を吹き抜けていく冷気が差し込んでくるかのようだった。
「手……。手か」
皆川さんは呟いて、考え込むように顎に手をやる。
「今回は、首じゃなかったのか……」
「いえ。首も……ですけど」
それは最後だ。その部分は前回と同じだった。
皆川さんはまだ考え込んでいる。研究者的に、何か引っかかるところはあるんだろうか。
「でも、ともかく、変化はあった。ちゃんと、反映はされてた。これならもしかしたら、前進……できると、思います」
今考察されても、あまり応えられない。早く寮に戻ろうとそう言うと、
「嬉しい?」
聞かれて、どきっとして顔を上げた。
皆川さんの、考えが読み取れない笑みと目が合って、思わず逸らした。
「嬉しいわけじゃ……」
「あれ。そうなの?」
思わず否定すると、皆川さんは不思議そうに首を傾げる。
「前進できるならいいことじゃない?」
何か現象が起きれば起きるほど、すべてが考察材料になる。前進できるのなら、進展があるなら、今はまだ何もわからなくても、喜ばなくちゃいけないことだ。
けれど皆川さんの言うことも、なぜだか否定したくなった。
「首だけじゃなくて、手か……。面白いね」
皆川さんはそんなことを独り言のように呟いただけで、煙草を吸いながらふらふらとどこかへ歩き出した。
俺の話はもういいらしい。一人の世界に入ってしまったみたいだ。聞きたいことは聞けたから、もう満足って感じなのか。
……面白いわけあるか。
考察してくれるのは嬉しいけど、吐き捨てるように内心呟いた。
※ ※ ※ ※ ※
翌日。久保田さんにも報告した。
「意欲はいい。が、勝手に行うのは看過できん」
最初に久保田さんが口にしたのは叱責の言葉だ。
「異能力を使う際は、公的な理由の下に、必ず許可を取り、監視下で行うようにと説明したはずだが。まさか依頼という建前で見過ごされるとは思ってないだろうな?」
「すみませんでした」
それについては謝るしかない。悪いのはこっちだ。異能力を管理している立場として、勝手な行使を許すわけにはいかないだろう。
「でも、わかったこともあるんです」
得られたことについては、喜ぶべきだ。が、久保田さんは険しい顔だ。
「織部。どんな手段であれ依頼を達成できればいい……などとは思うなよ」
「思ってませんよ」
反射的に否定する。
久保田さん的には慎重にならざるを得ないのはわかる。かといって、ザンセの問題が何も進まないのは、もっとまずいだろう。心の動きは、タイミングも重要だ。逃すわけにはいかない。
無許可だったのは反省すべき点だが、どっちみちいずれは二度目に挑戦することになっていた。決して私欲のためじゃない。そこはわかってほしい。
再度、厳重注意を受けて、二度目の精神ダイブについての報告を終えた。
研究について。ザンセについて。俺はまだまだ知る必要がある。
俺との関係――。皆川さんが言っていたことは、重要だったんじゃないか。
俺だから。俺相手にだから、精神世界であんな反応を見せるのだとしたら。現実でのザンセとの関係が、思った以上に重要になる。
変わらずザンセと接すること。それが専ら、今の俺にできることなのかもしれない。
※ ※ ※ ※ ※
久保田さんに報告した後。
「いいか? こうやってな……」
いつもの広間にて、タブレットをザンセの前に置いて、手本をやってみせる。
前に見せたのと同じ、タップすると消えるだけのゲームだ。
こうやって見せるだけでは意味がないから、再度ザンセの手を持って、操作する。改めて動作を教える。
面白そうだとか、今は感じなくていい。教えられたとおりにやってみてほしい。
「はい。押してみな」
手を離して、タブレットを渡す。
ザンセは目の前の画面をじーっと見つめていたが、やがてさっきの動作を真似るように、指で触れた。
お。反応した。
しばし虚空をつついているだけだったが、途中で気づいたのか、心なしか物を狙って押すようになった。
淡々と押して、消す。楽しんでるようには見えない。なんか、虚無だなあ、この絵面。
まあいいか。やれることが増えるだけで、ザンセにとっては新たな一歩だ。
こうやって、根気よく教えてみるか。
さらに数日経過。
「はち」
タブレットの画面を覗き込むと、ザンセが俺を呼ぶ。
施設内の図書館にて、俺の隣に座ったザンセは、俺がやれと指示を出したパズルゲームを終わらせたようだ。
タップして消すだけのものから少しレベルアップした。相変わらず自主性はないが、やり方さえ覚えれば淡々とやってくれるようになった。といっても、これも適当に押していればいつかはクリアになるんだけど。
「えらいな……じゃない、えっと」
ザンセのほうを向く。
できたらちゃんと褒めてやるのは重要だ、けど。
「よくできたぞ」
結果じゃなくて過程を褒めるべし。と、今手元で読んでいた子育て本に書いてあったが、なんて褒めればいいかわからなかった。
悩んだ末、ぽん、と頭に触る。よしよし、と撫でてみる。
子どもに対してのコミュニケーション方法はいろいろあるが、わかりやすく一貫しているものは感情表現のようだ。親の感情を受け取ることで子供は感受性が育っていくんだとか。
うーん。しかしこれだと賞賛と罰の方式だな。何か正しい対応を考えないと。
ザンセはタブレットに目を戻す。俺に報告して、褒められるまでが、ザンセの中ではワンセットなんだろうか。
やることができたのはいいことだ。何かやらせておかないと、こいつはひたすらテレビ前の石像になってるだけだ。
流れてくるものを眺めてるだけじゃ駄目だ。頭を使わせて、脳の発達を促さなければ。
一息ついて、軽く伸びをする。
適温に保たれた図書館内は快適だ。静かだし、本のにおいも落ち着くから居心地がいい。
今日は息抜きとして、専門書ではなく子育ての観点で調べ物をしていたが、集中力がいったん途切れてしまった。ちょうどいいかもしれない。
「外、行くか」
キリがいいから休憩だ。快適な場所にいたいのは山々だが、ちょっとぐらいは外を歩かないと体に悪い。
ザンセと二人で外に出た。近場のコンビニぐらいなら、特に許可がなくとも連れ出せるようになった。
現状、ザンセは体力がなさすぎる。ショッピングモールでふらついたこともあって、思ったより深刻だと判断されたんだろうか。どっちみち、散歩ぐらいは日課にしたほうがいい。
「はち」
敷地から歩道へと出ると、ザンセは手を出してきた。
散歩になると、よくこうしてくるようになった。繋いでほしい、の合図だ。
人目が少ないとき限定だが、繋いでやる。どうもザンセは、手を繋ぐのが好きらしい。
赤ん坊も、抱っこしてあげるのは重要らしいし。未発達のザンセにとっても、スキンシップはやはり特別な何かなのかもしれない。
施設から少し離れると、車通りも減って、近くに公園も見えてくる。青く繁った木々が日陰を作る小道を歩く。
春は過ぎつつある。肌寒いと感じる日は日に日に減っている。
ちらと後ろを見ると、ザンセと目が合う。
視線への反応もずいぶん良くなった。けど、相変わらず無表情で、無機質な瞳だ。
でもそれは、まだ自己さえも薄い、まっさらな中身を表してもいるんだろう。
俺は、おまえの心を壊してやるつもりで近づいて、そのための調べ物に必死になってるのにな。
「同じのでいいか?」
コンビニにて、お茶を手に取る。
相変わらずあれが欲しいこれが欲しいとかはないから、同じものを買う。返事は期待していない。
ザンセは食べ物は好き嫌いしない。あげればだいたいなんでも食うこともわかってる。
「アイスも買うかな……」
気まぐれでアイスも買ってみる。
歩いてきたせいか、気温よりも暑く感じる。ザンセは常に涼しい顔してるけど、暑いとは感じてるんだろうか。
コンビニを出て、端に寄ってから袋を開けて、ザンセにアイスを手渡す。俺が食べるのを見て、じっとアイスに視線を向ける。
ザンセって、そういえば、アイスは食べたことないんじゃないのか。
「あ、冷たいからな」
俺の真似をするように、一口食べる。しゃりしゃりと小さく音が鳴る。
何か食べて不味いっていう顔はしたことないけど、ザンセは一口食べただけで固まってしまった。次がなかなか進まない。
俺は食べ終わってしまった。ゴミを捨てて戻ってくると、
「ザンセ、それ、溶けてる……」
棒から手を伝って、溶けたアイスがザンセの足下にぽたりと垂れていた。
「食べないの?」
そう聞くと、俺を見てから、アイスに視線を戻して、もう一口食べる。
のろのろと食べ進めるのをティッシュを構えたまま待つ。そうこうしてる間に、だいぶ地面に垂れた気がする。
「美味しくなかった?」
ほとんど溶けたせいで、あんまり食べてないような。
甘いものは普通に食べてたよな。何か嫌だったんだろうか。
「いたい」
棒を捨てて、手を拭いてやってると、ザンセは言った。
「痛くはないと思うけど……」
冷たいという刺激、イコール痛い、だとか思ってないか?
「美味しくなかったんならそれでいいよ」
まだ、そこまでの判断はできないか。返事があるだけで上々だ。
帰ろう、と言って歩き出す。また手を繋ぐ。
反対の手にすればよかった。ザンセの手、拭いたとはいえ、さっきのアイスでべたついてるんだけど……。
いろいろと学習して、できることが増えて、反応も良くなってる。地道だけど、ザンセの脳内はアップグレードされていってるはずだ。
人間としてはほんの小さな一歩でも、最初と比べれば、きっと目を見張る成長をしている。
空を見上げる。今日はよく晴れて、春の陽光に夏の熱気が混ざったような明るい青色をしている。春が過ぎ去るにつれ、青がより濃くなって、空が近づいてきたように感じる。
空を見ると思い出す。果てのない空のような、ザンセの精神世界。
あれが自然界ではなく、隣りにいる少女が作り出した世界なのだから、不思議だ。
今まで見たどんなものよりも、手に触れてしまうのが惜しいと思った。
すでに影響は及んでしまっているし、何よりも壊さなければいけないものだけど。
それでも。俺はやり遂げなければならない。
俺があの世界をどう思おうが、どのみち、冬が終わるときがザンセの寿命だ。
たった一度の機会、稀有な出会いとして。貴重な記憶の一部として、取っておけばいいだけの話だ。
二章へ続く。
春とはいえ夜中だ。外気は肌寒い。本館は閉まってるから、外から直接、研究施設に向かうことにした。
そういえば、今はザンセは普通に後ろをついてきてるな。
ショッピングモールのとき急に立ち止まったり、手を引かないといけなかったのはなんだったんだ。
「はち」
足早に外を抜けようとしていると、つん、と手に何かが触れてきた。
「な、なんだよ」
びくっと体が反応したが、気取られないように取り繕う。
ザンセは、手の平を差し出すようなポーズのまま固まっていた。
「手……?」
また、握ってほしい、という合図なんだろうか。
掴まれるのは怖い。今は、その行為には恐怖しか覚えない。
が、ぶるぶると首を振る。
現実のザンセはそんなことするわけない。そもそも腕力的にありえない。このザンセには、関係のないことだ。
手を繋いで、歩き出す。
そうすると、肌寒いはずなのに、手の平はじっとりと汗ばんでくる。反面、背中には冷たい汗が伝う。
……関係ない、のか? 本当に?
あの精神世界の主はザンセで。俺の手をむしったのも、確かにザンセだ。
なら、関係ない、なんて言えるのか。
むしろこのザンセの精神性が、ああして表れているはずなら……。
「ち、近くなってきたから……」
研究所目前に来て、ザンセの手を払うようにしてほどく。
「人もいるかもしれないし。終わりな」
夜中であっても、研究施設内には案外人はいる。夜勤以外にも、自ら泊まり込んで作業している人も多いらしい。
繋いでるところは見られたくない。そのまま前を向いて歩き出す。ついてきている足音はする。
裏口玄関から入って、明かりがついている部屋を頼りに研究施設の控室に顔を出す。
「あの。すいません」
「ん?」
宿直らしき研究者の人は、慌てた感じで椅子から体を起こす。角田さんだっけか。
「織部くん……?」
「ザンセが俺の部屋に来てたんで、帰しに来たんですけど……」
俺が連れてきたザンセに一瞥くれると、
「ん……ああ。わかった……」
「あとはよろしくお願いします」
とやかく言うこともなく、ザンセを預かってくれたので、俺はそのまま引き返した。
不思議そうにはしてたけど言及はなかったな。というより眠そうだった。
ザンセがここからいなくなっていたことは知ってたんだろうか。誰かが俺の部屋まで誘導したのかと思ってたけど、そうでもないのか?
仮にもし誰かの差金だったんだとしたら、何のためにそんなことを……。
わからないなと思いつつ、帰り道の通路を一人で歩く。
外に出ると、どこからともなく、煙っぽいにおいがしてきた。
煙草のにおいだ。研究施設内では吸う人が多いのか、そこかしこから当たり前のように漂ってるが、このあたりに喫煙所なんてあったっけか。
「あれ。織部くん」
周りを見ると、声が掛かった。
裏口を出てすぐの壁に寄りかかって、煙草を手にしている皆川さんがいた。
「皆川さん……」
「こんな夜更けに会うなんてね。珍しいね」
外に煙草を吸いに来たのか。
さっき通ったときはいなかった。ちょうど入れ違うタイミングだったんだろうか。
「どう? 〈Z-answer〉との進展の調子は」
その呼称に一瞬はてと思うが、すぐに思い当たった。
ザンセのことか。渡された資料に書いてあった。読み、ゼットアンサーで合ってたんだな。
進展の調子、か。
そういえば、皆川さんは俺とザンセの関係性のほうを取り上げていたな。
俺だから起きるのか。だとしたら俺だから、ザンセにああやって手を引き千切られるのか。
手。ザンセがああして手を出してきて、繋ぎたいと意思表示するのは……。
「二度目に……さっき、精神世界に、入りました」
質問の返答ではないけど。あった出来事を口にする。
また意味不明なことだらけだった。話すとまだ心臓が縮む。
皆川さんは興味深そうに、眼鏡の奥を鋭く光らせた気がした。
「ほお」
「変わってました。俺があげたもの、与えたもの、いろいろと影響があって、それが反映されてて……」
考えるよりも先に、堰を切ったように話し出して、気づいたら、首に触れていた。
「手……」
右手で触れていて、思わず呟いた。
「手を……引きちぎられて……」
右の手首を掴む。
ここから先が、引っ張られて、ちぎられた。
現実にはないことだ。現実で手を引きちぎられたら、ああいう痛みや感覚なのかどうかはわからない。
それでもあまりにリアルな血の色や、感触だった。瞼の裏に蘇ると、掻き消したくなる。
全部、俺の想像上の、これぐらい痛いはずだという幻想なのかもしれないけど。
なぜか、なくなった先の感触は冷たかった。なくなった部分から、空洞を吹き抜けていく冷気が差し込んでくるかのようだった。
「手……。手か」
皆川さんは呟いて、考え込むように顎に手をやる。
「今回は、首じゃなかったのか……」
「いえ。首も……ですけど」
それは最後だ。その部分は前回と同じだった。
皆川さんはまだ考え込んでいる。研究者的に、何か引っかかるところはあるんだろうか。
「でも、ともかく、変化はあった。ちゃんと、反映はされてた。これならもしかしたら、前進……できると、思います」
今考察されても、あまり応えられない。早く寮に戻ろうとそう言うと、
「嬉しい?」
聞かれて、どきっとして顔を上げた。
皆川さんの、考えが読み取れない笑みと目が合って、思わず逸らした。
「嬉しいわけじゃ……」
「あれ。そうなの?」
思わず否定すると、皆川さんは不思議そうに首を傾げる。
「前進できるならいいことじゃない?」
何か現象が起きれば起きるほど、すべてが考察材料になる。前進できるのなら、進展があるなら、今はまだ何もわからなくても、喜ばなくちゃいけないことだ。
けれど皆川さんの言うことも、なぜだか否定したくなった。
「首だけじゃなくて、手か……。面白いね」
皆川さんはそんなことを独り言のように呟いただけで、煙草を吸いながらふらふらとどこかへ歩き出した。
俺の話はもういいらしい。一人の世界に入ってしまったみたいだ。聞きたいことは聞けたから、もう満足って感じなのか。
……面白いわけあるか。
考察してくれるのは嬉しいけど、吐き捨てるように内心呟いた。
※ ※ ※ ※ ※
翌日。久保田さんにも報告した。
「意欲はいい。が、勝手に行うのは看過できん」
最初に久保田さんが口にしたのは叱責の言葉だ。
「異能力を使う際は、公的な理由の下に、必ず許可を取り、監視下で行うようにと説明したはずだが。まさか依頼という建前で見過ごされるとは思ってないだろうな?」
「すみませんでした」
それについては謝るしかない。悪いのはこっちだ。異能力を管理している立場として、勝手な行使を許すわけにはいかないだろう。
「でも、わかったこともあるんです」
得られたことについては、喜ぶべきだ。が、久保田さんは険しい顔だ。
「織部。どんな手段であれ依頼を達成できればいい……などとは思うなよ」
「思ってませんよ」
反射的に否定する。
久保田さん的には慎重にならざるを得ないのはわかる。かといって、ザンセの問題が何も進まないのは、もっとまずいだろう。心の動きは、タイミングも重要だ。逃すわけにはいかない。
無許可だったのは反省すべき点だが、どっちみちいずれは二度目に挑戦することになっていた。決して私欲のためじゃない。そこはわかってほしい。
再度、厳重注意を受けて、二度目の精神ダイブについての報告を終えた。
研究について。ザンセについて。俺はまだまだ知る必要がある。
俺との関係――。皆川さんが言っていたことは、重要だったんじゃないか。
俺だから。俺相手にだから、精神世界であんな反応を見せるのだとしたら。現実でのザンセとの関係が、思った以上に重要になる。
変わらずザンセと接すること。それが専ら、今の俺にできることなのかもしれない。
※ ※ ※ ※ ※
久保田さんに報告した後。
「いいか? こうやってな……」
いつもの広間にて、タブレットをザンセの前に置いて、手本をやってみせる。
前に見せたのと同じ、タップすると消えるだけのゲームだ。
こうやって見せるだけでは意味がないから、再度ザンセの手を持って、操作する。改めて動作を教える。
面白そうだとか、今は感じなくていい。教えられたとおりにやってみてほしい。
「はい。押してみな」
手を離して、タブレットを渡す。
ザンセは目の前の画面をじーっと見つめていたが、やがてさっきの動作を真似るように、指で触れた。
お。反応した。
しばし虚空をつついているだけだったが、途中で気づいたのか、心なしか物を狙って押すようになった。
淡々と押して、消す。楽しんでるようには見えない。なんか、虚無だなあ、この絵面。
まあいいか。やれることが増えるだけで、ザンセにとっては新たな一歩だ。
こうやって、根気よく教えてみるか。
さらに数日経過。
「はち」
タブレットの画面を覗き込むと、ザンセが俺を呼ぶ。
施設内の図書館にて、俺の隣に座ったザンセは、俺がやれと指示を出したパズルゲームを終わらせたようだ。
タップして消すだけのものから少しレベルアップした。相変わらず自主性はないが、やり方さえ覚えれば淡々とやってくれるようになった。といっても、これも適当に押していればいつかはクリアになるんだけど。
「えらいな……じゃない、えっと」
ザンセのほうを向く。
できたらちゃんと褒めてやるのは重要だ、けど。
「よくできたぞ」
結果じゃなくて過程を褒めるべし。と、今手元で読んでいた子育て本に書いてあったが、なんて褒めればいいかわからなかった。
悩んだ末、ぽん、と頭に触る。よしよし、と撫でてみる。
子どもに対してのコミュニケーション方法はいろいろあるが、わかりやすく一貫しているものは感情表現のようだ。親の感情を受け取ることで子供は感受性が育っていくんだとか。
うーん。しかしこれだと賞賛と罰の方式だな。何か正しい対応を考えないと。
ザンセはタブレットに目を戻す。俺に報告して、褒められるまでが、ザンセの中ではワンセットなんだろうか。
やることができたのはいいことだ。何かやらせておかないと、こいつはひたすらテレビ前の石像になってるだけだ。
流れてくるものを眺めてるだけじゃ駄目だ。頭を使わせて、脳の発達を促さなければ。
一息ついて、軽く伸びをする。
適温に保たれた図書館内は快適だ。静かだし、本のにおいも落ち着くから居心地がいい。
今日は息抜きとして、専門書ではなく子育ての観点で調べ物をしていたが、集中力がいったん途切れてしまった。ちょうどいいかもしれない。
「外、行くか」
キリがいいから休憩だ。快適な場所にいたいのは山々だが、ちょっとぐらいは外を歩かないと体に悪い。
ザンセと二人で外に出た。近場のコンビニぐらいなら、特に許可がなくとも連れ出せるようになった。
現状、ザンセは体力がなさすぎる。ショッピングモールでふらついたこともあって、思ったより深刻だと判断されたんだろうか。どっちみち、散歩ぐらいは日課にしたほうがいい。
「はち」
敷地から歩道へと出ると、ザンセは手を出してきた。
散歩になると、よくこうしてくるようになった。繋いでほしい、の合図だ。
人目が少ないとき限定だが、繋いでやる。どうもザンセは、手を繋ぐのが好きらしい。
赤ん坊も、抱っこしてあげるのは重要らしいし。未発達のザンセにとっても、スキンシップはやはり特別な何かなのかもしれない。
施設から少し離れると、車通りも減って、近くに公園も見えてくる。青く繁った木々が日陰を作る小道を歩く。
春は過ぎつつある。肌寒いと感じる日は日に日に減っている。
ちらと後ろを見ると、ザンセと目が合う。
視線への反応もずいぶん良くなった。けど、相変わらず無表情で、無機質な瞳だ。
でもそれは、まだ自己さえも薄い、まっさらな中身を表してもいるんだろう。
俺は、おまえの心を壊してやるつもりで近づいて、そのための調べ物に必死になってるのにな。
「同じのでいいか?」
コンビニにて、お茶を手に取る。
相変わらずあれが欲しいこれが欲しいとかはないから、同じものを買う。返事は期待していない。
ザンセは食べ物は好き嫌いしない。あげればだいたいなんでも食うこともわかってる。
「アイスも買うかな……」
気まぐれでアイスも買ってみる。
歩いてきたせいか、気温よりも暑く感じる。ザンセは常に涼しい顔してるけど、暑いとは感じてるんだろうか。
コンビニを出て、端に寄ってから袋を開けて、ザンセにアイスを手渡す。俺が食べるのを見て、じっとアイスに視線を向ける。
ザンセって、そういえば、アイスは食べたことないんじゃないのか。
「あ、冷たいからな」
俺の真似をするように、一口食べる。しゃりしゃりと小さく音が鳴る。
何か食べて不味いっていう顔はしたことないけど、ザンセは一口食べただけで固まってしまった。次がなかなか進まない。
俺は食べ終わってしまった。ゴミを捨てて戻ってくると、
「ザンセ、それ、溶けてる……」
棒から手を伝って、溶けたアイスがザンセの足下にぽたりと垂れていた。
「食べないの?」
そう聞くと、俺を見てから、アイスに視線を戻して、もう一口食べる。
のろのろと食べ進めるのをティッシュを構えたまま待つ。そうこうしてる間に、だいぶ地面に垂れた気がする。
「美味しくなかった?」
ほとんど溶けたせいで、あんまり食べてないような。
甘いものは普通に食べてたよな。何か嫌だったんだろうか。
「いたい」
棒を捨てて、手を拭いてやってると、ザンセは言った。
「痛くはないと思うけど……」
冷たいという刺激、イコール痛い、だとか思ってないか?
「美味しくなかったんならそれでいいよ」
まだ、そこまでの判断はできないか。返事があるだけで上々だ。
帰ろう、と言って歩き出す。また手を繋ぐ。
反対の手にすればよかった。ザンセの手、拭いたとはいえ、さっきのアイスでべたついてるんだけど……。
いろいろと学習して、できることが増えて、反応も良くなってる。地道だけど、ザンセの脳内はアップグレードされていってるはずだ。
人間としてはほんの小さな一歩でも、最初と比べれば、きっと目を見張る成長をしている。
空を見上げる。今日はよく晴れて、春の陽光に夏の熱気が混ざったような明るい青色をしている。春が過ぎ去るにつれ、青がより濃くなって、空が近づいてきたように感じる。
空を見ると思い出す。果てのない空のような、ザンセの精神世界。
あれが自然界ではなく、隣りにいる少女が作り出した世界なのだから、不思議だ。
今まで見たどんなものよりも、手に触れてしまうのが惜しいと思った。
すでに影響は及んでしまっているし、何よりも壊さなければいけないものだけど。
それでも。俺はやり遂げなければならない。
俺があの世界をどう思おうが、どのみち、冬が終わるときがザンセの寿命だ。
たった一度の機会、稀有な出会いとして。貴重な記憶の一部として、取っておけばいいだけの話だ。
二章へ続く。
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