文字戦争

逢良イト

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第一話 Muddle

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昼食を終え、昼下がりの眠たい授業もなんとか乗り切った。パニック状態にあった昨日と違って、右手の事をそこまで気にせずに授業に集中できたのは良かった。
こんな強制的なイベントに巻き込まれて成績落としました、ではシャレにならない。もちろん、命を落としました、もシャレにならないが。

「──ダイキ、ヨシアキ。帰るか」
僕はななめ前の席の高田ダイキと、前の席の鈴木ヨシアキに声をかけた。「りょ」「オッケー」と口々に言い、二人は帰り支度をする。僕も荷物をまとめた。
そして、あらかた支度が終わったその時だった。

「岩橋、居る?」
伊藤先生が教室の前からひょっこりと現れ、そう言った。僕は身体をそちらに向ける。
伊藤コウタロウ先生は、僕たち1年A組の英語教師だ。僕と同じくカナダからの帰国子女で、就任2年目の新任先生。宿題が少ないから生徒からの人気が高い。
そして『岩橋』というのは僕の苗字だ。「いますよ」と言って、僕は先生に向かって小さく手を挙げる。

「あー、岩橋。ちょっとねぇ」
伊藤先生は僕に顔を向ける。「この前の英語のテストについて話したいことがあるんだよね。来て貰ってもいい?」
教室のドアから半分ほど身体をのぞかせながら、先生は手招きをしている。
断るワケにもいかず、僕はダイキとヨシアキの「カンニングか?」とか「バレちゃったなぁ」とかいう冷やかしに包まれながら、先生の方へと向かった。
そして、こちらを見ていたダイキとヨシアキに「先帰っていいぞー」と言って、教室を出た。



伊藤先生はいつも通りの口調で
「じゃ、ついてきて」
と言って階段を下り始める。
途中、他の生徒たちに快く「また明日」と手を振る先生の背中を追いかけながら、僕は何故先生に呼び出されたのかを考えていた。
ダイキは僕をあんなふうに冷やかしたが、僕は決してカンニングなどしない。それにもし仮に僕がするとしても、それは英語以外の教科での話だ。英語のテストでカンニングなんて、僕にはする意味が無い。クラスで一番成績が良いからだ。
ならば何故、と考えているうちに、伊藤先生はどんどんと先へ行ってしまう。『おいおい』と思いながらついていくと、先生は職員室の前で動きを遅めた。

「さてと」
先生は呟き、僕の方を振り返ると足元を指さした。見ると、そこには段ボールが四つ、積み重なって置かれていた。
「え、っと……?」
僕が顔を上げ、もう一度先生の顔を見ると、伊藤先生はにっこりと笑い、臆面もなくこう言った。
「これ、運んでほしいんだよね。車まで」



「よい、しょ……」
僕は教職員専用の駐車場へと歩を進め、伊藤先生の車の前で立ち止まった。一旦荷物を置いた先生がトランクを開けるのを見ながら、僕は不満たらたらな声で文句を言った。
「要するに、パシリじゃないですか。『テストの話がしたい』なんて嘘ついて」
伊藤先生は陽気に「ははは」と笑い、「悪い悪い」と言った。とても『悪い』とは思っていなさそうなその態度に、僕はため息をつく。
「なんで僕なんですか……。他にも暇そうな生徒は居たでしょうに……」
ぶつぶつと、僕は「放課後に予定もあったのに、こんな……」と言った。そして言いながら、五キロほどはある段ボール箱をトランクに乗せた。

伊藤先生は呑気な声で「いやぁ」と言う。
「岩橋じゃなきゃダメだったんだよねぇ」

「何がダメなんです」
僕は振り返る。
そんな僕のすぐそばに立って、先生は僕の顔を覗き込むようにして見ていた。
「だってほら……岩橋は僕の、『敵』だろ?」

先生の右手が小さく動いた。
しかしそれを目で追った時にはすでに遅く、小さな激痛と共に、僕の左の脇腹に深々と、ナイフが突き立てられた。

「え……」
自然に声が漏れる。それと同時に、身体が小さくよろけた。
僕は見上げるように伊藤先生を見る。先生は真顔で僕を見ていた。

──『敵』…………
──伊藤コウタロウも、文字を持っている……!

その結論に至るまで、そう時間はかからなかった。

僕は咄嗟に自分の脚を先生の脚に絡ませ、精一杯の力を込めて体勢を崩した。よろめいた先生の肩を突き飛ばし、腕をつかんでいた手を必死に振りほどいた。
脇腹の激痛をなんとかこらえ、僕は無我夢中で走り出す。行き先も後先も考えず、ただ先生から──伊藤コウタロウから離れるために走った。
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