ランゲルハンス島奇譚(3)「シラノ・ド・ベルジュラックは眠らない(下)」

乙訓書蔵 Otokuni Kakuzoh

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四章

八節

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 現状を認識すると頬が染まる。

 シラノはブースでシャワーを浴び、アメリアはバスタブに浸かっていた。動悸が激しい。アメリアは両手で胸を押さえて心を落ち着かせようと試みた。溜め息を吐くと、シラノがブースから出た。生まれたままの姿の最愛の男をアメリアは目の当たりにした。彼女は瞳を伏せた。

 バスタブに浮いていた左腕を掴んだシラノは彼女の指を肩に引っ掛けて抱いた。

 裸体のシラノに抱きしめられたアメリアの頬は上気する。湿った肌と肌が吸い付き、一つに混ざり合ったような心地になる。心臓が早鐘を打つ。

「腕は水に濡れたままだと風邪引くのか? よく分からんから湯に浸かっておけ。風邪を引かれちゃ困る」シラノは湯をすくうと優しく左腕に掛けた。

 肩に湯を掛けられたアメリアは瞳を閉じて身を委ねた。……気持ちいい。抱きしめて寝かし付けて貰った夜を想い出す。安心する。

 湯を掛けられた左腕がピクリと動く。

「気持ちいいか? 浸かるなら泉よりも風呂だよな。シュールストレーミング事件から気分が駄々下がりだったから漸く晴れるぜ」

 アメリアはくすり、と笑う。

 ──うん。臭ってたもん。でもイ……シラノらしい機転の利かせ方でちょっと面白かったな。

 シラノは左腕を見遣った。

「今お前『臭ぇんだよ、このタコ』って思っただろ? 何となくだけど分かんだからな」

 ──バレた? でも楽しかったよ。

 シラノは溜め息を吐く。

「……なーんてな。俺はお前とは話せねぇみたいだ」

 アメリアは唇を噛む。……そうだよね。シラノとあたしが話せる訳ないもの。

「でも、お前と居て楽しいぜ?」

 ──あたしも。シラノの側に居られるだけで幸せ。

「待ってろよ。早い所、記憶取り戻してご主人にお前を返しに行くからな」

 ──そんな事しなくていいよ! あたしはシラノがここで幸せに暮らしているだけで幸せなんだから!

 顔を上げたアメリアはシラノの肩を握った。帰らなければならない。チカゲが心配する。ユーリエやローリーも心配する。でも、今は困っているシラノを助けたい。シラノの役に立ってから帰りたい。

 肩を掴む左腕をシラノは撫でた。

「大丈夫だ。心配すんな。俺が何とかしてやっからよ」

 ──でも……。

「大丈夫だ」

 背を撫でられたアメリアは瞳を閉じた。



 腰にタオルを巻き付けたシラノはリビングに戻ると、メドゥーサに勧められるままに椅子に座し膝に左腕を乗せた。メドゥーサが『さっきから何それ? 冗談?』と訊ねたのでシラノは『預かりモンだ。いつか返しに行く』とだけ答えた。

 シラノの膝に乗ったアメリアは頬を上気させもぞもぞと動いた。居心地悪いが居心地がいい。今までカーゴパンツのポケットに入れられていたので膝に乗るのは初めてだ。はにかんでいると窓から首を差し入れたアレイオーンと視線が合う。アレイオーンは難しい顔をしていた。アメリアは手を振る。アレイオーンは微笑み返した。

「あ? 気持ち悪ぃな。牡馬に微笑まれても勃たねぇわ」シラノは鼻を鳴らす。

「貴様に微笑んだのではない」アレイオーンは睨む。

「んじゃ何だよ? アメリアか?」

「当然だ」

 シラノは鼻を鳴らした。

「で、話してもいい?」メドゥーサが問う。

「おう」シラノは腕を組む。

「ご存知かもしれないけどあたしはアテナに姿に変えられた」メドゥーサは唇を噛む。

「アレだろ? 処女神アテナの神殿で海神ポセイドンとファックしたのがバレて罰が当たったんだろ?」

「うるさいわね。それであたしは姉さん達と共に地の果ての洞窟で暮らしてたの。時折散歩に出た。魔眼を見た人間が石化する度に自分に絶望したわ。……それでも姉さん達が居たから何とか生きてた。姉さん達はあたしを見ても石化しなかったもの。姉さん達はあたしと同じ姿でも心優しかった。ちょっぴりだけど幸せだったわ。でも突然やって来た勇者ペルセウスに殺された。……ハデスが心を砕いてくれたお蔭であたしはライル島で暮らしていたの。不死だった姉さん達は特別に許されて後からライル島に来てくれた」

「何故ランゲルハンス島に?」アレイオーンは問う。

「……ライル島もランゲルハンス島も魂の姿に戻るって言うでしょ? あたしはそれに期待していた。でも変わらなかった。後から来た姉さん達は綺麗な姿になったのに……。いつまでも悲しむあたしの許へホムンクルスのディーが訪れた。目隠ししてたのが癪だったけどね。腕のいい魔術師がランゲルハンス島に居るって教えてくれたの。その魔術師が……ハンスさんが魔眼を治してくれるって言ってくれたの。藁にもすがる想いでランゲルハンス島へ渡ったわ。島から島への渡航は本来なら禁止されてる。でもハンスさんは特別に許してくれた。……渡る事だけをね。術によって魔眼は治った筈なの。悪魔は嘘吐かない。……でもあたしを見た人は石化する。一時期は恩人であるハンスさんを恨んだわ」

 涙ぐんだメドゥーサは小刻みに震える。

「これ以上ハンスさんに迷惑を掛けたくない。でも姉さん達が待つライル島へ帰れない。人気のない泉に引っ越した。……それからずっと独りぽっち。でも時折姿を見られて……その度に石化した人を見て絶望した」

「それでも生きていたのはポセイドンの所為か?」シラノはメドゥーサの焚火色の瞳を見据えた。

「……悪い? 何千年経とうが冷たい男だろうがあたしは彼が好き。だからずっと待ってた。でも来ない。あたしは愛人だったし……ましてや醜い化け物だもの。美しくなければ愛されない。……幸運な事にあたしはこの世界での死を許された。だから……何千年も前に出会った今日こそ、死のうと思った」

 アレイオーンは瞳を伏せた。シラノは溜め息を吐く。

「阿呆だな」

「何ですって!」メドゥーサは睨む。頭の蛇が一斉に牙を向き威嚇する。

「阿呆だって言ってんだよ」シラノは肩をすくめた。

「あたしの気持ちが理解出来て!?」

「出来る訳ねぇだろ。お前はポセイドンに捨てられたんだよ」

 メドゥーサは唇を噛み締める。分かってた。でも言葉に出したくなかった。それをこの男は簡単に言ってのけた。許せない。

 テーブルの果物ナイフを取るとメドゥーサは逆手に握り締める。

「殺す!」

 アメリアは腕を広げてシラノを庇う。

 シラノは怒り狂ったメドゥーサを睨む。

「もう忘れろ。お前に会えば石化するに決まってる。容姿にしか興味なかったんだよ、ポセイドンは」

 逆上したメドゥーサは包丁をシラノに振り下ろす。シラノは左手でアメリアの左腕を膝から振り払う。そして右手で刃を掴み、メドゥーサの動きを封じた。

 右手の包帯から血が滲む。幾筋もの血液が腕を伝う。垂れた血液は雫となって床に広がる。シラノはメドゥーサから視線を逸らさない。

「周囲に振り回されるな。お前はお前だ。自分に悲観してどうすんだ。他者に幸福を委ねるな。自らが道を切り開け」

 焚火色の瞳から涙が溢れ出す。メドゥーサの歯の根は合わない。

 シラノは焚火色の瞳の奥を見据える。

「人はな、面や姿じゃねぇんだよ。心意気だ。お前を縛るのは容姿じゃない。お前自身だ。死ぬ程悩んだろ? なら死んだと思って這い上がれ。お前には幸福になる権利があるんだ」

「……あ、あたし……し、あわせになっていいの?」メドゥーサは声を震わせる。

「当たり前だろ」

 嗚咽を漏らしたメドゥーサは果物ナイフから手を離した。床に崩れ泣き喚く。

 シラノは刃から手を離した。彼女の殺気が消えた途端、傷が脈打ち痛み出す。しかし傷に構わず左手でメドゥーサの背を撫でた。右手から血が流れ続け、床は赤い花を咲かせる。

 メドゥーサを見つめるシラノを床に座したアメリアは眉を下げて見つめた。



 シラノに介抱されたメドゥーサが自室に戻り、ソファに寝転んだシラノが寝付く。窓から首を差し入れたアレイオーンはアメリアを招いた。アメリアは窓の木枠に手を掛けた。

「……難しい顔をしているな」

 アレイオーンはアメリアの顔を覗く。眉を下げ、瞳を伏せている。

 ──だって……。

「心中察する」

 口をもぞもぞと動かしたアメリアは現世でイポリトと死に別れた事やランゲルハンスの契約を破った事を話した。

「それで腕だけの存在になり、シラノは記憶を失っているが故に気付けない、と」

 ──うん。……ハンスおじさんに『イポリトの魂を島へ繋がる水脈に流した』って言った時、あたし嘘を吐いたの。

「ほう」

 瞳を伏せたアメリアは居心地悪そうに膝をもぞもぞと動かす。

 ──イ、イポリトが……シラノが島の女性と付き合っても、結婚しても平気だって……子供が出来てもあたしは彼が幸せならそれで幸せだって……。

 ヴルツェルは青白く光る瞳を潤ますアメリアを見つめた。

 ──あたし……全然平気じゃない。自分が知らない所で彼が幸せになるなら充分な筈だった。だけど……あたし、左腕だけ島に戻って来た。シラノが女性に優しくするのが辛い。泉からメドゥーサを救うのを見て心が痛んだ。溺れている人を助けるのは当然の事だけど……。彼女を心配したり、親身になる所を眺めたりするのが辛い。

 アメリアは洟をすする。アレイオーンは瞳を閉じた。

 ──全部……全部……イポリトがあたしにしてくれた事なのに……。あたし、傲慢だった。彼の優しい心遣いの上で胡座を掻いてるだけだった。……イポリトに見つめられたい。イポリトに抱きしめられたい。イポリトに『好き』って言われたい。

「……アメリアはメドゥーサを妬んでいるのか?」

 アメリアは首を横に振った。

 ──妬んでるなんて……。ただ……。

「ただ?」

 ──見て貰えないのが辛い。一番近くに居るのに……シラノに目視して貰えるならあたしも想いを伝えられるのに……。

 アレイオーンはアメリアの頭に鼻先を突っ込むと撫でた。

「アメリアは強い女だ」

 ──強くなんか無い! 馬鹿で泣き虫で弱虫で……こうなってからやっと自分の気持ちに気付けた程の鈍感だもの……。

「他者を妬みも恨みもしない、強い女性だ。……諦めるな。いずれ道は見える」

 ──でも……。

「……シラノは強くて好い男だな。そしてアメリアも強くて好い女だ。好い男の隣には好い女が居るものだろう? 弱気になっている間に誰かに隣を取られても良いのか?」

 アメリアは首を横に振ると涙を拭った。

「……自身を信じろ」

 アメリアは不安げに小さく頷いた。
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