ランゲルハンス島奇譚(3)「シラノ・ド・ベルジュラックは眠らない(下)」

乙訓書蔵 Otokuni Kakuzoh

文字の大きさ
9 / 41
四章

九節

しおりを挟む
 朝日を顔に受けたシラノは目ヤニで汚れた目を擦ると瞼を上げる。すると腕の中にアメリアの左腕が居た。眠っているのだろうか、微動だにしない。シラノは起こさぬように徐に身じろぐとソファから立ち上がった。

「もう少し共に寝てやれ」

 声に驚き、振り返ると窓からアレイオーンが首を差し入れていた。

「……お前一晩中そうやってたのかよ」シラノは苦笑する。

「冗談を」

 アレイオーンは鼻を鳴らす。

「俺の側よりもお前の側の方がアメリアはよく眠れるらしい」

「どうしてだよ?」シラノは頭を掻いた。

「さあな」

 鼻を鳴らしたアレイオーンは踵を返すと何処かへ消えてしまった。

 シラノが大欠伸をしているとメドゥーサが現れた。彼女はシラノを一瞥するとキッチンに入る。

「干してた服、乾いてるわよ。物干にあるから」

「おうサンキュ」

 シラノはソファに左腕を置くと庭へ向かう。

 ソファに戻されたアメリアは目を擦る。小さな欠伸をして伸びをするとキッチンカウンターからこちらを窺うメドゥーサと視線が合った。アメリアは暫く彼女を見つめていたがこっくりと会釈をした。

 すると鼻を鳴らしたメドゥーサは朝食の支度を始める。

 ……見えているのかな? それともシラノみたいに見えないのかな?

 ソファに座したアメリアがもぞもぞと膝を擦り寄せているとメドゥーサは鼻を鳴らした。

「……手伝いなさいよ」

 え。あたしに言ったの?

 アメリアがきょろきょろと周囲を見回しているとメドゥーサは再び鼻を鳴らす。

「……あなたよ、あなた」

 メドゥーサの焚火色の瞳が真っ直ぐアメリアを捉える。気付いて貰えて嬉しくなったアメリアは立ち上がると小走りでキッチンへ向かいメドゥーサの隣に立った。

 ──あたしが見えるの?

 メドゥーサは鼻を鳴らす。

「見えるわよ。ずっとシラノにくっ付いて。まるで馬鹿な恋人みたいね。昨晩なんかシラノと一緒にお風呂なんて入って妬けちゃうわ」メドゥーサは火に掛けたフライパンにベーコンを敷くと玉子を落とす。

 ──恋人……だった。

「『だった』? だったって何よ?」まな板にメドゥーサはイギリスパンを並べる。

 ──彼が死ぬ直前に想いを伝えてくれたの。だから過去形。

「それで遠慮して過去形にしてる訳?」

 ──うん。だって……縛るのは可哀想だもの。それに記憶を失ってる。心から愛する人が彼の前に現れた時、あたしは消えちゃうかもしれない。『恋人』って想っていたら見るに耐えられないもの。

 イギリスパンにバターを塗っていたメドゥーサは鼻で笑う。

「何それ。まるで人魚姫じゃない。じゃあ、あたしが盗っちゃっても良いのね?」

 眉を下げたアメリアはもぞもぞと口を動かした。

「好い男よねぇ。鼻が馬鹿みたいに高いけど、滅茶苦茶優しいわよね。それにポセイドンより気骨ありそうだもの、あたしのナイフを素手で受け止めるなんて。逞しいし、ファックも上手そう。あとでベッドに誘ってみようかしら?」

 瞳を潤ませ、口をへの字にしたアメリアは小刻みに震える。

 パンにレタスを乗せるメドゥーサは長い溜め息を吐いた。

「……あなた本当に馬鹿ね。ここまで言われて何も言い返さないの?」

 ──あたしはメドゥーサみたいに彼に見える訳じゃないから幸せにしてあげられない。

「ふうん……。彼の事を第一に考えての事なのね」

 ──うん……。

「昨日までのあたしと同じ」

 メドゥーサはモツァレラチーズをパンに乗せる。

「……ねぇ。やっぱりあんたも自分よりも彼の方が大事な訳?」

 足許を見つめていたアメリアは頷いた、

「そうよね。だったらこんなにウジウジしてないものね。あーあ、家に黴が生えちゃいそう。昨日までのあたしって最悪」

 アメリアはもぞもぞと口を動かした。

 メドゥーサは話を続ける。

「彼が大事って気持ち、よく分かるわよ。あたしもそうだったもの。結局愛されてはなかったけど」

 カットした黒オリーブをパンに乗せる。

「情が厚くて好い男ね。きっと想い出すわよ。他人の為に命を投げ打つような男だもの。あの手の男って出会った人を決して忘れないわ。……人望あったでしょ?」

 アメリアは頷いた。

「じゃああなた、ここで腐ってちゃダメよ。あなたがそうであるように、彼からしてみればあなたが一番大事なの。現世で死に際に胸の内明かしたんでしょ? あなたが笑顔で居て欲しいから自分の命を投げ打つのよ。あなたもそうでしょ?」

 アメリアは深く頷いた。

 トマトと生ハムをパンに乗せメドゥーサは小さな溜め息を吐く。

「彼が一番なのは分かるけど、このままじゃ共倒れよ。だから自分の為に生きなさい。……本当はあなた、彼が一番大切じゃなくて彼とあなたが笑って過ごしているのが大切なんでしょ?」

 顔を上げたアメリアはメドゥーサの焚火色の瞳を見据える。

 ──うん。

 メドゥーサは微笑んだ。

「だったら……一度でも彼の手をとったのなら、彼の手が引き千切れようが自分の腕が引き千切れようが絶対に離しちゃダメ。欲しい物は欲しいって伝えなきゃ。……あたしはそれが出来なかったから……あなたにそんな惨めな想いして欲しくない」

 ──メドゥーサ……ありがとう。

「じゃあ手を握ったついでに首に縄付けときなさい。……ねぇ、シラノに視認されないって事はあなた、元々島で生まれたんでしょ? 瞳が青白く光るし、右手に包帯してるし……もしかして死神の子?」

 ──うん。

「じゃあ父親はローレンス?」

 ──どうして父さんを知っているの?

「噂で聞いたの、北の街に住んでいるって。ローレンスの娘ねぇ……道理でウジウジしてると想ったわ。……あたしが黒髪だった頃、花畑で知り合ったの。あたしが作ったブーケを『素敵だね』って褒めてくれた。……あなた、ローレンスに似てる」

 アメリアは小首を傾げた。メドゥーサは鼻を鳴らすと具材にパンを乗せる。

「……ウジウジ、ナヨナヨしてるけど良い奴だった。死神って良い奴なんだなって。道端で死んでた小動物の為にブーケを作ったの。ローレンスと一緒にお葬式をした。……姿を変えられて西の果ての洞窟に身を潜めた時……実は彼が訪ねてくれたの。『僕は石にならないよ。だって友達だし、君は僕を恐れなかったもの』って。……でもね、あたし勇気がなかった。そいつまで石になったら悲しいもの。ポセイドンが石に変わるよりもきっと辛いと想う。心にも無い事言って追い払ったの」

 ──父さんと友達だったんだ。

「友達って言って良いのかしら? あーあ。シラノのお説教聞いたり、あなたの父親を想い出したりして馬鹿らしくなっちゃった。いつまでも自分に悲観してる場合じゃないわね。姐さん達から教わった刺繍、久し振りにやろうかしら」パンを乗せるとメドゥーサは蛇に巻いた白いリボンを弄んだ。

 アメリアはまじまじとリボンを見つめる。白い糸で刺繍が施されている。

 ──刺繍……自分でやったの?

「そうよ」

 ──凄い! 細やかで素敵。

「やってみる? ローレンスの娘なら教えてあげてもいいわよ?」メドゥーサは悪戯っぽく微笑む。

 眉を下げてアメリアは微笑する。

 ──やめとく。あたし不器用だから手が穴だらけになっちゃう。

 女達は笑い合った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

君への気持ちが冷めたと夫から言われたので家出をしたら、知らぬ間に懸賞金が掛けられていました

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【え? これってまさか私のこと?】 ソフィア・ヴァイロンは貧しい子爵家の令嬢だった。町の小さな雑貨店で働き、常連の男性客に密かに恋心を抱いていたある日のこと。父親から借金返済の為に結婚話を持ち掛けられる。断ることが出来ず、諦めて見合いをしようとした矢先、別の相手から結婚を申し込まれた。その相手こそ彼女が密かに思いを寄せていた青年だった。そこでソフィアは喜んで受け入れたのだが、望んでいたような結婚生活では無かった。そんなある日、「君への気持ちが冷めたと」と夫から告げられる。ショックを受けたソフィアは家出をして行方をくらませたのだが、夫から懸賞金を掛けられていたことを知る―― ※他サイトでも投稿中

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

エリクサーは不老不死の薬ではありません。~完成したエリクサーのせいで追放されましたが、隣国で色々助けてたら聖人に……ただの草使いですよ~

シロ鼬
ファンタジー
エリクサー……それは生命あるものすべてを癒し、治す薬――そう、それだけだ。 主人公、リッツはスキル『草』と持ち前の知識でついにエリクサーを完成させるが、なぜか王様に偽物と判断されてしまう。 追放され行く当てもなくなったリッツは、とりあえず大好きな草を集めていると怪我をした神獣の子に出会う。 さらには倒れた少女と出会い、疫病が発生したという隣国へ向かった。 疫病? これ飲めば治りますよ? これは自前の薬とエリクサーを使い、聖人と呼ばれてしまった男の物語。

【完結】公爵家の秘密の愛娘 

ゆきむらさり
恋愛
〔あらすじ〕📝グラント公爵家は王家に仕える名門の家柄。 過去の事情により、今だに独身の当主ダリウス。国王から懇願され、ようやく伯爵未亡人との婚姻を決める。 そんな時、グラント公爵ダリウスの元へと現れたのは1人の少女アンジェラ。 「パパ……私はあなたの娘です」 名乗り出るアンジェラ。 ◇ アンジェラが現れたことにより、グラント公爵家は一変。伯爵未亡人との再婚もあやふや。しかも、アンジェラが道中に出逢った人物はまさかの王族。 この時からアンジェラの世界も一変。華やかに色付き出す。 初めはよそよそしいグラント公爵ダリウス(パパ)だが、次第に娘アンジェラを気に掛けるように……。 母娘2代のハッピーライフ&淑女達と貴公子達の恋模様💞  🔶設定などは独自の世界観でご都合主義となります。ハピエン💞 🔶稚拙ながらもHOTランキング(最高20位)に入れて頂き(2025.5.9)、ありがとうございます🙇‍♀️

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

処理中です...