ランゲルハンス島奇譚(3)「シラノ・ド・ベルジュラックは眠らない(下)」

乙訓書蔵 Otokuni Kakuzoh

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六章

七節

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 夜が深け、皆は寝付いてしまった。イポリトの隣で体を横たえていても眠れないアメリアは月明かりが降り注ぐ薄闇の中で瞼を開けて物思いに耽っていた。青白く輝く一等星のような瞳が薄闇の中できょろきょろと動く。

 それを眺めていたヴルツェルは彼女に声を掛けた。

「アメリア」

 呼ばれたアメリアは瞬時に両肩を上げるが素直に返事をする。

「……はい」

「眠れないのか?」

「はい」

「こちらに来なさい。話を聞きたい」月明かりの下、窓の側で膝を抱いて座していたヴルツェルは微笑んだ。

 アメリアはもぞもぞと口を動かしていたが立ち上がると、ヴルツェルの側に寄り座した。

「君が何故ここへ?」

 眉を下げたアメリアは耳打ちで経緯を説明した。

「……それは苦労したな」

「あたしにも非はありますから当然です」

「何かを得ようとすれば何かを失うのは世界の原理だ。致し方ない事だがそれをよく、その若さにして堪え抜いたものだ」

「……そんな大層なものじゃありません」アメリアは首を横に振った。

「それにしても君はイポリトと同じく私を恐れないな。かつて全ての所属者を手にかけた殺人鬼が隣にいるのだぞ?」

「ヴルツェルさんは罰を受けました。私が罰を受けて左腕を失くしたように。それに……」

「それに?」

「尊敬する人が信じる人ならあたしは信じます」アメリアはヴルツェルの瞳を見据えた。

「尊敬する人……イポリトか?」

 アメリアは俯いてはにかむ。

「……イポリトもそうだけど、ハンスおじさんもきっと心の奥底ではヴルツェルさんを信じていると想う。そうじゃなければとっくに追っ手に捕まっていたと想う。イポリトは端からヴルツェルさんを捕まえる気がなかったもの。ヴルツェルさんを捕まえたいのなら『イポリトは使えない奴だ』と業を煮やしたおじさんが新たな追っ手を放つ筈だもの」

「……そうか。そうだな。それがハンスだ」

「それよりもヴルツェルさんはどうして南の街へ?」

「……考え方が違えど、私もハンスと気持ちは同じでね。この不毛な街を救いたいと願い、ハンスの秘蔵の遣い魔を先導にここまで来たんだ」寂しそうに微笑んだヴルツェルは足許に控える遣い魔を見遣った。薄闇の中でアメジスト色の瞳を輝かせる遣い魔はヴルツェルを仰いだ。

 アメリアは遣い魔の瞳を覗く。ハンスおじさんが普段使役してる遣い魔と違う。ハンスおじさんは遣い魔を常に二、三匹使役している。羊革のような皮膚は闇のように黒く、赤い瞳を煌煌と光らせた悪魔らしい遣い魔だ。だけどヴルツェルさんの側に控えている遣い魔は皮膚が白く夜目にも眩しい。そしてアメジスト色の瞳を嵌めている。……しかしハンスおじさんの遣い魔ならハンスおじさんの命しか聞かないのに、どうしてヴルツェルさんが使役しているんだろう?

 まじまじと遣い魔を見つめるアメリアにヴルツェルは答えた。

「私の血を引いているからな。術者でなくても血縁者ならば使役出来る」

 驚いたアメリアはヴルツェルを見つめた。ヴルツェルは遣い魔の頭を撫でる。

「夢魔のハンスが私の精液を採取して鋳造したらしい。パンドラの副産物だ」

「……パンドラのお父さんがヴルツェルさんなんて」アメリアは開いた口を手で覆う。

「……血だけの父だがね。しかし望まなかった存在とは言え、気になるものだ。死神達が集うステュクスなるバーで統括者として勤めているのだろう? ハンスの体内に居た時に幾度か声を聞いた事があるが、ハンスは彼女とあまり話さないので分からない。……どんな女性なのか?」

 アメリアは微笑む。

「とても素敵な女性です。聡明で人望があって品が良くて、よく皆の話を聞いてくれて……皆のお姉さんみたい」

「ハンスに似たのだな」ヴルツェルは瞳を伏せて微笑んだ。

「ハンスおじさんにも似てるけどヴルツェルさんにも似てます。穏やかで物事をよく見通して……懐が深い所なんて大地みたい」

 ヴルツェルはアメジスト色の瞳から涙を零す。

「……パンドラにも……ハンスにも会いたいものだな」

「……ヴルツェルさんはハンスおじさんを恨んでいないんですか?」

「食された当初は憤っていた。……しかし荒地に引き蘢ったハンスの心の動きを感じる内に怒りも恨みも薄れて無くなった。……私とて罪無き島民を手にかけたのだ。ハンスは恨んでいるに違いない」ヴルツェルは溜め息を吐いた。

 アメリアは口をもぞもぞと動かしていたが言葉を紡ぐ。

「……恨んでいるでしょうか? あたしはそうは想えません。恨んでいる相手に体なんて与えるでしょうか? ハンスおじさんはヴルツェルさんに一目会いたいからこそ体を与えたのではないでしょうか?」

「……そうだといいがね。希望的観測はしまい。他者の心の奥底なんて知れない。……第一、私は島民やハンスに許しを請う立場だ。アメリアが善き方向に想ってくれるのは嬉しいが、私がそれを想うのはおこがましい。私は罪を贖わなければならない。……それでも罪は消えないが」

「罪を忘れる事は許されない事です。でも……ヴルツェルさんは自分に厳格過ぎませんか? 確かに大きな罪を犯しました。だからといって自分の生の全てを贖罪の為に注ぐのはどうでしょうか? 愛も喜びも悲しみも痛みも……全てはヴルツェルさんのものです。誰かの為の物じゃありません。だから……だから……」

 アメリアは涙を頬に伝わらせた。

 そんな彼女の頭をヴルツェルは優しく撫でる。

「……すまない。アメリアに悲しい想いをさせるつもりはなかった」

「あ、たしも……ごめんなさい。一番苦しい想いをしているのはヴルツェルさんなのに」

 これ以上泣くまいと唇を噛み締めるアメリアを見つめたヴルツェルは彼女の頭から手を離した。

「……手紙を書く」

 ヴルツェルの決心にアメリアは顔を上げた。

「……手紙を書く。心情をありのままに綴ったものを」

 ヴルツェルはアメリアに微笑んだ。

 自らが纏わせていた憚りを破ったヴルツェルにアメリアは微笑み返した。

 そんな二人をイポリトは薄目を開いて眺めていた。



 翌朝、鉄屑の回収に出ると言うポンペオを見送るとイポリトはヴルツェルと共に街を視察しに出た。アメリアとディーも付いて行くと言ったが、危険なので小屋に残した。武術剣術の心得があるアメリアを連れて行っても良かったが、ディー一人で留守番させると有事の際に対応出来ない。疑って掛かるのは良くないが保険は掛けておいた方が良い。イポリトはアメリアにも留守を任せた。

 人々がゴザを敷いて営む市をイポリトとヴルツェルは歩く。少ないが彼ら以外にも客は居た。皆、一様に足取りが悪く、ふらふらと海を漂うクラゲのようだ。日焼けや風呂に入っていない所為で皮膚が浅黒い。日に当たり過ぎている為か矢鱈と皮膚が乾燥している。そして歯が異様に黄ばんでいた。歯茎から流血している者は歯垢がこびり付いた歯を血染めにしていた。しかし瞳だけはやけにぎらつき、市を歩くイポリトとヴルツェルを憚りなく見つめる。

 イポリトは溜め息を吐く。

「どうした?」ヴルツェルは問うた。

「どうもこうもねぇよ。さっきから視線がすげぇ突き刺さるな」

「……余所者だからな」

「余所者ってもここに居る奴らは元々余所者の集まりだろうよ」イポリトは鼻を鳴らし、市を見遣る。

 道の両端に並ぶ青空市には潰した鉄屑で作った刀剣、小さな砂の鉢植えで育つ脆弱な骨の木、ひしゃげたブリキの水差しに入った雨水、幼虫やらトカゲの干物、魚の干物等が売られていた。全ての商品は物々交換で成り立っている。何処からか商人と客の口喧嘩が聴こえた。周りの商人達はそれを囃し立てる。殴り合いになった末に客が商人を伸し、商品を分捕って行く。更には喧嘩を眺めていた商人達が伸されて気を失った商人の商品を盗んで行く。……無法地帯だった。

 しかし無法地帯にもルールがあるようで人々は知己の者に会うと『カシラのヒレとエラに栄光あれ』と不思議な挨拶をしていた。

「こんな土地でよくもまあポンペオみてぇな聖人が」

 ヴルツェルに話しかけるイポリトのカーゴパンツの裾を商人が引っ張った。

「あんだよ?」

 フードを目深に被った商人は黄ばんだ歯を見せ野卑な笑いを浮かべる。歯が数本抜けていた。

「あんちゃん、立ち止まらないって事は別のモンを探してんだろ? 溜まってんだろ? 俺の小屋に女が居るんだ。その上等な上着と一発を交換しようじゃねぇか」

 イポリトは鼻を鳴らすと脚を払い、先を急ぐ。背後から『玉無し!』と叫び声が聞こえ、イポリトは舌打ちする。

「ほっとけ! マス掻く暇もねぇから金玉パンパンで堪ったモンじゃねぇ!」

「……気の持ちようだ。睾丸はそのような事で膨らまない。精子が作られても排出しなければ吸収される」

「ご高説どーも」イポリトは鼻を鳴らした。

 ヴルツェルは苦笑する。

「気にするな」

「気にしてねぇよ」

 イポリトは長い溜め息を吐くと耳打ちする。

「……こんな所だからよ、くれぐれも悔しくて拳握るなよ?」

「……何の事だ?」顔を上げたヴルツェルは睨む。

「悪いが昨日見たんだ。おっさんに声を掛ける前な。こんな輩ばかりだ。毟り取られて骨の随までしゃぶられるぞ?」

 ヴルツェルはイポリトの瞳の奥を見据えた。

 男達が互いを見据えていると、イポリトのカーゴパンツの膝ポケットに男が手を差し入れた。モリーから貰ったウサギの干し肉を瞬時に取ると逃走した。

「あ! 畜生! 油断も隙もありゃしねぇ!」

 歯ぎしりをするイポリトを横目にヴルツェルは溜め息を吐いた。

 二人は市を抜け、海に出た。北の街のモスグリーン色の海とは違い、カリビアンブルーの海だった。栄養が乏しいのだろう。しかし白い砂が眼に眩しく、海の色は鮮やかだ。浜には小舟が何艘か上がっていたが舟の主らしき者はいない。遠巻きに幾人かの男達がイポリトとヴルツェルを怪訝そうに眺めていた。

「こんな土地だから勝手に借りて見つかったら八つ裂きにされんだろうな」イポリトは小舟を見遣る。

「……しかし渦の有無を確かめたいのだろう?」

「ああ」

 ヴルツェルは頷いた。

「……まあハンスのおっさんに毒を盛ったくれぇだから、馬鹿正直だとは想っちゃねぇよ。やっぱり腑に落ちないか?」

「……そう思いたくはないがね」ヴルツェルは鼻を鳴らした。

「どうもこうも色々おかしいからな。余り考えたくもなかったが話が通じねぇ奴もいるしな。ちょっくら確かめてくるわ!」

 イポリトは上着を砂浜に落とすとシャツを脱ぐ。ブーツを放り出しカーゴパンツを下し、下着も脱ぐと一糸纏わぬ姿になった。

「おっさんはそこで服の番をしてくれ」

 ヴルツェルは頷いた。

「頼んだぞ!」

 イポリトは筋肉が付き鬼の表情のようになった背を海へ向けると駆け出した。引き締まった尻が忙しなく動く。やがて逆三角形の体が着水すると陸を離れた。ヴルツェルはそれを見送った。
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