ランゲルハンス島奇譚(3)「シラノ・ド・ベルジュラックは眠らない(下)」

乙訓書蔵 Otokuni Kakuzoh

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六章

八節

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 その夜もイポリトは寝付けないでいた。月明かりの下、物思いに耽る。

 記憶を取り戻したとは言え何か違和感がある。宝物を何処かに置き去りにして来たような……嫌な違和感だ。

 ガキの頃、宝物をブリキの菓子箱に入れてアパルトマンの庭に埋めたよな。物覚えが良くても肝心な所が抜けちまってたんだよな。仕事が忙しくてよ。庭の何処に埋めたのか分からなくなっちまって地面穴だらけにして地団駄踏んだ覚えがある。……何入れたか忘れちまったよ。他者から見たら下らないモンだろうけど、俺にとっては宝物だった気がする。

 小さな溜め息を吐いたイポリトは寝返りを打った。

 小屋の窓から星空が見える。

 ……決して悪い所じゃねぇな。

 イポリトは星の瞬きに耳を澄ませる。

 海に渦はあった。舟の様子を見に来た漁師に聞いた話では今まで幾人も飲み込んでいるらしく生還した者は居ないと言う。誰が作ったか分からないお伽噺もあり、渦の中心は美しい入り江に繋がっていると言う。その地は豊かに栄え人々が笑って暮らしている、と話していた。しかしそんな話を信じて渦に巻き込まれ命を捨てるなんて馬鹿げている。

 瞼を閉じたイポリトは鼻を鳴らす。

 目先の事も大事だが今は後の事を考えなければならない。それが一番骨を折りそうな問題だ。

 この土地は作物を生み出すのに向いていない土と栄養が乏しい海に囲まれているだけだ。白い砂が眩しく、穏やかな海は水の色をそのまま映し出している。利用法を変えれば人も経済も動くに違いない。それには金も必要だが、先ずは人々の意識を変えなければダメだ。金銭面は頭を下げれば何とかなるだろう。幸いな事に先方は賢い男だからな。問題は意識改革だ。……どうしたものかな。

 それにもう一つ気になる事がある。アメリアだ。あいつはどうもおかしい。標本瓶から出してやった恩をいつまでも義理堅く感じているのか、やけに俺の肩を持つ。丘でティシポネと対峙した際、どやしたのにも関わらず『でもその先にはいつもイポリトが居る』と言いやがった。『いつも』ってなんだ? たった数日の付き合いで『いつも』なんて言葉、口を突いて出るか? ……ひょっとして現世か冥府、ステュクスか何処かで知り合った仲か?

 イポリトは髪を掻きむしる。

 想い出せねぇ。……記憶は既に全て取り戻せた筈なのに。かあちゃんに会ってもモリーに会っても『シラノ』ではなく『イポリト』として接した。だのに何でアメリアの事だけは分からねぇんだ。本当に会った事がねぇのか、それとも……。

 深い溜め息を吐くと、身じろいだアメリアが目醒めた。

「……どうしたの? イポリト」

「ん? 起こしちまったな。悪ぃ」

「ううん。昼間、ディーと少し眠ったから寝付きが悪いみたい」

「おいおい。物騒なんだから起きてろよ」

「はーい」

 イポリトは眉を下げて笑う。

「やけに素直じゃねぇか」

「だって心配されるの嬉しいもん。少しはあたしの事考えてくれてるんだなって」

「当たり前だ。ここまで旅を共にした仲間だからな。それに医者であるディーも剣術に覚えがあるお前も貴重な財産だ」

 溜め息を吐いたアメリアは寂しそうに笑う。

「……ねぇ」

「あんだよ」

「……イポリトの彼女ってどんな人? 死に際に会えた?」

「あ? なんでンな事聞くんだよ?」

「だって……彼女の尊厳を守る為にイポリトは死んだんでしょ? ヘカテ様からそう聞いたけど……」

「……ステュクスでボッコボコにやられたのは覚えてるんだがよ。そこから先が不鮮明だ」

 アメリアは口をつぐんだ。どうやらヘカテの術によって明確な記憶はそこまでとされているらしい。

「……もしかして俺の恋人ってパンドラの姐さんか? 普段クールな姐さんが涙流してくれたもんな。姐さんのファン多いからな。現世戻ったら俺またボッコボコにやられるかもな」イポリトは豪快に笑った。

 アメリアは寂しそうに瞳を伏せた。

 互いに互いの胸の内に押し込めた事を口に出来なかった。アメリアはイポリトが奪われた記憶を、イポリトはアメリアに抱いている好意を吐露出来なかった。記憶を伝えればアメリアは罰せられる。好意をイポリトが口にすれば現世に置いて来た愛しい女を裏切る事になる。

 二柱は窓に浮かぶ月に向かって溜め息を吐いた。



 翌日、アメリアとディーに預けていた干し肉の束を持って、イポリトはヴルツェルと共に市へ向かった。相変わらず突き刺すような視線が彼らを出迎える。イポリトはそれを意に介さず、昨日絡まれた、売春婦の元締めの男を探した。

 フードを被った男は昨日と同じ場所で店を広げていた。彼はイポリトと視線が合うと野卑な笑いを浮かべた。

「なんだ? おめこする気になったか?」

「お前に相手しに貰いに来たんだよ」イポリトは肉薄した。

 黄色い歯を見せ、男は豪快に笑う。

「そっちだったか! 生憎俺は商品じゃねぇよ。他をあたりな」

「俺は話を聞きに来たんだ」イポリトは男の濁った瞳を見据える。

「話?」男は片眉を顰めた。

「無論、タダでとは言わねぇ。ビジネスだ」

 イポリトはポケットから干し肉の束を取り出すと男の眼前に掲げる。生唾を飲んだ男はそれを引っ掴もうとする。しかしイポリトは避ける。

「ブツは話を聞いてからだ。俺が聞きたい話をな」イポリトは男を睨んだ。

「……話してやってもいい。俺は物知りだ。女の股のホクロ数から死神の秘密までなんでも知ってる」

 往来に視線を遣った男は叫ぶ。

「おい! 店番してろ! ちょっと出て来る」

 往来から現れたのは昨日、イポリトから干し肉を掻っ払った男だった。

 イポリトは苦笑した。

 狭い路地裏に入るとイポリトはヴルツェルを出入り口に立たせ、見張りをさせた。日差しも入らない石灰岩の壁に囲まれイポリトは男と話をする。

「……何を聞きたい?」壁に寄りかかった男は臭い息を吐く。

 顔を顰めたイポリトは男の瞳の奥を見据える。

「……この街を仕切る奴がいるな? そいつは誰だ? 『カシラ』って言うんだろ?」

「話せる事もありゃ話せない事もある」男は鼻で笑う。

「俺は『話せない事』を聞きに来た。俺はカシラと話がしてぇんだ」

「高く付く……と言いたい所だが、話せねぇな。話したら俺のタマを取られる」

「金玉じゃねぇ方のタマか?」

「当たり前だろ」男は野卑な笑いをした。

「そうか。なら話は早い」

 男が凭れる壁に左手を突いたイポリトは肉薄した。

「……あんだよ? 野郎に言い寄られてもゾッともしないぜ」男は笑う。

 男の瞳を見据え、イポリトは歯で右腕の包帯を解いた。爛れた皮膚が覗く。すると男の顔から血の気が一瞬にして引いた。

「物知りのおっさん、俺の手が何の手だかよく知ってるようだな」イポリトは淡々と語りかける。

 先程との態度とは裏腹に怯え切った男は爛れた右手とイポリトを交互に見遣った。

「……そうだ。死神の手だ」

 男は言葉を紡ごうとするが恐怖で舌が回らない。肉薄したイポリトは言葉を続ける。長い鼻の先が男の鼻先に当たる。

「俺も荒事はあまり好かねぇんだ。出来れば穏やかに取引したい。……だけどよ、知ってる事を隠されて金銭巻き上げられるのはどうにも腹が立つ。なぁ? おっさんも腹立つよなぁ?」

 男は瞳に涙を浮かべてイポリトを見つめた。

「じゃあ穏やかに取引といこうぜ。……何、誰もおっさんがゲロったなんて言いふらしゃしねぇよ。俺の質問にちゃんと答えてくれれば良い。無論ビジネスだ。見返りはやる。……だがパチこいたと分かった瞬間、おっさんがどうなるか分かるよな?」イポリトは男の頭に爛れた右手を構えた。

 歯の根が合わなくなった男は幾度となく頷いた。

 幾つか男に質問したイポリトは確信した。男に礼を述べ、干し肉の束を押し付けると路地裏を急ぎ足で出ようとする。入り口で見張りをしていたヴルツェルが振り返る。

「終ったのか?」

「小屋に戻る」

「説明しろ」

「戻る。これ以上アメリア達を放って置かない方が良い」

 イポリトの尋常でない眼付きにヴルツェルは頷く。

「分かった」

 男達は足速に路地を抜け、市を後にした。

 小屋に着いた時には全てが終っていた。

 寝藁は乱され、椅子の脚が折れ、水差しはひっくり返り、脆弱なテーブルは割れていた。安普請の小屋の壁には幾つか穴が空いていた。乱闘があったに違いない。そんな小屋で痣を負ったアメリアは術で出した剣を握り、倒れていた。

「アメリア!」

 イポリトは気を失っているアメリアに駆け寄ると抱き起こす。

「アメリア、アメリア!」

 イポリトに気付いたアメリアは気怠そうに瞼を上げる。

「……ごめ。……ディー、連れ去られ……た」

「大丈夫か? 喋れそうか?」

 アメリアは小さく頷いた。

 頭を殴られ、口の中を切ったものの痣の他に派手な傷はないと彼女は説明した。

「……そうか。ディーは何処に連れ去られた?」

「大勢に連れ、去られて……あたしでも太刀打ち、出来なかった。男、達は『カシラの許に連れてけ』って、言ってた」

 イポリトはアメリアの頭を撫でた。

「良く気張ったな」

「……でも、連れ去られた」アメリアは眉を下げる。

「今から取り返す。アメリアはヴルツェルとここで待ってろ」

 アメリアは首を横に振ると上体を起こす。

 ヴルツェルが咳払いをする。

「……取り敢えず状況を説明してくれ」

 イポリトは頷いた。

「……混乱してるだろうがアメリアも聞いてくれ」

 彼は状況を説明した。先程の商人の話でイポリトは確信を得た。街の元締めのカシラはこの小屋の主のポンペオだと言う事を。

 ヴルツェルに小屋に連れて来られた時からイポリトはポンペオに疑念を抱いていた。治安が悪く、人の心が荒んだ南の街でポンペオだけが親切なのは腑に落ちない。ヴルツェルは気を失った所をポンペオに助けられたと言ったが、ヴルツェルを昏倒させたのがポンペオである可能性もあった訳だ。善人の皮を被り、ヴルツェルの髪を切って売り飛ばし、山を越えて来た彼を自らの監視下に置く為に小屋に招じ入れた。ヴルツェルとイポリトが山を越えて入った部外者なのにも関わらず、市で冷たい視線を送られるだけだったのは、ポンペオが手を出さないように達しを出していたとも考えられる。

「つまり俺らは常に監視下に置かれていたって訳だ」イポリトは溜め息を吐いた。

 ヴルツェルは唇を噛み締め、アメリアは俯いた。

「取り敢えず、攫われたディーを助けに行くぞ」

 ヴルツェルは頷いた。

「ポンペオ、鉄屑集めているって言ってたな。……多分鉄屑置き場が拠点だ」

 イポリトの意見に二人は頷いた。
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