ランゲルハンス島奇譚(3)「シラノ・ド・ベルジュラックは眠らない(下)」

乙訓書蔵 Otokuni Kakuzoh

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六章

九節

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 ディーは男達に幾度か噛み付いた。

 それでも男達は彼女を引きずる。石灰の階段を下り小さな穴蔵に彼女を放り込む。そして鍵をかけると階段を上がって行った。

 唇を噛み締め鉄製の扉をディーは睨んでいると人の気配を感じた。

 目がある程度暗闇に順応するとディーは周囲を見渡す。オイルランプの微かな火が揺らめく穴蔵でフードやターバンを被った者達が肩を寄せ合っていた。項垂れる者、こちらを眺める者、震える者が地に座していた。どの者達も華奢だ。

「……あんた達も押し込められているのか?」ディーは問う。

 彼らは返事をしない。互いに目配せし、密やかに何かを喋る。

 ディーは溜め息を吐いた。暗い上に狭く、人口密度が高い。あまり大きな動きをしない方が良い。大人しくイポリト達の助けを待つ他無い。異形の者達に背を向けたディーは膝を抱く。頭を膝に乗せるが体の納まりが悪い。もぞもぞと尻を動かしていると脳にダムが語りかけて来た。

 ──おい。

 ディーは気怠げに答える。

「……何?」

 ──よく見ろ。あいつらは患者だ。

「患者?」

 ──眼が暗闇に順応しない上に光源が弱くて分かり辛いだろ。ダムはシャツの中に隠されて暗いのに慣れている。あいつらの様はダムとディーの異形の様とは違うぞ。

 ディーはそろりと振り返る。ディーを眺めていたフードを被った者と視線が合う。フードを被った者は直ぐに俯いた。

 ──ディーが珍しいだけだ。悪い奴らじゃなさそうだ。

「……そうかもしれない」

 立ち上がったディーはその者に迷う事無く歩み寄る。膝許まで近付くと、ディーは術で小瓶を出した。辺りがほの明るくなる。小瓶の中では小さな星がキラキラと笑っていた。フードを被った者は驚き、星を見て微笑んだ。

「火の光よりもこちらの方が合っている」ディーは微笑んだ。

 屈託の無い笑顔に心を解され、フードを被った者は顔を上げた。

 ディーは息を飲んだが視線を決して背けなかった。背けてはならない、とダムと本能が命じたからだ。ディーの眼前には患者がいた。眼はうつろで皮膚が異様に乾燥し、青ざめていた。だらし無く開いた口からは数本の歯が覗く。血なまぐさい息を吐いていた。怠そうに体を引きずっているという体だった。

「……大丈夫だ。今までよく頑張った。ダムとディーは医者だ」

 臆する事無くディーが微笑むとフードを被った者の瞳から頬に涙が伝った。

 術で診療カバンを出したディーは穴蔵の中の者達を全て診察した。酷い状態だった。ここに引きずり連れて来た男達やポンペオよりも酷い状態の者ばかりだった。皆一様に乾燥した肌を体に張り付かせ、歯茎から血を流していたがそれ以上に症状は悪化していた。歯茎がやせ衰え歯が抜け落ちた者、咳が止まらず熱を持った者、骨折している者、関節の痛みを訴える者、大腿に紫色の大痣を咲かせた者、手指の壊疽を起こしている者、古傷が開いた者がいた。

 問診と視診をするとディーは症状を説明しダムの指示を仰ぐ。ディーの背に張り付き指示をする顔だけのダムに一同は驚きつつも見守った。傷や出血の処置、骨折の応急処置をするとディーは患者の腕を消毒した。術で出したカバンから注射器を取り出し、バイアルのゴムに針を突き刺し、注射器の中に液体を満たす。

「痛むぞ」

 ディーは患者の腕に針を刺し液体を注入した。

 注射器を替え、穴蔵の患者達に処置を施し一息ついたのも束の間、頑丈な鉄製の扉が開いた。

「……おい、迎えに来てやったぞ」扉を開けたのは傷だらけになったイポリトと汗を拭うアメリアだった。

「遅い」ディーは鼻を鳴らした。

「あ?」

「先程まで看護師が幾人も欲しい程忙しかった。今になって来られてもな」

「……言うじゃねぇか」イポリトは鼻を鳴らした。

 扉を支えるイポリトを押し退け、アメリアは穴蔵に入る。事情を知っているのか、何の躊躇いも無く患者達に声を掛ける。

「皆、大丈夫? 立てそう?」

 患者達は互いを見遣り、もぞもぞと動く。

「大丈夫。イポリトもアメリアもディーの友人だ」ディーは患者達に微笑んだ。

 患者達を引き連れ、ディーとアメリアは石灰の階段を上る。後からイポリトが骨折患者を抱いて階段を上がる。

 鉄屑が散乱する狭い廊下を渡り、広間に入る。中央のテーブルにヴルツェルとポンペオが対面して座していた。二人はテーブルに広げた地図を眺め、何やら話し合っていた。傷を負った男達が部屋の壁をぐるりと囲むようにして佇んでいる。

「よぉ。連れて来たぞ」イポリトは声を掛ける。

 ヴルツェルとポンペオは顔を上げた。

「ディーさん、驚かしてしまい、すみません」ポンペオは頭を下げた。

「……ポンペオは悪い奴なのか?」ディーは問うた。

「いいから座れよ。色々と互いに誤解があったんだ。ポンペオは俺達の真意を図れなかっただけだし、俺達もポンペオの話から好戦的な奴らだと誤解していたんだ」

 イポリトに促されディーは大人しく椅子に座した。

 ポンペオはポツポツと説明した。

 イポリトが案じたようにこの街を取り仕切るカシラはポンペオだった。彼はヴルツェルが山脈を越えて街に現れた際、頭を殴打したそうだ。海から外部の人間が現れるのは時々起こる事だが、険しい山から人が下りて来るのは一度も無かった。誰一人として越えられない山から現れたのだ。危険人物かもしれない。小屋に連れ込み、事情聴取をしようとした所、手下の者に見つかったらしい。ポンペオには分別があったが手下にはなかった。ポンペオは諭したが手下は『売り物にしたい』と頑に主張した。仕方なくポンペオはヴルツェルの髪を切り『これで我慢してくれ』とブロンドの房と食料を渡したそうだ。それから小屋でヴルツェルを見張りつつも、彼の動向を窺っていた。そうしている内に山が急に消失し、丘になった。ヴルツェルが来てから様子が急変した。街の人々は丘の向こうへ興味を抱いたがポンペオは丘を登らぬように命じた。何か大事が起こってはならないからだ。意識を取り戻したヴルツェルから話を聞いてみれば四大精霊の土の精霊らしい。それならばこの土地をどうにかしてくれるのかもしれない。ポンペオはヴルツェルを脅すか、同情させて土を改良させるか考えたそうだ。

「……それから大蛇を殺して丘を下って来たイポリトさんやアメリアさん、ディーさんをヴルツェル様があの見張り小屋へ招じ入れました。夜、聞き耳を立てていたらイポリトさんがディーさんは医者だ、と話していたので治して貰おうと想って居りました」ポンペオは俯いた。

「何故、話してくれなかった? ディーは患者を差別しない」ディーは問うた。

「……私は記憶を取り戻した元所属者です。私は医師に恨みがあります。全ての診察は金持ちが優先で、貧しき者は診られません。商人のデニスが私の正体を明かしたのでイポリトさんが私を詰問するのも時間の問題になりました。従ってディーさんを拐かして穴蔵に放り込みました。……本物の医師なら……義を持った医師なら貴賎も美醜も関係なくどんな患者でも診て下さるだろうと一縷の望みに賭けました」

「もしディーが診察しなかったら?」

「その時はディーさんを始末していたでしょう」

 小さな溜め息を吐いたディーは問う。

「何故、あの者達を穴蔵に閉じ込めた? 壊血病を起こしてる。土地柄仕方ない事。でも病人をあんな所に閉じ込めるのはよくない」

「……日に当たり起こる病ではないのですか?」

「日による乾燥もある。でも原因は野菜や果物を摂取しない事。その所為で骨折し、壊疽を起こしてる」

「……果実を結ぶ樹木が生れば。……土が生きていれば」ポンペオは溜め息を吐いた。

 一同は俯き、黙す。

「……丘を越えて他の地へ引っ越す事は考えないのか?」イポリトが静寂を破った。

「無論幾度も想いました。この土地の者は全員そう思っているでしょう。横たわるのが丘ではなく山脈の頃から幾度となく考えて居りました」

「じゃあどうして?」アメリアは問うた。

「それは希望に過ぎません。私達には出来ない事です。その土に気に入られた者はその土の上でしか生きられません。大蛇も……私達も……」

 一同は再び黙した。

 しかしヴルツェルが沈黙を破った。

「……土を変える為に私はこの地に来たのだ」

 一同はヴルツェルに注目する。

 ヴルツェルは言葉を紡いだ。

「随分と古い話になる。島主ランゲルハンスとゴブリンのヴルツェルが殺し合った話を、聡明なるポンペオ、君は知っているか?」

 首を横に振ったポンペオは壁に佇む男達を見遣る。男達も首を横に振った。

 ヴルツェルは金を厭い、ランゲルハンスを殺害未遂し、自分が喰われた事を説明する。

「ケイプに止められハンスが私の足を食べ残した事により大地が不完全になった。私の魂を心臓に止めた所為で魔力も大分衰えてしまった。憎んでもそれでも共に生きたいと私を心臓に止めてくれた。心から伝えたい事が伝えられないと言う呪いを掛けられても心臓に止めてくれた。それ故にこの南の街に魔術も水脈も及ぼす事は出来なかった」

「それでこの街は何も実らせない呪われた土地になったと……」ポンペオは問うた。

 俯いたヴルツェルは力なく頷く。

「全ては私の所為だ。君達に苦労を掛けるばかりか、ハンスにも大分迷惑をかけた。ハンスはこの街を常に案じていた。何もしてやれない、と嘆き悲しみ、己を恨み……私はハンスを孤独にさせた。嘆き暮らすハンスは愛する者と結ばれたがそれでも尚、密かに南の街を案じていた」

 ポンペオは唇を噛み締めた。

 ヴルツェルは溜め息を吐くと虚空を仰いだ。

「……だから、今こそ私はこの土地に返そうと想う」
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