ランゲルハンス島奇譚(3)「シラノ・ド・ベルジュラックは眠らない(下)」

乙訓書蔵 Otokuni Kakuzoh

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六章

十三節

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 翌日、土木工事の現場に向かうイポリトと別れたアメリアはディーと共に浜辺の診療所へ向かった。既にライルや手伝いの青年や乙女が来て準備をしていた。しかしそこにはトゥットの姿は無かった。彼はいつも一番乗りでやって来る。アメリアが来る前には必ず居る。姿が見えないとは珍しい。

 アメリアがキョロキョロと診療所内を見渡していると、勝手口から苦虫を潰したような表情のトゥットが現れた。

 水場のアメリアと視線が合ったトゥットは瞼を拭うと破顔する。

「おはよ」

「おはよう。トゥットが遅いなんて珍しいね。どうしたの?」

「ん。ちっと潜って来た」

 水差しを取ったトゥットは真水を流し、石鹸で手を洗う。隣でアメリアは手指を消毒する。

「潜って来たって漁? どうしてそんなに辛そうなの?」

「秘密」トゥットは肩をすくめると微笑んだ。

 アメリアはトゥットの顔を覗いた。

「だから秘密だって」トゥットはくすぐったそうに笑うとアメリアを肘で小突いた。

「バレバレ。顔に書いてある」アメリアは頭を横に振る。

 肩をすくめたトゥットは眉を下げる。

「……アメリアには嘘吐けないな。声を聴きに行くんだ」

「声?」

 頷いたトゥットはアメリアに耳打ちする。

「ん。声。皆に言うと馬鹿にされるから。……渦の中から女性の声が聴こえんだ。俺を呼ぶ声が。でも他の漁師には聴こえない。だからあいつら俺を見かけると馬鹿にすんだ」

「どうして?」

「……伝説があってさ。渦は豊かな土地に繋がってるって話。何人かその話を信じて渦へ潜った。豊かな土地に行ったのか死んだのか分からない……潜った奴は帰って来なかった。……俺は信じてるのか信じてないのかよく分からない。でも声は聴こえる。それは絶対に母さんの声だって信じてる。……アメリアは馬鹿にする?」

 アメリアは首を横に振る。

「いいえ、トゥット。あたしはあなたを信じるわ」

「俺、拾われ児でさ、海から上がったんだ。きっと渦の中から母さんが俺を呼んでんだと想う」

「トゥットは渦の中に入った事はある?」

「……無い」

「……そう」

「もう直ぐ診療するよぉ。待ち合いの患者のカルテ持って来てー」ライルは二人の背に声を掛けた。

 二人は同時に返事した。するとライルは鼻に掛かった声で『ふーん』と呟く。

「……二人共とっても仲良いねぇ。アメリアちゃん、イポリト君よりもトゥット君の方が、馬が合うんじゃなーい?」

 ヘラヘラと笑うライルにディーが声を掛ける。

「ライル、油売る暇あるなら休診日の相談したい。ちょっとこっち来い」

『はぁい』と間延びした返事をしてライルはディーの診察室へと姿を消した。

 その日も診療を終え、後片付けをするとトゥットはアメリアを送った。月が夜空に浮かぶ砂浜を二人は歩く。

「トゥットって力持ちだよね。足が萎えた患者を負ぶって何度も送迎するくらいだもん」アメリアはトゥットを見上げた。

「そ?」

「うん。力持ち」

 トゥットは照れ臭そうに笑う。

「そりゃ俺は龍だから。渦にも入れないような出来損ないだけど」

「龍? だから角が生えているんだ。あたしは翼竜のハーフなの」

「やっぱり! ドラゴン仲間!」

「どうして分かったの? 翼も出してないのに」

「だって他の女の子よりも力持ちじゃん。元気だし……それに」トゥットは頬を染め、視線を逸らした。

「それに?」

「……診察室から聞こえた。ほら、この前さ、手伝いの人達の健康診断をライルさんがやってくれたじゃん? その時胸に翼竜の痣があるって聞こえたんだ」

「エッチ」アメリアは唇を尖らせた。

「ごめん!」

 頬を染めたアメリアは唇を尖らせる。

「聞き耳立ててたのは怒るけど、実際に見た訳じゃないからいいよ」

 トゥットは胸を撫で下ろした。

「それにしても何往復も送迎してるのに今日も送ってくれて大丈夫?」アメリアは問うた。

「アメリアを送るのは特別だから。アメリアと話してると楽しい」

 アメリアは微笑んだ。

「でもアメリアもすげぇよ?」トゥットはアメリアの顔を覗く。

「ど、どうして?」

 トゥットは満面の笑みを浮かべると夜空に向かって伸びをする。

「だって字の読み書きが出来んじゃん。俺もそうだけど手伝いの皆、字なんて読みも書きも出来ないからさ。カルテ出したり、名前を書いたりするのアメリアの仕事になってるじゃん。俺もアメリアの仕事手伝えたらなぁって」

「……そっか。皆カルテ読めないもんね。……字が読めないと過去の事を知れないよね」

「だからさ……字、教えてよ」

「いいよ!」

「よっしゃ!」トゥットは拳を握った。

「じゃあ診療が終ったら、皆集めて勉強会しよ」

 眉を下げたトゥットは首を横に振る。

「二人きりが良いなぁ」

 アメリアは苦笑する。

「ダメ。一緒に帰るのはいいけど、二人だけで夜に勉強会なんて近すぎるもの。あたし、片想いだけど好きな人を裏切れない」

「ちぇっ」トゥットは悪戯っぽく笑った。

「……下心ない?」片眉を潜めたアメリアは問うた。

「ないって言えば嘘になる。でも無理矢理どうにかしようなんて想わない。アメリアに好きな人が居ても俺はアメリアが好き」

「人を愛するのはその人の自由だもんね?」

「ん。だから……振り向いてくれるの待ってる。それまでは友達」

「本当? 変な事しない?」

「天地神明、カシラのエラとヒレに誓って!」トゥットは片手を挙げた。

「……ん。分かった」肩をすくめたアメリアは微笑んだ。

 トゥットは安堵の溜め息を漏らした。

 送って貰い、小屋の前でトゥットと話しているとアメリアは帰宅したイポリトと鉢合わせた。

 アメリアは眉を下げる。それを見たイポリトは鼻を鳴らす。

「逢い引き邪魔して悪かったな」

「あ、逢い引きじゃないもん!」アメリアは頬を膨らませた。

 トゥットはイポリトに会釈した。イポリトは片手を挙げる。

「お疲れさん」

「初めまして」トゥットは深々と頭を下げた。

「こちらは診療所の手伝い仲間のトゥット。普段は漁をしてるんだって。昨日から送って貰ってるの」アメリアはトゥットとイポリトを交互に見遣った。

「ほーん」イポリトは鼻を鳴らす。

「でね、これはイポリト。あたしの仲間」アメリアはイポリトを小突いた。

「これとは何だよ、これとは」イポリトは小突き返す。

『イポリト』と言う名にトゥットは驚く。

「イポリトさんって、カシラの手下を素手で倒したイポリトさんすか!? すげぇ! ヴルツェルさん庇いつつ一人で二十人相手にしたって聞きました。俺、一度会ってみてぇと想ってたんす! 鬼みたいにかっけぇって聞いてました!」

「ンな大層なモンじゃねぇよ」眉を下げたイポリトは苦笑した。

 逞しいイポリトを見据え、トゥットは小さな溜め息を漏らす。

「すげぇ! 何喰ったらこんなに筋肉付くんすか? かっけぇなぁ! 羨ましいなぁ! イポリトさんみたいになりてぇ!」

「トゥットは今まで栄養状態良くなかっただけだよ。外から食べ物来るようになったから直ぐに筋肉付くよ」アメリアは微笑む。

「そうだといいなぁ。イポリトさんみたいになりてぇ」

 楽しそうに話す乙女と青年に背を向け、イポリトは小屋に入った。

 小屋にはまだ誰も戻って来てなかった。ポンペオとヴルツェルは話し合いや街の男達の愚痴聞きで忙しいだろうし、ディーは物資の補充を頼む為に今日は馬牧場に泊まるって言ってたっけ。

 寝藁に寝転がり天上を仰ぐ。すると外から若者達の密やかな話し声と慎ましい笑い声が聴こえた。

 そうだよな。若者は若者同士の方が楽しいよな。ヴルツェルの行方を追う旅の間、アメリアとずっと一緒に居たから勘違いしていたな。この島に来るまでもずっと側に居た……一番近い存在のような気がしてた。側に居るのが当たり前のような気がしていた。……阿呆だな俺って。現世で胸の内を明かした恋人が待っている筈だろうに。

 深い溜め息を吐いたイポリトは寝返りを打った。

 待ってくれてる筈なのに……どうしても顔を想い出せねぇ。想い出そうとすると別の顔が思い浮かんできやがる。

 外からアメリアの笑い声が聴こえた。

 イポリトは溜め息を吐く。

 ……なんであいつの顔ばかり想い出すんだろうな。あいつはあいつの道を、俺は俺の道を進まなければならねぇのに。こんなんじゃ現世に戻って恋人に合わせる顔もねぇよ。

 眼と鼻の奥が熱くなり、胸に積み木を沢山突っ込まれたような気分になる。イポリトが唇を噛んでいると、トゥットと別れたアメリアが小屋に入って来た。

「あれ? ポンペオさんとヴルツェルさん達まだ帰って来てないの?」アメリアは問うた。

 イポリトは鼻を鳴らした。

 肩をすくめたアメリアは壁に凭れ、膝を抱えて座した。

 互いに言葉を交わす事無く、小屋の中を沈黙が支配する。

 しかしそれを破ったのはイポリトだった。

「……おい」

「何?」

「……お前、この島に残れよ」

 青天の霹靂にアメリアは眼を見開く。

「……ど、どうしてそんな事言うの?」

「無理して帰る必要ねぇだろ?」

「無理してなんかない! あたしはやるべき事があるから帰るの!」

「……帰った所で左腕が無いんだぜ?」

「左腕なんかなくてもいい! あたしは帰る!」

「阿呆。帰ったらトゥットはどうするんだよ? お前を好いてるんだろ? 恋人を引き裂くのは心が痛む」

「恋人じゃない! 友達だもん!」

「デートの約束したんだろ? 阿呆そうだけど明るくてまめまめしい好青年じゃねぇか。気のいい奴だろうし上手くいくと想うぜ」

「遊ぶ約束しただけ!」

「そうか。遊びか。くれぐれも避妊はしとけよ」

 アメリアは言葉を失った。瞳から滲み出た涙は頬を伝い、抱いた膝を濡らす。唇は小刻みに震え、眼の奥と鼻の奥がツンと痛くなり、心臓は誰かに握られて爪を立てられたように痛み、血が冷えきった。

 心ない言葉に戸惑っていたがアメリアは言葉を紡いだ。

「……イ。イポリトは……あたしが島に残った方が幸せ?」

 彼女の言葉は行く当ても無く闇を漂い、霧散した。

 イポリトは黙していたが重い口を開いた。

「ああ」

「……そ……う」

 洟をすすったアメリアは立ち上がると、小屋を飛び出した。

 イポリトは彼女の足音に耳を澄ませつつも何も無い天井を見つめた。
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