ランゲルハンス島奇譚(2)「シラノ・ド・ベルジュラックは眠らない(上)」

乙訓書蔵 Otokuni Kakuzoh

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一章

二節

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 朝の光を受け、アメリアはリビングのソファに座して手紙を読んでいた。父の遺品のカッターシャツに袖を通しベストを着た彼女は寝癖を付けている。年頃の乙女にしてはお洒落には無頓着と言った格好だ。

 昨日ハデスから受取った手紙の差出人はユウだった。文面には無事にローレンスが荒れ地の家に戻った事と娘の生活を案じる言葉、そして年頃だからお洒落をしなさいと言う小言で締めくくられていた。文末には『ママより』と署名されていた。

 アメリアはコーヒーテーブルのガラス皿に手を伸ばす。そこにはユウが焼いたクッキーが盛られていた。マーガレットにチェッカー、ラングドシャ……全て形が良かった。ユウが切り盛りする店の余り物を贈った訳では無さそうだ。娘の為にわざわざ焼いたのだろう。皿の側では白いマグから湯気が立ち昇る。

 玄関のドアが開いた音がした。どうやら早朝に仕事に出ていたイポリトが帰宅したようだ。重い足音が真っ直ぐリビングへ向かう。

 リビングと廊下を隔てるドアが開いた。

「もう仕事終ったの? 早過ぎ。もっとのんびりさせてよ」アメリアは眉を下げた。

 鼻を鳴らしたイポリトは赤いライダースジャケットを黒い革張りのソファの背凭れに放ると座す。するとクッキーに気付いた。

「お。美味そうだな」

「ダメ! あげないからね」

「へいへい」肩をすくめたイポリトは鼻を鳴らした。

 俯き唇を尖らせたアメリアは大声を上げた事を後悔した。キツい事を言ってしまった。しかし母から貰った大切なクッキーを分けるのは嫌だ。彼女は青白く光る瞳をぐるりと動かして思案する。

「……コーヒーだけは分けてあげる」

 アメリアは立ち上がるとキッチンへ向かう。そしてコーヒーサーバーをマグへ傾けた。

「野暮用で出てた。今日は仕事一件あるが午後に回す」イポリトはコーヒーテーブルに広げられた手紙に気付き、手に取った。

「ヒュプノスって多忙なのに一件だけって珍しいよね。休暇前だからハデス様が気遣って下さったのかしら?」アメリアは白いマグを持ってリビングへ戻った。

 ソファではイポリトがアメリア宛の手紙を読んでいた。

「勝手に読まないでよ!」マグをコーヒーテーブルに置いたアメリアは手紙を引ったくった。

「お前の母ちゃんって『ママ』って呼ばれてぇのか」イポリトは悪戯っぽく微笑んだ。

「そうよ。悪い? でも『ママ』なんて恥ずかしくて呼べないもの」頬を染めたアメリアは唇を尖らせた。

 イポリトは喉を小さく鳴らし笑った。

「何よ! ちゃんと『母さん』って呼んでるからいいの!」

「そうだな。娘の為に心を砕く良い母ちゃんだ。大切にしな」イポリトは寂しそうに笑った。

 尖らせていた唇を緩めたアメリアは隣に座した。父から聞いた話だがイポリトは早くに人間の母親と別れた。死神の父親に育てられたが虐待を受けて引き離されヒュプノスの育て屋に育てられた。寂しい想いをしたのだろう。

「あんだよ。急にしおらしくなっちまって」イポリトはアメリアを見遣った。

「別に」

 イポリトはマグに口をつけると問う。

「今日の予定は?」

「魂回収は午後に一件だけ」

「じゃあデートでもすっか」

「何それ!? イポリトとあたしが? どうして?」

 イポリトは尻ポケットにねじ込んでいた手紙を突き出した。

 アメリアはそれを広げて読んだ。ユウがイポリトに宛てた手紙だった。生前のユウは一度だけイポリトに会った。彼女は自分の服を世話した彼を覚えていた。手紙にはお洒落に無頓着な娘に服を選んでやって欲しい、と綴られていた。

「あたしは父さんのお下がりで充分よ」アメリアは眉を下げた。

 イポリトはアメリアの額を指で弾く。

「俺は金貨渡されて服見繕ってくれって頼まれてんだよ」

「どうして?」

「俺しか頼める相手がいないんだよ、ユウは。さっきパンドラに頼んで島の金貨と現世の紙幣と両替した。恨むんなら手前ぇの服装への無頓着さを恨みな」

 アメリアは顔をしかめた。

「……俺はお前の気持ちを尊重するべきだと想うがな。しかし女親の気持ちも理解出来なくはねぇんだ。今回は貸しを作ったと想って折れてやれ」

 アメリアは眉を下げた。本当はお洒落をしたかった。でも今はしない方が身の為だと思っていた。母の気持ちも理解出来るしイポリトの言い分もよく分かる。納得はいかないが。俯いていたアメリアは口を開いた。

「分かった。だけどミニスカートは履かないからね!」

「へいへい」腰を上げたイポリトはジーンズの尻ポケットにハデス支給の携帯電話をねじ込んだ。

 地下鉄を利用して移動したアメリアとイポリトは大きな公園の側の百貨店に入った。その辺の安価な店舗を想像していたアメリアは価格帯が高い百貨店に連れられて面食らった。各ショップのトルソーに付いている黒いプライスカードには最低価格でも彼女の月給四分の一の値段が掲げられていた。

 隣で眼を白黒させるアメリアを露知らず、イポリトは眼の端でショップを見遣りフロアを進む。アメリアは彼のジャケットの袖を引っ張ると耳打ちした。

「あたし、そんなにお金持ってない」

 イポリトはアメリアの耳を掴み、囁いた。

「知ってるよ。ユウから結構な額預かってんだ。金持ちの親バカだな」

「だからって高い物買わなくていいじゃない」

「どうせ服屋に行かねぇだろ。量より質で長く着られそうなモン見繕ってやる。堂々としとけ」

 フロアを一周したイポリトは各ショップの雰囲気を掴んだようで、目星をつけた店に入った。ヤギと乙女のシルエットのロゴマークを掲げたショップだ。『アイギパーン』と店名が記されていた。アメリアは逞しいイポリトの背に張り付き、商品を見繕う彼の視線を眺めていた。

 イポリトは販売員を呼ぶと見繕った服を何着か持たせた。大口の客だと察した女性販売員は張り付いて接客しようとする。しかしイポリトは『取り敢えずコイツに着させてやってくれ』とアメリアを見遣った。

 販売員に案内されたアメリアは試着室に入ると渡された服に着替えた。壁にはショップポスターが貼られていた。女性社長の写真が小さく載っている。ウェーブがかったショートカットの美しい女性だ。航空機事故での大怪我が元でトップモデルを辞めデザイナーとして成功を治めたと記されている。

 売り物のジーンズに脚を通したアメリアはカーテンを開け、携帯電話を弄るイポリトと販売員に姿を見せた。販売員は『よくお似合いです』と世辞を放つ。

 イポリトは表情を変えずにアメリアに命じる。

「屈んでみろ」

 アメリアは素直に屈み立ち上がった。

「きつくないか?」

「別に。似合うとか可愛いとかそんな言葉は無い訳?」アメリアは問い返す。

「センスのいい俺が選んだから似合わねぇ訳ねーだろ。いちいち見せに来るな。試着する服が山積してんぞ。サイズ合わなかったらねーちゃんに言って他のサイズ出して貰え」イポリトは販売員を見遣った。

 肩をすくめたアメリアは試着室へ戻った。着替えを黙々と続けていると暇を持て余した別の販売員がイポリトに声をかけたのが聞こえた。販売員は『美人の彼女さんですね』と世辞を言う。イポリトは『姪だよ。死んだ母親に似て器量はいいが服には無頓着でね』と答えた。

 イポリトって自分の母さんを覚えているのかな。アメリアは耳を澄ませつつ着替えを続けた。

 渡された服全てに袖を通したアメリアは試着室を出ると、イポリトが弄る携帯電話の液晶を覗いた。連日のバラバラ殺人事件が掲載されていた。

「こら。エロいモン見てたらどーすんだよ。気に喰わねーモンあったか?」
 アメリアは首を横に振る。

「国旗モチーフの薄手のカーディガンとVネックのTシャツがとっても可愛かった。イポリトってセンスいいじゃん」

「お前見る眼あんじゃねーか。次から独りで買いに来い」

 イポリトはアメリアの額を指で弾くと、会計を済ませた。

 靴のフロアで買い物を済ませた頃には昼を回っていた。大量の荷物を抱えたアメリアが難儀そうに歩いているとイポリトは軽々と彼女の荷物を半分持ち上げた。驚いたアメリアが礼を述べようとするとイポリトは足速に進む。



 涼しい百貨店を出て初夏の日差しが落ちるカフェテラスで昼食を済ませ、仕事へ向かうイポリトと公園前で別れた。先日女性の遺体の一部がゴミ箱から出て来た公園だ。

 半分イポリトに持って貰ったとはいえアメリアの荷物は重い。エンジニアブーツが一足入っている。暑くて蒸れるかもしれないけれどキャンバスシューズを脱いでブーツに履き替えよう。そうすれば荷物は少し軽くなるだろう。……でも視線を感じるからこの公園に長居したくないな。

 以前から時々誰かの視線を感じる事があった。しかし振り返っても誰もいない。包帯を解いて姿を景色に透過させて隈無く探しても該当人物らしき者は見つからない。父と歩いている時や独りで仕事をしている時に視線を感じた。身許が定かではない死神が警察沙汰を起こしたくないのでアメリアはひたすら我慢した。

 緑深い公園の入り口側のベンチに座し、アメリアはエンジニアブーツに履き替える。イポリトにお礼を言いそびれちゃったな。メールで伝えようかな。ついでに今日の予定を確認しておこう。

 ブーツに履き替えた左足の具合を確かめようと立ち上がる。しかしエンジニアブーツには右脚のキャンバスシューズとは違いヒールがあった。アメリアはバランスを崩し、転倒した。

 すると彼女の前を横切ろうとした亜麻色の髪の青年にぶつかった。青年は突然雪崩れ込んで来たアメリアを抱き止め、抱えていた大きな箱を地面に落とした。箱からレードルやマーライオンの置物、鞘に入ったナイフ、キーボード、テニスボール等が散乱する。

「大丈夫? 怪我してない?」

 抱きとめられたアメリアは驚きのあまり声を失ったが、こくりと小さく頷いた。

「良かった」

 立て直したアメリアはやっとの想いで声を出す。

「あ、ありがとう。ごめんなさい。ブーツに履き替えててバランス崩して……」

 深々と頭を下げたアメリアは眼を疑った。地には箱から散乱した物があった。そこには人間の手があった。

「頭なんて下げないで。無事で良かったよ」

 膝をついた青年は頭を上げるよう、アメリアの手を軽く叩いた。

 アメリアは瞬時に頭を上げ、青年の手を振り払い睨みつける。

「近付かないで」

「え?」

 眉を下げた青年はアメリアを見上げた。

「あなた、バラバラ殺人の犯人よね?」

 先程とは打って変わって冷たい視線で見下ろす彼女を青年は不思議そうに見つめた。

「また捨てようとしたんでしょ?」眼の端で地面に落ちた人間の手を見遣るとアメリアは青年を見据えた。

 青年は彼女の視線の先を見ると合点がいき、謝った。

「誤解させてごめん。その手は舞台で使う小道具なんだ」青年は微笑んだ。

 青年は手を拾うと差し出した。

 手を受取ったアメリアは眺めた。……本当だ。一瞬本物かと想ったが近くで見つめると人間のそれではない。材質も固く精巧な作り物の手だった。

「信じてもらえた?」眉を下げ青年は微笑む。

 アメリアは頭を下げる。

「ごめんなさい!」

「頭を上げて。僕も事件が起きた公園でこんな物持って歩いてたのが悪いんだから」青年は狼狽えた。

「でも、でも、あたし、あなたにぶつかったばかりか犯人呼ばわりして」

「大丈夫だよ。気にしてないから。そんなに頭を下げられると僕、困るよ。下げるのは慣れてるけど下げられるのは慣れてないもの」

「でも、でも」

「じゃあ、一緒に小道具拾ってくれると嬉しいな」立ち上がった青年はアメリアの肩を優しく叩いた。

 二人は地に散らばった小道具を拾う。段ボール箱に大量に押し込めていた所為か回収するのに時間が掛かる。眉を下げ申し訳無さそうな表情をするアメリアの心を解そうと、青年は声を掛けた。

「僕はネイサン。この公園を抜けた小屋で仲間と芝居をやってるんだ。弱小劇団だけど」

「……お芝居をしているの?」

「うん」

 顔を上げたアメリアは瞳を輝かせる。

「あたしお芝居大好き。この前河沿いの劇場へシェイクスピアを観に行ったの! パックが出て来るやつ!」

 ネイサンは微笑む。

「『真夏の夜の夢』だね。僕も好きだよ。パック可愛いよね。君は芝居をするの?」

「ううん、でも映画やお芝居を観るのは大好き。同居してる叔父も映画が好きで沢山DVDを持ってるの。デスクに山積して雪崩を起してるくらい!」アメリアは嘘を交えつつ真実を話した。

「へぇ、映画好きの叔父さんと暮らしてるんだ。いいなぁ。僕も映画好きだから叔父さんの部屋に行ってみたいよ。きっとお宝の山なんだろうね」ネイサンは微笑んだ。

 二人は先程の緊張した空気とは打って変わって話に花を咲かせる。

「ネイサンは映画何が一番好き?」

「色々好きで選べないよ」

「あたしも!」

 アメリアとネイサンは互いを見合わせて笑った。

「話に夢中になって名乗るの忘れちゃったわ。あたし、アメリア。あたし達、きっと友達になれるわね」アメリアは微笑んだ。

 ネイサンは微笑み返すとアメリアに手を差し出した。彼女は彼の手を取ると固く握手して離した。初夏の日差しが照りつけるのにも関わらず、ネイサンは体温が低いのか手が冷たかった。

 散らばっていた小道具を段ボールに収めるとネイサンは腕時計を見遣った。

「もっと話をしたいけど、もう行かなくちゃ」

「残念。もっと映画やお芝居の話をしたかったのに」アメリアも寂しそうに微笑んだ。

「……そうだ。携帯電話の番号とアドレスを交換しない? 連絡取れたらまた会えるだろうしメールでもやり取り出来るもの」

 アメリアは快く頷いた。

 ネイサンはジャケットの胸ポケットに手を差し入れる。手帳を開くとアドレスを記し、ページを破いて差し出した。

「押し付けるようでごめんね。君さえ良ければ連絡くれたら嬉しいな。じゃあ僕は行くね」ネイサンは箱を抱えて足早に公園の中を突っ切った。

 手帳の切れ端のメモを握ったアメリアはネイサンの後ろ姿を見送った。
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