ランゲルハンス島奇譚(2)「シラノ・ド・ベルジュラックは眠らない(上)」

乙訓書蔵 Otokuni Kakuzoh

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一章

三節

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 一番の重荷のブーツを履いたとは言え、荷物は重かった。アメリアは荷物を駅のラゲッジセンターに預けようと駅に向かう事にした。今日は黒いレディでなくてこのまま鉄道で移動すれば良い。

 駅へ向かう途中、また視線を奪われた。いつも黒いレディで移動する際、道路から眺めていたパラディオ様式の建物だ。『ノーラ』と店名と営業時間が記された黒板の看板が出ている。ドールショップだ。

 ヴェネチア窓から通りを眺める人形と視線が合った。アンニュイな表情だ。幼い頃アメリアが抱いていたラガディ・アン人形とは違って精巧な作りの人形だ。肌は石膏のように白く、頬は水蜜桃のように染まり愛らしい。通りを見つめるガラス製の青い瞳は惑星のようだ。

 アメリアは立ち止まり、人形を見つめる。人形の美しさに心を奪われ、溜め息を吐いた。

「……綺麗」

 思わず口をついた一言に我に返る。

 携帯電話を見遣る。まだ時間はある。

 ……覗くだけならいいよね。前から気になってたもん。

 彼女はドアを開けてノーラへ入った。冷気が触れる。初夏の陽気に汗ばんでいた肌が冷やされて心地いい。

 店内は木製のキャビネットやライティングデスク、スズランを思わせるランプ等のアンティーク家具が犇めく。家具には所狭しと大小様々な人形、ウィッグ、服、素体が収められ、キャビネットにはガラス製やアクリル製のドールアイが並べられていた。店主は席を外しているようで古時計の秒針だけが響く。

 紙袋を床に下ろしたアメリアは涼しい店内を見渡した。人形の容貌や姿形は各々異なりエルフの耳や猫の耳をした者、困り顔の者や怒り顔の者、はたまた人間の体に動物の顔が乗った者が陳列されていた。人魚やハーピー、ニンフが住まうランゲルハンス島の住民のようで懐かしくなった。中でも心を奪ったのは豊かなアクアマリン色の髪を伸ばした体長三十センチ程の少女の人形だった。薄紅色の唇は微笑みを湛え、頬を桜色に染め、眉を下げ、琥珀色の瞳で彼女を見つめていた。村娘風の服を着せられた人形は白い頬かむりを被っている。懐かしさにアメリアの瞳が潤む。母さんだ。父さんの話をする母さんにそっくり。

 ユウに似た人形に心奪われていると店の奥から足音が近付く。

「いらっしゃい」

 声を掛けたのはローレンスのように線が細く背の高い男だった。ひよこ色のブロンドの髪をした鈍色の瞳が美しい青年だ。棚に陳列された人形よりも美しい。カーキ色のエプロンをかけた彼は店主のようだ。

「勝手に入ってごめんなさい」涙を拭ったアメリアは会釈した。

「どうしたの? 悲しそう」店主はエプロンのポケットからハンカチを出し、差し出した。

 アメリアはそれを受取ると涙を拭う。

「……ありがとう。ちょっと感傷的になっただけです。突然泣いてごめんなさい」

「ううん、僕こそごめんね。店を放って用事を済ませていたんだ。丁度暇していたから来て貰えて嬉しいよ。ゆっくり見て行ってね」店主は微笑んだ。

 アメリアは微笑み返した。

 人形を一体一体、観察するようにアメリアは丁寧に見て回った。

 店主は真剣な眼差しを人形に注ぐアメリアを見つめ、微笑む。

「人形が余っ程好きなんだね」

「え?」アメリアは振り返った。

「眼」

「眼?」

「とても真剣だ。細かい所も見逃さないって心意気が伺えるのに、眼が優しいんだ。きっと人形が大好きなんだろうなと想って」

 コンラッドはアメリアを見つめ微笑む。決して視線を逸らさず、人形のように真っ直ぐに自分を捕えるコンラッドの視線にアメリアは困惑する。彼女ははにかむと俯き、両膝をもじもじと擦り合わせる。

「お店の人にそんな褒められるようなもんじゃないです。こんな精巧な人形見たのが初めてで……」

「惚れちゃった?」店主は微笑んだ。

「心奪われました」アメリアは微笑み返した。

「気に入って貰えて嬉しいよ」

「何時間でも眺めてたくなる程にここの人形はみんな可愛いですね」

「そんな事言って貰えるなんて店主冥利に尽きるよ。僕はコンラッド。君は?」

「あたしはアメリア」

「そっか。君はアメリアって名前なんだ。『愛される者』なんて名前素敵だね」店主は微笑んだ。

 頬を染めたアメリアは俯く。

「……母が名付けてくれたんです」

「そう。綺麗な君にぴったりの名前だね」

 アメリアはコンラッドの視線に戸惑い、視線を彷徨わせる。するとポケットに仕舞っていた携帯電話が振動した。きっとアラームだろう。仕事へ向かわねばならない。

「ごめんなさい。仕事へ行かないと。お邪魔しました」

 アメリアは床に置いていた紙袋を持った。コンラッドに会釈するとドアを開ける。最後に母に似た人形を一目見ようと陳列棚に視線を送った。

 すると視線の先を機敏に読み取ったコンラッドが声を掛けた。

「またおいで。その水色の髪の子も君を待ってるから」

 微笑んだアメリアは頷いて外へ出た。するとブロンドの髪の女性が入れ違いで店内へ入ろうとした。美しい女性だ。彼女はブランドバッグのポケットに差し込んだ携帯電話からユニコーンのストラップを落とす。彼女は気付かない。アメリアはストラップを拾うと女性を呼び止め渡した。女性は微笑んで礼を述べるとノーラに入店した。



 仕事を終え帰宅するとイポリトがリビングや浴室から自室へと右往左往していた。

「何してんの?」

「荷支度だ。明日から極東の列島へ向かう」剃刀や歯ブラシ、シャンプーボトル等の洗面用具を小脇に挟んだイポリトはアメリアの頭に手を乗せると乱暴に掻き撫でた。

「この前言ってた旅行? 居なくて清々するけどあたしの監視はどうする気?」アメリアはイポリトの手を跳ね退けた。

「明日、代わりの奴がこっちに来る。空港まで迎えに行ってやれ。それと私物に触らんように言っといてくれ。ベッドも使わせるな」

「迎えに行くけど忠告は覚えてたらね。それよりもその監視役ってどんな人?」

「さあな。人選はパンドラの姐さんに任せてる」イポリトは耳をほじった。

「どのくらい極東に滞在するの?」

「あんだぁ? 俺が居ねーと寂しくて眠れねぇってか? 可愛いでちゅねー、お子ちゃまでちゅねー、ちゅーぐ帰ってきまちゅからねー」

「黙れ。キモい。……父さんの十三の苦役では世界中を着いて行ったくせに、あたしの時は休暇になると放っぽるんだ」アメリアは俯いて唇を尖らせた。

 寂しかった。ランゲルハンス島に住む天真爛漫な母と別れて、現世では大好きな父と別れて天涯孤独になってしまった。誰でもいいから側に居て欲しかった。例えそれが気に喰わない男でも。

「急にしおらしくなっちまってホームシックかよ」

「うるさい!」洟をすするアメリアは顔を上げてイポリトを睨むと彼の向こう脛を幾度となく蹴り飛ばした。

「やめろって! 島で剣術に武術やってたんだろ! お前の蹴り冗談抜きで痛ぇ!」

 アメリアは頬を膨らませ唇を尖らせた。

 イポリトは向こう脛を擦る。

「おぉクソ痛ぇ。……まぁ無理もねぇよな。外見は大人でも、おぎゃあと生まれてまだ九歳だもんな。心細いわな。猫なり犬なり飼ってりゃまた違ったかもしれねぇな」

「猫飼いたい! でも馬を一番飼いたい!」アメリアは瞳を輝かせた。

「馬かよ。俺だってニャンコ飼いてぇよ。しかし最近家猫に出来そうな野良ニャンコちゃんに遭遇しねぇんだよな」

「そっか。……それにあたしの方がうんと長生きだからお別れの時が悲しいよね。父さんの時もとても辛かったもん」アメリアは俯いた。

 イポリトはアメリアの頭に手を置くと掻き撫でる。

「だから辛気臭ぇ顔するなっての。安心して置いて行けねぇだろ」

 唇を尖らせたアメリアはイポリトを仰ぐ。

「……心配してるの?」

「してねぇよ。ンな顔されたら気分晴れ晴れと出国出来ねぇだろ。憎まれ口叩かれて送り出された方がまだマシだ」

 アメリアは鼻を鳴らした。本当にムカつく男。だけど彼なりに色々と気を遣ってくれるのは分かる。少し大人になってちゃんとお礼を言った方が良いかもしれない。

「……あ、あのさ」アメリアはイポリトを見上げた。

「んだよ?」

 眉根を寄せたアメリアは口をもぞもぞ動かしていたが意を決す。

「……心配してくれてありがとう。あと買い物も付き合ってくれてありがとう」

「お前、案外可愛いのな」イポリトはアメリアの頭を乱雑に掻き撫でた。

 腹が立ったのでアメリアは取り敢えず一発、イポリトの向こう脛を蹴り上げた。
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