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四章
五節
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翌朝もローレンスはベランダに出た。イポリトにセーターとコートを着せられた。無精髭面から白い息を吐きつつフェンスから身を乗り出し開店前の花屋を眺める。
昨日と同じくエントランスから出て来た彼女は店の前に佇み、伸びをする。久々に晴れた空へ向かい白い息を吐き『やっ』と声を出した。両腕を振り下ろし、空を見た拍子に三階のベランダに居る黒尽くめの男と目が合った。驚いた彼女はバランスを崩す。
ローレンスは手で瞳を覆った。しかし彼女は笑い声を上げる。ローレンスは無事を確かめるべく手をどけ見下ろした。
ローレンスを見上げると彼女は笑顔を浮かべ手を大きく振る。
「大丈夫よ!」
背を向けた彼女はシャッターを上げドアを開く。そして再び笑顔で手を振った。女はローレンスの容貌を恐れなかった。ローレンスは遠慮深げに手を振り返したが恥ずかしくなったので部屋に退散した。
翌日もその次の日もローレンスは開店前の花屋を眺めた。以前はだらしない格好で眺めていたが今は髭を剃って髪に櫛を通し、紳士らしい身なりで眺めた。茜色の髪の彼女は毎朝同じ時間にエントランスに降りる。彼女はローレンスに向かって『おはよう』と大きな声で手を振ると開店準備を始める。それを眺めるのがローレンスの日課になった。彼女と友人になれたら楽しいだろうと思った。
花屋が開店して一週間が経った。ローレンスはその日もベランダに出て花屋を眺めていた。彼女は時間通りにエントランスに降りて空へ向かって伸びをした。そこまではいつもと一緒だ。しかし三階のベランダのローレンスに向かって彼女は指差す。
「黒髪のラプンツェル! いい加減降りて来ないなら、あなたに会いに行くわよ!」彼女は笑顔を向け、手を振るとシャッターを上げた。ローレンスは青白い頬を真っ赤に染めた。
時計塔の鐘が昼を報せる。サングラスをかけたローレンスは家を出るとカフェでサンドウィッチをテイクアウトした。そして花屋へ向かった。
開け放たれた深いグリーンのドアから店に入る。スチールの花器に投げ入れられた様々な花が出迎えた。生花特有の澄ました香りが鼻腔をくすぐる。内装は酒屋と変わりなかった。ローレンスは店内を見渡し彼女を捜す。レジの側ではケージスタンドに吊るされた鳥かごがありオレンジ色の頬紅のインコがいた。鳥かごの真下でヒーターが温風を吐く。奥の水場では例の彼女が背を向け鼻歌を歌い作業していた。
「こ、こんにちは」ローレンスは勇気を出して声を掛けた。
彼女は振り返ると破顔した。
「こんにちは! 魔女の眼を盗んで降りて来たわね、ミスター・ラプンツェル」
白い肌にえくぼを作り、エメラルド色の大きな瞳が輝き桃色の唇が美しい女だった。
「ぼ、僕は……ラプンツェルじゃないよ」ローレンスは青白い顔を赤面させた。
「あら。じゃあ名前は? 私はヴィヴィアンよ」
「ぼ……くは、ローレンス」
彼女は微笑み右手を差し出した。ローレンスも恐る恐る右手を差し出し握手を交わす。
ヴィヴィアンは手を離す。
「それでどんな女性にお花を贈るの?」
「え……あ、の、いや、その」
言葉を詰まらせているとヴィヴィアンはくすり、と笑った。
「冗談よ。降りて来いって言われて花を買わせられるなんて酷い話よね」
俯いたローレンスは口をもぞもぞ動かしていたが紙袋を差し出した。
「あの、これ」
ヴィヴィアンは受取ると中を覗く。
「バゲットサンドじゃない! いいの?」
「う、ん」
「ありがとう! 休憩しようと思ってた所なの。一緒に食べましょ。河沿いのベンチに行きましょ。寒いけど大丈夫?」
「う、うん」
「美味しい紅茶の店を知っているの。寄りましょ。バゲットサンドと合う筈だわ!」
ヴィヴィアンは黒いエプロンを脱ぐと戸締まりした。そしてローレンスの袖を引っ張ると店先に『休憩中』と記された看板を引っかけ、件の紅茶の店へ向かった。
河沿いの鉄製のベンチに二人並んで腰掛けた。ローレンスは紙カップに口をつける。余程空腹だったのだろう、大口を開けたヴィヴィアンはバゲットサンドを三分と経たずに平らげた。豪快な食べっぷりに驚いたローレンスは『良かったらこれも』と自分の分を差し出した。しかし彼女は首を横に振り『肉をつけなさい』と窘めた。
「あー、やっと落ち着いた。仕事朝早いから休憩までお腹もたないの。イポリトから聞いてるわ。ローレンスってじいさんと住んでるって。全然おじいさんじゃ無いわね。寧ろイポリトの方が年上に見えるわ」
死神としてローレンスはイポリトよりも遥かに年上だったがそんな事は口が裂けても言えない。ローレンスは『子供の頃から仙人みたいに痩せてるから』と誤摩化した。
「あら、じゃあ幾つ?」
返答に困っているとヴィヴィアンは笑った。
「年齢を聞かれて困るだなんて女性みたいね。そうね、きっと私と同じくらいかしら? 私はまだ二十の半ばに手が届いてないわ」
ローレンスはヴィヴィアンを見つめる。
「失礼ね。でもこんな性格だから驚かれるわ。そりゃ子供いないけど早く結婚して離婚したし両親も亡くしたし、色々あったのよ。それよりあなたは何故ベランダにいるの?」ヴィヴィアンはローレンスに迫る。驚いたローレンスは背を仰け反らせた。
返答に困った。友達になれたらと思って毎朝ベランダに出ていたとは言えない。咀嚼したバゲットを飲み込み、瞳をぐるりと動かし考えるが適当な返答が見つからない。
「あまり喋らないのね」
「……き、君が喋り過ぎるんだ」
「あら。シャイかと思ったら結構言うのね」ヴィヴィアンは笑う。
「か、揶揄うなよ」
「ごめんごめん。ねぇローレンス、朝っぱらからあんな所でぼーっとしているなんて詩人か何か? それとも夜にお仕事をする人なのかしら?」
困惑した。質問内容にも困ったが何よりも困ったのはヴィヴィアンが顔を近付ける事だ。彼女の癖のようで他意は感じられない。しかし女性の扱いに慣れないので一大事だ。
「い、いや。あ、のさ、顔……近いよ」
「あら。ごめんなさい」身を乗り出していたヴィヴィアンは引いた。
「じ、実は停職中。僕、イポリトと同じ所で働いてるけど問題起して自宅謹慎中なんだ」
「大変ね。何の仕事をしているの?」
「え、えと……こ、公務員みたいなものだよ」国家や国民の為に働く彼らとハデスや人の為に仕える神々と差は無いだろうと、ローレンスは考えた。
「ふうん。停職なんてよっぽどね。……『公務員みたいなもの』ねぇ。じゃあ公務員じゃない訳ね!」ヴィヴィアンは微笑んだ。
「え、あ……うん」
「じゃあさ、じゃあさ!」ヴィヴィアンは顔を近付ける。ローレンスは背を仰け反らせる。
「店で働かない? 今、私だけなの! 筋肉つくわよ! 動いていると元気が出るわ! 筋肉ついてお金貰って、元気が出るならベランダでぼーっとするよりも有意義じゃない?」
「え、あ、うん。そうだね」ローレンスは彼女の肩を掴んで元の位置へ戻そうと試みた。
しかし宙に手を差し出した途端、彼女が手を掴む。
「ありがとう! 手伝ってくれるのね! じゃあエプロン用意しておく! 明日はいつもの時間にギルロイへ来て頂戴! 待ってるわ!」
『待って、働くなんて一言も』とローレンスは消え入りそうな声で話しかけた。しかし彼女の携帯電話が鳴る。ヴィヴィアンは電話の相手に一言二言話しかけると真顔になってベンチから立ち上がった。そして狼狽えるローレンスに『ごめんなさい、戻らないと。バゲットサンド美味しかったわ』と声を掛け足早に去った。ローレンスは肩を落としたが死神以外の仕事をまた出来ると思うと胸を踊らせた。
ローレンスはステュクスへ顔を出した。カウンターでは男神二柱がパンドラと親しげに話をしていた。パンドラはローレンスに気付くと微笑みを浮かべる。
「いらっしゃいませ。お久し振りです、ローレンス様」
ローレンスは席に座らず、カウンター越しに耳打ちする。
「悪いんだけれども身の上の書類用意して貰える? 成り行きで、花屋で働かなきゃならなくなったんだ」
ローレンスが顔を離すとパンドラは瞳を閉じて頷いた。
「畏まりました。直ぐにご用意致します」
「助かるよ。内密にね。また人間と関わったと知るとイポリトが心配する」
微笑んだパンドラは書類を取り出し封筒に入れ、差し出した。
「ありがとう。また改めて寄るね」ローレンスはステュクスを後にした。
ローレンスの後ろ姿を見送るとパンドラは二人の男へ視線を戻した。
「用意がいいね、パンドラちゃん」ウェーブがかった栗毛の男が微笑む。
「まあ、そんな。魔術を使っているだけですわ」
「流石、悪魔鋳造のホムンクルス!」連れの大きな頬傷の男が囃し立てる。
「魔術が使えてもホムンクルスはガラス容器でしか生きられません。でもこのステュクスと言う容器に皆様がいらして下さるので箱入り娘は楽しいですよ」パンドラは微笑んだ。二柱の男は美しいパンドラに微笑み返した。
栗毛の男はグラスに口を付けて酒を一口飲むと頬傷の男に声を掛けた。
「なぁ、耳に挟んだんだけどよ、ハデスの親爺が消えたらしいぜ」
頬傷の男は口をつけようとしていたグラスをカウンターに置く。
「消えたって……冥府の支配者が何処に行くんだよ?」
「うーん……オリュンポス?」
「馬鹿かお前は。オリュンポスなんかに行ったら大きな噂になるだろ」
「じゃあ何処に行ったっつーのよ?」
「俺に聞くなよ」頬傷の男は肩をすくめた。
「仲が良いですね」パンドラは微笑みグラスを拭く。
「パンドラちゃんはハデスの親爺と悪魔に頼まれて事務処理してるんだよね。親爺とも交流あるでしょ? 親爺に変わった様子あった?」栗毛の男はパンドラに問うた。
「まあ、いいえ」
「そっか。指令通りに仕事すりゃ給料が出るから、社長が何処に居ようと俺らには関係ねーよな」栗毛の男は頬傷の男を見遣る。
「そうそう。仕事は酷いだけど感覚麻痺してこんなモンだって思うんだよな。人は死ぬんだから仕方ねーよな。死なねーと人口過剰になっちまう」頬傷の男はグラスに口をつけた。
「そうそう。俺達死神は必要とされて存在してんの。そして俺達が喰って行く上でもまた人間が必要なの」栗毛の男と頬傷の男は意見が合致したので拳を合わせる。パンドラはグラスを拭きつつそれを眺めた。
昨日と同じくエントランスから出て来た彼女は店の前に佇み、伸びをする。久々に晴れた空へ向かい白い息を吐き『やっ』と声を出した。両腕を振り下ろし、空を見た拍子に三階のベランダに居る黒尽くめの男と目が合った。驚いた彼女はバランスを崩す。
ローレンスは手で瞳を覆った。しかし彼女は笑い声を上げる。ローレンスは無事を確かめるべく手をどけ見下ろした。
ローレンスを見上げると彼女は笑顔を浮かべ手を大きく振る。
「大丈夫よ!」
背を向けた彼女はシャッターを上げドアを開く。そして再び笑顔で手を振った。女はローレンスの容貌を恐れなかった。ローレンスは遠慮深げに手を振り返したが恥ずかしくなったので部屋に退散した。
翌日もその次の日もローレンスは開店前の花屋を眺めた。以前はだらしない格好で眺めていたが今は髭を剃って髪に櫛を通し、紳士らしい身なりで眺めた。茜色の髪の彼女は毎朝同じ時間にエントランスに降りる。彼女はローレンスに向かって『おはよう』と大きな声で手を振ると開店準備を始める。それを眺めるのがローレンスの日課になった。彼女と友人になれたら楽しいだろうと思った。
花屋が開店して一週間が経った。ローレンスはその日もベランダに出て花屋を眺めていた。彼女は時間通りにエントランスに降りて空へ向かって伸びをした。そこまではいつもと一緒だ。しかし三階のベランダのローレンスに向かって彼女は指差す。
「黒髪のラプンツェル! いい加減降りて来ないなら、あなたに会いに行くわよ!」彼女は笑顔を向け、手を振るとシャッターを上げた。ローレンスは青白い頬を真っ赤に染めた。
時計塔の鐘が昼を報せる。サングラスをかけたローレンスは家を出るとカフェでサンドウィッチをテイクアウトした。そして花屋へ向かった。
開け放たれた深いグリーンのドアから店に入る。スチールの花器に投げ入れられた様々な花が出迎えた。生花特有の澄ました香りが鼻腔をくすぐる。内装は酒屋と変わりなかった。ローレンスは店内を見渡し彼女を捜す。レジの側ではケージスタンドに吊るされた鳥かごがありオレンジ色の頬紅のインコがいた。鳥かごの真下でヒーターが温風を吐く。奥の水場では例の彼女が背を向け鼻歌を歌い作業していた。
「こ、こんにちは」ローレンスは勇気を出して声を掛けた。
彼女は振り返ると破顔した。
「こんにちは! 魔女の眼を盗んで降りて来たわね、ミスター・ラプンツェル」
白い肌にえくぼを作り、エメラルド色の大きな瞳が輝き桃色の唇が美しい女だった。
「ぼ、僕は……ラプンツェルじゃないよ」ローレンスは青白い顔を赤面させた。
「あら。じゃあ名前は? 私はヴィヴィアンよ」
「ぼ……くは、ローレンス」
彼女は微笑み右手を差し出した。ローレンスも恐る恐る右手を差し出し握手を交わす。
ヴィヴィアンは手を離す。
「それでどんな女性にお花を贈るの?」
「え……あ、の、いや、その」
言葉を詰まらせているとヴィヴィアンはくすり、と笑った。
「冗談よ。降りて来いって言われて花を買わせられるなんて酷い話よね」
俯いたローレンスは口をもぞもぞ動かしていたが紙袋を差し出した。
「あの、これ」
ヴィヴィアンは受取ると中を覗く。
「バゲットサンドじゃない! いいの?」
「う、ん」
「ありがとう! 休憩しようと思ってた所なの。一緒に食べましょ。河沿いのベンチに行きましょ。寒いけど大丈夫?」
「う、うん」
「美味しい紅茶の店を知っているの。寄りましょ。バゲットサンドと合う筈だわ!」
ヴィヴィアンは黒いエプロンを脱ぐと戸締まりした。そしてローレンスの袖を引っ張ると店先に『休憩中』と記された看板を引っかけ、件の紅茶の店へ向かった。
河沿いの鉄製のベンチに二人並んで腰掛けた。ローレンスは紙カップに口をつける。余程空腹だったのだろう、大口を開けたヴィヴィアンはバゲットサンドを三分と経たずに平らげた。豪快な食べっぷりに驚いたローレンスは『良かったらこれも』と自分の分を差し出した。しかし彼女は首を横に振り『肉をつけなさい』と窘めた。
「あー、やっと落ち着いた。仕事朝早いから休憩までお腹もたないの。イポリトから聞いてるわ。ローレンスってじいさんと住んでるって。全然おじいさんじゃ無いわね。寧ろイポリトの方が年上に見えるわ」
死神としてローレンスはイポリトよりも遥かに年上だったがそんな事は口が裂けても言えない。ローレンスは『子供の頃から仙人みたいに痩せてるから』と誤摩化した。
「あら、じゃあ幾つ?」
返答に困っているとヴィヴィアンは笑った。
「年齢を聞かれて困るだなんて女性みたいね。そうね、きっと私と同じくらいかしら? 私はまだ二十の半ばに手が届いてないわ」
ローレンスはヴィヴィアンを見つめる。
「失礼ね。でもこんな性格だから驚かれるわ。そりゃ子供いないけど早く結婚して離婚したし両親も亡くしたし、色々あったのよ。それよりあなたは何故ベランダにいるの?」ヴィヴィアンはローレンスに迫る。驚いたローレンスは背を仰け反らせた。
返答に困った。友達になれたらと思って毎朝ベランダに出ていたとは言えない。咀嚼したバゲットを飲み込み、瞳をぐるりと動かし考えるが適当な返答が見つからない。
「あまり喋らないのね」
「……き、君が喋り過ぎるんだ」
「あら。シャイかと思ったら結構言うのね」ヴィヴィアンは笑う。
「か、揶揄うなよ」
「ごめんごめん。ねぇローレンス、朝っぱらからあんな所でぼーっとしているなんて詩人か何か? それとも夜にお仕事をする人なのかしら?」
困惑した。質問内容にも困ったが何よりも困ったのはヴィヴィアンが顔を近付ける事だ。彼女の癖のようで他意は感じられない。しかし女性の扱いに慣れないので一大事だ。
「い、いや。あ、のさ、顔……近いよ」
「あら。ごめんなさい」身を乗り出していたヴィヴィアンは引いた。
「じ、実は停職中。僕、イポリトと同じ所で働いてるけど問題起して自宅謹慎中なんだ」
「大変ね。何の仕事をしているの?」
「え、えと……こ、公務員みたいなものだよ」国家や国民の為に働く彼らとハデスや人の為に仕える神々と差は無いだろうと、ローレンスは考えた。
「ふうん。停職なんてよっぽどね。……『公務員みたいなもの』ねぇ。じゃあ公務員じゃない訳ね!」ヴィヴィアンは微笑んだ。
「え、あ……うん」
「じゃあさ、じゃあさ!」ヴィヴィアンは顔を近付ける。ローレンスは背を仰け反らせる。
「店で働かない? 今、私だけなの! 筋肉つくわよ! 動いていると元気が出るわ! 筋肉ついてお金貰って、元気が出るならベランダでぼーっとするよりも有意義じゃない?」
「え、あ、うん。そうだね」ローレンスは彼女の肩を掴んで元の位置へ戻そうと試みた。
しかし宙に手を差し出した途端、彼女が手を掴む。
「ありがとう! 手伝ってくれるのね! じゃあエプロン用意しておく! 明日はいつもの時間にギルロイへ来て頂戴! 待ってるわ!」
『待って、働くなんて一言も』とローレンスは消え入りそうな声で話しかけた。しかし彼女の携帯電話が鳴る。ヴィヴィアンは電話の相手に一言二言話しかけると真顔になってベンチから立ち上がった。そして狼狽えるローレンスに『ごめんなさい、戻らないと。バゲットサンド美味しかったわ』と声を掛け足早に去った。ローレンスは肩を落としたが死神以外の仕事をまた出来ると思うと胸を踊らせた。
ローレンスはステュクスへ顔を出した。カウンターでは男神二柱がパンドラと親しげに話をしていた。パンドラはローレンスに気付くと微笑みを浮かべる。
「いらっしゃいませ。お久し振りです、ローレンス様」
ローレンスは席に座らず、カウンター越しに耳打ちする。
「悪いんだけれども身の上の書類用意して貰える? 成り行きで、花屋で働かなきゃならなくなったんだ」
ローレンスが顔を離すとパンドラは瞳を閉じて頷いた。
「畏まりました。直ぐにご用意致します」
「助かるよ。内密にね。また人間と関わったと知るとイポリトが心配する」
微笑んだパンドラは書類を取り出し封筒に入れ、差し出した。
「ありがとう。また改めて寄るね」ローレンスはステュクスを後にした。
ローレンスの後ろ姿を見送るとパンドラは二人の男へ視線を戻した。
「用意がいいね、パンドラちゃん」ウェーブがかった栗毛の男が微笑む。
「まあ、そんな。魔術を使っているだけですわ」
「流石、悪魔鋳造のホムンクルス!」連れの大きな頬傷の男が囃し立てる。
「魔術が使えてもホムンクルスはガラス容器でしか生きられません。でもこのステュクスと言う容器に皆様がいらして下さるので箱入り娘は楽しいですよ」パンドラは微笑んだ。二柱の男は美しいパンドラに微笑み返した。
栗毛の男はグラスに口を付けて酒を一口飲むと頬傷の男に声を掛けた。
「なぁ、耳に挟んだんだけどよ、ハデスの親爺が消えたらしいぜ」
頬傷の男は口をつけようとしていたグラスをカウンターに置く。
「消えたって……冥府の支配者が何処に行くんだよ?」
「うーん……オリュンポス?」
「馬鹿かお前は。オリュンポスなんかに行ったら大きな噂になるだろ」
「じゃあ何処に行ったっつーのよ?」
「俺に聞くなよ」頬傷の男は肩をすくめた。
「仲が良いですね」パンドラは微笑みグラスを拭く。
「パンドラちゃんはハデスの親爺と悪魔に頼まれて事務処理してるんだよね。親爺とも交流あるでしょ? 親爺に変わった様子あった?」栗毛の男はパンドラに問うた。
「まあ、いいえ」
「そっか。指令通りに仕事すりゃ給料が出るから、社長が何処に居ようと俺らには関係ねーよな」栗毛の男は頬傷の男を見遣る。
「そうそう。仕事は酷いだけど感覚麻痺してこんなモンだって思うんだよな。人は死ぬんだから仕方ねーよな。死なねーと人口過剰になっちまう」頬傷の男はグラスに口をつけた。
「そうそう。俺達死神は必要とされて存在してんの。そして俺達が喰って行く上でもまた人間が必要なの」栗毛の男と頬傷の男は意見が合致したので拳を合わせる。パンドラはグラスを拭きつつそれを眺めた。
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