ランゲルハンス島奇譚(1)「天使は瞳を閉じて」

乙訓書蔵 Otokuni Kakuzoh

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四章

六節

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 早朝から仕事に向かうイポリトを見送ったローレンスは一通りの家事を済ませギルロイへ向かった。ギルロイの前に佇んでいると鳥かごを持ったヴィヴィアンが現れた。

「おはよう!」彼女は白い息を吐きつつ笑顔を向ける。

「お、おはよう」

 ヴィヴィアンは鳥かごを置くといつものように『やっ』と一声上げて空へ向け伸びをした。そしてアパートの三階のベランダを見上げた。いつもそこに居た男は隣に居る。

「あは。つい癖でベランダ見上げちゃった。ラプンツェルは塔を降りてここで働くのに」

 ヴィヴィアンに微笑まれ、ローレンスは微笑み返した。

「今日は流れを覚えてね。慣れたら早く来て貰うけど早起き出来そう?」ヴィヴィアンは鳥かごを提げる。

「う、うん。頑張って早く寝る」

「良かった。花屋って早いの。買い付けに行くでしょ? 市場が早いのよ。市場から戻ったら車から商品下ろしてお化粧しに家に戻るの。だからこんな時間に伸びをしてるのよ」

「大変だ」

「大変なのよ。慣れたら買い付けも手伝ってね。免許は持ってる?」

「え……あ、大型二輪なら」

「嘘!?」素っ頓狂な声を出してヴィヴィアンは目を丸くする。

「ごめん。バイクは搬入に向かないよね」

「そうじゃなくて、あなたライダーなの!?」

「う、うん。やっぱり見えないよね」

「うん」

 ローレンスは肩を落とした。

「でもバイクって体力使うでしょ? この仕事向いてるかもね! 期待してるわよ!」

「う、うん。……でも、い、今更だけど、僕、こんな顔だからお客さん驚かせちゃうかも」

「綺麗な瞳だから驚かせちゃうかもね! 素敵よ、その青白く光る瞳。自信持ちなさい!」微笑んだヴィヴィアンはローレンスにシャッターを上げさせ店内を案内した。

 午前中ローレンスは水揚げを教わった。茎を切るだけでも水中で切るのか、切り口を湯に浸けるのか、火で熱するのか様々な方法があるらしい。商品の陳列や水換え、季節感の演出等教わる都度ローレンスはシャープペンでメモをとる。しかし水分を含んだ手でメモに触れるので書き辛くて仕方がない。ヴィヴィアンはエプロンの胸ポケットからインコのキャラクターのボールペンを取ると『あげる』と差し出した。

「あ……りがとう」ローレンスはボールペンを受け取った。

「どういたしまして。良かったらハンドクリームもあげようか?」

「え……なんで?」

「荒れるわよ。貴公子様みたいな左手がガッサガサになるわよ」

 左手を眺め気付いた。今日もヴィヴィアンは包帯を巻いた右手の事を尋ねなかった。

「君は……聞かないの? 右手の事」

「……体にしろ、心にしろ傷に触れるのは好きじゃないの。話したいなら聞くけど、どうする?」ヴィヴィアンは肩をすくめて微笑む。

 ローレンスは瞳を閉じる。悩みや苦しみを器の大きな彼女に吐露したらどんなに楽だろうか。しかしそんな事をすれば今度こそハデスに島を奪われる。ヴィヴィアンの命もどうなるか知れない。ローレンスは瞳を開けた。

「ありがとう……でもやめておくよ。いつか君に話せる日が来ればと思う」

「分かったわ。じゃあいつかあなたから聞ければって待っているわ」

 二人は微笑み合った。

 休憩時間になるとカフェでサンドウィッチを買い、ヴィヴィアンのお気に入りの店で紅茶をテイクアウトした。二人は河沿いのベンチに座して昼食を摂る。今日も彼女はさっさと平らげた。まだ半分も食べてないローレンスを眺めつつ彼女は暖かい紅茶を飲む。彼は気を遣い懸命に早く食べようとした。彼女は窘めた。

「ゆっくりで大丈夫よ。繁忙期前だしのんびりしたいわ。ちゃんと全部食べるのよ」ヴィヴィアンは冷えた手を紅茶の紙カップで暖める。

「ヴィヴィアンはお母さんみたいだな」

「そう言うあなたは子供みたい」

 二人は笑い合うと手許に視線を戻した。

「大きな子供に小さな母親ね。……子供欲しかったな。でも結果的に居なくて良かった」

「寂しい思いさせるから?」

「それもあるけど両親が喧嘩してる所を見るのって辛いじゃない? 恐い顔してお互いを罵り合って……私、苦手だった」

「両親は仲が悪かったの?」

「うーん……どうかしら? 傍目からだと悪いけど、当事者じゃないと分からないでしょ? 喧嘩してパパが出て行ったら事故に遭ってね、そのまま帰らぬ人。そんな折りに私はおじいちゃんに預けられたの。ママは落ち込んでね。追いかけるようにして死んじゃった。喧嘩してる方がマシだって思った程よ。結局彼らは愛し合っていたからこそ喧嘩してたんだって思ったの。子供にとっては迷惑な話だけど」

「大変だったね」

「うん。でも日常だったからね。ローレンスのパパやママは?」

「え……と、母さんはいるけど父さんはいない。もう大分会ってないな」

「どんな方なの?」

「綺麗な人だったよ。でもいつも悲しそうな顔をしてるんだ。自分の仕事が嫌いで嫌いで……でも自分しか出来る人が居ないから我慢しているんだ」

「辛いでしょうね」

「うん、見ている僕も兄弟達も悲しかった」

「ご兄弟は何人?」

 ローレンスは両手の指を折る。

「うんと……十じゃなくて……僕入れると十一かな?」

「冗談でしょ! あなたのママ頑張ったわね!」

「沢山兄弟がいるから誰が第一子なのか忘れちゃったよ」

「きっと毎月のようにお誕生会を開くのね!」ヴィヴィアンは笑顔を向けた。

 暗い話題を振ったと後悔していたローレンスはヴィヴィアンの笑顔を見ると安堵した。

 休憩を終え店に戻るとレジの側の鳥かごでインコが鳴いていた。ローレンスはかごに顔を近付ける。クリーム色の体色でオレンジの頬紅を刺し黄色い鶏冠を生やしたインコだ。

「可愛いでしょ? ガヴァンって名前なの」ヴィヴィアンは丸椅子に放っていたエプロンを着付けた。

「ガヴァン? 白い鷹には見えないけど」

「ケルト語知っているのね。鷹には見えないけど偶にそう喋るんだもの。引っ越して来た日の翌朝、窓の外で震えてたのを保護したの。写真撮ってネットで飼い主探しているんだけどまだ現れないのよ。長居してるから鳥かご買っちゃった」

「へぇ。早く見つかるといいね」

 接客の合間を見計らってヴィヴィアンは簡単なブーケの作り方を教えた。花の選び方や茎のどの位置を親指で結束させるか丁寧に教えた。ローレンスは茎を親指の付け根に挟んで花を刺すが巧くいかない。バランスを崩した花が手から逃げる。

「どんどんお花を刺すと安定するわよ」ヴィヴィアンはバラを花器から抜いてブーケを作り、手の動きを見せる。花々の茎は螺旋を描いて結束する。ローレンスはその通りやってみせようとするが巧くいかなかった。

「誰でも初めてはそうよ」ヴィヴィアンは笑った。

 ローレンスは肩を落とす。

「練習あるのみよ。直ぐに上達するわ」

「うん……家でも練習するよ」

 夕方には仕事帰りの客やレストランのギャルソンが立ち寄り、店には誰かしら客がいる状態になった。大通りを外れた裏通りで開店したにしては随分滑り出しが良い。

 ヴィヴィアンは客と会話しつつブーケを作る。客は酒屋の馴染みでもあるようで彼女の祖父の話をする。ローレンスは会計をしつつ聞き耳を立てた。酒屋の老人は気のいい人だったので地域の人々に愛されていたようだ。孫娘が花屋を開くのならばと訪れたらしい。

 店を閉めたのは九時を回った頃だった。ローレンスはシャッターを下ろすとアパートへ戻ろうとした。しかしヴィヴィアンに『折角だからバイク見せてよ』とせがまれ、二人で駐車場へ向かった。

 コンクリート打ちの空間に二人の足音が響く。駐輪コーナーに着くと並んだバイクを眺めたヴィヴィアンは『愛車がどれか当ててあげる』と言った。彼女は鳥かごを地に置き、屈んで品定めする。ローレンスは視線を読まれまいと背を向けた。クチバシをゴリゴリと鳴らすガヴァンを眺めつつブーケの練習用の造花を回す。

「分かった!」

 手を打って立ち上がったヴィヴィアンは黒いレディを指した。ローレンスは振り返る。

「正解。……よく分かったね」

「あは。自分がオーナーになるならどれがいいかなって思って」

「へぇ。もしかして乗るのかい?」

「なあに? 乗せてくれるの?」ヴィヴィアンは顔を近づける。

「え、あ、いや……暫く乗ってないから……その」ローレンスは一歩後ろに引く。

「じゃあ感覚戻して何処か連れて行って! 素敵なバイク乗れるなんて滅多にないチャンスよ!」ヴィヴィアンは歩み寄ると顔を近づけた。

「え、あ、うん。ありがとう」ローレンスは黒いレディを褒めてくれた事に礼を述べる。

「ありがとう! 遠出に連れってってね!」喜色満面のヴィヴィアンは拍手を鳴らす。

「待って、僕、乗せるなんて、一言も」

「逢い引きたぁやるじゃねぇか」誰かに声を掛けられローレンスは制された。

 声の方を振り返ると仕事帰りのイポリトが愛車の赤いサンダーバードコマンダーを押して佇んでいた。

「あらイポリト、久し振りね! あなたも帰りが遅いのね」ヴィヴィアンは微笑む。

「花屋も遅いんだろ? 早朝からこんな時間までご苦労さんだ」イポリトはサンダーバードを駐輪するとローレンスを横目で見遣った。

「そうなの。でも今日からローレンスが手伝ってくれる事になったのよ! これで書き入れ時も乗り越えられそう!」ヴィヴィアンは拳を握る。

「ほぉ。じいさんが手伝うのか?」笑顔のイポリトはヴィヴィアンに問うとローレンスを睨みつけた。

「あら、知らなかったの?」

「ああ聞いてねえな」

 ローレンスは冷や汗を流した。特にイポリトの突き刺すような視線には苦痛を感じた。

「そうかそうか、じいさんが手伝うのか。朝早いからなぁ。そろそろ帰った方がいいな」

「そうね。立ちっぱなしで疲れてる筈よね。じゃあローレンス、しっかり休んで明日も同じ時間に来てね! 二人共おやすみなさい!」ヴィヴィアンは地に置いていた鳥かごを持つと軽やかな足取りで駐車場を後にした。

 イポリトはそれを見送ると口を開いた。

「話がある」

 俯いたローレンスは頷いた。

 帰宅してソファにジャケットを放ったイポリトは乱暴に座す。沈黙の後に口を開いた。

「言った筈だよな、あれが最後だって。じいさんは人間に関わると情を移して碌な事を起さない。今回は報告するからな」

「……うん」

 イポリトは長い溜め息を吐く。

「嫌で仕方ねぇ仕事でも人間に寄り添い、喜びや悲しみを分かち合い、彼らを愛するじいさんを尊敬する。だがな、じいさんは人間に肩を入れ過ぎるんだ。俺達の仕事は私情を挟んでいいもんじゃねぇ。運命の一端を握ってんだ。知己の魂を肉体から切り離さなければならねぇからこそ、じいさんの魂が壊れんだ。俺はじいさんが壊れるのを見たくねぇ」

「……うん、分かってる。でも!」

「だからこそ告げ口するぞ。これ以上減給喰らうのも嫌だし、じいさんの大切な島が無くなるのも嫌だしな。じいさんは他の死神とは背負ってる物の重さが違う事をよく考えろ」

 ジャケットを乱暴に取り上げたイポリトは自室に戻る。リビングに一人残されたローレンスは唇を噛み締め、握った拳を震わせた。
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