35 / 68
二章
17
しおりを挟む
そこは王家一族が居住する御殿だ。その中には円形に作られた大広間がある。天井には神話時代に存在したと伝えられる神々が、光の中を優雅に揺蕩う姿が描かれていた。
その神々が見下ろす先、きらびやかな衣装を纏ったたくさんの男女が踊っている。
舞踏会会場に流れる洗礼された音楽は、それ専用に造られた自動人形たちが集団を成して奏でていた。主役を引き立てるため、決して地味ではないが目立たない礼服を纏っており、演奏と貼り付けられた微笑み以外、これらは設定されていない。
男女の要望に応えて飲み物を運び、軽食を給仕するのも笑みを貼り付けた自動人形たちだった。
しかしその中に一体、同じような服装、挙動を努めているはずなのに、一際目を引く自動人形がいる。
特に令嬢が熱い視線を送っているが、誰も声をかけることはない。相手は自動人形なのだ。それに声をかけたのであれば、おままごとでもしに来たのかと後ろ指を差され馬鹿にされるだろう。
特別にこの二人だけを除いて。
「きゃああああ! 待って待って! 絶対あれイーライさんだー!」
背中が大きく開いた薄紅色のドレスを着込んだシエルが、似たような山吹色のドレスを着込んだスエラを引っ張ってその給仕の前へ躍り出る。
鈍色のアップヘアに大きな花飾りを着けて可愛らしく着飾った装い虚しく、その頬は火照って真っ赤に染まり、口元も大きく緩んでいた。ギュス王子含め、他の君主貴族のお相手に選ばれるつもりは毛頭なさそうだ。
「ああー、やっぱりそうだー! 凄い! こんなところで会えるなんて! イーライさんいつもの赤瞳は? もしかしてそのメガネで光の屈折率を変えてるんですか? 印象が全然違う! 黒瞳でも凄くカッコいいー!」
自動人形製造に携わる娘なだけあって、従者の瞳の色が違う理由をすぐさま看破する。従者は微笑みを貼り付けたまま、素早く周囲の反応を伺った。
これを皮切りに、他の令嬢から声をかけられるのを警戒しているのだ。
「シエル、駄目だよ。今日はイーライさん抜き! 気合入れてきたのにイーライさん見つめてたら、他の男なんて魑魅魍魎だよー! 駄目だよ」
スエラはシエルの腕を引っ張って従者に頭を下げている。妹の方が理性的らしい。それでもシエルは従者を見つめたままそこから動かない。
従者は笑みを貼り付けて、無言で二人を壁際まで案内する。促されるまま、シエルは上から下まで舐めるように従者を見、スエラはそんな姉に苦笑して付いていった。
「メガネさいこー……。ほんっと、機械装置の内部制御盤、どうなってるんだろう。ヒッフェルトの固定術式を使ってるとは思うけど、それにしては自己意識が確立されすぎてるし……。工場ではやっぱり再現不可能だなぁー……。あれ? そういえばさっきファイナ・ヒッフェルトって名乗ってた人いなかったっけ? 嘘、あれ息子!? ヒッフェルトって御年七十五歳だよね! スエラ!」
「うんうん、そうだねー」
姉妹があれやこれや話している内に、人気のない壁際に着く。そうしてようやくメガネをかけた黒瞳の従者は口を開いた。
「シエル様、スエラ様、つかぬ事をお伺いいたしますが、宜しいでしょうか」
「「はーい!」」
声を揃えて元気よく返事をする二人に、従者は黒瞳を一度瞬かせ微笑んだ。そして唇の前に人差し指を軽く立てる。完全なる接客用のその仕草に、二人は頬を染め声を潜めた。
「あはは、やっぱりカッコいい……」
「すみません、ボリューム下げます」
そしてどうぞどうぞと姉妹は続きを促す。従者は軽く一礼して切り出した。
※※※
「――イーライさんにだけ視えない人物を視認する方法?」
「はい」
「その人のちょっかいからアルトスさんを護りたいけど、魔術で対策されている可能性が高いと。あぁ、だからそのメガネ……。ううーん、イーライさんの知識に勝てるとは思いませんけど、手助けになるのなら」
シエルは腕を組んで唸った。
「まずイーライさんにだけってことは完全に波長を把握され、瞳への入射妨害されていますよね。だからイーライさんはそのメガネで屈折率を変えてみたんでしょう?」
従者は頷き、シエルはニヤリと笑う。スエラは続きを待って両手を握り締めた。
「もう完璧です、他にやりようはありません」
「シエル!?」
「スエラ、だってそうじゃない。普通そんなことあり得ないんだよ。やろうと思ったら瞳用に加工された魔法石、イーライさんの目を抉り取って、なおかつ魔力を当て続けながら波長を探り当てるでしょ? それでその波長に合わせた盾みたいなのを用意しないといけないんだよ」
「え? 簡単に言ってよー……」
「スエラ様、こちらにフォークがございます」
従者はその手のトレーに載せてあった食器の一つ、フォークをスエラに見せる。
「何本に見えますか?」
「一本です」
従者は指をズラしてもう一度見せる。
「これは?」
「二本!」
それは先程まで一本だったのに、よつ又の間から櫛状の先端を覗かせ、実は二本であったことを証明していた。
「つまり通常であれば波長を把握されない限り、このように視認が可能なのです」
従者はもう一度指をズラしてフォークをぴったり重ねる。
「把握されてしまうとこのように。波長の陰に隠れて見えなくできます」
「やだー! カッコいいー!!」
ただフォークを見せただけなのに、理性的だったスエラが陥落した。壁を叩いて悶えている。
「魔法石に同じ物なんて一つもありません。そんな特定作業、ものすごい労力と時間がないと不可能です。それも両目? 割に合わない。それなら自動人形全機に不可視の魔術をかけた方が、よっぽど楽です」
逆にシエルは専門分野で思考をぐるぐる回しているため、理性的だった。
「やはり、シエル様もそう思われますか……」
従者は俯き、こめかみを叩き始める。
「最終手段、どうしてもって言うのなら瞳の交換になりますけど……」
シエルは困ったように笑って従者を見上げた。
「イーライさんは私たちの点検を受けてくれませんし、アイデンティティ、そこまで育て上げた自己意識が崩壊しかねません。お勧めしませんよ」
従者はこめかみを叩くのを止め、少しだけ表情を歪めると、メガネのブリッジを中指で押し上げる。
「これが駄目なら、一考するかも知れません。その時はどうか、よろしくお願いいたします」
目を閉じ、胸に手を当てシエルに一礼した。
「い、イーライさん……」
シエルは“はい”と言えず、事の重大さを理解していないスエラは笑う。
「ふふ! イーライさんはアルトスさんのことが大好きなんですね!」
その言葉に再生指示を出していない記録が、従者の内部装置を走った。
降りしきる雨、抱えた子供、周りを取り囲む有象無象。そして首元に縋りつく――銀髪の貴女。
イーライ! あの子のために、怒ってくれてありがとう……! でも、だからこそ殺しては駄目! 全部私が悪いの……、私が原因なの! 私が何とかする! だから怒りを鎮めて、あの子のそばに居てあげて。私の代わりに、沢山たくさん愛してあげて! これは命令じゃない、お願いよイーライ。お願い、お願い――!!
あの子の、ために――!
――、――――、――――――。
「そうですね」
ノイズと共に記録の再生が終わる。表情の乏しい従者は目を開き、姿勢を正した。
「私はあの方のことを――」
そして天井画を見上げる。しかしその目に揺蕩う神々など映らない。その目に映るのはただ一つ。
「愛しております」
従者からカチリと、音が鳴った。
その神々が見下ろす先、きらびやかな衣装を纏ったたくさんの男女が踊っている。
舞踏会会場に流れる洗礼された音楽は、それ専用に造られた自動人形たちが集団を成して奏でていた。主役を引き立てるため、決して地味ではないが目立たない礼服を纏っており、演奏と貼り付けられた微笑み以外、これらは設定されていない。
男女の要望に応えて飲み物を運び、軽食を給仕するのも笑みを貼り付けた自動人形たちだった。
しかしその中に一体、同じような服装、挙動を努めているはずなのに、一際目を引く自動人形がいる。
特に令嬢が熱い視線を送っているが、誰も声をかけることはない。相手は自動人形なのだ。それに声をかけたのであれば、おままごとでもしに来たのかと後ろ指を差され馬鹿にされるだろう。
特別にこの二人だけを除いて。
「きゃああああ! 待って待って! 絶対あれイーライさんだー!」
背中が大きく開いた薄紅色のドレスを着込んだシエルが、似たような山吹色のドレスを着込んだスエラを引っ張ってその給仕の前へ躍り出る。
鈍色のアップヘアに大きな花飾りを着けて可愛らしく着飾った装い虚しく、その頬は火照って真っ赤に染まり、口元も大きく緩んでいた。ギュス王子含め、他の君主貴族のお相手に選ばれるつもりは毛頭なさそうだ。
「ああー、やっぱりそうだー! 凄い! こんなところで会えるなんて! イーライさんいつもの赤瞳は? もしかしてそのメガネで光の屈折率を変えてるんですか? 印象が全然違う! 黒瞳でも凄くカッコいいー!」
自動人形製造に携わる娘なだけあって、従者の瞳の色が違う理由をすぐさま看破する。従者は微笑みを貼り付けたまま、素早く周囲の反応を伺った。
これを皮切りに、他の令嬢から声をかけられるのを警戒しているのだ。
「シエル、駄目だよ。今日はイーライさん抜き! 気合入れてきたのにイーライさん見つめてたら、他の男なんて魑魅魍魎だよー! 駄目だよ」
スエラはシエルの腕を引っ張って従者に頭を下げている。妹の方が理性的らしい。それでもシエルは従者を見つめたままそこから動かない。
従者は笑みを貼り付けて、無言で二人を壁際まで案内する。促されるまま、シエルは上から下まで舐めるように従者を見、スエラはそんな姉に苦笑して付いていった。
「メガネさいこー……。ほんっと、機械装置の内部制御盤、どうなってるんだろう。ヒッフェルトの固定術式を使ってるとは思うけど、それにしては自己意識が確立されすぎてるし……。工場ではやっぱり再現不可能だなぁー……。あれ? そういえばさっきファイナ・ヒッフェルトって名乗ってた人いなかったっけ? 嘘、あれ息子!? ヒッフェルトって御年七十五歳だよね! スエラ!」
「うんうん、そうだねー」
姉妹があれやこれや話している内に、人気のない壁際に着く。そうしてようやくメガネをかけた黒瞳の従者は口を開いた。
「シエル様、スエラ様、つかぬ事をお伺いいたしますが、宜しいでしょうか」
「「はーい!」」
声を揃えて元気よく返事をする二人に、従者は黒瞳を一度瞬かせ微笑んだ。そして唇の前に人差し指を軽く立てる。完全なる接客用のその仕草に、二人は頬を染め声を潜めた。
「あはは、やっぱりカッコいい……」
「すみません、ボリューム下げます」
そしてどうぞどうぞと姉妹は続きを促す。従者は軽く一礼して切り出した。
※※※
「――イーライさんにだけ視えない人物を視認する方法?」
「はい」
「その人のちょっかいからアルトスさんを護りたいけど、魔術で対策されている可能性が高いと。あぁ、だからそのメガネ……。ううーん、イーライさんの知識に勝てるとは思いませんけど、手助けになるのなら」
シエルは腕を組んで唸った。
「まずイーライさんにだけってことは完全に波長を把握され、瞳への入射妨害されていますよね。だからイーライさんはそのメガネで屈折率を変えてみたんでしょう?」
従者は頷き、シエルはニヤリと笑う。スエラは続きを待って両手を握り締めた。
「もう完璧です、他にやりようはありません」
「シエル!?」
「スエラ、だってそうじゃない。普通そんなことあり得ないんだよ。やろうと思ったら瞳用に加工された魔法石、イーライさんの目を抉り取って、なおかつ魔力を当て続けながら波長を探り当てるでしょ? それでその波長に合わせた盾みたいなのを用意しないといけないんだよ」
「え? 簡単に言ってよー……」
「スエラ様、こちらにフォークがございます」
従者はその手のトレーに載せてあった食器の一つ、フォークをスエラに見せる。
「何本に見えますか?」
「一本です」
従者は指をズラしてもう一度見せる。
「これは?」
「二本!」
それは先程まで一本だったのに、よつ又の間から櫛状の先端を覗かせ、実は二本であったことを証明していた。
「つまり通常であれば波長を把握されない限り、このように視認が可能なのです」
従者はもう一度指をズラしてフォークをぴったり重ねる。
「把握されてしまうとこのように。波長の陰に隠れて見えなくできます」
「やだー! カッコいいー!!」
ただフォークを見せただけなのに、理性的だったスエラが陥落した。壁を叩いて悶えている。
「魔法石に同じ物なんて一つもありません。そんな特定作業、ものすごい労力と時間がないと不可能です。それも両目? 割に合わない。それなら自動人形全機に不可視の魔術をかけた方が、よっぽど楽です」
逆にシエルは専門分野で思考をぐるぐる回しているため、理性的だった。
「やはり、シエル様もそう思われますか……」
従者は俯き、こめかみを叩き始める。
「最終手段、どうしてもって言うのなら瞳の交換になりますけど……」
シエルは困ったように笑って従者を見上げた。
「イーライさんは私たちの点検を受けてくれませんし、アイデンティティ、そこまで育て上げた自己意識が崩壊しかねません。お勧めしませんよ」
従者はこめかみを叩くのを止め、少しだけ表情を歪めると、メガネのブリッジを中指で押し上げる。
「これが駄目なら、一考するかも知れません。その時はどうか、よろしくお願いいたします」
目を閉じ、胸に手を当てシエルに一礼した。
「い、イーライさん……」
シエルは“はい”と言えず、事の重大さを理解していないスエラは笑う。
「ふふ! イーライさんはアルトスさんのことが大好きなんですね!」
その言葉に再生指示を出していない記録が、従者の内部装置を走った。
降りしきる雨、抱えた子供、周りを取り囲む有象無象。そして首元に縋りつく――銀髪の貴女。
イーライ! あの子のために、怒ってくれてありがとう……! でも、だからこそ殺しては駄目! 全部私が悪いの……、私が原因なの! 私が何とかする! だから怒りを鎮めて、あの子のそばに居てあげて。私の代わりに、沢山たくさん愛してあげて! これは命令じゃない、お願いよイーライ。お願い、お願い――!!
あの子の、ために――!
――、――――、――――――。
「そうですね」
ノイズと共に記録の再生が終わる。表情の乏しい従者は目を開き、姿勢を正した。
「私はあの方のことを――」
そして天井画を見上げる。しかしその目に揺蕩う神々など映らない。その目に映るのはただ一つ。
「愛しております」
従者からカチリと、音が鳴った。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
4
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる