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四章
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寝室の姿見前、ハサミを持った従者が前髪を持ち上げる。頭上で軽快な音が響き、ケープの上を切られた髪が滑り落ちてきた。
「やはりここは長めに残します。根本に癖があるため、重みが必要です」
二センチほど短くなって帰ってきた前髪は、目頭辺りで揺れて落ち着く。優しい手付きで右に流され、丁度目の上に収まった。
「後はサイドと襟足、伸びた分を整えたら終わりとしましょう」
前髪とサイドが長い分、襟足は短くていいらしい。多分これは従者の心遣いだ。後ろ髪を伸ばさない、自然と口に馴染む理由を用意してくれる。
鏡を見れば、この容姿は女に見えなくもない。母によく似た中性的な顔立ち。子供の頃、誰かにこう言われたことがある。
――女の子だったら良かったのに。
母さんもそう思っていたのだろうか。思いを馳せれば草花が揺れる、丘の上の霊園を思い出した。
「……献花人のあれは何だったんだろうな」
「そうですね。アルトス様が仰る自己像幻視の可能性は否めません。しかしもう一つだけ、考えうる可能性がございます」
鏡越しに視線を合わせた従者は、手を止めることなく赤瞳を瞬いた。
「この目で視認できない相手、魔女です」
「は??」
振り向きそうになる頭を固定され、言葉は続けられた。
「献花人は既に来た後だった、という仮定です。アルトス様の御心を乱すことが目的なら、あり得ない話では無いかと」
「うーん……」
思わず唸る。何故かその推理はしっくりこない。モヤモヤと鏡の一点を見つめていると、従者は眉をハの字に下げた。
「まさかここまでピンポイントに私への対策をしているとは……。保有している中でも一番の、特級魔術具を失ったのも想定外でした」
「あの布、戻ってこなかったのか?」
「はい、原因は不明です。但し、あれを使用するにはマスターの魔力が必要となりますので、他者の手に渡っても実用は出来ません。ご安心ください」
いつの間に髪を切り終えたのか、その長い指が頬や鼻筋についた髪を払ってくれる。そしてケープを取り外され、立ち上がるよう促された。床に敷かれた使い捨てマットの上を大股で歩き、振り返る。
見れば脇に待機していた侍女が片付けを始めていた。細かい毛が落ちないようマットを丸め持ち上げる様を、何となく眺め。
「……?」
なんだろう。……何かが胸に引っかかった。
「アルトス様、この後の洗髪はご自身でなさいますか?」
一礼をして去っていく侍女の後ろ姿を目で追い、この何とも言えないわだかまりを口にしてみる。
「イーライ。……最近ウールを見かけないが、どうしたんだ?」
「……羊毛、でございますか?」
バタンと、ドアの閉まる音が耳に刺さった。従者の反応に、その言葉に、叫び出しそうになる。
「――いや、すまない」
ドアを見つめたまま、唾を飲み込んだ。動揺を悟られないよう、極めて平静を装う。
「……イーライ、この屋敷に侍女は何体いる」
「? 二体でございます」
「エールと、もう一体は?」
「エールが故障した場合のスペアであり、私の自己点検用で――」
「名前は?」
「ありません」
「だよな。あれに名付けはしていない」
まさか、そんな。何故こんなあり得ないことばかり起こる。
「確認したいことができた。俺は今から地下に降りるが、イーライは待機しててくれ」
「それは――」
前を向いたまま、告げる。
「お願いだイーライ。頼む」
「……かしこまりました」
動悸で息が苦しい。不満そうにこめかみを叩き始めた従者を横目に、寝室を出て深呼吸する。落ち着くためゆっくりと地下に向かおうとして、気が付いたら走っていた。
あまりにも自然に、当然のようにそこに居た異物に、何故、何故気付かなかった! 少し考えればわかることだ。成人した男の世話に侍女は二人も要らない!
姉妹機として、何の疑問も持たず受け入れていた。この屋敷に、確かに侍女は二体いる。だが、過去一度として同時稼働することはなかった。事実を僅かに曲げられ、誤認させられていたんだ。今思えば、従者は一切その存在に目を向けていなかった。
あのイーライをここまで躱すなんて、母さんを上回るほどの実力者?? あり得ない!!
呼吸を荒げたまま地下の入口前に辿り着き、階段を下りる。突き当りのドアを開けようとして、手が震えていることに気が付いた。
「……っ」
手首を振り、細く息を吐く。思い切って鉄製の冷たい取っ手に力をかけ踏み込めば、薄暗い室内に明かりが灯った。
ここに来るのは何年ぶりか。
目の前に広がる光景は、銀髪の魔女が遺した工房だ。壁の黒と天井から吊り下がる赤い垂れ幕のせいで、屋敷と雰囲気がガラリと変わる。
基本整理整頓されているものの、棚や収納箱に収まりきらないものは壁に掛けてあったり、棚と棚の上を渡して置いてある。歩みを進める度視界の端でキラキラ輝く物は、魔法石や宝石、ガラス工芸に刃物の刀身か。
イーライが演算収納してもこの有様なら、他の誰が手を付けてもこれ以上綺麗にならないだろう。何の知識もない人間がこれを見れば、図書館のように棚が並んだ雑多な小物屋と見紛うかもしれない。
そう考えながらスペルが書き込まれた赤い絨毯を踏みしめ、どんどん奥へ進んでいく。魔術具の作成や複製など、作業するためのスペースがこの奥にあったはずだ。
ほぼ、確信めいた衝動がこの身を突き動かしていた。そして最奥の垂れ幕を捲り潜って、記憶通りの位置にあるそれを見る。二体目の侍女が、自動人形専用の収納箱に収まり目を閉じていた。跪いて、エールに瓜二つのその頬に触れてみる。
体温は無い。これはただの人形だ。
立ち上がり周りを見回す。あの姿を探して。年季の入った作業台の上には、従者が直近使ったのであろう自動人形点検用の工具と――何故か自分の下着が置いてあった。
「え、は?」
イーライがここに持ち込んだ可能性を考えて、いやいや。そんな無意味なことはしないって。イーライは魔術具を管理、維持できても作れない。それに下着を魔術具化させるとか、聞いたこともない。
この場に見合わない、意味がない不審物を恐る恐る持ち上げようとして。
「ちょっと待った、それ没収しないで。君、こんな所になんの用だ?」
突然の声に驚いて横を向く。すると作業台の奥、死角になっていた黒の革張りソファから、それが上体を起こしてこう言った。
「ご存知の通り、朝早かったから眠いんだよ」
いつも通り顔は影に覆われ認識できない。ソファと所々破れた黒のタイトワンピースが、覗く白い肌を艶っぽく引き立てていた。そしてどこから持ってきたのか、ふかふかの枕を抱き締めると顔を埋め欠伸をする。
「ふあぁ……。ようこそ、“救国の魔女”の工房へぇ……」
「お前……!!」
あまりの尊大な態度に、頭に血が上ってこめかみが痙攣した。
「やはりここは長めに残します。根本に癖があるため、重みが必要です」
二センチほど短くなって帰ってきた前髪は、目頭辺りで揺れて落ち着く。優しい手付きで右に流され、丁度目の上に収まった。
「後はサイドと襟足、伸びた分を整えたら終わりとしましょう」
前髪とサイドが長い分、襟足は短くていいらしい。多分これは従者の心遣いだ。後ろ髪を伸ばさない、自然と口に馴染む理由を用意してくれる。
鏡を見れば、この容姿は女に見えなくもない。母によく似た中性的な顔立ち。子供の頃、誰かにこう言われたことがある。
――女の子だったら良かったのに。
母さんもそう思っていたのだろうか。思いを馳せれば草花が揺れる、丘の上の霊園を思い出した。
「……献花人のあれは何だったんだろうな」
「そうですね。アルトス様が仰る自己像幻視の可能性は否めません。しかしもう一つだけ、考えうる可能性がございます」
鏡越しに視線を合わせた従者は、手を止めることなく赤瞳を瞬いた。
「この目で視認できない相手、魔女です」
「は??」
振り向きそうになる頭を固定され、言葉は続けられた。
「献花人は既に来た後だった、という仮定です。アルトス様の御心を乱すことが目的なら、あり得ない話では無いかと」
「うーん……」
思わず唸る。何故かその推理はしっくりこない。モヤモヤと鏡の一点を見つめていると、従者は眉をハの字に下げた。
「まさかここまでピンポイントに私への対策をしているとは……。保有している中でも一番の、特級魔術具を失ったのも想定外でした」
「あの布、戻ってこなかったのか?」
「はい、原因は不明です。但し、あれを使用するにはマスターの魔力が必要となりますので、他者の手に渡っても実用は出来ません。ご安心ください」
いつの間に髪を切り終えたのか、その長い指が頬や鼻筋についた髪を払ってくれる。そしてケープを取り外され、立ち上がるよう促された。床に敷かれた使い捨てマットの上を大股で歩き、振り返る。
見れば脇に待機していた侍女が片付けを始めていた。細かい毛が落ちないようマットを丸め持ち上げる様を、何となく眺め。
「……?」
なんだろう。……何かが胸に引っかかった。
「アルトス様、この後の洗髪はご自身でなさいますか?」
一礼をして去っていく侍女の後ろ姿を目で追い、この何とも言えないわだかまりを口にしてみる。
「イーライ。……最近ウールを見かけないが、どうしたんだ?」
「……羊毛、でございますか?」
バタンと、ドアの閉まる音が耳に刺さった。従者の反応に、その言葉に、叫び出しそうになる。
「――いや、すまない」
ドアを見つめたまま、唾を飲み込んだ。動揺を悟られないよう、極めて平静を装う。
「……イーライ、この屋敷に侍女は何体いる」
「? 二体でございます」
「エールと、もう一体は?」
「エールが故障した場合のスペアであり、私の自己点検用で――」
「名前は?」
「ありません」
「だよな。あれに名付けはしていない」
まさか、そんな。何故こんなあり得ないことばかり起こる。
「確認したいことができた。俺は今から地下に降りるが、イーライは待機しててくれ」
「それは――」
前を向いたまま、告げる。
「お願いだイーライ。頼む」
「……かしこまりました」
動悸で息が苦しい。不満そうにこめかみを叩き始めた従者を横目に、寝室を出て深呼吸する。落ち着くためゆっくりと地下に向かおうとして、気が付いたら走っていた。
あまりにも自然に、当然のようにそこに居た異物に、何故、何故気付かなかった! 少し考えればわかることだ。成人した男の世話に侍女は二人も要らない!
姉妹機として、何の疑問も持たず受け入れていた。この屋敷に、確かに侍女は二体いる。だが、過去一度として同時稼働することはなかった。事実を僅かに曲げられ、誤認させられていたんだ。今思えば、従者は一切その存在に目を向けていなかった。
あのイーライをここまで躱すなんて、母さんを上回るほどの実力者?? あり得ない!!
呼吸を荒げたまま地下の入口前に辿り着き、階段を下りる。突き当りのドアを開けようとして、手が震えていることに気が付いた。
「……っ」
手首を振り、細く息を吐く。思い切って鉄製の冷たい取っ手に力をかけ踏み込めば、薄暗い室内に明かりが灯った。
ここに来るのは何年ぶりか。
目の前に広がる光景は、銀髪の魔女が遺した工房だ。壁の黒と天井から吊り下がる赤い垂れ幕のせいで、屋敷と雰囲気がガラリと変わる。
基本整理整頓されているものの、棚や収納箱に収まりきらないものは壁に掛けてあったり、棚と棚の上を渡して置いてある。歩みを進める度視界の端でキラキラ輝く物は、魔法石や宝石、ガラス工芸に刃物の刀身か。
イーライが演算収納してもこの有様なら、他の誰が手を付けてもこれ以上綺麗にならないだろう。何の知識もない人間がこれを見れば、図書館のように棚が並んだ雑多な小物屋と見紛うかもしれない。
そう考えながらスペルが書き込まれた赤い絨毯を踏みしめ、どんどん奥へ進んでいく。魔術具の作成や複製など、作業するためのスペースがこの奥にあったはずだ。
ほぼ、確信めいた衝動がこの身を突き動かしていた。そして最奥の垂れ幕を捲り潜って、記憶通りの位置にあるそれを見る。二体目の侍女が、自動人形専用の収納箱に収まり目を閉じていた。跪いて、エールに瓜二つのその頬に触れてみる。
体温は無い。これはただの人形だ。
立ち上がり周りを見回す。あの姿を探して。年季の入った作業台の上には、従者が直近使ったのであろう自動人形点検用の工具と――何故か自分の下着が置いてあった。
「え、は?」
イーライがここに持ち込んだ可能性を考えて、いやいや。そんな無意味なことはしないって。イーライは魔術具を管理、維持できても作れない。それに下着を魔術具化させるとか、聞いたこともない。
この場に見合わない、意味がない不審物を恐る恐る持ち上げようとして。
「ちょっと待った、それ没収しないで。君、こんな所になんの用だ?」
突然の声に驚いて横を向く。すると作業台の奥、死角になっていた黒の革張りソファから、それが上体を起こしてこう言った。
「ご存知の通り、朝早かったから眠いんだよ」
いつも通り顔は影に覆われ認識できない。ソファと所々破れた黒のタイトワンピースが、覗く白い肌を艶っぽく引き立てていた。そしてどこから持ってきたのか、ふかふかの枕を抱き締めると顔を埋め欠伸をする。
「ふあぁ……。ようこそ、“救国の魔女”の工房へぇ……」
「お前……!!」
あまりの尊大な態度に、頭に血が上ってこめかみが痙攣した。
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