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四章

6★

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 屋敷の地下、工房の最奥から男のくぐもった声が響く。

「ん……、んん……」

 眉根を寄せ羞恥に耐えるよう口を閉じ、男が目だけで見下ろす視線の先。脈打つ半身にねっとりと舌を這わせ、根元から裏筋を舐め上げる魔女がいた。

「……んっ、はぁ……」

 添えられた指先は先端の窪み、先走りを滴らせる敏感な部分を優しくグリグリと弄り続けている。通常なら加減が難しいその愛撫を、絶妙な力加減でやってみせる技量のカラクリ。

「う、くっ……」

「んふふ。そう、これも良いんだぁ……?」

 感覚共有で伝わる男の感度だった。キツすぎず緩すぎない快感に、上気した男の頬が朱に染まっていく。

「んっ、はぁ……んんっ……んっ、んっ……」

 ……一体何が目的なんだ。

 いつもなら性急に与えられるはずの刺激は、何故か焦れるほどゆっくりなものだった。男は出来るだけ声を押し殺しながら、時計を見やる。

「十分、経った、ぞ……んっ」

「んん~? んふ、じゃあまだまだ楽しめるね」

 そう言うと魔女は再びモノを口内へ迎え入れた。喉奥に突き当たるまで咥え込み、男の弱い部分、熱い舌で絡みつき蠢かせ――。

「あっ、そっ、それっ……!」

 もっと、と喉まで出かけて、男は歯を食いしばる。また心を折る気なのかと、焦りか快感かわからない汗を全身に滲ませた。

「はぁっ、……んっ、んっ、うっ、くっ、はぁ……!」

 も、もっと……!

 じゅる、じゅるると音を鳴らし前後する魔女の頭、その口を出入りする半身。おまけとばかりに脚の付け根を優しく親指で押されれば、得も言われぬ感覚が男を襲った。

「あっ、な! これ……!?」

 聴覚、視覚、触覚と合わせ、遂に上を目指し始めた快感。ねだるような甘い声を抑えられなくなり、男の瞳が情欲に濡れ始める。もっと、もっとと唇が物欲しそうに戦慄いた。

「あっ! あっ、あっ、あっ!」

 避けようとしても強制的に視覚に収まる扇情的な魔女の奉仕、愛撫。汗が顎先を滴り落ち、男の理性が快楽に呑まれるその寸前。

 ――この人殺し、悪魔!

「あっ……」

 頭の片隅、冷水を浴びせてきたのはあの日の幼い子供だった。そして目の前でうずくまる男を指差し、問いただしはじめる。

 おい、何やってるんだよ。お前は本当にそれでいいのか? 求めても誰も傷つけない? ぼくは傷つかない? 本当に、絶対に? 思い出してみろよ。求めて、得られなかった虚しさ、絶望、苦しみ、孤独をさ。ほら。

 無造作に叩きつけられた記憶の欠片。男の人生に刻まれた、刻んできた、戒め。胸に刺さる視線、暴言の数々。

 ――そいつだって他の奴らと一緒だよ。いつかぼくを、あんな風に傷つけるんだ。

※※※

「ん、あれ?」

「……どうした」

 魔女は首を傾げ、唇に指を当てる。

「何これ」

 そして三度みたび確かめるようにモノを咥えなおした。ストロークを深め吸い付き、少し前まで悦んでいたはずの愛撫を繰り返す。

「……」

 男に反応はない。暫く繰り返した後、魔女は口を離し呟いた。

「これって……」

 唾液が垂れる口元を拭って、魔女はすっかり冷めた男の瞳を見る。

「……君、やっぱり精神的な射精障害を抱えているな?」

 時計を見た男は答えない。残り約五分を問答で使い切れるのなら、好都合だからだ。

「前より絶対に、性感帯の開発は進んでいるはずなのに、伝わってくる感度にムラがありすぎる。ここまで蓄積させた快感もこれ以上貯まらない。あふれ防止の穴でも空いているみたいに」

 指での弄りを止めず魔女は言葉を続けた。

「おかしいと思ってたんだ……。君、昨日の夜みたいに……自分でする時もたまに失敗してたんだろ。じゃないと“役に立たないかも知れない”なんて、わかるはずが……ない……」

 その口から、歯軋りの音が鳴る。そして魔女は俯き、肩と声を震わせた。

「もっと早くこのことに気付いていれば……!」

 少しの沈黙の後、その頭上に降り注ぐ冷えた声。

「お前は何を言っているんだ? こんなでも俺は困っていないし、お前には関係ないことだ。ほら、時計を見ろよ、後五分もないぜ? どうした? 俺を射精させるんじゃなかったのか?」

 続けざまに精一杯皮肉を込め、男は吐き捨てた。

「“このヘタクソ”」

 魔女は息を呑んだ。記憶にあるその表情を見て、体感して、知った、繋がった、理解した。

「アルトス……!」

 ブチブチと、魔女にしか聞こえない音が響く。青筋を立てて憤るその表情は、幸か不幸か男に見えない。

「私、そんな風に笑う君が嫌い……!」

 魔女は立ち上がり跨ぐ。向かい合って男の膝の上に乗り、タイトワンピースの裾を捲った。それを見せるために。

「見て。ここ」

「あ、赤……?」

 股の間、ぐっしょりと濡れた赤色の下着が、揺れる男の瞳に映っていた。

「こっちの感覚共有は活きてるからね。君の“気持ちいい”は全部伝わってるの」

 耳元に唇を寄せ、甘く囁く。

「だから……、私のこんなにトロトロになっちゃった……」

「なっ……!!」

 挑発的な言葉。男の背筋に、ゾクリとした何かが走った。

「君はどうしたい? ……挿れたい?」

「そ、……ない!!」

「じゃあ君が挿れたくなったらいつでも挿れて。今日はこれで我慢してあげるから」

 魔女は顔を離して立ち膝になると、男の肩に左手を置き、右手で男のモノを握る。

「ま、待て! 何をする気だ!」

 そしてピッタリと、蜜口に猛るそれを添わせた。下着に邪魔され決して侵入することはない。だが、間接的にお互いの体液が混じり合う。

「は、え、はぁ? ま、待て待て!」

 嫌な予感に、男は慌てた。魔女の雰囲気が獣に変わる。吊り上がった唇がしゅを唱えた。

「再開して」

 それは男にとって、最恐の呪いの言葉。擦り付けるように魔女が腰を上下に動かし始め――。

「あっ!? あっ、あっ、あっ! んあっ!! え!? なっ、まっ、ああっ!?」

 嬌声が、男の口から漏れ出す。

「な、なんで!! あっ、あっ!? あっ、あっ、あっ! ん、あっ、あああっ!!」

 驚愕に見開かれた瞳。だらだらととめどない先走りがソファに垂れ始めた。

「そ、んな!? あん、あっあっ、や、めろ、やっ、め!! いやっ、あっあっ!!」

 ――き、気持ちいいっ、これ、マズい! 気持ち、きもちいい! ああっ!!

 強制的に与えられる快感。限界に向かってせり上がってくる、射精感。

「まてまて!! こ、この卑怯者!! まて、まって! あっ、あっ、んんん!!」

「いーや、卑怯者は君だ。これは罰だ。私は感覚共有を使わないなんて一言も言っていない。前提条件をちゃんと確認しなかった自分を恨め」

 ビクビクと跳ねる男の半身を自分の芽に押し付け、魔女は自慰をしていた。トロトロと溢れる愛液で滑りが良くなり、ヌチャヌチャと卑猥な音が大きく響く。

 男に頬を擦り寄せ、魔女は吹き込むように耳元で喘いだ。

「アルトス、  。アルトス   ……!」

「そんな風に、おれを、呼ぶなぁ!!」

 ――駄目だダメだだめだ! 達したら、これを覚えたら駄目だ!!

「わかった! 俺が悪かった!! 俺の、負けで、いい! あっ、あっ! かくまうっ、かくま、うっ、からぁ!! やめ、おわりっ、おわりに!!」

 魔女の荒い吐息、まれる耳、頬。柔肌に体温、花の香り。

「ん、ふふ! 後二十秒だよ、アルトス」

 急に目の前にぶら下げられた、希望。

「えっ、はっ、はっ! んんっ!」

 それならと、必死に堪えようと男は試みた。動かない腕、腰、筋肉に力を入れ射精感を耐える。少しでも欲を煽る要素を遮断しようと、強く目を瞑った。

 でもこれ、俺が我慢してどうにかなる話なのか!?

 思考を回して、そんな疑問にぶち当たった男に魔女は笑った。

「じゅーう、きゅーう、はーち、なーな」

 だめだ、イく、イく!

「ろーく、ごーお、よーん」

 だめ、だめっ、いく! いくイく!

「さーん、にーい、いーち」

 いく、イくイクイク!!

「ぜ――」

 こんなの、がまん、できなっ!! もういい、イくイク!!

「も、もう、出す! だす、出るううううう!!」

 男はいつの間にか解けた拘束に、魔女を掻き抱いて腰を振った。ギシギシとソファが軋み、膨張したモノがグリリと魔女を刺激して。

「イクっ、でるっっ!!」

「ああっ!! アルトスぅっ……!!」

「あっ、あーー!! あああああああああ!!!」

 排尿感に似た、全身を駆け巡る甘い奔流。二人は抱き締め合って、お互いに身体を震わせた。男は自身からほとばしる射精感に酔いしれる。

「いっ、いってる、いっ……! あっ、あっ、あっ、ああっ……!! はあっ、あっ、……ああっ……!!」

 止まらない腰、押しつける猛り。びゅるびゅると熱い白濁が、お互いの腹部をドロドロと汚し撫でていった。

「んっ、あっ、あっ……、あっ……、あぁ……」

 魔女を抱き締めたまま、辛うじて理性をかき集めた男は息も絶え絶え、願う。

「お、俺の、勝ちだ……! ……もう、匿ってやっても、良いからっ……、もう二度と、こんな悪戯をやめろ……!! こ、こんなの……!!」

 ぐったりと男に体重を預ける魔女は鼻で笑うと、腕の中で振り返り時計を指差した。

「ふふ……。アルトス、ちゃんと見て」

「え……?」

 その白い指の先を追って視線を上げる、男は衝撃で口の開閉を繰り返した。

「……え、そ、そんな、は? え? な、なんで……?」

 ――その時計はたった今、長針と秒針がてっぺんを指したところだった。

「私はイくまでに“後二十秒”と言っただけだ」

「は?」

「それを勝手に勘違いした君が悪い。私の勝ち」

 魔女は甘く、男の頬に口付けた。

 ――そんな!!

「う、嘘つき、卑怯者!!」

「嘘つき、ねぇ……。これさ、実は私のアイディアじゃないんだ」

 心底嬉しそうな魔女が指を鳴らすと、お互いの汗と体液にまみれた身体が綺麗に浄化されていく。

「……酷い……」

 余韻で頬が赤く色付いたままの男は魔女を腕から解放すると、背もたれに体重を預け天井を見上げた。どうやら放心しているようだ。

「考えた奴……、相当腹黒いな……」

「――そうね。私も同感だよ、アルトス」

 魔女は満足そうに笑った。
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