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婚約破棄までにしたい10のこと
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デイジーは聞いてしまった。
婚約者のルークがピンク髪の女の子に言い聞かせている。
「フィービー、もう少しだけ待ってくれ。次の夜会でデイジーに婚約破棄を伝えるから。そうすれば、次はフィービーが正式な婚約者だ。私の真実の愛は君だけだ」
「ルーク、分かった。アタシ、ルークを信じて待ってる」
ふたりはヒシッと抱き合う。
お熱いふたりと対照的に、デイジーの心は氷のように冷え切った。
屋敷に戻ったデイジーは自室で机に向かう。怒りの炎が燃え盛らないよう、心の中に吹雪を起こしながら、紙に綴った。
『婚約破棄までにしたい10のこと』
1. 女友だちと飲んだくれる
馬車で三つの屋敷をまわり、友だちを乗せてまた自分の屋敷に戻ってきた。
「さあ、飲もうか」
「一番いい酒持ってきたよ」
「同じく」
「乾杯」
四人で飲み干す。
「くっ、ルークのやつ。許さん。顔がいいから、たいていのことは許してきたけど、あれはあかん」
「せやな。うちら、辺境女子をコケにしたらどうなるか、分からせなあかんな」
「うちら、田舎者と蔑まれてきたけど、猫をかぶって都会に溶け込んできたのにさあ」
「そうそう、かわいくてかよわい女の子がいいってぬかすから、仕方なくぶりっこしてきたんじゃん」
四人は辺境女子。王都から遠く離れた、東西南北からやってきた田舎者だ。おかげで気があって仲良くしている。
「でさ、こうなったら婚約破棄イベントをめいっぱい盛り上げてやろうと思っててさ」
「逆にな」
「ええやん」
「策を聞かせろ」
「まずはピンク髪のことを調べつくす」
「オッケー」
2. ピンク髪を調べつくす
我ら辺境女子。化粧を落として、カツラをかぶって、男物の服を着れば、どこにでも溶け込める。
ピンク髪フィービーの家にもぐりこみ、フィービーの私室、フィービー父の書斎、フィービー母の衣装棚を調べつくし、最後に貯蔵室からよさげな酒をいただいてきた。
「飲まなやってられん」
「デイジーちゃん、飲んでもいいけど、いただいてきた書類や手紙に目を通してくれたまえ」
西の辺境女子が紙の束を掲げる。
南方女子が手紙を読んで高らかに言った。
「やっだー、ラブレターはっけーん」
「読み上げて」
デイジーが低い声で言うと、北方女子が南方女子の手から手紙を奪い、豊かな声で読み上げる。
「フィービー、愛しい君。君のことを思うと夜も眠れない。君の髪は絹のようになめらか。君の瞳は夜空にまたたく星々のごとく。君の──」
「よこしな」
デイジーは手紙を奪うと、マッチをこすって火をつけ、酒を口に含むと、手紙とマッチを投げた。
ブーッと口の中の酒を手紙とマッチに吹きかけた瞬間、さっと手紙が回収される。
「こらこら、これは証拠だから燃やしちゃいかんし」
デイジーの口から放たれた炎は、マッチだけを燃やして消えた。
「ちっ」
「こらこら、女子がちっとか言わないよ」
「はあー、やってられん。こちとら、ルークの好みに合わせてかわいい女子を演じてきたのに。まったくの無意味。無駄骨。もうやめるわ」
デイジーはピンクのフリフリドレスを脱いだ。
3. 好きな格好をする
デイジーはなじみの仕立て屋のところに辺境女子たちと押し掛ける。
「デイジーお嬢様、皆々様、ようこそいらっしゃいました」
店主がにこやかに迎えてくれる。
「お願いがあるの。ピンクのフリフリじゃない、動きやすくてかっこいい系の服を仕立ててほしいの」
「承知いたしました」
店主からの質問に答え、色んな布を体に当て、体のあらゆる部分を採寸し、お金を払った。
一見スカートのようだけど、実は幅広のズボンという新しい服を作ってもらえた。
「キュロットスカートですわ」
「最高。これならいざというとき、さっと馬にまたがれるわ」
「デイジーお嬢様、皆々様、とてもよくお似合いでいらっしゃいますわ」
「ありがとう。では、夜会用のかっこいいドレスもお願いね」
「お任せくださいませ」
どんなドレスができるか楽しみだ。
4. 親族に伝える
デイジーの親は東方の辺境にいる。王都では、叔父の屋敷に居候させてもらっている。
まずは、叔父にちゃんと話をしなければならない。
デイジーは書斎に入っていった。
「叔父さま、お話があります」
「婚約破棄のことか」
「な、なぜそれを」
「あれだけ飲んだくれて泣き喚いていて何を言うか。屋敷中の者が知っておるわ」
「くっ、しまった」
「屋敷の者は一族に忠誠を誓っているから問題ない。で、どうするつもりだ」
デイジーは辺境女子たちと立てた計画を話す。叔父は黙って聞いたあと、「分かった。好きにしろ。何があろうと、なんとかしてやる」と言ってくれた。
辺境は厳しい土地。辺境出身者は一族の絆が強いのだ。
親に手紙を書いたら、すぐに返事が来た。辺境女子たちの計画を更に補強するようなあれやこれやの案がびっしりと書かれてあった。武闘派の親で実に心強い。
デイジーは燃えた。
5. 他の男をみつける
「いやー、マジでびっくりよ」
「まさか、全員の婚約者がピンク髪フィービーの毒牙にかかっていたとは」
「うちらの目は節穴」
「全員で、新しい男をみつけようー、おー」
辺境女子四人は円陣を組んで心をひとつにする。
「まあ、まずは一杯」
デイジーの叔父がくれたとてもお高いお酒を皆で味わう。
「ういー、しみるわー」
「叔父さま、太っ腹。こんないいお酒くれるなんて」
「でもさー、夜会までに新しい男をみつけるって、まずもって無理じゃね」
「それな」
厳しい現実から目をそらすため、いや、向き合うため、女子たちはまた酒をあおる。
「やっぱさ、男はピンク髪ゆるふわモテ女子がいいんだよね」
「我々、隠し切れない屈強さがあるもんね」
「厳しい辺境生活ではぐくまれた鋼の体と心がにじみ出ちゃうよね」
「はあー、飲まなきゃやってられん」
酒をなめなめ、案を出し合う。酒ビンが空になっても、これぞというのは出てこなかった。
「うん、やっぱり親に相談しよう」
「そうしよう」
「早馬出さなきゃ」
「手紙手紙ー」
辺境女子たちは、それぞれの領地に早馬を出した。「至急、新しい男をご用意されたし」と。
6. 思い出の品を燃やす
辺境女子たちは、庭でたき火を囲んでいる。
「初めてもらったバラの花。押し花にしてたんだ。だって、嬉しかったんだもん。乙女心を踏みにじりやがって、あいつー。燃えてしまえ」
デイジーは押し花を握りつぶし、炎の中に投げた。火の粉が舞い、デイジーの前髪をわずかに焼いた。
「初めてのデートでもらった髪飾り、もうつけない」
西方女子は、髪から赤い髪飾りをはずし、たき火の中に投げる。
「もらった手紙、毎日読み返してたけど、燃やしてやる。ついでにあいつも燃やしたいー」
南方女子は、手紙をびりびりに破いて、火にくべた。
「会えない時もお互いを思おう。そんな甘い言葉いいやがってー。バカバカバーカ」
北方女子は婚約者の髪ひと束をたき火の上からばらまいた。
7. 思いっきり泣く
「くやしいけど、好きだったんだよなー。あの顔で見つめられたらなんも言えんかった」
「都会的センスあふれる上品男子にメロメロだったのに」
「甘い言葉は言ってくれないけど、手紙はまめにくれるところにキュンとしてた」
「キザな仕草も絵になるところ、いつもドキドキしてた」
うわーん。それぞれ、思い思いに泣いた。
8. おいしいものを食べる
酒をあびるように飲み、思いっきり泣いて、辺境女子たちはすっかり痩せてしまった。
「今なら、ケーキを食べまくっても罪悪感ないよね」
「うちは屋台の肉系がいい」
「ほくほくのじゃがいもにチーズをたっぷりかけて食べまくってやる」
「大盛りパスタしか勝たん」
全員が、全員の食べたいものにつきあう。
9. 根回し
「ごきげんよう。ええ、次回の夜会のことなんですけどー」
「そうなんです、ご理解いただけると助かりますー」
「ええ、もちろん、タダでとは申しませんわ」
「あら、フフフ、そうですね。父がよろしく、と。ええ」
辺境女子たちはあらゆる伝手を使って、貴族家を回った。金とコネと武力、そのほかなんでも、使えるものは全て使った。
10. よく寝る
なかなか眠れない日々を過ごしていたデイジーだったが。夜会の前日は領地から送られてきた強い安眠茶を飲んで、ぐっすりと寝た。
ルークとフィービーの抱き合ってる夢も見ず、朝まで熟睡できた。
目覚めたとき、頬が涙で濡れているということもなかった。
久しぶりに、目の下のクマが消えた。
「よし、やるぞ」
デイジーは、夜会に向けて最後の仕上げをしていく。
***
仕立て屋が腕によりをかけて作ってくれた紺色のドレス。シンプルでかっこいい。
ルークの前ではいつも髪はおろしていた。長い髪は、唯一デイジーが女っぽいと思えるものだったから。
でも、今日はポニーテールにした。首回りがすっきりして、似合っていると思う。
辺境女子四人で腕を組んで、堂々と会場に入っていく。
会場の奥ではルークとフィービーがイチャイチャしている。その周りに、辺境女子たちの婚約者も揃っていた。
ギリッと一瞬、奥歯がイヤな音を立てたけど、デイジーはすぐに笑顔を浮かべる。
ルークはちらりとデイジーを見て、表情を引き締めた。隣のフィービーは勝ち誇った顔をしている。
音楽が始まり、ルークとフィービーが踊り始めた。
周囲はざわめく。最初は婚約者と踊るのが普通だから。仲睦まじいふたりと、笑顔を張りつけるデイジーに注目が集まる。
ふたりのダンスが終わり、次の曲が始まった。デイジーと辺境女子たちは、それぞれ、親が送り込んできた新たな男と踊り始める。
周りのささやきは、さらに大きくなっていった。
「あら、あのデイジー様のお相手はどなたかしら?」
「初めて見るお顔ですわ。でも、精悍で素敵ですわね」
「ルーク様が静なら、あの殿方は動といった感じでしょうか」
耳をすまして、できる限りのひそひそを聞き取る。よしよし、評判はいいみたい。
「アレク様、茶番におつきあいいただき、ありがとうございます」
「デイジー様、他人行儀はやめてください。オレと君の仲じゃないですか」
「あら、確かに領土は近かったですけれど、接点はそれほどございませんでしたもの」
「君がさっさと王都に行ってしまったから。オレには君を口説くスキもなかった。でも、あのアホの婚約者のおかげで、オレにもチャンスが巡ってきた。オレだったら、君を悲しませたりしない」
「まあ、情熱的ですわ」
演技がお上手ですこと。心の中でつぶやくと、アレクが顔をぐっと近づけて耳元でささやく。
「オレは本気だ。茶番なんかでは終わらせない。君の気持ちをオレに向けさせるためなら、なんでもする」
「アレク様」
「よければ、アレクと呼んでくれないか」
「まあ、アレク。では、デイジーと呼んでくださいませ」
「光栄だ、デイジー」
アレクは踊りながらすばやくデイジーの頬にキスをした。
キャーと周囲から歓声が上がる。
デイジーはキスをされた頬が熱くなるのを感じた。
やだ、どうしよう。本当に情熱的。ルークにはこんなことされたことなかったのに。
ふと、ルークと目が合った。ルークの目に怒りが見える。
あら、怒ってるわ。あなたが先にしかけたことじゃない、怒る権利なんてないわよ。
デイジーはアレクだけに目を向け、ダンスを楽しんだ。厳しい土地で鍛えた者同士、どんな激しいステップでも難なく踏める。
デイジーとアレクは、観衆の視線をひとりじめにした。
音楽が終わり、お辞儀をすると、割れんばかりの拍手が起こる。
「デイジー様、素晴らしいダンスでしたわ」
「足さばきが見事でした。今度ダンスを教えてくださらないかしら」
「わたくしの夜会にも参加していただきたいですわ」
「新しいドレスが素敵ですわ、ホレボレいたしましたわ」
「まあ、ありがとうございます」
デイジーがにこやかに答えると、後ろの方で甘ったるい声が聞こえる。
「ねえ、ルークさまぁ。もういいでしょう?」
「ああ、そうだな」
ルークが咳払いをしてから話し始めた。
「デイジー、第一王子の私という婚約者がいながら、他の男と踊るとは。とんだ浮気女だ。そのような者、私の婚約者にはふさわしくない。そなたとの婚約は破棄する」
人を踏みつけることに何も感じていなさそうな傲慢顔のルークと、人の不幸は蜜の味を体現するかのような笑顔のフィービー。
デイジーは西方女子から渡された手紙を開く。
「浮気女とおっしゃいましたが、その言葉、そっくりそのままお返ししますわ。こちらはルーク殿下からフィービー嬢への手紙です。読み上げます」
デイジーは大きな声で朗読する。
「フィービー、愛しい君。君のことを思うと夜も眠れない。君の髪は絹のようになめらか。君の瞳は夜空にまたたく星々のごとく。君の──」
「やめろ」
ルークの顔が赤くなっている。照れだろうか、いや、田舎娘に歯向かわれてムカついているのだろう。
「浮気男はルーク殿下ですし、浮気女とはフィービーさんですわね」
南方女子から紙を受け取る。
「フィービーさん、殿下だけではなく側近の皆さまともデートされてますわね。ちなみに殿下の側近の方々はわたくしの友人の婚約者でもあるのですが」
フィービーの顔が真っ青になる。
「目撃情報を読み上げます。王都で人気の雑貨店で殿下の赤毛側近がフィービーさんとデート」
南方女子が赤毛の婚約者をじっとりと見つめる。赤毛男はさっと目をそらした。
北方女子が次の紙を渡してくれる。
「目撃情報ふたつめ、殿下の黒毛側近がフィービーさんと舞台観劇。異様な距離の近さが気になったとのこと」
北方女子が黒毛の婚約者に舌打ちする。黒毛男は目を閉じた。
西方女子から紙をもらう。
「目撃情報みっつめ、殿下の金髪側近がフィービーさんと湖でボートに乗っていた。キャッキャウフフとはこのことかと思った、とのこと」
西方女子が無表情で金髪婚約者を見る。金髪婚約者はさっとルークの後ろに隠れた。
「お盛んですわね、驚きます。ルーク殿下ときたら、まあもうなんと懐の深い。真実の愛の相手を側近と共有なさるのですね。皆さん、殿下とフィービーと側近の皆さんの、真実の愛に拍手をお願いいたします」
デイジーが促すと、パラパラと拍手が起こり、徐々に耳が痛くなるほどの音になっていった。
「黙れー」
「黙るのはあなたですわ、殿下」
デイジーが遮る。
「ええ、婚約破棄をいたしましょう。わたくし、殿下とフィービーさんと愉快な仲間たちのひとりになるつもりはございませんもの。わたくしたち辺境女子をコケになさったことの重み、思い知っていただきましょう」
デイジーとアレク、辺境女子たちが新しいパートナーと共にルークの前に並ぶ。
夜会会場はピンが落ちても聞こえるぐらい、静まり返った。
「わたくしの新しい婚約者になる方ですわ」
「東の国の第三王子、アレクだ」
「なっ」
アレクの言葉にルークが一歩下がる。
「私は西の国の第四王子」
「南の国の第五王子」
「そして、北の国の第六王子」
新しいパートナーたちのオーラが急に大きくなる。圧倒的な存在感。周囲の女子たちの目がハートになった。
「わたくしたち、心配なのですわ。調べましたところ、ルーク殿下はフィービーさんの生家に多額の補助金を出されてますわよね」
「税金を私利私欲で使うのはよろしくありませんわ」
「我ら辺境女子、愛国心は人一倍に強いのです」
「だからこそ、なおのこと不安です。この国にこのまま住んでいて、大丈夫かしらって、ねえ」
辺境女子たちは、心配そうに顔を振る。
デイジーはルークに向かって朗らかに告げる。
「我が領地は、アレクのお父上から国替えしないかと打診されてますのよ」
「わたくしの領地も、西の国からお話をされました」
「同様に南の国から、ええ」
「同じく北の国から、ほほほ」
東西南北、それぞれの辺境領地が隣国に国替えすると、この国の領土は劇的に小さくなる。
ルークがいかにアホの子でも、それぐらいは分かったのだろう。ルークはぺたんと床にへたりこんだ。
「でもねえ、わたくしたち辺境女子、親友なのです。ですから国は替えたくないのですわ」
「ね」
四人の辺境女子が仲良くうなずきあう。
「ですから、わたくしたち、新しい婚約者とこのまま王都で暮らすことにいたしました」
「ええ、税金の使い道はきっちり観察させていただきますわ」
「我が国の王族が忠誠を誓う貴族をないがしろにしたり、民を虐げたら、どうしようかしら」
「婚約者と未来の義父に相談するのがいいと思いますわ、ねえ」
四人の辺境女子と隣国の王子たちは、アハハウフフと笑いあう。
会場からまた大きな拍手が起こった。拍手は長い間続き、なかなか止まらなかった。
国王夫妻が地方領地を巡っている間に勝手に行われた婚約破棄イベント。
その結果、国防の要である辺境領地を四つも失う瀬戸際であったこと。
国王夫妻は激怒し、ルーク第一王子は廃嫡され、フィービーの生家でひっそりと暮らすことになった。
フィービーは、王妃になれなくてブーブー言っていたが、王族とあらゆる貴族から軽蔑されて震えあがった両親に、四六時中監視され、男遊びはやめた。
ルーク王子の側近たちは、親から大目玉をくらい、蟄居している。浮気グセがあり、将来が真っ暗な元側近たち。もう、新しい婚約者ができることもないだろう。
もしもあの時、浮気をしなければ。ルーク王子と側近たちは思ったが、時すでに遅しである。
ああ、辺境女子。コケにしたらあきません。
王族から貴族の隅々まで、そのことを肝に銘じたのであった。
婚約者のルークがピンク髪の女の子に言い聞かせている。
「フィービー、もう少しだけ待ってくれ。次の夜会でデイジーに婚約破棄を伝えるから。そうすれば、次はフィービーが正式な婚約者だ。私の真実の愛は君だけだ」
「ルーク、分かった。アタシ、ルークを信じて待ってる」
ふたりはヒシッと抱き合う。
お熱いふたりと対照的に、デイジーの心は氷のように冷え切った。
屋敷に戻ったデイジーは自室で机に向かう。怒りの炎が燃え盛らないよう、心の中に吹雪を起こしながら、紙に綴った。
『婚約破棄までにしたい10のこと』
1. 女友だちと飲んだくれる
馬車で三つの屋敷をまわり、友だちを乗せてまた自分の屋敷に戻ってきた。
「さあ、飲もうか」
「一番いい酒持ってきたよ」
「同じく」
「乾杯」
四人で飲み干す。
「くっ、ルークのやつ。許さん。顔がいいから、たいていのことは許してきたけど、あれはあかん」
「せやな。うちら、辺境女子をコケにしたらどうなるか、分からせなあかんな」
「うちら、田舎者と蔑まれてきたけど、猫をかぶって都会に溶け込んできたのにさあ」
「そうそう、かわいくてかよわい女の子がいいってぬかすから、仕方なくぶりっこしてきたんじゃん」
四人は辺境女子。王都から遠く離れた、東西南北からやってきた田舎者だ。おかげで気があって仲良くしている。
「でさ、こうなったら婚約破棄イベントをめいっぱい盛り上げてやろうと思っててさ」
「逆にな」
「ええやん」
「策を聞かせろ」
「まずはピンク髪のことを調べつくす」
「オッケー」
2. ピンク髪を調べつくす
我ら辺境女子。化粧を落として、カツラをかぶって、男物の服を着れば、どこにでも溶け込める。
ピンク髪フィービーの家にもぐりこみ、フィービーの私室、フィービー父の書斎、フィービー母の衣装棚を調べつくし、最後に貯蔵室からよさげな酒をいただいてきた。
「飲まなやってられん」
「デイジーちゃん、飲んでもいいけど、いただいてきた書類や手紙に目を通してくれたまえ」
西の辺境女子が紙の束を掲げる。
南方女子が手紙を読んで高らかに言った。
「やっだー、ラブレターはっけーん」
「読み上げて」
デイジーが低い声で言うと、北方女子が南方女子の手から手紙を奪い、豊かな声で読み上げる。
「フィービー、愛しい君。君のことを思うと夜も眠れない。君の髪は絹のようになめらか。君の瞳は夜空にまたたく星々のごとく。君の──」
「よこしな」
デイジーは手紙を奪うと、マッチをこすって火をつけ、酒を口に含むと、手紙とマッチを投げた。
ブーッと口の中の酒を手紙とマッチに吹きかけた瞬間、さっと手紙が回収される。
「こらこら、これは証拠だから燃やしちゃいかんし」
デイジーの口から放たれた炎は、マッチだけを燃やして消えた。
「ちっ」
「こらこら、女子がちっとか言わないよ」
「はあー、やってられん。こちとら、ルークの好みに合わせてかわいい女子を演じてきたのに。まったくの無意味。無駄骨。もうやめるわ」
デイジーはピンクのフリフリドレスを脱いだ。
3. 好きな格好をする
デイジーはなじみの仕立て屋のところに辺境女子たちと押し掛ける。
「デイジーお嬢様、皆々様、ようこそいらっしゃいました」
店主がにこやかに迎えてくれる。
「お願いがあるの。ピンクのフリフリじゃない、動きやすくてかっこいい系の服を仕立ててほしいの」
「承知いたしました」
店主からの質問に答え、色んな布を体に当て、体のあらゆる部分を採寸し、お金を払った。
一見スカートのようだけど、実は幅広のズボンという新しい服を作ってもらえた。
「キュロットスカートですわ」
「最高。これならいざというとき、さっと馬にまたがれるわ」
「デイジーお嬢様、皆々様、とてもよくお似合いでいらっしゃいますわ」
「ありがとう。では、夜会用のかっこいいドレスもお願いね」
「お任せくださいませ」
どんなドレスができるか楽しみだ。
4. 親族に伝える
デイジーの親は東方の辺境にいる。王都では、叔父の屋敷に居候させてもらっている。
まずは、叔父にちゃんと話をしなければならない。
デイジーは書斎に入っていった。
「叔父さま、お話があります」
「婚約破棄のことか」
「な、なぜそれを」
「あれだけ飲んだくれて泣き喚いていて何を言うか。屋敷中の者が知っておるわ」
「くっ、しまった」
「屋敷の者は一族に忠誠を誓っているから問題ない。で、どうするつもりだ」
デイジーは辺境女子たちと立てた計画を話す。叔父は黙って聞いたあと、「分かった。好きにしろ。何があろうと、なんとかしてやる」と言ってくれた。
辺境は厳しい土地。辺境出身者は一族の絆が強いのだ。
親に手紙を書いたら、すぐに返事が来た。辺境女子たちの計画を更に補強するようなあれやこれやの案がびっしりと書かれてあった。武闘派の親で実に心強い。
デイジーは燃えた。
5. 他の男をみつける
「いやー、マジでびっくりよ」
「まさか、全員の婚約者がピンク髪フィービーの毒牙にかかっていたとは」
「うちらの目は節穴」
「全員で、新しい男をみつけようー、おー」
辺境女子四人は円陣を組んで心をひとつにする。
「まあ、まずは一杯」
デイジーの叔父がくれたとてもお高いお酒を皆で味わう。
「ういー、しみるわー」
「叔父さま、太っ腹。こんないいお酒くれるなんて」
「でもさー、夜会までに新しい男をみつけるって、まずもって無理じゃね」
「それな」
厳しい現実から目をそらすため、いや、向き合うため、女子たちはまた酒をあおる。
「やっぱさ、男はピンク髪ゆるふわモテ女子がいいんだよね」
「我々、隠し切れない屈強さがあるもんね」
「厳しい辺境生活ではぐくまれた鋼の体と心がにじみ出ちゃうよね」
「はあー、飲まなきゃやってられん」
酒をなめなめ、案を出し合う。酒ビンが空になっても、これぞというのは出てこなかった。
「うん、やっぱり親に相談しよう」
「そうしよう」
「早馬出さなきゃ」
「手紙手紙ー」
辺境女子たちは、それぞれの領地に早馬を出した。「至急、新しい男をご用意されたし」と。
6. 思い出の品を燃やす
辺境女子たちは、庭でたき火を囲んでいる。
「初めてもらったバラの花。押し花にしてたんだ。だって、嬉しかったんだもん。乙女心を踏みにじりやがって、あいつー。燃えてしまえ」
デイジーは押し花を握りつぶし、炎の中に投げた。火の粉が舞い、デイジーの前髪をわずかに焼いた。
「初めてのデートでもらった髪飾り、もうつけない」
西方女子は、髪から赤い髪飾りをはずし、たき火の中に投げる。
「もらった手紙、毎日読み返してたけど、燃やしてやる。ついでにあいつも燃やしたいー」
南方女子は、手紙をびりびりに破いて、火にくべた。
「会えない時もお互いを思おう。そんな甘い言葉いいやがってー。バカバカバーカ」
北方女子は婚約者の髪ひと束をたき火の上からばらまいた。
7. 思いっきり泣く
「くやしいけど、好きだったんだよなー。あの顔で見つめられたらなんも言えんかった」
「都会的センスあふれる上品男子にメロメロだったのに」
「甘い言葉は言ってくれないけど、手紙はまめにくれるところにキュンとしてた」
「キザな仕草も絵になるところ、いつもドキドキしてた」
うわーん。それぞれ、思い思いに泣いた。
8. おいしいものを食べる
酒をあびるように飲み、思いっきり泣いて、辺境女子たちはすっかり痩せてしまった。
「今なら、ケーキを食べまくっても罪悪感ないよね」
「うちは屋台の肉系がいい」
「ほくほくのじゃがいもにチーズをたっぷりかけて食べまくってやる」
「大盛りパスタしか勝たん」
全員が、全員の食べたいものにつきあう。
9. 根回し
「ごきげんよう。ええ、次回の夜会のことなんですけどー」
「そうなんです、ご理解いただけると助かりますー」
「ええ、もちろん、タダでとは申しませんわ」
「あら、フフフ、そうですね。父がよろしく、と。ええ」
辺境女子たちはあらゆる伝手を使って、貴族家を回った。金とコネと武力、そのほかなんでも、使えるものは全て使った。
10. よく寝る
なかなか眠れない日々を過ごしていたデイジーだったが。夜会の前日は領地から送られてきた強い安眠茶を飲んで、ぐっすりと寝た。
ルークとフィービーの抱き合ってる夢も見ず、朝まで熟睡できた。
目覚めたとき、頬が涙で濡れているということもなかった。
久しぶりに、目の下のクマが消えた。
「よし、やるぞ」
デイジーは、夜会に向けて最後の仕上げをしていく。
***
仕立て屋が腕によりをかけて作ってくれた紺色のドレス。シンプルでかっこいい。
ルークの前ではいつも髪はおろしていた。長い髪は、唯一デイジーが女っぽいと思えるものだったから。
でも、今日はポニーテールにした。首回りがすっきりして、似合っていると思う。
辺境女子四人で腕を組んで、堂々と会場に入っていく。
会場の奥ではルークとフィービーがイチャイチャしている。その周りに、辺境女子たちの婚約者も揃っていた。
ギリッと一瞬、奥歯がイヤな音を立てたけど、デイジーはすぐに笑顔を浮かべる。
ルークはちらりとデイジーを見て、表情を引き締めた。隣のフィービーは勝ち誇った顔をしている。
音楽が始まり、ルークとフィービーが踊り始めた。
周囲はざわめく。最初は婚約者と踊るのが普通だから。仲睦まじいふたりと、笑顔を張りつけるデイジーに注目が集まる。
ふたりのダンスが終わり、次の曲が始まった。デイジーと辺境女子たちは、それぞれ、親が送り込んできた新たな男と踊り始める。
周りのささやきは、さらに大きくなっていった。
「あら、あのデイジー様のお相手はどなたかしら?」
「初めて見るお顔ですわ。でも、精悍で素敵ですわね」
「ルーク様が静なら、あの殿方は動といった感じでしょうか」
耳をすまして、できる限りのひそひそを聞き取る。よしよし、評判はいいみたい。
「アレク様、茶番におつきあいいただき、ありがとうございます」
「デイジー様、他人行儀はやめてください。オレと君の仲じゃないですか」
「あら、確かに領土は近かったですけれど、接点はそれほどございませんでしたもの」
「君がさっさと王都に行ってしまったから。オレには君を口説くスキもなかった。でも、あのアホの婚約者のおかげで、オレにもチャンスが巡ってきた。オレだったら、君を悲しませたりしない」
「まあ、情熱的ですわ」
演技がお上手ですこと。心の中でつぶやくと、アレクが顔をぐっと近づけて耳元でささやく。
「オレは本気だ。茶番なんかでは終わらせない。君の気持ちをオレに向けさせるためなら、なんでもする」
「アレク様」
「よければ、アレクと呼んでくれないか」
「まあ、アレク。では、デイジーと呼んでくださいませ」
「光栄だ、デイジー」
アレクは踊りながらすばやくデイジーの頬にキスをした。
キャーと周囲から歓声が上がる。
デイジーはキスをされた頬が熱くなるのを感じた。
やだ、どうしよう。本当に情熱的。ルークにはこんなことされたことなかったのに。
ふと、ルークと目が合った。ルークの目に怒りが見える。
あら、怒ってるわ。あなたが先にしかけたことじゃない、怒る権利なんてないわよ。
デイジーはアレクだけに目を向け、ダンスを楽しんだ。厳しい土地で鍛えた者同士、どんな激しいステップでも難なく踏める。
デイジーとアレクは、観衆の視線をひとりじめにした。
音楽が終わり、お辞儀をすると、割れんばかりの拍手が起こる。
「デイジー様、素晴らしいダンスでしたわ」
「足さばきが見事でした。今度ダンスを教えてくださらないかしら」
「わたくしの夜会にも参加していただきたいですわ」
「新しいドレスが素敵ですわ、ホレボレいたしましたわ」
「まあ、ありがとうございます」
デイジーがにこやかに答えると、後ろの方で甘ったるい声が聞こえる。
「ねえ、ルークさまぁ。もういいでしょう?」
「ああ、そうだな」
ルークが咳払いをしてから話し始めた。
「デイジー、第一王子の私という婚約者がいながら、他の男と踊るとは。とんだ浮気女だ。そのような者、私の婚約者にはふさわしくない。そなたとの婚約は破棄する」
人を踏みつけることに何も感じていなさそうな傲慢顔のルークと、人の不幸は蜜の味を体現するかのような笑顔のフィービー。
デイジーは西方女子から渡された手紙を開く。
「浮気女とおっしゃいましたが、その言葉、そっくりそのままお返ししますわ。こちらはルーク殿下からフィービー嬢への手紙です。読み上げます」
デイジーは大きな声で朗読する。
「フィービー、愛しい君。君のことを思うと夜も眠れない。君の髪は絹のようになめらか。君の瞳は夜空にまたたく星々のごとく。君の──」
「やめろ」
ルークの顔が赤くなっている。照れだろうか、いや、田舎娘に歯向かわれてムカついているのだろう。
「浮気男はルーク殿下ですし、浮気女とはフィービーさんですわね」
南方女子から紙を受け取る。
「フィービーさん、殿下だけではなく側近の皆さまともデートされてますわね。ちなみに殿下の側近の方々はわたくしの友人の婚約者でもあるのですが」
フィービーの顔が真っ青になる。
「目撃情報を読み上げます。王都で人気の雑貨店で殿下の赤毛側近がフィービーさんとデート」
南方女子が赤毛の婚約者をじっとりと見つめる。赤毛男はさっと目をそらした。
北方女子が次の紙を渡してくれる。
「目撃情報ふたつめ、殿下の黒毛側近がフィービーさんと舞台観劇。異様な距離の近さが気になったとのこと」
北方女子が黒毛の婚約者に舌打ちする。黒毛男は目を閉じた。
西方女子から紙をもらう。
「目撃情報みっつめ、殿下の金髪側近がフィービーさんと湖でボートに乗っていた。キャッキャウフフとはこのことかと思った、とのこと」
西方女子が無表情で金髪婚約者を見る。金髪婚約者はさっとルークの後ろに隠れた。
「お盛んですわね、驚きます。ルーク殿下ときたら、まあもうなんと懐の深い。真実の愛の相手を側近と共有なさるのですね。皆さん、殿下とフィービーと側近の皆さんの、真実の愛に拍手をお願いいたします」
デイジーが促すと、パラパラと拍手が起こり、徐々に耳が痛くなるほどの音になっていった。
「黙れー」
「黙るのはあなたですわ、殿下」
デイジーが遮る。
「ええ、婚約破棄をいたしましょう。わたくし、殿下とフィービーさんと愉快な仲間たちのひとりになるつもりはございませんもの。わたくしたち辺境女子をコケになさったことの重み、思い知っていただきましょう」
デイジーとアレク、辺境女子たちが新しいパートナーと共にルークの前に並ぶ。
夜会会場はピンが落ちても聞こえるぐらい、静まり返った。
「わたくしの新しい婚約者になる方ですわ」
「東の国の第三王子、アレクだ」
「なっ」
アレクの言葉にルークが一歩下がる。
「私は西の国の第四王子」
「南の国の第五王子」
「そして、北の国の第六王子」
新しいパートナーたちのオーラが急に大きくなる。圧倒的な存在感。周囲の女子たちの目がハートになった。
「わたくしたち、心配なのですわ。調べましたところ、ルーク殿下はフィービーさんの生家に多額の補助金を出されてますわよね」
「税金を私利私欲で使うのはよろしくありませんわ」
「我ら辺境女子、愛国心は人一倍に強いのです」
「だからこそ、なおのこと不安です。この国にこのまま住んでいて、大丈夫かしらって、ねえ」
辺境女子たちは、心配そうに顔を振る。
デイジーはルークに向かって朗らかに告げる。
「我が領地は、アレクのお父上から国替えしないかと打診されてますのよ」
「わたくしの領地も、西の国からお話をされました」
「同様に南の国から、ええ」
「同じく北の国から、ほほほ」
東西南北、それぞれの辺境領地が隣国に国替えすると、この国の領土は劇的に小さくなる。
ルークがいかにアホの子でも、それぐらいは分かったのだろう。ルークはぺたんと床にへたりこんだ。
「でもねえ、わたくしたち辺境女子、親友なのです。ですから国は替えたくないのですわ」
「ね」
四人の辺境女子が仲良くうなずきあう。
「ですから、わたくしたち、新しい婚約者とこのまま王都で暮らすことにいたしました」
「ええ、税金の使い道はきっちり観察させていただきますわ」
「我が国の王族が忠誠を誓う貴族をないがしろにしたり、民を虐げたら、どうしようかしら」
「婚約者と未来の義父に相談するのがいいと思いますわ、ねえ」
四人の辺境女子と隣国の王子たちは、アハハウフフと笑いあう。
会場からまた大きな拍手が起こった。拍手は長い間続き、なかなか止まらなかった。
国王夫妻が地方領地を巡っている間に勝手に行われた婚約破棄イベント。
その結果、国防の要である辺境領地を四つも失う瀬戸際であったこと。
国王夫妻は激怒し、ルーク第一王子は廃嫡され、フィービーの生家でひっそりと暮らすことになった。
フィービーは、王妃になれなくてブーブー言っていたが、王族とあらゆる貴族から軽蔑されて震えあがった両親に、四六時中監視され、男遊びはやめた。
ルーク王子の側近たちは、親から大目玉をくらい、蟄居している。浮気グセがあり、将来が真っ暗な元側近たち。もう、新しい婚約者ができることもないだろう。
もしもあの時、浮気をしなければ。ルーク王子と側近たちは思ったが、時すでに遅しである。
ああ、辺境女子。コケにしたらあきません。
王族から貴族の隅々まで、そのことを肝に銘じたのであった。
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