契約結婚ですか?かけもちですけど、いいですか?

みねバイヤーン

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16. 不器用なオーウェン②

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 教室に入ったウェンディは、彼が手の届かないところに行ってしまったことを悟った。


「ああ、やっぱり」


 それは、そうなってしまいますわよね。ウェンディは小さくため息を吐く。隅っこの窓際の席に座り、こっそりと彼を見る。昨日まで、ひとりぼっちだった彼は、今ではかわいい女子たちに囲まれて赤くなっている。


「オーウェンさん、昨日のあの素敵なお姉さまとは、どういうご関係ですかぁ?」


 とびきりかわいいピンク髪の女子が甘ったるい声を出した。ウェンディは聞き耳を立てる。教室が静まり返った。だって、それはおそらく全生徒が知りたいことだもの。


「ああ、あの人は、そのう。詳細は言えないんだけど、以前グレアム家が助けたことのある貴族の女性なんだ。わざわざお礼を言いに来てくれて。あ、でもこれは色んな事情があって話せないことだから。そのう」

「分かりました。もちろん、詮索したり、ウワサを広めたりしません」


 ピンクが口の前で両拳を握りしめる。絵に描いたようなぶりっ子。ウェンディの握っていた鉛筆がボキッと折れた。一瞬、オーウェンがこちらを見たような気がする。ウェンディは下を向き、新しい鉛筆を出す。


「それでぇ、オーウェンさんって婚約者はいらっしゃいますか? 父に聞いたんです。グレアム家はすごく立派な貴族だって。男爵という地位は実績に見合ってなさすぎる、不思議だって」

「あ、ありがとう。父が認められていると知れて、嬉しい。ありがとう」


「あら、そんなぁ。アタシは前からオーウェンさんってかっこいいなって思っていてぇ。それで、あのう、婚約者は?」

「あ、ああ、婚約者はまだいない」

「キャッ、やった。あっ、いやだ。言っちゃった。恥ずかしー」


 ピンクは頬をピンク色に染めて教室から走って出て行く。他の女の子たちも、ピンクを追いかけて行った。


「──の言った通りになった」


 オーウェンのひとり言。ウェンディは名前を聞き逃し、歯がゆい気持ちになる。誰かしら。誰なのかしら。あの銀髪の人とはどんな関係なのかしら。知りたい。でも知りたくない。オーウェンの良さに気づいているのは、わたくしだけだと思っていたのに。昨日までは、それが密かな楽しみだったのに。


 黒髪で銀色の目を持ち、少し陰のあるオーウェン。黒猫みたいに気配がない。人見知りする自分と似ていると思っていた。共通点があると感じていた。もしかしたら、うまくいけばオーウェンと婚約できるかもしれないと想像していた。


 いつもいつも、後手に回る。もっと早く、勇気を出して声をかけていれば、すんなり婚約できたかもしれない。でも、もう遅い。彼は、みんなに知られてしまった。


 暗い気持ちで授業を受け、昼食時間になる。いつもだったら一番待ち遠しい時間。ひとりでごはんを食べているオーウェンを、遠くから眺めるのが好きだった。その姿をこっそり絵に描くのが日課だった。婚約できたら、その絵を渡そうなんて考えていた。


「よく考えたら、それってかなり気持ち悪いわよね。わたくしってば、暗すぎます」


 ウェンディは、みんなに囲まれているオーウェンを見たくなくて、外に出る。下を向いてトボトボと歩いていたら、誰かにぶつかってしまった。


「あ、ごめんなさい」


 同時に謝る。見ると、茶色の髪をした少女だ。少女はさっとかがみ、ウェンディが落とした紙を拾い集めてくれた。


「絵がお上手なんですね。ぶつかってすみませんでした」


 少女はニコッと笑うと軽やかに駆けて行く。


「見られてしまいました。どうしましょう」


 木の上でパンを食べているオーウェンや、庭園で走っているオーウェン。オーウェンがいっぱい。


「もしウワサが広まったら、もう王都にはいられない」


 ウェンディは木の下にあるベンチに座り、両手で顔を隠す。どうしよう。どうしよう。変態だってみんなに思われたら。オーウェンに気持ち悪いって思われたら。最悪だ。吐きそう。


「大丈夫? 気持ち悪い?」


 上から声が降ってきた。見上げると、よく知っている顔。心配そうな目。


「オーウェンさん」

 ウェンディはびっくりして頭が真っ白になった。


「あ、これ。もしよかったら」


 差し出されたハンカチを受け取ってしまった。急いで目元を拭く。ハンカチからは、いい香りがした。なんだか落ち着く香り。


「突然で気持ち悪いかもしれないんだけど。もしよかったら、今度デートしてもらえませんか?」


 オーウェンが真っ赤になっている。そんなところも、好き。え、ちょっと待って。今、デートって聞こえた気がしたような?


「デートっておっしゃいました? いや、そんなまさかですよね。すみません。ちょっと気が動転していて」

「デートって言いました。言いました。もしよければ、デートしてください」

「は、ははははは、はい。喜んで」


 ウェンディは、これは夢だと思った。夢なら、覚めないで。

 
***


 学校が終わり、オーウェンは言われた通りに昨日の屋敷に行く。客間では既にジョーが待ち構えていた。


「で?」

「言われた通り、デートに誘いました」

「よしっ」


 腕組みをしたジョーが、ゆっくりと頷く。まるで参謀みたいだ。いや、参謀なんだった。考えて、動いて、指示をくれる、ありがたい存在。


「でも、どうしてこんな急に? 昨日の話では、しばらくはゆっくりと女性たちを吟味するってことだったはずでは」

「状況が変わったのだよ、オーウェン君」


 ちっちっちっとジョーが顔の前で人差し指を振る。とても偉そうだ。いや、この人は偉い人だった。なんたって、王家から派遣された凄腕の人たらしって自分で言ってたもんな。


「今日ずっとチヤホヤされて、さぞや気持ちがよかったことでしょう」

「はい、その通りです」


 ニヤけそうになって、オーウェンは咳払いする。


「かわいい女子たちに囲まれキャッキャ言われる。男子冥利につきる。でもね、チヤホヤは一過性のものと心得なさい」

「はい」

 そうか、永遠には続かないのか。


「次に誰かが注目を浴びたら、波が引くように周りから人がいなくなるでしょう。女心と秋の空。女子は熱しやすく冷めやすい」

「なるほど」


 それは恐ろしい。知らなかった。調子に乗っていたら、危ないところだった。


「そうなる前に、真の相手を見つけなければなりません。想像してみて。ずっと前から、自分を見てくれている人がいたら? 冴えない、目立たない自分を、いいなと思ってくれた人がいたら?」

「嬉しいです。もしかして、それが?」


「それが、ウェンディなのだよ、オーウェン君。ウェンディ・グレイス。子爵家の五女。領地は東の片田舎。兄姉はとっくに結婚や婚約を済ましている。相手を見つけなければならないけど、引っ込み思案で人見知り。そんなとき、同じように田舎から出てきた、目立たない男子がいたら、親近感がわくではありませんか」


「知らなかった。ジョーさんは、どうしてそんなこと知ってるんですか?」

「ふっふっふ、私の情報網はすごいのだよ、オーウェン君。彼女とばったり庭で出会ってから、ピンと来て、調べまくったのだよ。フハハ」

「すごい」


 オーウェンは素直に感動した。ここまでやってくれるなんて。


「人を好きになるきっかけ。色々あるけど、共通点が見つかるというのはアルアルなのね。性格が似てるな。名前が似てるな。趣味が似てるな。そう思うたびに、身近に感じるの」

「そういえば、名前が似てますね」


 オーウェン・グレアムとウェンディ・グレイス。気づくと、ウェンディをもっと知りたくなった。


「あなたたちの場合、趣味も同じなのよ。オーウェン、あなた、私には言わなかったけれど、絵を描くのが好きでしょう?」

「えっ、どうしてそれを」


 男らしくない趣味だから、隠していたのに。


「私の調査能力を見くびらないでくれたまえ、オーウェン君」


 こ、こわっ。もしかして、下宿先を調べられたのだろうか。きっとそうだ。


「いや、そんな怖がらないでよ。そもそも、あんな恥ずかしい十三個の願いを知られてるんだから、今さらじゃない?」

「う、確かに」


 そうだ、あれより恥ずかしいものはなかった。今さらだった。


「ウェンディの趣味も絵を描くことなのよ。あなたが教室でチヤホヤされてるとき、遠くから望遠鏡で観察してたのだけど。涙目で出てくる女の子がいてね、もしやと思ってぶつかってみたの」


 こ、こわっ。この人、間諜みたい。


「そしたらね、オーウェンを描いた絵が地面にばらまかれたの。これだっ、よしっ、そう思ったわ。それで急いでオーウェンのところに行って、指令を与えたでしょう」


「先生が呼んでますって、女生徒に変装したジョーさんに声かけられたときは驚きました。まさか、学園にまで潜入しているだなんて」


「当たり前じゃないの。戦の最前線にいなくて、どこにいるっていうの。よかったでしょう? おかげで、あなたに片思いしていた女子を発見できたんだもの。無事、デートの約束も取り付けたようだし。さあ、これからが本番よ」


 来た。オーウェンは身構える。


「デートでウェンディが聞くに違いないであろうこと。オーウェンさん、どうしてわたくしのことデートに誘ってくださったんですか? わたくしたち、一度もお話ししたことなかったのに」


 ジョーがしおらしい様子でモジモジしながらささやく。


「実は、前から気になっていたんだ。名前が似ているし、それにほら。趣味が一緒だろう。誰にも言ってなかったんだけど、実は俺、絵を描くのが好きなんだ。何度か、ウェンディさんが絵を描いてるのを見かけたことがあって。そのときから気になっていたんだ」


「満点」

 ジョーが手を叩く。オーウェンはグッと握りこぶしを上げた。


***


 ウェンディはずっとソワソワしている。デートの当日なのだけど、本当にオーウェンは来てくれるだろうか。やっぱりあれは夢だったのではないだろうか。雨が降ったらどうしよう。薄いスミレ色のワンピースにしてみたけれど、おかしくないかしら。赤毛が目立たないように、三つ編みにしてみたら、おくれ毛がいっぱい出てきて困ってしまう。つばの広い帽子をかぶれば隠せるわよね。


「ウェンディ、落ち着きなさいな。大丈夫、とてもかわいいわ」

「はい、おばさま」


 学園にいる間お世話になっている叔母が、ウェンディ以上に嬉しそう。


「あら、いらしたみたいよ」


 侍女が呼びに来たので、ウェンディは飛び上がる。叔母も勢いよく立ち上がった。急いで入口のホールに行くと、オーウェンが照れくさそうに立っている。こげ茶のハンチング帽をかぶり、白いシャツの上に黒いヴェストを着ている。下はズボンもブーツも黒だ。制服のときより、もっと黒猫っぽい。オーウェンは、ウェンディを見た途端に帽子を取って、深々と頭を下げる。


「今日はよろしくお願いします。ものすごく楽しみにしてきました。楽しみ過ぎてあれこれ考えていたら、うっかり寝過ごしました。遅れてごめんなさい」


「いえ、そんな。時間ピッタリです。わたくしも、楽しみにしていました。あれこれ考えすぎて、あまり寝れませんでした」


「そうなんですね。同じですね。あの、これ」


 オーウェンが後ろからさっと花束を出す。赤やオレンジ色の花がたくさん。ウェンディはふんわりと甘い香りに包まれた。男の子から花束をもらったのは初めてだ。


「ありがとう。こんな素敵な花束をもらったの、初めて。嬉しい」


 花束に顔を近づけ、香りを深く味わう。


「オーウェンさん、初めまして。ウェンディの叔母です。今日はこの子をよろしくね。ウェンディ、花束預かっておくわ。花瓶に入れて、あなたの部屋に飾っておくわね。さあ、いってらっしゃい。楽しんでね」


 叔母がニコニコしながらふたりを送り出してくれる。


「バスケット、持つよ。お、重い。すごいね、何が入ってるの?」

「あの、ピクニックと聞いて叔母が張り切って。食べ物がたくさん」

「ありがとう。寝坊したからまだ何も食べてなくて。よかったー」


 オーウェンはとても紳士だ。馬車に乗る時もさりげなく手を貸してくれる。寒くないかと気遣って、ウェンディに上着をかけてくれる。手綱さばきも上手で、馬は機嫌よく走っている。


 迷うことなく、街並みを抜け、草原を通り、木立を過ぎ、静かな湖に着いた。オーウェンは馬車を止め、ウェンディが降りるのを助けた後、バスケットをふたつ持ってくる。大きな布を広げ、ウェンディを手招きした。


「ここに座ってて。馬を馬車からはずしてくる」


 オーウェンが馬を水際まで連れて行く間に、ウェンディは自分のバスケットを開けて食べ物を並べる。パンにケーキ、果物やチーズもある。戻って来たオーウェンが目を丸くする。


「うわ、こんなにたくさん。ありがとう」

「あの、これ、わたくしが作ったブルーベリーマフィンです。もしよかったら」

「すごい、ありがとう。うまいね、うまい。すごくうまい」


 オーウェンはひとつ目のマフィンをあっという間にたいらげた。物足りなさそうにしているので、次を進めるとどんどん食べる。


「こんなおいしいマフィンは初めてだ。あ、ウェンディさんが作ってくれたからかな」


 そう言ってもらえて、ウェンディはホッと安心する。貴族なのに料理するなんて、おかしいと思われるかと心配していた。


「女の子とデートするのは初めてだから、すごく緊張していたんだ。マフィン食べたらなんか落ち着いた」


 オーウェンが帽子を脱ぎ、ぎこちなく笑う。


「わたくしも、すごく緊張しています。男の子とデートするの、わたくしも初めてです。昨日は叔母とずっと作戦会議をしていて。あっ」


 しまった。こんなこと言うつもりじゃなかったのに。


「ああー、よかったー。緊張してるの俺だけじゃなくて。俺の態度が悪かったり、傷つけるようなこと言ったり、至らないところがあったら、正直に言ってくれないかな。言われないと、俺分からないから」

「はい。今のところは完璧な紳士です」


 ウェンディが言うと、オーウェンはホッとした様子で胸に両手を当てて息を吐く。ウェンディはやっと笑うことができた。オーウェンも笑う。


「ずっとウェンディさんのこと気になってたんだ。声をかけてよかった」

「え、本当ですか?」


 ウェンディの胸がドキンと音を立てる。


「ふたりとも人見知りだよね。名前も似てるし。なんか気になってたときに、ウェンディさんが絵を描いてるの見たんだ」


 ウェンディはギョッとして息を呑む。


「何を書いてるかまでは見えなかったけどさ。僕も実は絵を描くのが好きで。趣味が一緒なんだーって親近感」

「本当に?」


 そんな都合のいい話があるかしら? 夢かしら? オーウェンがバスケットから絵の道具を取り出す。紙と鉛筆に筆。皮袋に入った絵の具まである。


「ウェンディさんのこと、じっと見たいけど、見るの恥ずかしいから。絵を描かせてもらえないかな。それだったら、じっと見てもおかしくないだろ」

「は、はい。わたくしも、オーウェンさんを描きたいです」


 ウェンディは生まれてきたことを神に感謝した。好きな人にデートに誘われて、趣味まで一緒だった。そして、自分を絵にしたいと言われたのだ。こんな幸せなことがあって、いいのだろうか。


 ふたりとも照れながら、お互いを描く。たまに目が合う。その度に胸が弾む。

 
 沈黙がもう怖くない。ウェンディは驚いた。いつも沈黙を怖がっていたのに。誰かと会話して、話すことがなくなったらドギマギする。でも、絵を描いているせいか、会話が弾まなくても気にせずにいられる。


「ウェンディさんとなら、無理に話さなくてもいい気がする。すごく助かる」

「わたくしも。わたくしも、今同じことを思っていました」


 ウェンディは思わず大きな声を出してしまった。少し離れていたところで草を食べていた馬がブルルルと言う。ウェンディとオーウェンは目を合わせ、プッと吹き出す。


「あいつも同じこと思っていたのかな」

「そうかもしれません」


 なんて最高のデートだろう。神様、生きてきてよかったです。ウェンディはまた祈った。


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