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【第三章】おいしいお菓子を食べたいな
19. 王子との再会
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やっと休憩時間になった。話しかけたそうな令嬢たちを振り切って、ひとり王宮を彷徨っている。王宮のことはよく知っている。ゴミ回収で津々浦々を歩き回ったのだから。誰にも見つからず、衛兵のいない、人通りの少ない庭園に無事たどりついた。
「あー疲れた。早く終わらないかなー。うわっ、まずい」
前方にいる庭師。あれ、庭師に扮した王子だ。仕事着をまとっていても、隠し切れない気品がある。輝くような銀色の髪に、金貨色の瞳。王太子のアレックスだ、間違いない。自然な形で王子妃候補者と話して人となりを見る、そんな計画なんじゃないかな。だって、変装の割には中途半端だもん。本気の変装だったらカツラかぶるじゃない。
えー、ヤダー、困るー。引き返そうと立ち止まったら、。
「いい天気ですね」
話しかけられてしまった。さすがに、無視して走り出すわけにもいかない。仕方なくあいまいな笑顔を浮かべる。さあ、どうやって王子に失格を出してもらおうか。
「きれいな花ですね」
「ユリの花が好きですか? ピンク色の髪に似合いそうです。どうぞ」
王子が白いユリの花を取って、アタシの髪に挿してくれる。
「ありがとうございます。えーっと、アレックス殿下。アタシには王子妃は務まりません。平民ですし、教養が足りませんから」
「あれ、知らないフリして会話を楽しむというのは、嫌い?」
「そういうのは、苦手です」
未来では楽しんでいる自分もいた。でも、その未来は選びたくない。
「身分はなんとでもなる。貴族の養女になればいい。教養は、これから身につければいい」
「アタシが王子妃になると、国が荒れます。殿下は、きっと後悔なさいます」
「まるで見てきたかのように言うね。それとも、本当に見たのかな? アッフェン男爵家には、未来を知っている少女がいるともっぱらのウワサだ」
やっぱり。王家には隠せなかったんだ。そうよね、情報収集する諜報機関を持っているもんね。
「未来を知っている訳ではありませんが、これは確かです。アタシは殿下と結婚いたしません」
「あっさり振られてしまった。わかった、そこまで言われたら引き下がるとしよう。では」
アレックス王子は美しい顔を残念そうに少しくもらせた後、静かに去って行く。アタシはゆっくりと後ずさりし、王子と十分に距離が取れてから踵を返して走り出した。
ああどうか、これで諦めてくれますように。アタシとあなたには、いい未来はないのだから。
***
アレックス王子は逃げていくサブリナを見つめ、漏れそうになったため息を呑み込んだ。
「ダメだろうとは思っていたけど。あそこまでハッキリ断られるとは」
彼女は権力に興味がない。パイソン公爵、ティガーン子爵、フェルデ伯爵、それぞれに聞いてみたところ、返ってきた答えは同じだった。
王族にも貴族にもなりたくなさそうです。鳥カゴに入れず、そっとしてあげましょう。そんなことを言われもした。
それでも、諦めきれなかった。一年前、庭園で出会ったピンク色の髪をした少女を。少年に化け、一心に働いていた彼女を。日に焼けて赤くなった頬、切り傷だらけの手、土が詰まって真っ黒な爪。お茶会で出会う貴族令嬢たちとは違う、自分の力で生きているたくましい女の子。
「そこまでしなくては、生きていけない国なのか? 父は、大臣は、いや、私は何をしているのか? 幼い子どもを働かせる国のままでいいのか? 私は、この国をどうしたいのか? そんなことを考えるようになった」
父や大臣とも深く話すようになった。今までは上っ面だけを見て、わかったつもりでいた国政。できるつもりでいた、国の王となること。わかっていない。今でも少しもわからない。
「サブリナが近くにいれば、少しは自分がよい人間であれるように思ったのだが」
サブリナを、そんなことに使ってはいけないのだ。私は、私の力で、よりよい人間にならなければいけない。
「サブリナを、子どもたちを、民を、少しでも幸せにする仕組みを作るのが私の存在意義」
アレックス王子は、迷いを吹っ切るように頭を上げる。銀色の髪が、太陽の光を受けてまぶしくきらめいた。
***
ミシェル・ティガーン子爵令嬢は、昨日ロザムンドとサブリナのやりとりをしっかりと聞いていた。昨日、隣の席は僅差でロザムンドに奪われた。やはり、彼女もサブリナを狙っているのね。
無理もない。平民の少女が税金調査、堆肥作り、ドレスの仕立て直しにまで手を回しているのだ。公にはアッフェン男爵の手柄になっているが、鼻の利く貴族は裏にサブリナがいることはとうに気づいている。
パイソン公爵、ティガーン子爵、フェルデ伯爵が目を光らせ、サブリナが欲深な貴族に攫われないようにしていたのだ。
この少女の謎を解き明かしたい。それは、ティガーン子爵家一同の望みでもある。金の宝を産むガチョウは、商売の女神だ。でも、ガチョウは臆病なので、怯えさせては元も子もない。逃げられないよう、慎重に。
幸い、今日の講習ではサブリナの隣に座れた。後ろから、ロザムンドの殺気を感じるが、無視だ。
視界の端で、サブリナを見る。やはり、かわいい。髪がピンク色というのがいい。花畑に座らせて、絵を描いたら飛ぶように売れるだろう。ウサギや猫を周りに配置してもいいかもしれない。かわいいとかわいいの掛け算。売れる。
ミシェルが捕らぬ狸の皮算用をしていると、教育係が入ってきた。
「本日は、国内外の貴族を覚えましょう」
「はあー、興味ありませんわあー」
隣からとんでもないつぶやきが聞こえたが、ミシェルは奥歯を噛みしめて笑いをこらえた。
何も聞こえなかったかのように、教育係は平然と肖像画を掲げる。
「簡単なところから始めましょう。はい、こちらはどなたでしょう」
ミシェルはサブリナの様子を探る。サブリナは満面の笑顔で手を上げた。
「国王陛下です」
「その通りですね。お名前も言えますか?」
「名前、はわかりません。苗字は知っています。ウォルフハート王国ですから、ウォルフハート」
おいおいおい。ミシェルは目をつぶる。いや、これはきっと演技だろう。まさか、国王陛下の名前を知らない国民がいるわけがない。
「陛下の好物はオリーブの塩漬け。でも、一日に食べていいのは五粒までと主治医に止められているそうです」
こらこらこら。どうして、そんな極秘情報を知っている? 王宮に食品を納入しているティガーン子爵家でさえ、つい最近つかんだことなのに。
教育係は顔色を変えず、次の肖像画を出した。サブリナが自信満々に手を上げる。
「王国の才媛、氷の令嬢ことロザムンド・パイソン公爵令嬢のお父上、パイソン公爵です。名前は知りませんが、趣味は寝る前に金庫の中の金貨を数えることです」
「当たっていますわ。すごいですわ、サブリナさん」
氷の令嬢ことロザムンドが、とろけきった笑顔で手を叩いている。いいのか? 今の情報、垂れ流していいのか?
鋼鉄の顔面を持つ教育係は、淡々と絵を出す。
「王国の炎、ミシェル・ティガーン子爵令嬢のご母堂、ティガーン子爵夫人です。名前は知りませんが、ティガーン子爵家で一番値切るのがお上手だそうです」
「なぜ、それを、知っている」
ミシェルは思わず立ち上がりそうになり、咳払いして座り直した。
教育係は軽く頷くと次の絵をサブリナに見せる。この人、おもしろがっているのでは。ミシェルは思った。
「王国の妖精、クリスティーネ・フェルデ伯爵令嬢のおばあ様です。名前は知りませんが、オシャレ番長と呼ばれるのが重荷で、家では乗馬服だったそうです。突然の来客には応じなかったとか」
「まあ、おばあ様が? 知りませんでしたわ」
クリスティーネが手で口を押え、目を丸くしている。いや、だから。孫娘も知らない情報を、なぜ知っているの、サブリナ。
ミシェルは、どうやってサブリナを取り込むか、真剣に考え始めた。
***
「はあー、今日もがんばったー」
やる気を見せつつ、明後日の方向に全力疾走という高度な技を披露した。王子がオモシレーオンナ大好きっ子でなければ、大丈夫だろう。大丈夫、だよね?
下手に庭園に出て、アレックス王子に出くわしたらイヤなので、今日は王宮の屋上に来た。ゴミ回収の途中で、仲間と朝焼けを見たものだ。
階段を上がって、扉を開けると、胸壁のあたりでたそがれている少年。
「やだ、最悪」
どう見ても、高貴な少年だ。アレックス王子の弟ファビウス王子ではないか。兄と同じ、銀の髪と金の瞳が、太陽に照らされて輝いている。一年ほど前に、威圧の庭で会ったときに比べると、子どもっぽさが抜けたような。背も、アタシぐらい高くなってる。キラキラ王子がサブリナを見た。
「こんにちは、サブリナ」
「こんにちは、ファビウス殿下。アレックス殿下とは違って、知らないフリごっこはしないんですね」
「小細工をすると嫌われると兄から言われました」
「まあ」
うわー。兄弟で情報共有しているんだ。
「つかぬことを聞きますが、王子妃候補ということですが、ひょっとしてアレックス殿下ではなく、ファビウス殿下の妃候補なのでしょうか?」
「どっちでもいいですよ。サブリナが好きな方を選んでください」
「まあ」
なんてこった。どうしてこうなった。いくつかあった未来の中で、アタシはファビウス王子とも婚約していた。アレックス王子とのときと同じで、平民上がりのアタシを婚約者とすることで、国は荒れた。あの未来はイヤだ。
「ファビウス殿下。アタシは王子妃の器ではありません。ファビウス殿下もアレックス殿下も、理想の王子様と国民から抜群の人気です。アタシと婚約すると、間違いなく民が怒ります。そして、国が荒れます。アタシはそれを望みません」
深く頭を下げたあと、立ち去ろうと駆けだした。
「待って。せめて、思い出話だけでもさせて」
ファビウス王子が驚きの速さでアタシの前に移動する。はやっ。いや、もしかしてアタシがとろいだけ?
「威圧の庭で、サブリナに会ったよね」
「げっ、なぜそれを」
あ、しまった。げっとか言っちゃった。
「侍従に聞いた。侍従はなんでも知ってるから」
「はあ」
「僕よりほんのちょっと年上のお兄さんたちが、走り回って働いていて驚いた。あ、あのときはサブリナが男の子だと思ってたから」
「はい、変装してました」
「今まで、あんなふうに遊んだことはなかったから、楽しかった。王宮では遠慮されるから、命令されることもなくて、新鮮だった」
「ああ、それはボビーですね。ボビーは殿下だとわかってなかったので、すみません」
「いえ、謝らないで。あのお兄さんたちと遊びたいってずっと思ってた。でも、仕事の邪魔をしてはダメだと侍従から止められた」
侍従さん、ありがとうー。殿下にウロチョロされたら、仕事になんないもんね。
「サブリナが婚約者だったら、ああやって楽しく遊べるかなと思ったんだ。遠慮せずに命令してもらえるかな、とも」
「いや、それはボビーですから。アタシじゃないですよ」
そこはハッキリさせておかないと。あのとき、アタシはアワアワしてただけだもん。
「アタシじゃなくても、きっぱりハッキリ言ってくれて、一緒に遊んでくれる貴族令嬢はいると思います。アタシは殿下の婚約者にはなれません」
「わかった。引き止めてごめんね」
もう一度、頭を下げて、立ち去った。今度はゆっくり歩いていく。大丈夫、王子は追いかけてこない。諦めてくれたんだろう。
「あー疲れた。早く終わらないかなー。うわっ、まずい」
前方にいる庭師。あれ、庭師に扮した王子だ。仕事着をまとっていても、隠し切れない気品がある。輝くような銀色の髪に、金貨色の瞳。王太子のアレックスだ、間違いない。自然な形で王子妃候補者と話して人となりを見る、そんな計画なんじゃないかな。だって、変装の割には中途半端だもん。本気の変装だったらカツラかぶるじゃない。
えー、ヤダー、困るー。引き返そうと立ち止まったら、。
「いい天気ですね」
話しかけられてしまった。さすがに、無視して走り出すわけにもいかない。仕方なくあいまいな笑顔を浮かべる。さあ、どうやって王子に失格を出してもらおうか。
「きれいな花ですね」
「ユリの花が好きですか? ピンク色の髪に似合いそうです。どうぞ」
王子が白いユリの花を取って、アタシの髪に挿してくれる。
「ありがとうございます。えーっと、アレックス殿下。アタシには王子妃は務まりません。平民ですし、教養が足りませんから」
「あれ、知らないフリして会話を楽しむというのは、嫌い?」
「そういうのは、苦手です」
未来では楽しんでいる自分もいた。でも、その未来は選びたくない。
「身分はなんとでもなる。貴族の養女になればいい。教養は、これから身につければいい」
「アタシが王子妃になると、国が荒れます。殿下は、きっと後悔なさいます」
「まるで見てきたかのように言うね。それとも、本当に見たのかな? アッフェン男爵家には、未来を知っている少女がいるともっぱらのウワサだ」
やっぱり。王家には隠せなかったんだ。そうよね、情報収集する諜報機関を持っているもんね。
「未来を知っている訳ではありませんが、これは確かです。アタシは殿下と結婚いたしません」
「あっさり振られてしまった。わかった、そこまで言われたら引き下がるとしよう。では」
アレックス王子は美しい顔を残念そうに少しくもらせた後、静かに去って行く。アタシはゆっくりと後ずさりし、王子と十分に距離が取れてから踵を返して走り出した。
ああどうか、これで諦めてくれますように。アタシとあなたには、いい未来はないのだから。
***
アレックス王子は逃げていくサブリナを見つめ、漏れそうになったため息を呑み込んだ。
「ダメだろうとは思っていたけど。あそこまでハッキリ断られるとは」
彼女は権力に興味がない。パイソン公爵、ティガーン子爵、フェルデ伯爵、それぞれに聞いてみたところ、返ってきた答えは同じだった。
王族にも貴族にもなりたくなさそうです。鳥カゴに入れず、そっとしてあげましょう。そんなことを言われもした。
それでも、諦めきれなかった。一年前、庭園で出会ったピンク色の髪をした少女を。少年に化け、一心に働いていた彼女を。日に焼けて赤くなった頬、切り傷だらけの手、土が詰まって真っ黒な爪。お茶会で出会う貴族令嬢たちとは違う、自分の力で生きているたくましい女の子。
「そこまでしなくては、生きていけない国なのか? 父は、大臣は、いや、私は何をしているのか? 幼い子どもを働かせる国のままでいいのか? 私は、この国をどうしたいのか? そんなことを考えるようになった」
父や大臣とも深く話すようになった。今までは上っ面だけを見て、わかったつもりでいた国政。できるつもりでいた、国の王となること。わかっていない。今でも少しもわからない。
「サブリナが近くにいれば、少しは自分がよい人間であれるように思ったのだが」
サブリナを、そんなことに使ってはいけないのだ。私は、私の力で、よりよい人間にならなければいけない。
「サブリナを、子どもたちを、民を、少しでも幸せにする仕組みを作るのが私の存在意義」
アレックス王子は、迷いを吹っ切るように頭を上げる。銀色の髪が、太陽の光を受けてまぶしくきらめいた。
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無理もない。平民の少女が税金調査、堆肥作り、ドレスの仕立て直しにまで手を回しているのだ。公にはアッフェン男爵の手柄になっているが、鼻の利く貴族は裏にサブリナがいることはとうに気づいている。
パイソン公爵、ティガーン子爵、フェルデ伯爵が目を光らせ、サブリナが欲深な貴族に攫われないようにしていたのだ。
この少女の謎を解き明かしたい。それは、ティガーン子爵家一同の望みでもある。金の宝を産むガチョウは、商売の女神だ。でも、ガチョウは臆病なので、怯えさせては元も子もない。逃げられないよう、慎重に。
幸い、今日の講習ではサブリナの隣に座れた。後ろから、ロザムンドの殺気を感じるが、無視だ。
視界の端で、サブリナを見る。やはり、かわいい。髪がピンク色というのがいい。花畑に座らせて、絵を描いたら飛ぶように売れるだろう。ウサギや猫を周りに配置してもいいかもしれない。かわいいとかわいいの掛け算。売れる。
ミシェルが捕らぬ狸の皮算用をしていると、教育係が入ってきた。
「本日は、国内外の貴族を覚えましょう」
「はあー、興味ありませんわあー」
隣からとんでもないつぶやきが聞こえたが、ミシェルは奥歯を噛みしめて笑いをこらえた。
何も聞こえなかったかのように、教育係は平然と肖像画を掲げる。
「簡単なところから始めましょう。はい、こちらはどなたでしょう」
ミシェルはサブリナの様子を探る。サブリナは満面の笑顔で手を上げた。
「国王陛下です」
「その通りですね。お名前も言えますか?」
「名前、はわかりません。苗字は知っています。ウォルフハート王国ですから、ウォルフハート」
おいおいおい。ミシェルは目をつぶる。いや、これはきっと演技だろう。まさか、国王陛下の名前を知らない国民がいるわけがない。
「陛下の好物はオリーブの塩漬け。でも、一日に食べていいのは五粒までと主治医に止められているそうです」
こらこらこら。どうして、そんな極秘情報を知っている? 王宮に食品を納入しているティガーン子爵家でさえ、つい最近つかんだことなのに。
教育係は顔色を変えず、次の肖像画を出した。サブリナが自信満々に手を上げる。
「王国の才媛、氷の令嬢ことロザムンド・パイソン公爵令嬢のお父上、パイソン公爵です。名前は知りませんが、趣味は寝る前に金庫の中の金貨を数えることです」
「当たっていますわ。すごいですわ、サブリナさん」
氷の令嬢ことロザムンドが、とろけきった笑顔で手を叩いている。いいのか? 今の情報、垂れ流していいのか?
鋼鉄の顔面を持つ教育係は、淡々と絵を出す。
「王国の炎、ミシェル・ティガーン子爵令嬢のご母堂、ティガーン子爵夫人です。名前は知りませんが、ティガーン子爵家で一番値切るのがお上手だそうです」
「なぜ、それを、知っている」
ミシェルは思わず立ち上がりそうになり、咳払いして座り直した。
教育係は軽く頷くと次の絵をサブリナに見せる。この人、おもしろがっているのでは。ミシェルは思った。
「王国の妖精、クリスティーネ・フェルデ伯爵令嬢のおばあ様です。名前は知りませんが、オシャレ番長と呼ばれるのが重荷で、家では乗馬服だったそうです。突然の来客には応じなかったとか」
「まあ、おばあ様が? 知りませんでしたわ」
クリスティーネが手で口を押え、目を丸くしている。いや、だから。孫娘も知らない情報を、なぜ知っているの、サブリナ。
ミシェルは、どうやってサブリナを取り込むか、真剣に考え始めた。
***
「はあー、今日もがんばったー」
やる気を見せつつ、明後日の方向に全力疾走という高度な技を披露した。王子がオモシレーオンナ大好きっ子でなければ、大丈夫だろう。大丈夫、だよね?
下手に庭園に出て、アレックス王子に出くわしたらイヤなので、今日は王宮の屋上に来た。ゴミ回収の途中で、仲間と朝焼けを見たものだ。
階段を上がって、扉を開けると、胸壁のあたりでたそがれている少年。
「やだ、最悪」
どう見ても、高貴な少年だ。アレックス王子の弟ファビウス王子ではないか。兄と同じ、銀の髪と金の瞳が、太陽に照らされて輝いている。一年ほど前に、威圧の庭で会ったときに比べると、子どもっぽさが抜けたような。背も、アタシぐらい高くなってる。キラキラ王子がサブリナを見た。
「こんにちは、サブリナ」
「こんにちは、ファビウス殿下。アレックス殿下とは違って、知らないフリごっこはしないんですね」
「小細工をすると嫌われると兄から言われました」
「まあ」
うわー。兄弟で情報共有しているんだ。
「つかぬことを聞きますが、王子妃候補ということですが、ひょっとしてアレックス殿下ではなく、ファビウス殿下の妃候補なのでしょうか?」
「どっちでもいいですよ。サブリナが好きな方を選んでください」
「まあ」
なんてこった。どうしてこうなった。いくつかあった未来の中で、アタシはファビウス王子とも婚約していた。アレックス王子とのときと同じで、平民上がりのアタシを婚約者とすることで、国は荒れた。あの未来はイヤだ。
「ファビウス殿下。アタシは王子妃の器ではありません。ファビウス殿下もアレックス殿下も、理想の王子様と国民から抜群の人気です。アタシと婚約すると、間違いなく民が怒ります。そして、国が荒れます。アタシはそれを望みません」
深く頭を下げたあと、立ち去ろうと駆けだした。
「待って。せめて、思い出話だけでもさせて」
ファビウス王子が驚きの速さでアタシの前に移動する。はやっ。いや、もしかしてアタシがとろいだけ?
「威圧の庭で、サブリナに会ったよね」
「げっ、なぜそれを」
あ、しまった。げっとか言っちゃった。
「侍従に聞いた。侍従はなんでも知ってるから」
「はあ」
「僕よりほんのちょっと年上のお兄さんたちが、走り回って働いていて驚いた。あ、あのときはサブリナが男の子だと思ってたから」
「はい、変装してました」
「今まで、あんなふうに遊んだことはなかったから、楽しかった。王宮では遠慮されるから、命令されることもなくて、新鮮だった」
「ああ、それはボビーですね。ボビーは殿下だとわかってなかったので、すみません」
「いえ、謝らないで。あのお兄さんたちと遊びたいってずっと思ってた。でも、仕事の邪魔をしてはダメだと侍従から止められた」
侍従さん、ありがとうー。殿下にウロチョロされたら、仕事になんないもんね。
「サブリナが婚約者だったら、ああやって楽しく遊べるかなと思ったんだ。遠慮せずに命令してもらえるかな、とも」
「いや、それはボビーですから。アタシじゃないですよ」
そこはハッキリさせておかないと。あのとき、アタシはアワアワしてただけだもん。
「アタシじゃなくても、きっぱりハッキリ言ってくれて、一緒に遊んでくれる貴族令嬢はいると思います。アタシは殿下の婚約者にはなれません」
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