わたしの正体不明の甘党文通相手が、全員溺愛王子様だった件

あきのみどり

文字の大きさ
67 / 68

転属 1

しおりを挟む

 
 彼がその報せを受けたのは、午後のこと。

「……は……? ……な……なんですっ、て…………?」

 そう言ったきり、思わず絶句してしまったウルツの前にはイアンガード。
 自身の執務机に腰かけ、苦悩するようにそれを報せた母は、どこか心配そうに息子の反応をうかがっている。

「……うむ。どうにもロアナの意思が固くてな……こなたでは説得できなんだ」

 母の苦い言葉に、ウルツはたった今告げられた母の言葉を呆然と反芻する。

 ──ロアナが、ロスウェルの求めに応じ、彼の側仕えに転属した。

 これには、ウルツは言葉もない。
 それを告げたイアンガード自身も、いまだこの事態に納得いかぬという表情。歪められた母の眉間を見たウルツは、確かにかの娘が母のもとを去ったのだと突きつけられる。

「……な、ぜ…………」

 かすれるようにそれだけが出た。
 ……いや、広い王城で、侍女たちの転属はたびたびある話。
 しかし、こたびはあまりに突然。しかも、行き先がロスウェルのそばときてはウルツも動揺を隠せない。
 ふいに痛みを感じてウルツは自分の手を見下ろした。
 いつのまにか、自分の拳が固く握りしめられていることに気がつく。朝餉の折、グラスを砕いて出来た傷が痛んだが……それでも彼は拳をほどかなかった。
 ほどいてしまったが最後、足が彼女のところへ駆けて行ってしまいそうだった。
 その衝動をこらえて、経緯を説明する母の声になんとか耳を傾けるが、胸の中にはどんどん不安がふくらんでいく。

 彼が見守ってきた限り、彼女と、かの四弟とは、接点は皆無。
 ロアナとの無記名の手紙のやりとりでも、彼女がロスウェルの話題を出したことは一度だってない。
 おそらく二の宮にひきこもって働いていた彼女は、ロスウェルのことなど、ほとんど知らなかったはずだ。

 ただ、こうなってしまった理由が、ウルツにも一つだけ分かった。
 母がその経緯を語り終えると、彼は苦虫を噛み潰したような顔で苦悩の息。

「……明らかに、私に対するロスウェルの当てつけですね……」

 あの弟が、知り合ったばかりのロアナを急に召した理由など、それしか思い当たらない。
 きっと昨夜のできごとが、弟の興味をロアナに引き寄せた。

「……うかつでした」

 昨晩のことで、頭がいっぱいだったウルツは後悔に襲われる。情けなくて、思わず拳が震えた。

 あの弟がロアナに手を出してくる可能性を、考えておくべきだった。
 しかし普段から怠惰なロスウェルが、こうも素早い動きを見せるとは思わなかった。
 ウルツはあの四弟を、政務も手抜きばかりで、遊んでばかりの男だと思っていたが……。
 昨晩の一件で、さっそく彼女に目をつけて動いたというのなら、彼は弟の行動力と執念とを見誤っていた。
 憤りをこめてつぶやいた息子に、母も同じように息を吐く。

「第四王子はよくわかっておる。こなたが王妃の頼みを拒絶せぬとみて、王妃伝手に手を回してきおった。あやつもなかなか賢い。それを政務で生かしてくれればお姉さまの気苦労も減るものを……」

 その口調には、同じく息子を持つ母としての同情が滲んでいた。
 ロスウェルの母は王妃である。
 その王妃を慕い、補佐するイアンガードは、側妃という立場もあってなかなかその頼みを断れない。
 王妃は常々ロスウェルの放蕩に困っていて、おそらく、息子のこの頼みを聞き入れる代わりに母子は何かを取引したに違いない。
『これからは真面目に政務にはげむ』とか『もう酒や夜遊びを控える』とか……。
 その取引が、国母としてつねに大きな重責を抱えている王妃の重荷を、少しでも和らげるものであるのは確かで。イアンガードとしてはそれを無下にはできなかった。
 おまけに当のロアナまでもが、それを望んでいるとなると……。

「……こざかしい小坊主よ……」

 イアンガードは、ロスウェルに対する苛立ちを吐き捨て。ウルツは押し黙ってそれを聞く。

 説明されずとも、ウルツにも、王妃と母のだいたいのやりとりには予想がついた。そこにある王妃の困窮も、その王妃を思いやる母がしぶしぶその願いを聞き入れたことも。

 しかし、それでもやはり、自分たちの確執にロアナを巻き込んでしまったことが口惜しい。
 自分の脇の甘さが悔やまれる。

(……ロスウェルの側仕えなど……ロアナにとっていい環境とは思えない……)

 なんとかしなければと考えるのだが……ただ、分からないのは、ロアナがロスウェルの申し出を受け入れたこと。

(何か、理由が……あるはずだ……)

 それを考え始めると、昨晩のふたりの様子が頭に浮かぶ。
 ロアナの肩を、気やすく抱いていた弟。
 二人の並んだ光景を思い出すと、落ち着けと命じたはずの心がまた騒めく。

(まさか……あの時すでに口説き落とされていた……?)

 そんな馬鹿なとは思うが、あの女好きの弟ならやりかねないと思った。
 ロスウェルは、政務や学問などには無関心だが、異性を口説く技についてはウルツの及ばないものを持つ。その方面にめっぽう知識のないウルツにとっては、それをロアナがどう受け止めるかもまた未知。
 年中女性を侍らせている弟。
 もし、ロアナがその女人らと同じ瞳で、弟を見つめたらと想像すると──……。
 娘たちがロスウェルを見る、熱を帯びた瞳を思い出すと──……。

「……ぐ……」

 とたん、青年の胃を襲う激しい痛み。
 ウルツの冷静さが大きく揺るがされていた。 
 あの弟の調子のいい言葉に、ロアナが心を奪われるさまなど、想像したくもなかった。

「……、……、……大丈夫かウルツよ……」

 青い顔をして。大槌で打ち付けられた岩のごとく、身をわななかせた息子に母が気の毒そうな顔。

「……心配せずとも、ロアナはロスウェルの軽口に惑わされるような娘ではないぞ……」
「っわ……分かっております……」

 そうは絞り出すような声で返したものの、ウルツの不安に駆られた思考は一気に走り始める。
 心配過ぎて、彼はまったく混乱していた。

(痴情のからんだ女たちは恐ろしいと聞くぞ⁉ もしロスウェルの周りがそんな者たちばかりなら……ロアナは修羅場に放り込まれることになるのでは!?)
(いや……待て……しかも一の宮暮らしのロスウェルは、自分の宮をもたぬ。ということは……ロアナは休日に自由に厨房を使えない……⁉)

 この気づきに、ウルツはさらに動揺した。
 あの控えめなロアナが、転属してすぐに、格式高い一の宮の厨房にのりこんでいけるとは思えなかった。

 イアンガードの治める二の宮は、厳格に管理されているが、彼女にそれが一任されているだけに、独立していて、決まりさえきちんと守っていれば過ごしやすい宮。
 規則を守らぬ者には厳しいが、ロアナのようにきちんと仕事をし、真面目に規則を守る者には鷹揚なのである。

 しかし、国王や王妃、王子たちの暮らす一の宮は違う。
 巨大な一の宮の内部事情は、実に複雑だ。
 王族を主として仕える者たちは、それぞれの主を守るために団結し、つねにけん制し合っている。さらに言えば、その内部とて主の寵愛を競って火花が散る。

 ロスウェルのような女性問題が激しい王子のもとでなくとも、当然その関係はギスギスしやすく、新参者には厳しい。
 ロアナは一の宮には、ほぼ知り合いもいないはずで……。
 そうなると、菓子作りが趣味の彼女が、気楽にそれができるようになるほど一の宮に馴染めるのは、いったいいつになることか……。

(な……なんということだ…………)

 ウルツは愕然とした。
 己を癒す趣味まで奪われた時、ロアナが厳しい職場環境の一の宮で本当にやっていけるのか。
 しかも、主はあのへらへらと享楽にふけるばかりのロスウェル。弟がロアナを助けてやるとは到底思えないし、あの弟を支えるなど若い彼女にとってどれだけの負担になるか分からない。
 弟のために、ほうぼうに頭を下げるロアナの未来を想像し、ウルツは……。

 ふいに、ガツンと痛そうな音がイアンガードの執務室に響く。

「…………」
「……、……、……大丈夫か」

 母は、なんとも言い難い表情で息子に問う。
 その視線の先で。母の執務机の前に立っていたはずのウルツは、顔色を失った暗黒顔で、床に片膝を突いていた。
 ……どうやら胃が痛すぎて立っていられなかったらしい。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

黒騎士団の娼婦

イシュタル
恋愛
夫を亡くし、義弟に家から追い出された元男爵夫人・ヨシノ。 異邦から迷い込んだ彼女に残されたのは、幼い息子への想いと、泥にまみれた誇りだけだった。 頼るあてもなく辿り着いたのは──「気味が悪い」と忌まれる黒騎士団の屯所。 煤けた鎧、無骨な団長、そして人との距離を忘れた男たち。 誰も寄りつかぬ彼らに、ヨシノは微笑み、こう言った。 「部屋が汚すぎて眠れませんでした。私を雇ってください」 ※本作はAIとの共同制作作品です。 ※史実・実在団体・宗教などとは一切関係ありません。戦闘シーンがあります。

ブラック企業に勤めていた私、深夜帰宅途中にトラックにはねられ異世界転生、転生先がホワイト貴族すぎて困惑しております

さくら
恋愛
ブラック企業で心身をすり減らしていた私。 深夜残業の帰り道、トラックにはねられて目覚めた先は――まさかの異世界。 しかも転生先は「ホワイト貴族の領地」!? 毎日が定時退社、三食昼寝つき、村人たちは優しく、領主様はとんでもなくイケメンで……。 「働きすぎて倒れる世界」しか知らなかった私には、甘すぎる環境にただただ困惑するばかり。 けれど、領主レオンハルトはまっすぐに告げる。 「あなたを守りたい。隣に立ってほしい」 血筋も財産もない庶民の私が、彼に選ばれるなんてあり得ない――そう思っていたのに。 やがて王都の舞踏会、王や王妃との対面、数々の試練を経て、私たちは互いの覚悟を誓う。 社畜人生から一転、異世界で見つけたのは「愛されて生きる喜び」。 ――これは、ブラックからホワイトへ、過労死寸前OLが掴む異世界恋愛譚。

行き遅れにされた女騎士団長はやんごとなきお方に愛される

めもぐあい
恋愛
「ババアは、早く辞めたらいいのにな。辞めれる要素がないから無理か? ギャハハ」  ーーおーい。しっかり本人に聞こえてますからねー。今度の遠征の時、覚えてろよ!!  テレーズ・リヴィエ、31歳。騎士団の第4師団長で、テイム担当の魔物の騎士。 『テレーズを陰日向になって守る会』なる組織を、他の師団長達が作っていたらしく、お陰で恋愛経験0。  新人訓練に潜入していた、王弟のマクシムに外堀を埋められ、いつの間にか女性騎士団の団長に祭り上げられ、マクシムとは公認の仲に。  アラサー女騎士が、いつの間にかやんごとなきお方に愛されている話。

『身長185cmの私が異世界転移したら、「ちっちゃくて可愛い」って言われました!? 〜女神ルミエール様の気まぐれ〜』

透子(とおるこ)
恋愛
身長185cmの女子大生・三浦ヨウコ。 「ちっちゃくて可愛い女の子に、私もなってみたい……」 そんな密かな願望を抱えながら、今日もバイト帰りにクタクタになっていた――はずが! 突然現れたテンションMAXの女神ルミエールに「今度はこの子に決〜めた☆」と宣言され、理由もなく異世界に強制転移!? 気づけば、森の中で虫に囲まれ、何もわからずパニック状態! けれど、そこは“3メートル超えの巨人たち”が暮らす世界で―― 「なんて可憐な子なんだ……!」 ……え、私が“ちっちゃくて可愛い”枠!? これは、背が高すぎて自信が持てなかった女子大生が、異世界でまさかのモテ無双(?)!? ちょっと変わった視点で描く、逆転系・異世界ラブコメ、ここに開幕☆

子供にしかモテない私が異世界転移したら、子連れイケメンに囲まれて逆ハーレム始まりました

もちもちのごはん
恋愛
地味で恋愛経験ゼロの29歳OL・春野こはるは、なぜか子供にだけ異常に懐かれる特異体質。ある日突然異世界に転移した彼女は、育児に手を焼くイケメンシングルファザーたちと出会う。泣き虫姫や暴れん坊、野生児たちに「おねえしゃん大好き!!」とモテモテなこはるに、彼らのパパたちも次第に惹かれはじめて……!? 逆ハーレム? ざまぁ? そんなの知らない!私はただ、子供たちと平和に暮らしたいだけなのに――!

転生したので推し活をしていたら、推しに溺愛されました。

ラム猫
恋愛
 異世界に転生した|天音《あまね》ことアメリーは、ある日、この世界が前世で熱狂的に遊んでいた乙女ゲームの世界であることに気が付く。  『煌めく騎士と甘い夜』の攻略対象の一人、騎士団長シオン・アルカス。アメリーは、彼の大ファンだった。彼女は喜びで飛び上がり、推し活と称してこっそりと彼に贈り物をするようになる。  しかしその行為は推しの目につき、彼に興味と執着を抱かれるようになったのだった。正体がばれてからは、あろうことか美しい彼の側でお世話係のような役割を担うことになる。  彼女は推しのためならばと奮闘するが、なぜか彼は彼女に甘い言葉を囁いてくるようになり……。 ※この作品は、『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。

【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)

かのん
恋愛
 気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。  わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・  これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。 あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ! 本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。 完結しておりますので、安心してお読みください。

なんか、異世界行ったら愛重めの溺愛してくる奴らに囲われた

いに。
恋愛
"佐久良 麗" これが私の名前。 名前の"麗"(れい)は綺麗に真っ直ぐ育ちますようになんて思いでつけられた、、、らしい。 両親は他界 好きなものも特にない 将来の夢なんてない 好きな人なんてもっといない 本当になにも持っていない。 0(れい)な人間。 これを見越してつけたの?なんてそんなことは言わないがそれ程になにもない人生。 そんな人生だったはずだ。 「ここ、、どこ?」 瞬きをしただけ、ただそれだけで世界が変わってしまった。 _______________.... 「レイ、何をしている早くいくぞ」 「れーいちゃん!僕が抱っこしてあげよっか?」 「いや、れいちゃんは俺と手を繋ぐんだもんねー?」 「、、茶番か。あ、おいそこの段差気をつけろ」 えっと……? なんか気づいたら周り囲まれてるんですけどなにが起こったんだろう? ※ただ主人公が愛でられる物語です ※シリアスたまにあり ※周りめちゃ愛重い溺愛ルート確です ※ど素人作品です、温かい目で見てください どうぞよろしくお願いします。

処理中です...