偏愛侍女は黒の人狼隊長を洗いたい

あきのみどり

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二章

31 笑む ②

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「……」
「……」

 それが離れた途端、急騰するように赤くなった娘を見て──ヴォルデマーは心底砦の外に出てきて良かった、と思った。
 彼はミリヤムのこういった様子に弱い。頬を赤くしてうつむく瞬間見せる困ったような顔や、その後どうしていいか分からずにあわあわと動きだす様子が、とても、いや異常に好きだった。
 数日という時間その顔を目に出来なかった後の口づけは、ヴォルデマーが思うより遥かに理性を蝕んだ。

(……砦内では危なかった……雪があって助かった……)

 冬季の去り際という現在、野外はまだ寒く地面には薄い雪が残る。砦の周囲には、しばらく行かねば集落も無い。こんな寒い場所でミリヤムに無茶をさせるわけには行かないと思うと、幾らか冷静になれる気がした。

「……ふう」
「? ……ヴォルデマー様?」

 彼からしたら、ただ己の熱を逃がしたに過ぎなかったのだが。自分から離れたと思ったら無言でため息を落すヴォルデマーに、ミリヤムが不安そうな顔をする。
 それを見たヴォルデマーは人族は何て便利なんだろう、と、しみじみ思う。
 多くの体毛で覆われた獣人族の顔と違い、人族の表情はとても分りやすい。
 人にもあるように、彼等獣人にも他者の感情を察知する能力には個体差があった。ヴォルデマーは、自分はその能力に長けてはいないと思っている。特に、女性の感情の機微などというものには滅法弱くて、はっきりいって殆ど分らない。
 しかし──ミリヤムはとても分りやすかった。
 彼女は恥ずかしくなれば顔を赤くして目に見えて汗をかくし、焦ればあわあわ動き出す。怒った事も隠さないし、減らず口と彼女自身が自称するように、思ったことは大抵口に出す。落ち込めば壮絶に床に転がって行き──そして、嬉しければ物凄くにやけている。
 本人は恥ずかしくて隠しているつもりのようなのだが、はっきり言ってそれも、もろに顔に出てしまっているのである。
 先程、馬上で抱き寄せた時も、そのにやけぶりというのか、頬の綻び方が半端ではなかった。
 それは、見ているヴォルデマーも思わず微笑んでしまうくらいにとても嬉しそうで。その様子を見ると彼もとても幸福な気持ちだった。
 彼女は素直な性格ではないのだが、面白いくらいに正直な娘なのだ。ヴォルデマーにとってはそれがとても好ましくあり、そして有り難い。

「あのー……」

 そんな事を考えながら、数拍の間ヴォルデマーが黙してミリヤムを見つめていると、沈黙を彼の不満と取ったのか、ミリヤムが若干しゅんとして彼を見上げる。

「申し訳ありません、やっぱり臭かったですか……」

 娘は目に見えて、ずんと落ち込んでいる。それを目にしたヴォルデマーの心の中には、再びじわりとむず痒い感情が広がった。そうして思わず笑んだ己を自覚して、ミリヤムと居ると、こうして自然微笑んでしまう自分を実感した。

 ヴォルデマーはゆるゆると首を横に振る。

「いや……そうではない。好きでどうしようもないなと、思っていたところだ」
「ひっ」

 それを聞いたミリヤムは、白くなりかけていた顔色を再び赤くしてギョッと飛び上がった。
 ヴォルデマーは首を傾げる。

「……こういう風に言うのは駄目なのか? 私は獣人の中でも特に感情が読み難いと言われるので分りやすくしているつもりなんだが」
「う、いや、」

 ミリヤムの顔からはどんどん汗が流れていく。嫌では無いが、とても恥ずかしいのだな、とヴォルデマー。
 遠まわしに愛を語れるほど器用ではない、と付け加えると、目の前の娘は“愛”という単語に更に悶絶していた。




「……さて、そろそろ戻るか」

 しばしそうして二人で雪の上を歩いた後、ヴォルデマーはミリヤムを連れて、木に繋いでおいた馬の下へ戻った。再び軽々馬上にミリヤムを引き上げると、二人は砦を目指して来た道を戻る。
 ミリヤムはヴォルデマーの腕の中で、少しづつ遠ざかって行く山をじっと見つめていた。

──春になると緑が芽吹きまた違った趣きがある──

 先程ヴォルデマーが言った言葉が頭に甦った。

──見れるのだろうか、私はそれを

 そう思うと、ミリヤムの手は自然、ヴォルデマーの服を握り締めていた。

「……」

 それに気がついたヴォルデマーはそっと微笑む。

「ミリヤム」

 呼びかけると、少し陰った顔が彼を見上げる。

「……私は春も、夏も秋も、お前を此処に連れてくる」
「……はい」

 その静かだが、はっきりと伝えられた言葉にミリヤムはほっと安堵しながら、少しだけヴォルデマーに寄りかかった。

(……馬っていいな……)

 ふとそう思った。
 二人で乗ると、自然に寄り添う形になるそれが、ミリヤムは少し嬉しかった。なんせ自分から抱きつくなんてことは、恥ずかしすぎて今のミリヤムにはまだ出来ない。これだと「馬だから」という口実で、当然のように傍による事ができる。
 そして再びミリヤムの、“隠れたつもり”のニヤニヤが始まった。
 それを見たヴォルデマーが密かに噴出している。そうして彼もまた、その上で嬉しそうに微笑んで、馬の手綱を操った。

「……まあ……これ以上はまた決着がついてからという事になるか……」
「?」

 不意にヴォルデマーが落とした言葉にミリヤムが、これとはどれだ? という表情で顔を上げる。勿論上げた時にはその顔は平静を装っている。

「……決着? ですか?」

 ああ、とヴォルデマーは冷静な顔で頷く。

「フロリアン殿との、母との、決着」
「あ、ああ」

 そういう意味か、そうだった、とミリヤムがちょっと現実を思い出してがっくりしそうになった時──かくりとその顔が上を向かされた。

「ぅ? ……っ!?」

 そこに影が落ちて来て。
 再び重ねられた唇が離れた時──ヴォルデマーは穏やかに笑って言った。

「これ以上、だ」
「……………………」

 一瞬、思考が止まったミリヤムの顔から、また、汗が滝のように流れ出した。
 ミリヤムは思った。馬様助けて、と。
 心臓が持ちません、と呻きながら……ミリヤムはこれ以上無いくらい赤い顔で、黒馬の首に抱きつく。

「っっっ!!! 走って!!! 走って逃げたいっっっ!!!」

 ミリヤムの叫びが山間に木霊した。


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