偏愛侍女は黒の人狼隊長を洗いたい

あきのみどり

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二章

32 ふたりの(?)夕食

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 今晩は、共に夕食をとろう

 馬を厩舎に戻している時、そうヴォルデマーに言われたミリヤムは一瞬戸惑いを見せた。

「……え? でも……よろしいのですか? だって奥方様が……」

 アデリナは、ミリヤムがヴォルデマーの傍に行く事を拒んでいる。今一緒にいると知れたらそれだけでも彼女を怒らせそうなのに、そんな真似をして大丈夫だろうかと思った。
 しかしヴォルデマーは、いいのだ、と言う。

「私はお前と食したい。……駄目か?」
「う……っ」

 大きな身体の人狼に少々寂しそうに見つめられたミリヤムは思わず呻いて顔を逸らせた。その自分に注がれる強烈な金の瞳の引力に耐えかねて、目を片腕で庇う。

「そんなっ、そんな寂しそうなお顔をされると……!」
「ミリヤム……」
「ひーっ!」

 更に耳元で囁かれたミリヤムは上ずったような悲鳴を上げる。さっきの今で、その顔を近づけられるという事は、彼女の羞恥心を激烈に刺激した。汗ばむ顔には、また口づけられたらどうしようと書いてあって、今にも跳んで逃げて行きそうだ。
 だが、彼女の手はヴォルデマーのそれにしっかりと、指を絡めるように握られていて。逃げられなかったミリヤムがもう一度「ひいっ」と、叫ぶと、厩舎の馬達が一斉にミリヤムに注目した。

 それを見たヴォルデマーが笑う。
 以前もこの様なやりとりをしたな、と思いながら。 

「……母が気になるのなら後で母にも付き合う。まだ時間は早い。今食せば母達との食事にも間に合おう」
「で、でもそれでは二重に食事の時間が要るということに……」

 只でさえ忙しい砦長は、今回己と予定外の外出をしてしまった。その上で食事に二倍時間を掛けるなど、仕事は大丈夫なのだろうか、とミリヤムは案じた。

「かまわぬ」

 そう言ってよしよしと自分の頭を撫でるヴォルデマーにミリヤムは眉尻を下げる。

「その様な顔をするな、大丈夫だ。その方が仕事の能率も上がる筈だ。情けないが……ここ数日はあまり仕事に手がつかなくてな。食事もあまり」

 その言葉に更にミリヤムの眉尻が下がる。だが今度はちょっと不満がありそうな顔だった。
 ミリヤムはまたヴォルデマーの執務室で「ごはん様」がカピカピになっているような気がした。
 微妙そうに憮然としたその顔にヴォルデマーは内心で噴出しながら、「一緒に食べてくれるか?」と問う。
 するとミリヤムは神妙な顔つきでじろりと長を見る。

「……承知しました。私めがヴォルデマー様の食欲不振を払拭するような夕食をお持ちしましょう。さっそく食のエキスパート、豚の帝王様に相談して来ます! すぐご馳走をお持ちしますから執務室にてお待ち下さい!!」

 と──駆け出そうとするミリヤムを、ヴォルデマーは引き止めた。笑いながらその腕を取り、首を振る。

「いや共に行こう……今離れれば、何処で母の手下に捉まって邪魔をされるか分らない。無駄に暴れたくはない……食事は何でもかまわぬ。それに場所も。お前さえ居ればな」

 その言葉にミリヤムが、うっと仰け反る。

「……そ、そうですか…………」

 憮然としていた顔もあっという間に赤くなって。それが自分でも良く分ったミリヤムはやれやれと思った。
 この人といると、一日に何度何度も恥ずかしい思いをさせられるのだな……、と。
 
(でも──)

 不思議とそれは少しも嫌ではない。
 むず痒くて、逃げ出したいと思うのに、でもどこか満たされる様な気がした。

(…………やばい……これは、中毒になりそう……)

 ミリヤムは、己に新たな偏愛要素が追加されそうな予感がして、顔に沢山汗をかいた。

 
 
 二人は使用人用の食堂に向かった。
 普段ヴォルデマーが食事を取る場所──つまり執務室や隊士用の食堂では、あっという間にアデリナの手が回ってしまいそうだと思ったからだ。
 そうして二人連れ立って食堂に向かうのだが、移動中にもヴォルデマーの口からは平然と赤面ものの台詞が飛び出して。それを浴びせられ続けたミリヤムは、もう半分溶けて死にそうである。

「う……ヴォルデマー様が……今日は雄弁すぎる……」 

 昨日丸一日会えなかったせいだろうか、と思いながらも、やっとの事で食堂に辿り着くと、そこでは丁度サラとカーヤが休憩をとっていた。二人は仲良く現れた二人(ぐったり溶けそうなミリヤム)に心底微笑ましそうな視線を向ける。
 そんな老女達にヴォルデマーが無言で頭を下げると、サラもまた視線だけで「よかったわね」と微笑んだ。

「はあ、はあ……ヴォルデマー様は座ってお待ち下さい……」

 ミリヤムはそうヴォルデマーに椅子を勧めると、早速料理の準備にとりかかった。ここには忙しい使用人達がいつでも食事を摘めるように、ある程度の食事が常に用意されている。
 ヴォルデマーは言われたようにその大人数用の広いテーブルの一番奥に腰掛けると、ミリヤムがちょこまかと懸命に働きながら其処に食事を並べていく様を幸せそうに眺めていた。(……のを、テーブルの反対側に座っているサラとカーヤがガン見していた)……が、ヴォルデマーはそれをスルーした)

 

「…………」

 そうして並べられた料理達を見て、ヴォルデマーがふと笑みを零した。
 鮮やかだ、と思った。
 興味が無い食事をとる時、その色彩は何故だかいつもとても寂しい色に見えた。それは口にしてもなんとも味気なくて。とても食欲が湧くようなものではなかったのだ。
 
 今、ミリヤムがヴォルデマーの前に並べたのは、茶色のパン、茸と芋のスープ、そして木の実に、湯気の立ち上るお茶。あるものを用意しただけのそれは、全体的に茶色が多く、けして彩りが良いとは言えない。並べたミリヤム自身も、その色味の偏りにちょっと困った顔をしている。
 しかし、それでも──ヴォルデマーにとってそれは、この上ない食卓だった。
 温かそうで、良い香りで、そこに彼女が居て。

「……」
「……あの……ヴォルデマー様? お召し上がりにならないんですか……?」

 無言で見ていると、娘が心配そうな顔をした。やっぱり茶色ばかりで食欲が沸きませんか? と、眉尻を下げる娘に、ヴォルデマーは少し笑んで差し出されていた篭の中からパンを受け取った。

「……いや、美味そうだったゆえ眺めていた。……有難う、ミリヤム」

 ヴォルデマーの微笑を見たミリヤムは、ほっとしたようににっこりとした。が──……

「さあ口を開けよ」
「……」

 受け取られたかと思ったら、すぐさま己の方に舞い戻って来たパンを見てミリヤムが軽く目を剥いている。小さめに千切られたそれは、どう見ても手ずから食べよという意味で……
 ミリヤムの顔面がまた緊張に引き攣った。
 そこにあらあらという声がした。赤い顔で横を見ると、テーブルの端のカーヤ達がさっと視線を逸らしたところだった。

「……」

 だがそれも、己が視線をヴォルデマーに戻した瞬間、再び穴が開くほどに見られるのだという事は容易く想像がついた。
 ミリヤムはヴォルデマーに丁寧な断りを入れた。

「……いえ……あの、それはご自分でお食べ下さい……」

 しかしヴォルデマーは首を振る。

「食べさせたい。駄目か」
「ぅ……」

 そのあまりの率直さにミリヤムが呻く。

「……ぅ……いや……その様な事をして頂いては、私め羞恥に食べ物の味がしなさそうでありまして……」
「……そうか……」
「ぐ……」

 途端、ヴォルデマーの三角の耳先が少しだけしゅんとするのを見て、ミリヤムが呻く。

(ミリー……! 己の羞恥とヴォルデマー様のお耳が垂れるのを防ぐのと、どっちが大事だと思っているの!? あ゛ーっっっ!!!)

 ミリヤムは内心で己の羞恥心をぼこぼこにした。出会った当初なら、それでも絶対に受け入れることが出来なかったミリヤムだったのだが──
 ミリヤムは、両手で顔を覆いながら蚊の鳴くような声で言った……

「…………く、……くだ……さい……頂きます……」

 ミリヤムがそう言った瞬間、ヴォルデマーは心底幸せそうに微笑んだ。
 それを見たミリヤムは、──ああもう駄目だ──と、がっくりする。
 もう駄目だ、一生敵いそうに無い、と思いながら……羞恥を堪えて──差し出されたパンを迎える為に小さく口を開くのだった……




 その様子をしみじみと見ている者達が二人。

「……可愛いわ……」
「……可愛いわね……」

 テーブルの端で顔を突き合わせながらじっと二人の様子を見守っていたサラとカーヤは、甘酸っぱさを噛み締めていた。

「はー……堪らないわねぇ」
「本当、良いお茶のおともだわ……ちょっと若返った様な気が──……」

 と、カーヤがため息をついた時、彼女はあるものを目で捉えてぎょっとする。

「? どうかしたのカーヤ?」
「……見てよあれ……」

 怖々声を潜めたカーヤに指差され、サラがその先を──食堂の出入り口を振り返ると──……

「……あらあら……」

 思わずサラは手で口を覆う。
 その視線の先──三分の一程扉の開かれた出入り口の隙間には、金色に光るものが二つ。
 
──アデリナだった──

 アデリナは金の双眸で──じっと、部屋の奥で食事を取っている男女を見つめていた。
 それは凍てつくような冷たい眼差しだった。険しい表情には、無音の怒りが渦巻いている。

 それを目撃してしまった老女二人は──
 壮絶に嫌な予感がするわねえと言い合いながら──茶をすすり続けるのであった。




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