偏愛侍女は黒の人狼隊長を洗いたい

あきのみどり

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三章

4 報せと不安

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 揃ってミリヤム捜索に出払っていた侯爵家のフロリアン達一同は、砦の異変に気がつくのが一歩出遅れることとなった。
 それは彼等がミリヤムの同僚に「彼女が取り込む筈だった洗濯物が干し場に落ちていた」という証言を得たすぐ後の事だ。洗濯番からそれを聞いた彼等は、ミリヤムの身に、“穴に落ちる”といった間抜けな事態以上の何かがあったのではないかと案じた。
 彼女は昔から自分の仕事にとても誇りを持っていて、洗濯物を床に放り出すなどということは考えにくかった。
 それを放り出して行かざるをえない何かが彼女の身に起こった──フロリアンは一瞬ひやりとした不安に胸を押さえる。もし彼女に何かあったとしたら──そう思うと気が気ではなかった。
 そうして不安にせかされた彼は、一先ずルカスと配下達には捜索を続けるよう命じ、一人ヴォルデマーの執務室へ急ぐ。彼のその鋭い嗅覚があれば、きっとすぐに彼女の行方も知れるだろうと、そう思った。

 

 フロリアンは中央棟に踏み入って程なく周囲の様子がいやに慌しい事に気がついた。しかし今はミリヤムが先と、立ち止まる事なく足早に階段を登りきり──
 しかし辿り着いた最上階で、その異様な雰囲気を感じたフロリアンはついに立ち止まる。

「これは……」

 そこは隊士達で溢れかえっていた。
 警備の為……というふうではない。一般の隊士達に混ざり、隊士長といった隊の上官達の姿も見える。皆一様に困惑顔で……場はとても混乱しているように見えた。

「……何か、あったのですか?」
「ああ……リヒター殿……」

 フロリアンがヴォルデマーの執務室の前に進んでいくと、そこにイグナーツがいた。その表情にもまた、疲労と困惑が見える。

 そうして、そのヴォルデマーの側近から告げられた内容に、フロリアンは唖然として青緑の瞳を見開いた。

「辺境伯夫人が……ミリヤムを?……ヴォルデマー様を軟禁……?」
「そうなんです……我等もどうしていいのか……」

 イグナーツは疲れ切っている。彼は隊士長達と奥方を説得しに行くも、突っぱねられたのだと言った。

「我々もミリを探していて……そうですか夫人が……。つまり……ヴォルデマー様とミリヤムの仲に反対して、という事ですね?」
「そのようです……」

 イグナーツは複雑な思いで彼に頷いて見せた。フロリアンは言わば、ヴォルデマーの恋敵である。この事態も突き詰めれば彼にとって都合のいいことのように思えたのだ。

「……それで……ミリヤムは無事なのでしょうか……ミリも砦の何処かに? それともまさか……」

 イグナーツはフロリアンの不安げな問いに、ため息をつく。彼とてあの鉄砲玉のような娘がとても心配だった。

(今は恋敵がどうこう言っている場合ではないか……)

 フロリアンの様子はとても苦しそうだ。冷静に話してはいるが、普段とは違う焦りのようなものをその表情の端々に感じたイグナーツは、よし、と心を決める。
 白豹の側近はちらりと堅く閉じられた長の執務室の扉の方を伺いながら、フロリアンを少し離れた廊下の先に手招いた。
 フロリアンがそれに応じると、白豹は廊下の端で、執務室の中は奥方の兵が監視しているからあの近くで下手なことは言えないのだと言った。

「……おそらくですが、アデリナ様がミリヤムを傷つけることはないと思います。アデリナ様は苛烈なところもおありですが、正義感も強く厳格なお方です。それにあれで……本当はヴォルデマー様のことを溺愛しておられる……どうして今回このような無茶をなさったのかは分りませんが……ミリヤムを傷つければヴォルデマー様とご自分の間に埋めようの無い溝が出来ることくらいはアデリナ様にもお分かりの筈です」
「……そうですか……」

 フロリアンはイグナーツの言葉に頷いたが、表情は優れなかった。“おそらく”という話ではとても安心出来なかった。

「それと……ミリヤムの行方ですが、砦の何処かに捕らえられているということではなさそうです。隊士に砦内を探らせた所、どうやら侵入者があったようで……今件にはギズルフ様が関わっておいでのようです。まあ勿論手引きしたのはアデリナ様でしょう」
「……ギズルフ卿……?」

 その名を聞いてすぐにそれがヴォルデマーの兄の名だと理解したフロリアンは表情を曇らせる。
 ヴェルデブルク辺境伯領のギズルフ・シェリダン。
 彼とは社交界や国王主催の武術大会などで幾度か顔を合わせた事があった。特に、彼は武術大会での成績はいつでも上位で、優勝経験もある猛者である。
 見た目はヴォルデマーと見紛う程だが、寡黙であまり前に出たがらない性質の砦長とは違い、威風堂々とした豪快な人物という印象が強かった。

(……大丈夫かな、ミリー……)

 フロリアンは一層不安になった。ミリヤムの考えるよりも先に口から弾け出でるような発言の数々が、彼の気に障らなければいいが、と思った。

(手荒にされなければいいけど……)

 フロリアンはため息をついて、それからイグナーツを見る。今は案じているだけでは駄目なのだと分っていた。

「……ということは、ミリヤムが連れて行かれたのは辺境伯領の領都ということに……?」
「おそらく……。アデリナ様がお命じになられたといえども、ギズルフ様もそうお暇な方ではありません。領の統治も忙しい中そうそう領地を空けることはありませんから……」
「領地にお戻りの可能性が高いという事ですね? ミリーも共に……。それで……ヴォルデマー様は? 大丈夫なのですか……?」

 フロリアンは執務室の方向に目をやって問う。その扉は混乱した隊士達の人垣に阻まれて今は少しも見えない。
 イグナーツが深くため息をついて首を左右に振る。

「分りません……奥方様は我等を執務室の中に入れては下さらないのです。仕事や食事のやり取りも全てあちらの兵士を介せよとのご命令で……アデリナ様はミリヤムの無事を盾にとっています。これではヴォルデマー様は動きようがありません」
「……」

 そう嘆くイグナーツに、フロリアンはしばし沈黙して思考に耽る。

「……領都…………」
「……リヒター殿?」

 一拍の間、そうして黙り込んだ青年に、イグナーツが怪訝な顔をしている。しかしフロリアンは呼び掛けには応えずに、その数秒後、何かを決意したかのような瞳で顔を上げる。

「どうかなさいましたか? 何か……」
「いえ……此方でも何か策を講じてみます。失礼します、イグナーツ殿」

 そう言ってフロリアンはイグナーツの前から立ち去った。
 
 階下を目指すその途中、執務室の前を横切って──その喧騒を横目に彼は小さく呟いた。

「……ある意味、これはいい機会だよね……」

 その顔に浮かぶ表情は──表現しがたいような──微笑み。

 それは、喜びにも、悲しみの表情にも見える、複雑な顔だった。






「ルカ……」

 そうして自身の家臣達のところに戻ったフロリアンは、幼馴染の騎士に呼びかけ──その姿を見て驚いた。

「……ス?」
「…………はい」

 呼びかけられた青年騎士は仏頂面で主の声に応える。
 その頭からはぽたぽたと水の雫が滴り落ちている。身体はカタカタ震えていた。

「……申し訳ありません、フロリアン様……まだ奴は見つかっていません……」

 フロリアンの元に駆け寄ったルカスは、それだけ言うとくるりと背を向けて幾らか先にある塹壕の中を見に戻る。

「……どうしたの……?」

 フロリアンが問うと、傍にいた侯爵家の配下の一人が耳打ちする。

「実は先程……堀の水面に白と藍色の布が落ちていまして……ルカス殿はそれを見て大慌てで堀の中に……。どうやらミリヤムのメイド服と見間違えたようです。それであのような有様に……」
「…………そう……」

 フロリアンは思わず苦い笑みをもらす。
 その視線の先で、ルカスは重苦しい表情で塹壕の中を灯りで照らして覗き込んでいる。
 この夜間、濡れた服では寒いだろうにそれを拭く事もせず。

「……やれやれ……そんなに大切なら、もっと優しくしてやればいいのに……」

 フロリアンはそう呟いて、
 
 ずぶ濡れの騎士に彼女の行方を報せる為に歩み寄って行くのだった。




 

 そして同じ頃の見習い隊士の隊舎では。


「……え!? なんで!?」
「え!? どうしてですか!?」

 少年達が揃って目を見開いていた。

 牝牛のカーヤは、いやだから、と困った顔をする。

「ミリーちゃんは今ちょっと、大人の事情でお出掛け中なのよ」
「大人のじじょう……」

 その言葉を聞いた途端、ローラントの顔がじっとりとしたものに変わる。

「ミリー……僕のお夜食も作らないで一体どこへ……」
「ローラントがお腹がすいて暴れたらどうしたらいいんですか!? ローラントの実家から送ってきたお菓子はミリーさんが“ドス甘いお菓子禁止、太る”って言って全部没収しちゃったんですよぉ! 代わりのお夜食がなかったらローラントが苛々しちゃいます!!」
「……ローラントちゃん、そんなことまでミリーちゃんにさせてたの……? ミリーちゃん洗濯番じゃなかったかしら……」

 わっとエメリヒが泣き出して、カーヤが呆れたような顔をした。
 ローラントは口を尖らせて問う。なんだかとても恨みがましい表情だ。

「で、大人の事情って何? 子供の耳に入れられないほど爛れた事情ってこと?」
「ただれた……いえ、そうではなくて。どうもミリーちゃん、奥方様のお怒りに触れたみたい。この間ヴォルデマー様と照れ照れ仲良くしてたからねえ……アデリナ様にも困ったものだわ。若人の恋愛事情に口出しするなんて。まあ、ミリーちゃん人族だから血統の問題が立ち塞がるのね。ああ可哀相なミリーちゃん……」

 よよよ、と嘆き始めたカーヤを少年二人は怪訝そうな表情で見ている。

「……何? つまり、ミリーはアデリナ様に嫌われてるってこと? 痴女だから?」
「違うよローラント、人族だからって今カーヤさんが言ってたじゃないか……」

 混血のエメリヒがちょっとしゅんとしてそう言った。彼の両親もまた、結婚前は血統の問題で多方面からの反対にあったらしい。それを思い出したエメリヒは一層ミリヤムを気の毒だと思った。

「ミリーさん、かわいそうだな……」
「……」

 エメリヒの言葉にローラントが黙する。
 ローラントは目を細めた。ベアエールデ随一のぽっちゃりもふが何かを真剣に考え始めた。そんなローラントにエメリヒが問う。
 
「ローラント、僕達に何か出来ないかな……?」

 こういう時のローラントは妙に頼もしいところがあった。しかも今は彼の大切な「夜食」が掛かっている。きっと何かいいアイディアが……とエメリヒが期待を寄せた時──白いたぷたぷお腹から、

 ぐるぐるぐー

 と、音がした。

「……」
「……駄目だ、お腹がすいて考えがまとまらない……」

 少年達は途方に暮れた。




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