偏愛侍女は黒の人狼隊長を洗いたい

あきのみどり

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三章

3 ヒキガエル

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 その城は威厳に満ちていた。

 辺境伯の住まう城はベアエールデ砦から北東に下った領都に在る。
 そこを訪れた者がまず目にするのは広い河川に囲まれた巨大な石の市壁だ。
 国境からもほど近い位置におかれた都市ということもあって、その領都の守りは非常に堅固に作り上げられていた。
 跳ね橋を渡り河を超え、城門棟を抜けて、市壁の中の市街地を抜けると、やっと城の城壁が見えてくる。そして再び城門棟を抜けたその内に、その訪問者を圧倒するような威厳に満ちた石の城はそびえ立っていた。
 
 ミリヤムは、その石の城の前に立ち、なんて大きな、と息を呑んだ。
 しかし如何にもヴォルデマー様のご実家らしい、とも思う。いや、実家と評するには些か規模が桁違いな感は否めないのだが。
 風格があって厳格そうなその雰囲気は、どこかヴォルデマーの人となりと通ずるところがある様な気がした。それはミリヤムが元居た美麗で豪奢なフロリアンの邸とはまた違う空気感だった。


「………………」
「おい、立ち止まるな」
「ぐえ」

 ミリヤムが一瞬歩みを戸惑うと、後ろからひょいとつまみ上げられた。
 ギズルフだった。
 どうやら彼は、此処に来る数時間で、口の減らないこの娘にはこうした方が早いのだと思い知らされたらしい。
 ギズルフは、開門の間肩から下ろしていたミリヤムをもう一度担ぎ上げると、城の中へ足を進めていく。
 その少しも疲れを感じさせない様子にミリヤムは舌を巻く。
 何故ならば、彼等は本当に足が速くて、ものの数時間でここまでやって来てしまったのだ。その足は並みの馬などよりもよっぽど早かった。しかも彼等は殆ど休憩も必要としなかったようなのだ。
 その身体能力の高さには流石のミリヤムも青くならざるを得ない。はっきり言ってその肩に担がれての旅路は、早すぎて怖くて寒くて気持ち悪かった。

(……神様、フロリアン様(ミリヤムの中で神と同列)……死ぬかと思いました……人狼さん達は、そこは道かと突っ込みたくなるような断崖絶壁を道だと思いこんでおられます……)

 一体何度、そこは道じゃない! と叫んだ事か。お陰で声も枯れてガラガラとおかしな声が出る。

「怖かった怖かった……吐きそう吐きそう吐きそう、うっ……」

 青ざめてギズルフの肩の上でぶつぶつ言っていると、黒い人狼は苛々したように唸った。

「煩いぞ……貴様、一時として黙っていられないのか? その気味の悪い呟きを止めろ。夢に出てきそうだ」
「まあうふふ……復讐の機会ですね」

 ミリヤムは青ざめた顔で引き攣って笑う。

「……」
「これくらい大目に見て下さいよ……ここが何処だと思っておいでなのですか? 辺境伯様のお城でしょう? こんなところにまで高速移動させられて来て、青ざめるなって方がおかしいですよ……辺境伯様といえば……物凄く大柄な人狼様で、怖いお顔で牙は鋭く、その眼光に睨まれると一瞬にして死について考えさせられるとか、自分がヒキガエルになった様な気がするとか巷で言われているお方ですよ!? そのお城!? 怖い!!」
「ヒキガエル……」

 ミリヤムが戦慄くと、ギズルフが半眼で微妙な表情を作った。ミリヤムは尚も嘆く。

「怖い! はっきり言わせていただけるなら物凄く怖い! そんなお方の前で正座で“お前とヴォルデマーはつり合わぬ”なんてお説教されたら、“ああそうですよね、私めはヒキガエルですものね”、なぁんて、思ってしまいそうで怖い!!!」
「…………」

 あ゛ー!!! と、叫ぶミリヤムを、ギズルフはとうとう無言で配下に押し付けようとした。
 もう付き合ってられぬ、と思ったらしかった。

「!?」

 しかしそれを察したミリヤム。
 己が荷物のように受け渡されそうになるのを見て、彼女は咄嗟にギズルフの腕を掴む。

「!? なんだ……?」

 捉まれたギズルフが眉間に皺を寄せると、配下の兵がぎょっとしてミリヤムを引っ張る。

「おいお前! ギズルフ様に何をする! 離せ!」
「いーやーだー!!!」

 兵に引っ張られるミリヤムは真っ赤な顔をして必死でギズルフの腕にしがみ付いていた。

「な、んなのだ貴様……」
「ヴォルデマー様のお兄様! お願いです! 報せて下さい、今すぐに!!」
「……報せる……?」
「ベアエールデです! ヴォルデマー様に、私が此処にいるってちゃんと報せて下さい!!」

 ミリヤムは必死に言い募った。

「私めこの間、雪の中で遭難しました。その時ヴォルデマー様も皆様も懸命に探して下さったんです!」
「……何……?」
「私みたいな使用人の為に……夜間に沢山の隊士様達が捜索に駆り出されて……私がこのまま行方知れずになったら皆様にまた同じ様な迷惑を掛けてしまうかもしれません。お願いですからせめて私が此処にいるのだと砦にお知らせ下さい。砦は国境の守りでしょ! 隊士の安眠妨害は防御力の低下を招きますよ!? いいんですか!?」
「…………」
「お前、ギズルフ様に脅しのような真似を……おい! いい加減ギズルフ様を離せ!!」
「のわっ!!」

 ミリヤムは必死で食らいついていたが、兵士の腕力の前についにその手が外された。
 ミリヤムはなんと無情な、と兵士を睨んでいる。

 ギズルフはそんなミリヤムを無言で眺めていた。
 報せるも何も、アデリナは既にそれをヴォルデマーに報せている筈だった。
 砦の中を調べれば、ヴォルデマーはすぐに侵入者がギズルフ達である事を突き止めるだろうという想定の下、そうするつもりだとアデリナは言っていた。
 その上で、アデリナはヴォルデマーを砦に引き止めて、その間に娘から別れを決断させるつもりでいるのだ。決断しない場合は強制も止む無し。それが母の考えだ。
 娘については現在調査を進めていて、元は隣領の侯爵家に仕え、その三男に寵愛を受けているという事は調べがついていた。また、その三男フロリアン・リヒターが娘を追うようにしてベアエールデに入ったという事も。
 公式な話ではないが、嘘か真か侯爵家の三男は娘を娶る気でいるらしいという話も聞こえて来ている。身分違いにも程がある話ではあるが、アデリナはあながち嘘ではないと考えているようだった。
 それというのも、先日彼女宛てに侯爵家の家臣からヴォルデマーと娘の恋仲を告発するような手紙が届いていたからだ。
 侯爵家側にも二人の仲を危惧している者がある──その手紙をそう理解したアデリナは、引取り手があるのなら話も早い、とそう考えたようだ。
 娘を再びヴォルデマーに会わせる事なく、侯爵領に送り帰し、二度と領から出さぬよう侯爵に要請することはアデリナにとっては難しい話ではなかった。広い領土を持ち、国境を預かる辺境伯の権力は強く、侯爵家にもけして引けを取らないのだ。
 既にその申し入れの書状は、辺境伯領を出て侯爵領を目指している。

 ギズルフは静かな視線でミリヤムを見下ろす。 

「……もう夜更けだ、黙って休め。夕食も用意させる。食って、寝ろ」
「あ! お、お待ち下さい!!」

 立ち去って行くギズルフにミリヤムは悲壮な顔をした。
 彼とは反対方向に連れて行かれそうなミリヤムは、傍にあったこんもり丸い犬?の置物に縋りつく。
 
「誘拐犯様ああああ!!!」
「その呼び方はやめろ!!!」






 そうしてミリヤムがギズルフの配下に連れてこられたのは、どうやら客間だ。
 兵士にもう嫌だ、構っていられない、という風に部屋に放り込まれたミリヤムは、背後でバタンと閉められた扉に一拍遅れてへばりつく。
 扉を片足で踏みつけて、踏ん張ってドアノブを引っ張った。

「こらあああ!!! 国防を蔑ろにするのかああああ!!!!」

 しかし暫らく頑張ってみても扉はびくともしなかった。時折その向こう側から「静かにしろ!」と怒鳴られる。
 
 そうして一時間程粘ったミリヤムであったが……それでも扉が開かれることはなかった。
 ミリヤムはとうとう力なく項垂れて深く長いため息をついた。それから床の上に膝をつき、気力の感じられない様子で天井に向かって拝む。

「……神様、フロリアン様(ミリの中で神と同列)、取り合えず死にませんでした……御加護に感謝します……でも一体どうしたら……ヴォルデマー様……」
 
 その顔を思い出すと泣きそうだった。心配してるだろうなと思うと胸が張り裂けそうだ。
 おまけに今、砦にはフロリアンとルカスも居る。当然あの心優しい青年は己の事で心を痛めるだろう。

(あああ……本当に私を探して、大々的な捜索なんかしてたら……どうしよう……)

 この間も己の不注意でヴォルデマーや隊士達を煩わせたばかりのミリヤムは、申し訳なさ過ぎて胃が痛かった。痛みが差し込んでくる腹を押さえて身体を折畳む。
 
「駄目だ、痛がってる場合じゃない……何か、此処にいるって報せる手立て……いや逃げる手立ては……」

 アデリナがとうにヴォルデマーに己を連れ出したと宣言していることを知らないミリヤムは、何とかしなければと思った。勿論彼が軟禁状態であるなどミリヤムには思いもよらない。

 ミリヤムは立ち上がり部屋の中を探り始めた。
 しかし窓は打ち付けられているのかびくともしなかった。いや、開いた所で高さもあるし、外には巡回の兵がうろうろしていて、とてもじゃないがそこから抜け出すのは無理の様な気がした。紙やペンのような備品もなかった。勿論手紙を書いたところで届けてくれるような宛はないのだが……

「……やっぱり外にいる時に、ギズルフ様から何とか逃げ出すべきだった……!」

 ミリヤムは開かない窓枠に手を添えたまま項垂れた。 
 あの屈強な戦士が万が一にでもミリヤムを取り逃がす等ということはなかっただろうが、それでもそう呻かずには居られなかった。

「……」

 浮かない気持ちで顔を上げると、窓からその下に広がる領都の市街地が目に入った。

(……なんて大きな……。……)

 それを眺めていると、ミリヤムには奥方がどうして己をここに連れてきたのかが分かったような気がした。

 圧倒的で大きなこの領都。
 奥方はこの領都をミリヤムに見せて間接的に言っている。それを悟らせようとしているのだ。

 どうだこの領は、と。
 この圧倒的な領の頂付近に、ヴォルデマーは立っている。
 お前はそのヴォルデマーと釣り合いがとれると、本当に思っているのかと、奥方は言いたいのだろう。


「…………ヒキガエル……」
 
 ミリヤムは顔をくしゃりと歪めて小さく呟いた。

 己の小ささを突きつけられた気がした。
 噂の領主に会う前に、もう既に、己がヒキガエルになってしまったような気がした。




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