偏愛侍女は黒の人狼隊長を洗いたい

あきのみどり

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三章

11 昇格。虫からヤモリ

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「おい貴様」、と呼びかけられたミリヤムは顔を上げた。

「はい、なんでしょうか若様」

 ミリヤムをこの場所に連れてきた大きな黒い人狼は、しゃがみ込んだ彼女を見下ろして静かに言った。

「俺は……お前が──恐ろしい」

 ずんとした様子は、きっと彼が人族だったら青ざめているのだろうな、とミリヤムは思った。
 
「……はあ……しかし此処に私を連れておいでになったのは……確か若様ではありませんでしたか?」

 と、しゃがみ込んだまま言うと、ギズルフは両手で顔を覆ってさめざめと嘆き始めた。

「だが……そんな、訓練用の剣すら持ち上げられないなんて──思わなかったんだ!!」
「はーこれ訓練用ですか? めっちゃ重いです」

 ミリヤムは己が柄を握ろうとしている床に転がった剣をまじまじと見た。
 ギズルフが昔使っていたというその刃の無い剣は、人狼用なのか、それともただ単にギズルフ用が重すぎるのか。ミリヤムの人族普通サイズ(やや小さめ)の手では少しも持ち上げる事が出来なかった。
 それをミリヤム自身が嘆くのならまだしも、先にじめじめし始めた辺境伯の嫡男にミリヤムが微妙な顔をした。

「……これで素振りは無理ですねえ」

 よくこんな物振り回せるな、とミリヤム。

「そんな馬鹿な……それが俺の手持ちの中で一番軽いんだぞ……怖い……お前は弱すぎる!! 今にも死にそうな気がして怖い!! お前は俺達一家に破滅をもたらす!!」
「ああ、兄弟喧嘩を勃発させそうだからですか」

 ギズルフはミリヤムが死んだら(「死ぬか!」※ミリヤム談)自分はヴォルデマーに殺されると思い込んでいる。

「折角鍛えてやろうと思ったのに……それすら持てぬのであれば、俺様は一体どうしたらいいんだ!?」

 そう嘆くギズルフと、それを生暖かい目で見ているミリヤムがいる此処は、城内の稽古場である。
 今朝の朝食が終わった時刻、ギズルフがミリヤムの客間にヘンリック医師を連れてきた。ヘンリック医師にミリヤムがもう大丈夫だと知らされた彼は、彼女を稽古着に着替えさせると、この稽古場に連れて来たのだった。
 どうやら昨日の宣言どおり、ミリヤムの腕を二倍にするつもりのようだった。

 部屋に篭っているだけでは砦の心配で鬱々してしまうミリヤムも何もしないよりは、と、大人しくついて来たのだが、これがもう手渡される武器のどれもが信じられないくらいに重かった。そうして最後に手渡された一番軽いという剣をやはり持てなくて、取り落とし、今に至る。

「……とりあえず若様落ち着いて下さい。私そんなにころっと逝きませんから。大丈夫、天の神様もきっと、若様の頑張り分くらいは私めの寿命を延ばして下さいましたよ。ね?」
「真か……? 真にころっといかぬのか?」
「ええ、ええ。逝きませんとも」

 とりあえずこれを仕舞って下さい、と床に転がった剣を指差すと、ギズルフはそれをひょいと持ち上げて、傍の護衛兵に手渡した。誰も重そうにしない様子を見て、流石のミリヤムも若干納得いかなそうな顔をする。

「……そんなに力の差が……? いや……あれにはきっと人族には使えないとかいう魔法が掛かって……」
「そんなわけあるか! だから言っているであろう! もっと危機感を持て! お前は非力だ!!」
「……」

 自らを攫った相手に危機感を持てと言われてしまったミリヤムが、また納得出来なさそうな顔をしている。

「……はあ、まあいいですよ。若様の“貴様が虫の様にぷちっと逝きそうで怖い”発言が、あながち嘘でもない事が分りました。今後は若様の振り向きざまの肘鉄とかを喰らわない様に気をつけます。吹っ飛ぶくらいはしそうです。手足はもげませんけど。ところで……午後は辺境伯様のところに行くと仰っていませんでしたか」

 辺境伯が本日の午後時間が空くという事で、体調も戻ったミリヤムは、昼食の後に執務室に来るように命じられた。

「まあ、いつまでもこうして若様のご面倒を見ているわけにも行きませんしねえ」

 ミリヤムがそう言うとギズルフが不快そうな顔をする。

「何を言う。誰が誰の面倒を見ていると? 貴様の面倒を見ているのは俺様だ!!」
「……そうですかねえ……」

 ミリヤムはギズルフの言葉に懐疑的だ。どうもヘンリック医師の様子を見る限りでは、このヴォルデマーとは正反対な、強くて高圧的な割りに臆病な嫡男の面倒を見させられている様な気がしてならない。ヘンリック医師がミリヤムを見る目は、砦の年老いた同僚達が可愛い顔してさりげなくミリヤムに何かを押し付ける時の目にそっくりだ。

「……結局世は賢いお年寄りに牛耳られているわけですよ……!」
「……何を言っているのかさっぱり分からん。まあ良い……剣も持てぬのであれば少し走れ。まだ時間はある」
「はあ、了解です」

 稽古場の中を指差されたミリヤムは、走り出す。が──
 
 暫らくそれを見ていたギズルフに、結局ミリヤムは走るのを止められてしまう。
 ギズルフは、また耳をぺったり後ろに倒し、尻尾をまいてミリヤムに言った。

「……やっぱりやめてくれ……お前がいつ転んで怪我をするかと思うと身体の震えが止まらん!!」
「…………」

 結局何がしたいんだ、この人は。と、呆れるミリヤムだった。






「……それで……どうして私はいつも若様に背負われるんでしょうか……」

 結局汗のひとつも搔かぬまま稽古場を後にしたミリヤムは、ギズルフの背の上で神妙な顔つきで問うた。

「どうしてだと? 決まっているではないか。貴様が後ろを歩くのが怖い。目を離した隙に後ろでこけられるのが怖い。かといって貴様が俺の前でこけて万が一俺がお前を踏んだらどうする? きっと俺はお前の肋骨を踏み割るだろう。だからだ」

 後ろの監視の兵達もお前を踏み割らぬとは言いきれぬ、と真顔で言われてミリヤムは成程、と頷いた。

「若様なりにお考えがおありなんですね。若干ズレと大げさ感が拭いきれませんが。重くはございませんか? 何も若様自身が背負われる必要は無いと思うのですが」

 ミリヤムはそう言って背後をついてくる兵を見るのだが、ギズルフは、人任せにするのが怖いとぶるぶるして答えた。

「貴様は弟の“気に入り”だ……万が一があっては困る。もし誰ぞに貴様を預けてお前の腕がもげるようなことがあれば、俺はその者を処罰しなければならない。それは駄目だ」

 それを聞いたミリヤムがギズルフの背中で「なんと」と、目を丸くした。

「若様! 素晴らしい! 素晴らしいお慈悲です!!」

 ミリヤムは懸命に手をたたいた。坊ちゃま勤めが長かったミリヤムは、高貴な人が見せる立派な心構えに弱かった。その盛大な賛辞に、ギズルフの倒れきっていた三角の耳がぴょんと立つ。

「……そうか?」
「ええ、ええ。感動です。さすが御嫡男様。まるで……我が坊ちゃまのようでございます!!」
「あ?」

 その言葉にギズルフが怪訝な顔をする。

「坊ちゃま……? なんだそれは。褒めているのか!?」
「勿論です。何言ってるんですか、最上級です。これ以上上はありません」

 きっぱりとした物言いに、ギズルフの耳がまた倒される。

「何……? 貴様の言っていることはさっぱり分からん……もう良い……とにかく貴様は絶対に其処から落ちるなよ! 死んだら許さぬからな!!」
「畏まりました。若様の美しい心遣いの為に、ヤモリの如く引っ付いております。ご心配なく!」

 ミリヤムは勇ましく頷くと、ギズルフの背にギュッとしがみ付いた。
 
 そのおかしな二人組みはずんずん廊下を進んでいく。
 その彼等について歩く兵達は皆思った。「飼い主とペット(ヤモリ※ミリヤム談)みたいだな……」、と。

 

 そうして客間で昼食(肉)を与えられたミリヤムは──

 
 いよいよ辺境伯の執務室へと向かう事となったのだった。







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