偏愛侍女は黒の人狼隊長を洗いたい

あきのみどり

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三章

7 ギズルフはミリヤムを虫だと思った

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 ミリヤムは夢うつつに聞いていた。

 誰かと誰かが、遠いような、近いような場所で話しをしている声がする。



──……眠っていますなあ。おお、何という大口……鼻呼吸が苦手なようだ……

──本当か!? 本当に眠っているだけなのか!? 行き成り倒れたんだぞ!?

──過労、寝不足、あとは精神的緊張のかかり過ぎといったところですな

──本当にそうか……!? ……もしや腹に子がおるなどという事では……


 と、いう不安げな声をうつらうつらと聞いたミリヤムはカッとなった。


──んなわけ、ないわい!! 

 
 と、強く思って──またすとんと何も考えられなくなった。兎に角眠くて眠くて仕方なかった。





「……」
「……」

 ギズルフと医師は、束の間身体の動きを停止して娘を凝視していた。
 たった今、寝台の上で眠っていたはずの娘が、がばりと起き上がったかと思うと、行き成り叫んで、また、ぱたりと眠りに落ちたのだ。

「……寝……おい、今のは……ね、寝言だったのか!?」
「…………子はおらぬ、と」
「いや、寝言であろう!」

 冷静にカルテにメモを取る医師に、ギズルフが目を剥く。

「まあ……特にそんな兆候も見られませんな。こればっかりはもっと然るべき診察をしないと分かりませんが。しっかり調べるのなら、人族の医師に診せなされ。それとあまり、精神負担をお掛けにならぬよう。ほれ、若様が余計な事を仰るから。御覧なさい、あの眉間の皺を」
「……」

 老医師の言うとおりミリヤムの眉間にはさっきまではなかった縦皺がくっきり浮かんでいた。

「暫らくは安静にさせることです。あとしっかり食べさせる事。さっきから腹の音が鳴り止まぬではありませんか」

 老医師の言う通り、ミリヤムの腹からは、ぐーぐるぐるぐーと音が鳴りっぱなしだった。微妙な顔をするギズルフの前で、老医師が、ふぇ、ふぇ、と笑う。

「活きの良い腹の虫じゃ」
「……」

 ギズルフが無言でいると、医師は表情を少し引き締めた。

「しかし……この様に腹が悲鳴を上げるほどに空腹ならば、普通は直ぐに目が覚めるものです。それでも起きられぬということはかなり負担があったという事。若様……本当にこの娘さんがヴォルデマー様の大切なお人ならもっと用心なさいませ。わしはまた、兄弟喧嘩の末の治療なぞしたくありませんよ」

 その言葉にギズルフが舌打ちする。

「……人族の女の扱いなんぞ知らん。ああ……ヴォルデマーの奴……厄介な……!!」

 ギズルフが苛々と部屋の中を行ったり来たりしているのを医師は困ったように見ている。

「若様……人族の娘は我々より体力がなく、身体も頑丈ではありません。若様も、そして奥方様もその事を失念していらっしゃる。肩に担いで長時間運ぶなど……あまり手荒になさいますな。ぽきっと行きますぞ」
「ぽ、きっ、と……だと……?」

 その言葉にギズルフは怯む。
 確かに彼の言う通り、脈をとった時に布団から出された娘の腕は己の半分の太さもなかった。
 しかも昨日担いだ感覚では、力のあるギズルフからすると娘は非常に軽い。人狼達は人族よりも身体能力に優れている分、筋肉量が多く、もっと身体の重量がある。眠る娘と同じ体格、同じ年頃の人狼娘でももっと体重があり、そして頑丈なものだった。
 昨晩はそんな娘の軽さも「荷物にならなくて良い」くらいにしか思わなかったギズルフは、娘に特に気遣いはしなかった。終始、娘の口があまりにも元気過ぎたから余計にだ。
 
 ギズルフはぞっとした。
 彼には、自分が人狼の中でも特に力が強く、ガサツな方であると自覚があった。頻繫に物もよく壊す。何事にも丁寧に当たる弟ヴォルデマーとは違い、この歳になっても未だ、もっと品のある所作をせよと母にも度々睨まれていた。これまではそんな母の叱咤も何処吹く風で、自分のやりたいようにやって来たのだが……

「……」

 ギズルフはこれまで身の回りにいた人狼娘達には感じたことのない感情で眠る娘を凝視した。

 己の怪力のせいで、ただでさえチビなこの娘の首が、例えば虫のそれのようにぽきっと折れでもしたら──

 そう思うと血の気が引いた。

「…………そんな壊れ物だったのか……」

 恐怖しかないギズルフだった。
 
 

 
 老人狼医師の進言で、結局ミリヤムの謁見は二、三日後、という事になった。伯の話を聞いて吐き気をもよおす程ならば、少し体力の回復を待ってはどうか、と。
 すっかり恐れおののいたギズルフは、あっさりそれを許可する。
 そうしてミリヤムは昏々と眠り続けた。いびきの代わりに腹の音を響かせながら。
 
 そんな彼女が再び目を覚ましたのは、その日の夕刻の事だった。


「あ、れ……」

 寝台の上でぼんやり覚醒したミリヤムは、一瞬天井の様子が普段と違うことを不思議に思った。
 するとそこに、ぬっと誰かが自分の顔を覗き込む。

「おや、目が覚めなさったか」
「?」

 不意に視界に現れた灰色の人物に、ミリヤムは寝ぼけ眼を手で擦った。
 相手が年老いた人狼であることをなんとなく認識すると、ああ、そうか、と呟く。

「えっと……ギズルフ様に荷物運びさせられたんだった……あれ……私いつの間に寝……?」

 多分そこは“荷物のように運ばれた”ではないだろうかと医師は思ったが、まあ寝起きの人間の言う事である。医師は訂正することもなく不思議そうにしている娘に微笑みかけた。

「顔色がいまひとつじゃが少し何か口にすればマシになるでしょう。今食事を用意させますからな。それまでもう少し横になっておられよ」
「……食事……に、にくは……肉は嫌にございます……」

 うなされる様に言う娘に老医師は笑う。

「ええ、ええ。分っておりますとも。ギズルフ様も少し脅しておきましたからな、ゆっくり養生なさると良い」
「……?」

 如何にもおかしそうにくつくつと笑う老人狼を、ミリヤムは首を傾げて眺める。

 そうして医師が持って来てくれたのは、ニンニク臭い肉などではなく、温かい粥とさっぱりと甘い果実だった。

 それをもそもそゆっくり食べていると、いつの間にか部屋の扉が少し開いていた。
 そこから顔半分で室内を覗き込んでいたのは……

「あれ……? ギズルフ様……?」
「おやおや……」

 老医師が笑う。ミリヤムは怪訝に首を捻る。
 ギズルフはなんだか怯えた目でミリヤムを見ていた。耳も後ろにぺったりしていて、なんだか頭が丸く見える。

「なんなんですか……あのお方は……ヴォルデマー様と同じお顔でああいうのホントやめて欲しい……」

 ミリヤムは嫌そうな顔をした。ただ眠っていただけの自分が何をした、と。
 その隣で老医師は、その普段は屈強で勇猛な嫡男の、柄にも無い様子に大爆笑するのだった。

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