偏愛侍女は黒の人狼隊長を洗いたい

あきのみどり

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三章

24 さみしさ

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「話を聞こう」

 そう言うアタウルフに連れられて、彼の執務室に場所を移したヴォルデマーとミリヤム。(「お前はいい、自分の部屋を片付けろ」と、言われたギズルフはかなり不満げに引き上げて行った……)

 その室内にある長椅子に二人が並んで腰を下ろすと、その向かいにアタウルフが座った。そして穏やかな表情で息子を見て、問う。

「此度の件で、お前も色々言いたいことはあるだろうが、まずはお前の口からお前の希望を聞きたい」

 私はまだ手紙やアデリナからの話しか聞いていないからな、とアタウルフ。
 ヴォルデマーはそんな父に頷いて見せ、頷いてから、彼は隣でハラハラと己を見上げているミリヤムの手に自分の手をそっと重ね、答えた。

「ミリヤムを、妻に」
「う、」

 その短い言葉に、それを向けられたアタウルフよりも、当事者であるミリヤムが一番動揺している。繋がれた手にほんのり染まっていた頬の赤みが一気に耳まで広がって、額にはじんわり汗が滲んでいた。
 ヴォルデマーはそんなミリヤムの反応に最早慣れてきたのか、父に視線をやったまま、そのミリヤムの顔の汗をさりげなく手ぬぐいで拭っている。

「……」
「他の如何なる娘も娶りません」
「……相変わらず簡潔にものを言うやつだ。……それはつまり、我々には従わないと言うことだな?」

 伯の言葉にヴォルデマーが「ええ」と頷く。

「家を出て、父上からお任せ頂いた砦長の職も辞するつもりです」
「!!??」

 それを聞いた瞬間、ざっとミリヤムの顔色が分かりやすく変わった。

(……ヴォルデマー様、家族に受け入れてもらえるよう尽くそうって、言ってたのに……)

 別にミリヤムは辺境伯家に嫁として迎え入れられなくてもいい。だが──ミリヤムの脳裏には、それを告げられて、おんおん泣くイグナーツやその他の隊士達の姿が思い浮かんだ。

(おおお……どうしよう、イグナーツ様が涙の海に沈む……)

 青くなっているミリヤムを余所に、親子は淡々と話を進めていく。 

「……家を出るか……」

 アタウルフは目を細めて息子の言葉を呟いた。
 
「それはお前の立場を考えると、あまりにも先走った結論なのではないか?」
「いえ、私なりに良く良く考えての事だと思っております。……父上も母上もそれをならぬと言う。だが私もけして譲らない。では……板ばさみになったミリヤムは──? 私は、彼女が自分は日陰の身も構わないなどと言い出しかねないと思っています」
「ぅ、」

 その言葉にミリヤムがぎくりと顔色を変えた。
 確かに彼女は先日アタウルフと食事を共にした折に、そう彼に宣言していた。傍に居られなくなるのなら、それでもいいと考えた。どうあっても自分には彼の両親が望むような人狼純血の子供など産む事が出来ないのだから。

 繋がれた手からはミリヤムのそうした動揺がありありと伝わって来て。ヴォルデマーはやはりと、ミリヤムの顔を見やる。ミリヤムはおろおろと視線を彷徨わせていた。

「その様なこと……私はこの者にさせたくはないのです」
「ふむ……」
「……勿論、叶うならば、父上達にも彼女を受け入れて貰いたい。しかし、私は幾度となく母上の説得を試みましたが、それは平行線のままでした」
「それも仕方の無いことよ。お前が同族でもなく、身分も無い娘を娶ると言えば、我等だけでなく重臣達の中からも不満が出る。血の問題は同族皆の問題だからな」
「ええ。分かっています。しかし、領主の息子として、人狼族の為、他の娘を正妻として迎え入れろというところがその妥協点だと言うのなら……仕方ありません。私はそれを拒否します。それではミリヤムばかりか、その正妻に迎えられた娘までをも不幸にする事になる。……それが領主の息子として失格だと仰るのなら、家門を去る他無いのではありませんか? その諍いを残したままミリヤムを領地で娶るわけにも、父上達の庇護下である砦でそうするわけにも行かないのですから」
「……」

 ヴォルデマーは難しい顔をしているアタウフルの顔を見た。

「父上、御意思に従えず申し訳ありません。しかし、私はこの者に妻となって欲しいと請いました。私が、請うたのです。ならば、請うた側が何かを犠牲にすることはあっても、請われた者に側女などというものに身をやつせと強いるのは道理が通らぬと考えます」
「……」

 その言葉に、でも、と異を唱えたのは父ではなかった。ヴォルデマーとアタウルフは、その声の主に同時に視線を送る。
 ミリヤムは苦しそうに奥歯を噛むような表情で、ヴォルデマーの顔を見上げていた。

「お話中口を挟んで申し訳ありません……でも……そしたら砦はどうなさるのですか……? ヴォルデマー様が居なくなったらイグナーツ様達がきっと悲しみます」
「ミリヤム……」

 不安げに己の手を握る娘の顔に、ヴォルデマーは彼女に向き直り、そしてその手を優しく握り返した。

「ミリヤム、イグナーツ達なら大丈夫だ」

 その言葉にミリヤムは、そうでしょうか……と、しょげた顔で嘆く。

「イグナーツ様は……かなりの泣き虫です。私めなんかが遭難しかけた時だって物凄い泣きっぷりだったではありませんか……失う対象がヴォルデマー様ではきっとその比較にならないくらいに涙されると思います。イグナーツ様は、イグナーツ様がもし女性だったら、ウラ様並みにヴォルデマー様の嫁の座を狙っていたかもというくらいにヴォルデマー様が大好きなんですよ?」

 ミリヤムが悲しそうな顔でそう言うと、ヴォルデマーが苦笑した。
 そうして彼は微笑みながらミリヤムの髪を撫でる。伯はその息子の愛しげな顔を無言で眺めていた。

「大丈夫だ……確かにあやつは良く泣くが……お前がその様な心配をして、そのせいで私の側女になるなどという事になれば、その方が余程奴を泣かせると言うものだ。あやつは口で言うよりも強くお前の事を案じている。違うか?」
「……ぅ……」

 それを聞いたミリヤムは、そうかも、と思わず押し黙る。
 確かにあの心配性のイグナーツだ。あの情の深い白豹は泣き、そして猛烈に怒りそうだ、とミリヤムは思った。

「……そうか……も……、そう、ですね……確かに……イグナーツ様優しいから……」

 ミリヤムは、出会った当初、ミリヤムが彼の名を正確に覚えたというだけで、自分をぶんぶん振り回して喜んでいた白豹の姿を思い出した。
 そんな彼に側女になりますなんて言ったら、猛烈に叱られる様な気がした。

「……それに……」

 複雑そうに黙り込んだ娘に、ヴォルデマーは駄目押しとばかりに続ける。

「言いたくは無いが……お前の大切な主、フロリアン殿とてそれを許さぬだろうよ」
「う゛……!?」

 その名を聞いて、ミリヤムが長椅子の上で、ぎゃっ! と飛び上がった。ヴォルデマーは淡々と言う。

「実際それでは話にならぬと言われた。愛妾にするなど決して許さぬと」
「ぉおおぉお……坊ちゃまが……?」

 ミリヤムは思い切り青くなってがたがた震えている。それを見てヴォルデマーはやれやれと苦笑しつつ、そのぶるぶるしている栗毛の髪を宥めるように撫でる。

「私はお前を側女にはしない。……砦のことは案じるな。私が職を解かれても、すぐに後任が送られることとなろう」
「ヴォ、ルデマー様……」

 それに、とヴォルデマーはその砦に潜む者を思い出す。少なくともそれは前期の領都を護った偉大な存在だ。その存在がある限り砦に混乱は起こるまい、とヴォルデマーは思っていた。

(御祖母様も……あれで傑物でいらっしゃる……)


 そうして──ヴォルデマーは、黙って二人の会話を聞いていた父に視線を送る。その真っ直ぐな金の瞳の光に、辺境伯は薄く笑った。

「……成る程、かなり固く覚悟を決めてきたらしいな……」
「父上……」

 アタウフルはやれやれと苦笑する。彼は己の息子がそういう目をする時、如何に頑固かをよく知っていた。普段は長兄のギズルフに比べると聞き分けの良い息子なのだが、己でこうと決めてしまうと、梃子でも親に覆されるような息子ではない。
 だが、とアタウルフはため息をつく。

「悪いが……アデリナ不在の内には何も決められぬ。まあ、あの者が戻ったとて我等は平行線のままかも知れぬがな……」
「……」
「だが、それでもあの者はお前をこの世に送り出した母親だ。我等の元を去るとしても、息子として、せめて去り際くらいは見せてやってほしい。それまでは城から出ることは許さぬ」

 そう言い渡されたヴォルデマーはため息をついて、ミリヤムの手を握りなおした。
 その繋がれた手を見て、アタウルフは静かに問う。

「……ヴォルデマーよ、そんなに、その娘が大切か……?」

 暗に、家を捨ててまで、と、問われたヴォルデマーは一瞬父を見つめ、そして「ええ」と頷いた。

「そうでなければ、大恩ある父と母に楯突く事などありえません」
「……そうか」

 そう言って。
 アタウルフは穏やかな顔で少し寂しげに笑った。


 そんな伯の顔を見て、ミリヤムはふと、そうか、と思った。
 アデリナも、もしかしたら、とてもとても寂しいのかもしれないと。




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