偏愛侍女は黒の人狼隊長を洗いたい

あきのみどり

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三章

23 ミリヤム、ギズルフ教育中

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「ほう……見事に破壊したものだ」

 ギズルフの私室の前で、辺境伯アタウルフは渋い顔(もふもふ)でそう呟いた。
 

 夜明けの私室で、ヴォルデマー帰還の報せを聞いた辺境伯はすぐに、例の娘の客間に向かったという息子に会いに出向いた。
 しかし、彼が辿り着くと、そこに息子の姿はなかった。
 居合わせたという執事長に問うと、息子は、同じ様に娘の客間を訪問した兄ギズルフを追って行ってしまったと言う。
 そうして二人の行方を捜したアタウルフは程なくしてその荒らされた部屋に辿り着いたのだった。


「……不満は私に来ると思っていたのだが……」

 アタウフルは、叩き割られたテーブルとつぶれた椅子を見ながら怪訝そうに眉をひそめる。
 確かに今回の件にはギズルフも加担している。しかし、謀ったのはアデリナであり、それを許したのは夫である自分だ。ゆえにアデリナ不在の今、真っ先に責められるのは己だと思っていた。
 余程娘を連れて行かれたのが腹に据えかねたのか。もしくは、ギズルフが何か地雷を踏んだのか。

「……まあ、両方かもしれぬな……ギズルフは他者への気遣いが足りぬゆえ。して……息子達は今どこに?」
「それが、」

 振り返って傍の執事長に問うと、彼は不安そうに、医務室だと答える。
 それを聞いたアタウルフは「医務室か」と繰り返し、苦笑した。

「ではどちらかが負傷したのだな」

 まあこの部屋の有様だそれも仕方あるまい、と伯はため息をつく。

「やれやれ……では、此度はどちらが勝ったのか見に行くとしよう。……まさか娘が怪我をしたという事ではあるまいな?」

 アタウルフが一瞬そう懸念の色を示すと、背後にいた執事長は、疲れた顔で「無傷だそうです」と、ため息混じりに言うのだった。







 そうして医務室を訪れたアタウルフがまずそこで聞いたのは、兄弟達の怒号だった。

「……やれやれ、まだ喧嘩しているのか……」

 呆れながらその中を覗くと、室内では怪我をしたと思われていた息子達が向かい合って立っていた。
 ギズルフは高圧的な顔で弟ヴォルデマーを睨み、その弟もまた、冷たい目で兄を睨んでいる。

「何故だ!? 怪我はなかったのであろう!? 何故お前が連れて行こうとする!?」
「……兄上こそ、何故あの者を当たり前のように背負おうと? 承服しかねます。お止め下さい」
「嫌だ。俺はあやつの保護に努めておるのだ。あやつ……実際首の骨を折って死に掛けたではないか。あんな奴放置しておけるわけが無い。我が背の上が一番安心だ(俺が)」
「その様に簡単には折れませぬ」
「何だと!? お前、あの者の脆弱性を甘く見ておるぞ!! いや、軽んじている。あの細腕を見ろ!! あれは……折れる!」
「……」



 と、兄弟達がいがみ合っている向こうでは、ヘンリックと娘が机の傍に座り、茶を啜っている。

「……ヘンリック先生、先生でしょう? 若様に私めが虫の足並みにすぐ手足がもげるとか、首がとれるとか言ったの……」
「ほ、ほ、ほ。いえいえ、私は人族は若様よりか弱いので大事にして下さいと言っただけですよ?」
「本当かなあ……喧嘩のせいでさっきからヴォルデマー様が全然かまってくれない……」

 ミリヤムはちょっとむっとしていた。先程はミリヤムにべったりだったヴォルデマーも、ギズルフが戻って来てミリヤムを背に担ごうとした途端、再び喧嘩が始まってしまった。
 ヘンリックがからからと笑う。

「では、喧嘩をお止めになればいかがですか? お嬢さんなら出来るでしょう?」
「…………つまり舌三寸で煙に巻いてこいと……? 主に若様を」
「ほほほほほ」

 眉間に皺を寄せて疑り深い目でヘンリックを見ていた娘は、ため息をついて椅子を立った。やはりどうも、ヘンリックはサラ達と同じ属性の様な気がする、とミリヤム。

「……ええ、ええ。どうせ私めはお年寄り様方に良い様に使われる星の元に生まれた娘ですよ……」

 兄弟達は益々険悪に睨みあっている。それを見たミリヤムは、はーやれやれ、と二人の傍へ歩いて行くのだった。




「……ヘンリック」
「おや、閣下。御出ででしたか」

 近寄ってきたアタウルフに、医師は椅子を立ち上がって恭しく頭を下げた。
 アタウルフは不思議そうな顔でヘンリックに問う。

「……どちらかが怪我をしたのかと思って来たのだが……」

 伯はこれまでも幾度も兄弟達の派手な喧嘩を経験している。部屋があそこまで破壊される苛烈な争いが、これまで短時間で収まったことはあまり無かった。兄弟の力は強く、拮抗していた。それ故にその二人が争えば、誰にも手出しが出来ず、半日、一日と、収拾までに時が掛かる。勿論体格的に恵まれていないアタウルフでは話にならない。
 その様な二人の争いが──この様な短時間で決着がつくという時は、大抵どちらかが何かの拍子に決定打を受けてしまった場合が多い。
 今回もてっきりそうなのだと思っていたアタウルフは首を傾げた。

「……殆ど無傷のように見えるのだが……? まだいがみ合っておるというのに……良く収拾がついたな」

 その顔にヘンリックが機嫌の良さそうな顔で頷く。

「ええ、ええ。怪我はお二人供かすり傷程度です。喧嘩はどうやらお嬢さんが止めて下さったようで」

 その言葉を聞いたアタウルフが目を丸くした。

「……あの娘が……? 馬鹿な、あの部屋の状態だぞ? 我々ですら手出しできぬ」
「ええ、それが。お止めになったようですよ。ほれ、ご覧下さい」
「……」

 アタウルフは半信半疑のまま指差される方へ視線をやった。息子達は勿論未だ睨みあっている。



「寝巻きの一枚や二枚脱がせたくらいでガタガタ言うな!! たかだか布切れ一枚ではないか!!」
「布、切れ一枚……? 女人に対し……何という無礼……!」
「無礼だと!? 無礼は貴様だヴォルデマー! 稽古着に着替えろと要求する事の一体何が気に入らぬ!?」
「若い娘を相手に寝室でか!? わきまえろギズルフ!!」
「衣装部屋は寝室の奥にあるのだ!! 仕方あるまい!!」
「あーはいはいはいはい落ち着いて」

 再び緊張感の高まって来た兄弟の間に、ミリヤムがぐいぐいと割り込んだ。(ぐいぐいと頬を押されたのはギズルフだ)
 途端、拳を握り締めかけていたギズルフがビクッと後ずさる。

「!? やめろ貴様、行き成り入ってくるな心臓に悪い!! 俺様の拳の威力を舐めておるのか!?」(頬の件は気にならなかったらしい)
「ミリヤム……我等の傍は危ない。今はヘンリックの傍に居なさい」

 威嚇するような顔のギズルフと、困ったような顔をするヴォルデマーを、ミリヤムは交互に見ながら憮然としている。

「……やでございます」

 へっ、とはミリヤム。
 そのどこかやさグレた様子にヴォルデマーが金の瞳をぱちぱちと瞬いた。

「ミリヤム……?」
「……」

 ミリヤムはむっとした目でヴォルデマーを軽く睨んでいる。

「……折角再びお会いできたというのに、ヴォルデマー様ったら若様とばっかりお喋りして!! 寝巻き一枚がなんだって言うんですか、若様なんか私めのことは良いとこ、ペットの小猿くらいにしか思ってませんよ! 悪くしたら背中に張り付いたカブトムシです!」
「カブトムシ……」

 ミリヤムは拳を握りしめ怒っている。ようするに、いじけているのだ。
 ミリヤムは地団駄を踏んでギズルフを指差した。

「若様もいつまでもヴォルデマー様を独占しないで下さい! 一体いつまで喧嘩しておられるのですか?」
「独占なんぞしておらぬわ!! こいつが行き成り飛び掛って来るのが悪いのであろう! 売られた喧嘩は買う、それが俺達人狼の流儀だ!!」

 ギズルフはヴォルデマーを睨み、ぐるぐると唸る。それを受けるヴォルデマーの方も落ち着いてはいるようだが、兄を見る視線は氷の様に冷たい。

「……」

 そうしていつまでも喧嘩腰の二人を見たミリヤムは──腕を組み、厳しい表情でじろりと彼らを見た。

「……いいんですか若様? わたくしめ嫉妬深いですから……きっとお二人の喧嘩に割り込みますよ……」
「何?」

 ミリヤムの言葉にギズルフが不可解そうに眉根を寄せる。

「だって……放置されるより喧嘩でも混じった方が寂しくないはありませんか。ええ、ええ私めは寂しがり屋です。いいんですか? 私めを交えて喧嘩なさいますか? この、ぽっきり行きそうな私めを!? 言っておきますが、私めは、あの若様が放り投げ遊ばしたお可哀相な高級箪笥様よりも遥かに簡単に壊れるんですからね……さあさあどうなさいますか!? やりますか!?」

 拳を構えて、じりじりと詰め寄って来るミリヤムに、ギズルフが思わず後ずさる。

「や、やめろ! お前は……俺に挑もうというのか!? また死ぬぞ!?」
「私め別に一度も死んではおりませんけどね。ええ、ですが次はきっと命を落とすでしょう! 若様がぶんぶんその強靭な腕を振り回しになられるのなら、ぺきっと、ぷちっと逝くかもしれません!」
「ぺき……? ぷちっ……だと……!?」

 その擬音に何かを想像してしまったらしいギズルフが体中の毛を逆立てさせている。

「……何だ……何なのだ、この羽虫を潰すかのような怖気おぞけの走る恐怖感は!?」

「……」(ヴォルデマー)
「……」(アタウフル)
「はははは、何という仲裁の仕方でしょうなあ」(ヘンリック)
「仲、裁……?」


 呆然唖然とする親子と笑い転げる医師の前で、ギズルフはずんと落ち込んでいる。

「……俺は……俺は強くなれば怖いものなど無くなると思っていた……それなのに、何故よりによってこんな小娘が怖いんだ……!?」

 項垂れたギズルフの背をミリヤムが撫で摩る。

「大丈夫でございます若様、若様はきっと本当はお優しいんですよ……お優しいからこそこの小娘を潰すのが怖くていらっしゃるんですね……」
「やさ、しいだと……?」

 しんみりと言われ、しゅんとしていたギズルフの耳が少しだけ上がる。

「丁寧にすればいいんです。すぐ腕力に訴えず、優しくです。そうすれば物も人も壊れません!! 虫だって!!」
「丁寧に優しく、だと……? 俺はそれが一番苦手だ……」
「あらー……では若様は破壊神まっしぐらですねえ……お可哀想に、領地の未来は真っ暗ではありませんか」

 あらあららーと、あっさり言われギズルフがギョッとしている。

「!? お前なんだその手の平返しは……!?」
「だってー」
「俺が立派な領主になれぬと言うのか!?」

 ギズルフはぎろりとミリヤムを睨んだが、ミリヤムは尚も真顔で続ける。

「いいですか若様……あのお部屋の修繕費だけでも相当な額になるんですよ? 今日、若様達が壊した調度品の数々が一体幾らするかご存知ですか? あの高級箪笥様だけでも私めの三年分位のお給金は軽く飛ぶんですよ!? 丁寧優しくが苦手だなんだと言ってこのまま破壊活動を続けていると、いずれその修繕費だけで領が潰れます」
「!? りょ、領が……?」
「そうです! 若様は将来の領主様なんでしょう!? 長が粗暴乱暴を奨励しては、下に倣う配下達だってその気質を受け継ぎますよ!? みんなで物を壊しまくってたら綺麗さっぱり領のお財布は空っぽになります!!」

 鼻がくっつきそうな程間近でそう断言されたギズルフは、ごくりと喉を鳴らした。
 自信満々に真顔で言われたミリヤムの言葉には、妙な説得力があった。思わずギズルフは呟いた。

「………………丁寧に、する……」
「え? はいはいなんですか?」

 聞こえませんとミリヤムが言うと、ギズルフはぐわっと立ち上がって彼女を睨む。

「丁寧にすると言っている! 破壊神になどならぬ!!」

 気合のあまりギズルフの鼻からは勢い良く空気が噴出した。
 ミリヤムはその下でパチパチと手を叩いた。

「素晴らしい素晴らしい。ええ是非、ええ是非ともそうなさって下さい。未来の領主らしく、フロリアン様のように優雅に、丁寧に、でございますよ? お食事の時にはあんな、野生の獣が肉喰らうみたいになさってはなりません。あんな怖い顔して目の前で食事をされたら吃驚して羽虫のような私めは息が止まるかと思いました。次は自分が取って食われるのかと」
「何!? 人族とはそのような些細な事で……」

 ギズルフの耳は恐ろしげにすっかり倒れきっている。ミリヤムは残念そうな顔で頷いた。

「ええ。若様、世の中にはショック死というものも御座いますからね……」
「……! ……心臓発作と……いうやつ、だな……?」
「ええ、それですそれ。で、……ところで若様……私め達は一体なんでこんな話をしているんでしたっけ?」
「? さあ? 破壊はするな、ということであろう?」

 白熱しすぎて当初の問題を忘れたか。
 ギズルフとミリヤムは揃って首を傾げるのだった……





 そのやり取りを──
 
 少し離れた場所で二人の男が無言で見ている。
 
「……」
「……」
「ははははは」

 からからと笑っているのは勿論ヘンリックだ。

「ご覧になりましたか閣下。見事兄弟喧嘩は収まりましたぞ、ははははは」
「……」
「……まあ、収まったが、な……」

 大いにギズルフの行く末が心配になってきた、もふもふ辺境伯だった。

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