偏愛侍女は黒の人狼隊長を洗いたい

あきのみどり

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三章

22 再会の朝 ③ その時ミリヤムは脱ごうと思った

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 その怒号と破壊音を聞きながら、ミリヤムは思った。

「……よし、脱ごう」



 決意してから、いやいやしかし、と思いなおす。
 きっとそれでヴォルデマーは止まってくれるだろうが、ギズルフはどうだろうか、と顔を顰める。さっき何の躊躇いもなく脱がされたくらいだ。きっとギズルフはそれくらいの珍時では止まらないに違いない。それでは驚いたヴォルデマーがギズルフに殴られて終わってしまう。
 
「うーん……」

 だが時間に余裕が無いのは確かだ。早く二人を止めなければ血が流れる。いや、もう結構流れているが。
 しかしミリヤムは、あの二人の激烈な殴り合いに突っ込んで行って大丈夫な気がしなかった。
 それは物凄い兄弟喧嘩だった。突っ走り屋のミリヤムがその足を止めるくらいには。

 ヴォルデマーの顔をはっきり認識したつい数十秒前は、来てくれたのかという感動で胸が一杯になったミリヤムだったが……感動の涙はそこで繰り広げられる激しい闘争音にひっこんでしまった。
 皆さんにはないだろうか。喧嘩相手があまりにも取り乱し過ぎていて、逆に冷静になってしまったことが。ミリヤムも今まさにその状態だった。
 二人は明らかに冷静さを欠いている。

(……何か無いだろうか、二人同時に止められる策が……)

 懸命に考えていると、その目の前でヴォルデマーがギズルフに殴られた。ミリヤムの顔が思わず「痛い!!」と歪む。
 しかしヴォルデマーは直ぐさまその己を殴ったギズルフを躊躇う事無く蹴り飛ばした。

「ひぃっ……何という兄弟喧嘩……ルカスと私の喧嘩とえらい違い……」

 あんなの自分が喰らったら、きっと一撃で死ぬだろう、とミリヤムは思った。

「どう、どうしたら…………は……! そうだ!!」

 閃いたミリヤムは唐突に走り出して──そしてこけた。




 

「貴様ぁ……! 行き成りこの兄に向かって何をする!!!」

 蹴り飛ばされたギズルフは、それを強靭な足で耐えると瞬時に体勢を整えなおし、そこで己を睨みつけている弟を睨み返した。
 それを受ける弟ヴォルデマーは怒りに満ちた金の瞳を細め、低く唸る。その頬には兄の鋭い爪にやられた傷が血を流していた。

「……行き成りだと? 砦からミリヤムを攫っておいてどの口が言う……!!」
「黙れ!! 貴様が大人しく母の命を聞かぬからこのような面倒事になったのであろうが!! あの娘を此処まで連れてくるのがどれだけ面倒だったと思う!? 減らない口が煩くて煩くて……あんな精神疲労は久々だ!!」

 ギズルフはわなわなと怒鳴るが──ヴォルデマーは冷たい視線でそれを射る。
 
「では何故その面倒な娘を寝室に連れ込んだ……? 許さぬ……!!」
「……!?」

 ヴォルデマーの目が危険な色を増した。ギズルフがそれを見て、ちっと舌打ちを漏らす。

「愚か者が……!」
「……!」

 と──……両者が再びお互いに向けて床を蹴った、その時──……


「ああああああ!!!! あいたああああああ!!!!!!」
「!?」
「!?」

 大きな悲鳴に双方の拳がお互いの鼻先直前で止まる。

「あいたたたたたたた!!! 骨が!!! お二人が壊した箪笥に躓いて、骨が──骨が外れましたあああああ!!!!」

「なにぃ!?」
「ミリヤム!?」

 その声が彼女のものと理解すると、我に帰ったヴォルデマーが血相を変えて身を翻す。瞳の怒りが霧散して、動揺の色に変わっていた。
 そして、その前で拳を握り締めていたギズルフもまた、総毛立って恐れ慄き拳を解いた。

「ひぃいいい!? しまっ……壊れ物が傍に居たのを忘れていた……!」

 ヴォルデマーに続きギズルフも慌ててその後を追う。
 
 ミリヤムは瓦礫の山と化した部屋の隅にうずくまっていた。

「どこだ!? 見せよ!!」

 ヴォルデマーがミリヤムの傍に跪く。ギズルフはミリヤムの傍にある大きな箪笥を見てぶるぶると震えていた。

「あああ、これは……俺が投げた箪笥ではないか!! 当たったのか!? 首に!?」

 おろおろしているギズルフに、ミリヤムが床の上から呻くように言った。

「ええ……若様、私め首が……お願いです、ヘンリック先生を……先生を呼んで来て下さい……」

 よろよろと手を伸ばすと、ギズルフが泣きながら「死ぬな!!」とそれを握る。

「分かった! 医者だな!? ヘンリックを今すぐ呼んでくる!! だからそれまで……首を……首を離すなよ!!」

 そう叫んだギズルフは、あっという間にその部屋を出て行った。



「………………………………行きましたね……?」
「!?」

 その途端──ミリヤムの苦痛に歪んでいた顔が真顔に戻る。
 はーやれやれと上半身を持ち上げ──徐に起き上がった娘を見て、ヴォルデマーが慌てた。

「ミリヤム……!? 起き上がってはならぬ!」

 慌てた顔の人狼を、ミリヤムはため息をつきながら見上げた。

「……ああ、ああもう……血だらけではございませんか……」
「ミリヤム……? 首は……」

 そっと己の頬の傷に触れる手を取り、ヴォルデマーが不安げに問う。と、ミリヤムは首を横に振って見せた。

「私めなら大丈夫です。何にも当たってません。首も平気です。お二人を止めたかっただけです」

 憮然として言う娘に、ヴォルデマーの身体から力が抜ける。

「…………成程……」
「ええ、兄上様は、どうも私めをスケルトンか何かと勘違いされておりますから。直ぐに骨が折れそうで怖いのだそうです」
「……そうか……そうか、成程……」

 一瞬、己らの争いのせいで、ミリヤムが怪我をしたのかと肝を冷やしたヴォルデマーはそう言うのがやっとだった。心の底から吐き出されるような安堵のため息をついて、ヴォルデマーはミリヤムの傍に腰を下ろす。

「……すまない……冷静さを欠いていた……お前の傍でこの様な争いをするべきではなかった……」
「いえ、私の傍でなくてもお止め下さい」
 
 ミリヤムはヴォルデマーの体中にある痛々しい傷を見てそう苦言を漏らした。
 だが見る限り、致命傷となるような怪我は無いらしい。ギズルフも元気に走って行ったから、そう大した怪我ではなかったのだろう。
 ホッとすると同時に、あれだけ暴れておいてと、その頑丈さにミリヤムは若干呆れる。

「…………あの」

 ミリヤムは少し俯き気味に横目でヴォルデマーを見た。

「……お怪我、大丈夫ですか……?」
「ああ……これくらいは大事無い」

 ヴォルデマーはしっかりと頷く。
 
「…………あのぅ……でしたら、そのぉ……」

 ミリヤムは消え入りそうな声でごにょごにょ言う。
 その様子にヴォルデマーが首を傾げている。

「なんだ? やはりどこか痛むか?」

 不安そうなヴォルデマーの顔に、ミリヤムが違うと呻く。

「いえ、いえ違います、その……く…………」
「く?」
「…………く、く、…………くっついても…………宜しゅうございましょうか……その、ヴォルデマー様に……」
「!?」

 もじもじと言われた言葉にヴォルデマーが瞳を瞬いた。疲れたように垂れていた耳が一気にピンと立つ。
 ミリヤムは照れ照れと指を所在無さ気にいじくっている。

「えーと……傷が痛かったら、別にいいんですが……あの……だって長いことお会い出来なかったですし……その……大丈夫なら……」


「…………」

 えーと、と赤い顔のミリヤムを見て、ヴォルデマーはその時、二つの思いにぐらぐら揺れていた。
 その照れ具合が愛らし過ぎて、勿体なくて、暫らく見ていた気持ち。そして、今直ぐにでも抱き締めたい気持ちと。
 目元が、嫌に熱かった。

(………………ミリヤム、可愛い……)

 そして、ヴォルデマーは悩んだ挙句──後者を選んだ。

 ヴォルデマーが押し黙ってしまった事を、ミリヤムが不安げに見上げた時、その手はミリヤムの腕を引いていた。

「わっ!?」

 ヴォルデマーはミリヤムをすっぽりと腕の中に閉じ込めると、目を閉じて、その匂いを深く深く吸い込んだ。久々のその香りは、たまらなく良い香りのように感じた。
 
「……ミリヤム」
「ひっ!? はわわわわ……!?」

 自らくっつきたいと言っておきながら、引き寄せられると顔から汗を大量に流すミリヤムは相変わらずだ。しかし耳元で、その低い声で久々囁かれる己の名は、こそばゆいなんてものじゃなかった。
 ミリヤムは叫びたかった。しかし、今日は我慢しようとその衝動をグッと堪えた。
 だって、何日ぶりだろうか。逢いたくてたまらなかったのだ。

「う、うううぅ……うう……」

 ヴォルデマーはミリヤムを抱き竦めたまま、嬉しそうにミリヤムの匂いをくんくん嗅いでいる。髪、耳、首元……
 ミリヤムはそれをぶるぶるしながら、その湧き上がる羞恥に耐えた。

(嬉しい……恥ずかしい……嬉し…ぃ…恥ずか死……嬉死……)

 あ゛ー!!!

 と、心の中で叫んだ時、騒音が戻って来た。

「おい!? 命はあるか!?」
「おやおやおや……またこれは派手にやられましたねえ……」

 ギズルフとヘンリック医師だった。
 そしてギズルフはヴォルデマーの腕の中にいるミリヤムを見て叫んだ。

「おいいいぃ!!! ヴォルデマー馬鹿者!! そやつ首が外れそうなんだぞ!!? そんなに強く抱き締めるやつがあるか!!」
「…………」
「!? やばい! おい! そやつ顔色がやばいぞ!? 死……まさかっ!? もう……死……」

 うわあああああ!!! とギズルフが沈む。

「俺は……俺はついにこの腕力でそいつを殺してしまったのか!!!」
「…………」

 わなわなと項垂れたギズルフにヴォルデマーは無言だ。無言で、茹で上がった赤い顔でぷるぷるしているミリヤムを、しっかりと抱き締めている。
 ギズルフは泣いた。

「俺は……俺は、これから誰を負ぶったら良いというんだ!! あー!!! すまない娘よおおお!!!」
「…………」



 そんな兄弟達の様子を見てヘンリック医師は、うむと、一言。

「末期症状ですな」

 色んな意味で。





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