偏愛侍女は黒の人狼隊長を洗いたい

あきのみどり

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三章

21 再会の朝 ②

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「……ところで若様……」

 と、ギズルフの背中で言ったのはミリヤムだ。
 ギズルフが廊下を走り抜けながらちらりと振り返ると、ミリヤムは半眼で彼を見ている。

「ん?」
「どうでもいいんですが……私めまだ寝巻きなんですが……これでお稽古を?」
「……あ?」

 怪訝な顔をするギズルフに、ほら、と白い袖口をひらりと掲げて見せると、人狼の眉間に深い皺がよる。

「おい……何故着替えてないんだ貴様は! だらしが無い。弛んでおるぞ!」
「…………ほう…………」

 そう言う男に叩き起こされてそのまま連れて来られていたミリヤムは、思い切り、あんたのせいだよ、と思った。

「……まあいいですよ……お貴族様はいつでもこれです……横暴という性質に振り切れていらっしゃる……まあヴォルデマー様とフロリアン様は別ですけどね。はあ……で、若様……私めこれで素振りしたり走ったりするんですか? こける率半端なく高まりますけど、それは宜しいんですか、若様的に」

 自分は全然かまわない、という顔でギズルフの後姿を見ていると、その耳が、はっとしたようにぺたりと倒れる。
 今、ミリヤムが身につけている寝巻きは裾がひらひらとしていて長めだった。

「…………いやだ」

 ギズルフの想像上では……稽古中に寝巻きの裾を踏み、すっころんだミリヤムの骨ががちゃがちゃと音を立てながら崩れていった。そして、その外れた首が己の足元にころころと転がってくるのだ……

「!???」

 ギズルフは恐ろしくてぶるぶるし始めた。
 その背の上で、ミリヤムはやっぱりこの方若干面白いな……と、思う。何を想像しているのかはもう大体予想がついた。

 ギズルフはぺったり倒れた耳のまま言う。

「……仕方ない、稽古場に行く前に着替えろ」
「はあ、稽古場に稽古着でもありますか」
「いや、無い」

 と、言いながらギズルフが行き成り方向転換する。急に掛かった遠心力にミリヤムが悲鳴を上げている。

「のわっ!? あれ? いつもと違う方向ですけど……」
「一先ず俺の稽古着を着ろ。貸してやる」
「は、ぁ……あ?」

 それは果たして着れるのだろうか……と、ミリヤムはギズルフの大きな背を見た。大柄な人狼に、人族としても小柄めの自分。サイズ的には、それは大分ぶかぶかなのではないだろうか、と。
 ミリヤムはギズルフの服を己が着ているところを想像してみた。と……やっぱりそれは引きずるという点では寝巻きとあまり違わない気がして。
 いやしかし、とミリヤム。

(……それでも稽古着は稽古着であるだけマシか……まあ、寝巻きよりは……世間体的に……)

 先程から、出会う人出会う人皆が、寝巻き姿のミリヤムをおぶったギズルフの激走を目を丸くして見ている。
 一応私、うら若いしな、とミリヤムは神妙な顔をした。
 他人様のお宅(城)で寝巻きのままうろついている(うろつかさせられている)のは、やはり常識的に見てどうだろうか。

「……そうですね。やはり稽古着の方が外聞がよろしそうです……ええ、ええ、着ましょう。ええ是非」

 きちんと着こなせるかは別問題として、とミリヤム。
 ひらひらと薄い、その明らかな寝巻きよりは、きっと人様に常識はずれと後ろ指さされることも無いに違いない。
 領都まで来て、再び“痴女”などと言われてはたまらないのだ。

 そんなミリヤムの考えを分かっているのかいないのか、(多分分かっていない)ギズルフもそれに同調する。

「ああ、そうだろう、そうだろう。稽古着はいいぞ、丈夫だしな。さあ、着いたぞ」

 ギズルフが足を止めた。

「ん? 何処ですか?」

 其処は軟禁中のミリヤムには当然見覚えの無い場所だった。
 指差される先に目をやると、そこには大きくて重そうな二枚扉が。とてもミリヤム一人の手では開けられそうにも無い重厚さだった。
 それをあっさり片手で開きながらギズルフは言った。

「俺の部屋だ」


 はあ、そうですか……と、答えるミリヤムは、その背後に迫る危機を知らない。






 そしてギズフルから遅れること数秒。

「ミリヤム!?」

 ギズルフがそのまま彼の私室に入って行くのを目撃したヴォルデマーは、信じられない気持ちで目を見開いた。

──何故、兄の私室に──……

 その兄の背に負ぶわれたミリヤムもまた、特に抗う様子もない。
 ヴォルデマーの脳裏には、例の手紙が思い出される。

“──どうやら二人はかなり親密な仲になっているようです──……”

 それは頭を殴られたような衝撃だった。

「……、」

 一瞬呆然としたヴォルデマーは、己の足が思わず立ち止まっていた事にハッとして。暴れる心臓の鼓動を感じながら、再び二人を追ってその部屋へ駆け込んだ。

 しかし──其処に二人の姿は無い。

「……」
 
 ヴォルデマーは険しい顔でその居間にある幾つかの扉を睨んだ。
 ギズルフの私室にはその居間の他にも幾つかの続きの間があって、二人はそのいずれかだと思われた。

 と── 

 不意に、怪訝そうな声が一番奥の扉の中から洩れてきた。
 ミリヤムの声だった。

「……え? これ、ですか?」
「文句を言わずさっさと脱げ!!」

「!?」

 苛立たしげなギズルフの言葉にヴォルデマーの全身から血の気が引く。
 今、確かに兄の声は“脱げ”と言った。
 
 声がした部屋は──ギズルフの──寝室だった


「っ!!」

 ヴォルデマーは慌ててその扉を開き──寝室に飛び込んだ。

 途端──

「!?」 

 彼は愕然と身体を凍りつかせる。


「まったく……一人で脱ぐことも出来んのか貴様は!!」
「もふぉあっ! 若様! 髪が! 髪が中のボタンに引っかかっております!! いたいいたいいたい!!」

 ギズルフが──万歳と両手を挙げた娘の寝巻きを上に向かって剥いでいる。
 どうやら何かが中で引っかかったらしく──裏返った寝巻きが顔を覆っていてその容姿は見えなかったが──それがミリヤムであるという事は明白だった。
 ヴォルデマーは眩暈がした。
 そうして耐え難い灼熱のような怒りに急かされて、気がついた時には床を蹴っていた。

「ギズルフ!!」
「ん?」
「へ?」

 唐突な怒号に二人が振り返った(ただしミリヤムは寝巻きを被っていて何も見えてない)次の瞬間──ギズルフはヴォルデマーに殴り飛ばされていた。

「っ!? 何奴!?」

 しかし咄嗟に受身を取った身体の頑丈なギズルフは、直ぐに身を起こし、その己に飛び掛って来た相手を睨みつけた。

──が、それが己の弟であることに気がつくと、ギズルフは唖然とした。

「お前……!?」

 その視線の先では、ヴォルデマーがギズルフを屹と睨みつけている。その瞳は……兄がそれまで見た事がない程の激情を湛えて燃えていた。
 驚くギズルフに、喉の奥から搾り出されるような低い声が叩きつけられる。
 
「……許さぬ……! 我がひとに触れるとは!!」
「なんだと!? おい……ふざけるな!!!」

 熱しやすい性格のギズルフの咆哮が上がる。その空気までが震える轟きに、傍で両手を上にあげたままだったミリヤムが、体を硬直させて慄いている。
 
「っ!? ちょ、ちょっと何事ですか!?」

 未だ寝巻きを被ったミリヤムには二人の緊迫した様子は見えなかった。
 ただただ、耳に争う声と激しい物音だけ届いてくる。見えないからこそ余計に恐ろしかった。

「はああああ!? なになになに!? 何事!? 若様!?」
 
 兄弟の声は良く似ていて、聞きようによってはギズルフが一人で喚いているようにも聞こえる。
 ミリヤムは、私の髪がボタンに絡みついたのがそんなに腹が立つ事だったのか? と、身を竦めていた。

「??? え、ど、どうずれば……」

 ミリヤムは戸惑って──だが、何かが耳に──心に引っかかっていた。

(ちょっと待って、ちょっと待って……さっきの声は……若様……だった……?)

 布越しの向こう側では激しい音や怒声が響き、身動きするのも恐ろしかったが──ミリヤムは芽生えた疑念を胸に、とにかく何事が起こっているのかこの目で確かめなければと思った。
 今の己の現状は、脱ぎかけの寝巻きを頭に被り如何にも間抜けな様子である。一先ず寝巻きから脱しよう──そう思ったミリヤムはその中でもがいた。ボタンに絡んだ髪がなかなか手ごわくて、ついにはそれを引き千切った。

「いっ、てて……わ、若様? 一体何事、が────……」

 ミリヤムがようやく寝巻きの中から顔を出すと、まず、其処にふわふわと舞っている羽毛が目に入った。

「え」

 気がつくと──傍にあった寝台は真っ二つに割れていて、上に乗せられていた豪奢な布団が引き裂かれている。羽毛はそこから出たものらしい。

「っはああああ!??」

 ミリヤムは青い顔でびびった。
 その他の室内の調度品達も、殆どが引っくり返っているか壊されているかである。

 自分が寝巻きの中でもがいているうちに何事が!? と、ミリヤムが思った瞬間──

 戸口で誰かが誰かに殴り飛ばされて……隣室に飛んで行った。殴った方もそれを追って隣の部屋へ駆け込んでいく。

「ちょ、若様!?」

 黒い背をギズルフだと思ったミリヤムは、下着のシャツ姿でそれを追う。と──

「あれ!? ヴォルデマー様似のギズルフ様が増えている!? あ、れ……んん!? …………………」

 ミリヤムはそこで零れ落ちそうなほどに目を見開いた。
 
 一瞬息を呑み──その──
 
 隣室でギズルフと殴り合っているもう一人の黒い毛並みの人狼を見て──まさか、とうわ言のように漏らす。


「……ヴォ………………」



 頭の中が真っ白になった。




「……ヴォルデマー、様……?」









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