偏愛侍女は黒の人狼隊長を洗いたい

あきのみどり

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三章

20 再会の朝 ①

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 その光景を目にした時──ヴォルデマーは一瞬、腹の底から怒りを感じた。



 単独領都を目指したヴォルデマーは夜明け前には其処へ辿り着く。
 しかし領都の市壁の城門塔は警備の為に夜間は開かれず、領都を囲む河の跳ね橋も上げられる決まりとなっていた。ヴォルデマーは一人、その傍で夜が明けるのを待った。
 空が白んできた頃、ようやく跳ね橋を下ろす予告の鐘の音が鳴った。ゆるゆるとそれが河の上に道を作ると、彼は待ちかねたようにその上を駆け、城門塔の門が開かれるのとほぼ同時にその領都の中に足を踏み入れた。

 そうして彼が城へ戻ると、城の主の次男が突然戻って来た事に誰もが目を丸くして驚いた。
 ヴォルデマーは普段は砦を離れることが殆ど無く、領都にも年に一、二度しか帰還しない。事情を何も知らない使用人達は不思議そうな顔をして彼を出迎えた。
 城は相変わらず厳格で、しんと静まり返っていた。所々に置かれた父の丸い石像や家族の肖像画が、家に帰って来たのだという実感を彼に与える。

 だが今は郷愁に浸っている余裕はなかった。ヴォルデマーはそのまま例の手紙で知らされた客間の場所へ真っ直ぐに足を向ける。
 そこへ報せを聞いてやってきたらしい執事長が追って来た。彼はある程度事情を心得ているのか、ヴォルデマーの足が客間の方に向いているのを察すると、慌てて彼を引きとめようとする。

「ヴォルデマー様お待ち下さい、まずは閣下の許可を得て来て頂けないでしょうか!?」
「……いやだ」
「ヴォ、ヴォルデマー様……!」

 一言で切り捨てて先を急ぐと、しかし、と執事長が言い縋る。

「まだ早朝です! お嬢様はまだお目覚めで無いかも……きっとお仕度もおすみではありません!」
「……」

 女性の仕度前に押しかけるのはマナー違反だと言われて、流石のヴォルデマーも足を止める。表情はかなり不満げだが、彼はため息をついて、渋々客間の傍の窓の前で時を待つ事にした。

「あ、のヴォルデマー様、お待ちになる間閣下に御挨拶に行かれては……」

 執事長が恐る恐る言うが、ヴォルデマーはそれを再び「いやだ」と切り捨てる。

「ミリヤムの無事を確かめねば私は何処にも行かん」

 どうせ既に誰かが彼の父の元に報せを持って行っているに違いなかった。
 そうして父の元へ行き、自分が此処を離れている隙に彼女を何処かに移されては堪らないと思ったヴォルデマーは、頑として客間から目を離す気はなかった。

「し、しかしですね……」

 と、困った顔の執事長がヴォルデマーを説得しようと声を出した時だった。

「ミリヤム!!!」

 ──と、誰かが廊下の先から物凄い勢いで走って来た。
 かと思うと、その誰か──言わずと知れたギズルフは──呆気にとられているヴォルデマーの前で、躊躇無く彼が見守る扉をずばんと開けた。それには見ていたヴォルデマーも執事長も目を丸くしてぎょっとしている。

「!?」
「……ギズルフ様……」

 呆然とするヴォルデマーの横で、執事長があいたーという顔で額を抑えている。

「稽古だ! 行くぞ!!」

 早朝には些か元気すぎるギズルフの声。それに続いて、はあぁ……? と欠伸交じりの声がした。

「ふぉあ……また来た。おはよぉございます若様……はひはひ、腕を二倍ですよね……あーはひはひ、もう、あさっぱらから……」

「……!」

 その久しい声が耳に届いて──

 ヴォルデマーは一瞬息を呑んで身体を強張らせた。
 耳にそれが届いた瞬間──身体の中を安堵と、言いようの無い愛しさが駆け巡って。ヴォルデマーは思わず喘ぐようなため息を落とした──

──うちに、ギズルフは動いていた。

 ギズルフはいつものようにミリヤム(まだ寝巻き)を背に放ると、あっという間にその客間から出て、稽古場目指して駆け出していた。

「!? 、!?」

 そうしてあっという間に駆け去っていく二人(正確には走っているのは一人だけ)にヴォルデマーが再び目を丸くしている。
 一瞬目にした光景──己の兄の背に白い寝巻き姿のミリヤムが張り付いている光景に──流石のヴォルデマーも驚いて身体が軋む。兄を捉まえようとして一瞬上がりかけた手も、途中で止まって固まった。

 そうして声を失っている間に、ギズルフは廊下の先へ消えて行く。
 猪のように駆ける兄にも、寝ぼけ眼を擦りながら、その背でぐわんぐわん揺らされて必死にしがみ付いているミリヤムにも──声すら上げられなかったヴォルデマーの姿は見つけられなかったようだった……


「………………………」
「ヴォ、ヴォルデマー様……」
「………………………」

 執事長が声を掛けても、ヴォルデマーは恐ろしい表情のまま廊下の先を見つめている。
 一先ず、手紙に書いてあった“最近は片時もお離しになりたくないのか、いつも背中に娘を背負って歩いておいでです……”という部分が真実であった事を理解したヴォルデマーは、己の中の苦い嫉妬を鮮明に感じた。
 ヴォルデマーの拳は固く握り締められ、眼光は鋭くなった。

「…………ギズルフ……」
「!!??」

 普段は取り乱すことの無いこの城の次男の口から洩れた、その恨めしそうな声音の響きに執事長が仰天している。
 そうしてヴォルデマーはその表情のまま二人を追って駆け出した。
 執事長には、とてもそれを引き止めることは出来なかった……




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