偏愛侍女は黒の人狼隊長を洗いたい

あきのみどり

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三章

19 熊が泣く

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 その伝令は直ぐに各所に飛ぶ事となる。
 勿論、アデリナのいる客間にも。


「……ヴォルデマーが?」

 その報せを配下から受けたアデリナは眉間に皺を寄せるとすぐに寝台を降りた。寝巻きのままガウンを羽織り、配下の導く先へと部屋を飛び出る。

「領都へ行くと言ってお部屋を出られたそうです」

 それを聞いたアデリナの眉間の皺が深くなる。

「……領都へ……? では娘の居所を知られたという事ね……一体何処から情報を……当家以外の者とは接触させていない筈なのに……」

 アデリナは悔しそうに前方を睨む。

「しかし既に砦門はヴォルデマー様には開門せぬよう命を下しておられますよね? それはヴォルデマー様も良くご存知なのでは……」

 配下が言ったように、こういう事態を想定して、アデリナは砦門の番人達にはよく言いふくめてあった。もし息子が門を訪れるような事があっても絶対に通してはならないと。幾ら砦の長はヴォルデマーだとはいえ、領地の女主人の命令である。砦の隊士達は決してそれを無視することは出来ない。門の見張りも屈強な者を増やし、数も普段の倍にしてある。幾らヴォルデマーが強くとも、多勢に無勢。砦の門を開けることは難しいはずだった。
 しかし、アデリナの表情は優れない。

「……アデリナ様?」
「……」
 
 その顔を見て配下が首を傾げる。
 アデリナは何かを懸念するようにじっと進む先を睨んでいた。

「……いいから急きなさい! ……早々にヴォルデマーを捕まえなければ……!」

 配下を叱咤して、アデリナは足を急がせた。





 

 同じ頃、そのアデリナの命令によって、ヴォルデマーは砦門前で足を止めざるを得ない事態となっていた。
 ため息をつく彼の前には、困ったような熊の門番達がずらりと並ぶ。

「ヴォルデマー様、すみません……」
「俺達奥方様に絶対ヴォルデマー様を通すなって言われてるんです……」
「……ならば自分で開けるゆえ見逃してくれぬか」
「あー駄目駄目!!」

 ヴォルデマーが門の開閉装置の方へ歩いて行こうとすると、熊の隊士は慌ててそれを止めに行く。そして開閉装置に抱きついて、ちょっと泣きながら空に咆えた。
 
「あ゛ー!!! どうしよう! どうしたらいいんだ!? 俺達がヴォルデマー様を止めないといけないなんてぇ!!」

 熊の隊士達は困りきった顔で、うぉううぉう泣いている。皆泣いている。咆哮混じりの泣き声がまるで合唱のようだ。

「……」

 それを見たヴォルデマーは仕方ない城壁を越えるか、と、そのそびえ立つ石壁を見上げた。
 城壁塔内部の階段を登り、上の歩廊に出て、壁伝いに外に降りる事は、ヴォルデマーの身体能力があれば出来ない事もない。
 しかし……城壁塔の出入り口を彼が見やると、同じく巨体の熊達が立ち塞がっていた。彼らはヴォルデマーの視線が自分達に向いたのに気がつくと、怯えた顔でふるふると首を振った。そのこげ茶の背と尻は、すっぽりみっちりと城壁塔の出入り口を塞いでいる。
 ヴォルデマーはそれを見てため息をついた。

(……仕方ない、どうにか塔の外壁を登るか……)

 母の配下ならまだしも、家の事情に巻き込まれただけの隊士達を蹴散らすのは気が引けた。
 身体能力の高い獣人の侵入をも想定して作られた城壁は、見上げる程に高く、そしてその外側に足の掛けられる場所も少ない。強靭な足のバネを持つヴォルデマーにも流石に骨の折れる作業だった。
 登りきったとしても、その上の歩廊に到達する頃には、アデリナの配下や隊士達がそこに集まって来るだろう。それを退けるのもまた厄介だった。
 
 しかしあまり考えている時間はなかった。ぐずぐずしていては、きっとすぐアデリナが駆けつけてくる。勿論それで立ち止まる気は無いのだが、あれやこれやと面倒なのは目に見えていた。
 万が一先手を打たれてミリヤムを何処かに移されても厄介だ。
 ヴォルデマーは一秒でも早く領都のミリヤムのもとへ行きたかった。
 まさかミリヤムが本気で兄とどうこうなっているとは信じがたかったが、この目で確かめない事には気がすまない。

「……」

 ヴォルデマーは城壁塔の中腹に見える狭間窓のくぼみに視線を向けて、跳躍しようと足に力を込めた。が、そこへ熊の門番が二人、四足の猛烈な勢いで駆けて来る。うおんうおん泣きながら。

「申し訳ありませんもうしわけありましぇええんん!!」
「アデリナ様に止めなさいって言われてるんですっ!! わー!!! 俺んち領都で商売してるから逆らえないんですよおおおお!!!」
「……」

 勿論ヴォルデマーはその猛攻をひらりと避けた。しかし熊人二人は泣きながらも、思いのほか機敏にヴォルデマーに着いて来る。どすどす、うぉんうぉん追い掛け回されて、なかなか塔に飛び上がる隙が作らせて貰えない。
 周囲では別の門番達が人垣を作っていて、隙あらばヴォルデマーを取り押さえんとにじり寄っている。ただし皆泣いているが。

(やれやれ……仕方ない)

 一瞬だけ二人を沈めるか、とヴォルデマーは腕に力を込めた。門番達には申し訳なかったが、あまり足止めされているわけにもいかない。

 と──其処へ──唐突に場違いな声が響く。

「あれー? ヴォルデマー様が追いかけっこしてる……遊んでるの? まったく大人は呑気なんだから……」
「まあほほほ、本当ねえ。楽しそうだ事」
「あーもう、僕走って来たのにぃ……眠い、帰ろうかな……」
「あらあら駄目よ、ローラントちゃん。おばちゃん足が痛いから走れないのよ……どうせだからあそこまで頑張って頂戴、さ、後でお菓子作ってあげるから」
「はー……僕、か弱いお坊ちゃんなのになー」

 やだなーと言いながらサラを背負ってやって来たのはローラントだった。

「……」

 それを見たヴォルデマーは怪訝そうに眉を寄せ──それと同時に、己に突っ込んで来た熊の門番の首の分厚い皮を掴んだかと思うと──もう一方の門番の方へ勢い良く放り投げた。
 同僚を放られた熊の門番はそれを受け止めながら「わー!!??」と叫び、周囲の人垣を巻き込んで、その場に重なり合うようにして転倒していく。

「あはは、なんかああいう遊びなかったっけ?」

 そんな大人達の様子をけらけら笑っているのは勿論ローラントだ。ローラントはその割れた人垣の隙間を笑いながら通り、そこに立つヴォルデマーの傍までやって来た。

「ヴォルデマー様ーおばあちゃん連れてきたよー」
「ありがとうねぇ、ローラントちゃん。助かったわあ」
「……」

 二人の呑気な様子にヴォルデマーは一瞬黙する。
 ローラントはサラをよいしょ、とヴォルデマーの傍に下ろし、やれやれと肩を回しながら、地面でうんうん言っている熊の門番達を見た。

「年甲斐もなくはしゃぐから……」


 そんなローラントや熊はさておき、ヴォルデマーは己の前でにこにこしている老女を静かに見下ろした。

「……何故此処に……関与する気はないものと思っておりましたが」
「あらあら」

 サラはくすくすと笑う。

「そうなの。アデリナにも早々に釘を刺されちゃったから大人しく見守ろうと思っていたのだけれど、でもねえ、ミリーちゃんがいないと、ホント仕事が滞っちゃって。溜まっちゃうの。仕事も、埃もね」

 ほほほ、と笑うその言葉にヴォルデマーが片眉を上げる。
 サラはだからね、と言いながら、そこで転がる熊の門番達に近寄って行った。

「此処を開けて頂戴、門番さん達」

 しかし話しかけられた門番はめそめそしながら咆える。

「駄目だ、ばあちゃん! アデリナ様が絶対此処は開けるなって……ヴォルデマー様を行かせちゃ駄目だってご命令なんだよお、俺達には覆せねえ!!」
「大丈夫よ! 貴方になら出来るわ頑張って!!」
「うぅうう……そんな無責任な……俺だって、俺だってヴォルデマー様の為に門を開けたいけどよおおお!!! 領主様の奥方に逆らってこの領内で生きていけるわけ無いじゃないか!!」
「まあまあ、そんなに怯えないで……大丈夫、責任なら取れますよ。私がやれと言ったと言えば平気だからどうか門を開けてあげて頂戴」
「へ、ぇ……?」

 サラの言葉に熊の門番が涙と鼻水の垂れた顔を上げる。
 サラはその門番に微笑んで見せて「鼻をかみなさい」と手ぬぐいを渡した。それから自分達を取り囲んでいる他の門番達の顔を見渡した。
 彼女は曲がった腰をすっと伸ばし、柔和な笑みを湛えたまま、気高い様子で高らかに言った。

「私はサラ……サラ・シェリダンです。この名に聞き覚えのある者は、どうか私の願いを聞いて頂戴。孫を外に出してやりたいの。孫はね、ずっと好きな人が出来なかったのよ。でもやっと最近良い人が出来たようでね、だからその子のところに行かせてあげたいの。誰かこの老婆の願いを聞き入れてはくれないかしら」

 微笑む老いた使用人の言葉に、始め、辺りには不審げな雰囲気が漂っていた。しかし、それがじわりじわりと動揺に変わっていく。
 傍で人垣達と同じ様に怪訝な顔で首を傾げていたローラントが呟く。

「……あれ? 気のせい……? シェリダンって……」

 戸惑った視線が一斉にヴォルデマーに集まる。
 集中する視線の中で、ヴォルデマーは無言だった。
 そんな周りの反応を見て、サラが事も無げに彼を指差した。

「ああ、そうなの、それが私の孫よ」
「……」

 瞬間、ヴォルデマー以外の面々が、えっと目を剥いた。皆、黒い毛並みの砦長と、その灰色の老婆を見比べている。彼女を背負ってきたローラントですら口をぽかんと開けていた。

 そんな彼等の顔にサラは小さく噴出す。

「あら、いやだ。おほほ、こんなに注目されるのは久々だわ」

 おもしろいわねーと、如何にも愉快そうなサラに、ヴォルデマーが半分耳を倒してため息をついている。

「……御祖母様……」
「ほほほ、ええ、ええ分かっていますよ。早くして欲しいのね」

 サラはくすくすと笑って、周囲の者達に目を向けた。

「さて皆さん、それで私を助けてくれようという優しい隊士さん達はいるかしら。私もねミリーちゃんがいないと困るの。あの子はね、とってもいい子なんですよ。私が老眼鏡を何処かに置き忘れたと言ったら真夜中でもそれを必ず探しに行ってくれるの。ね、お願いよ。可愛い老婆の頼みと思って……ああそれと、私はアデリナの姑ですよ。どっちの言う事を聞くほうがよいのかは良くお考えなさいね……」

 うふふ、と笑うサラの目は笑っていない。
 ローラントは思った。サラおばちゃんのダークサイドを見た、と。




 そうして開かれた門からヴォルデマーが出て行った後、それを見送りながらローラントが隣のサラに問う。

「……サラおばちゃん、本当にヴォルデマー様のおばあちゃんなの? 僕おばちゃんの事、犬人族だと思ってた。ああ……でもそう言えば……たまにおばちゃんがヴォルデマー様の事呼び捨てにしてるの変だなって思ってたんだった……てことは……サラおばちゃんは前の辺境伯様の奥さんって事だよね? 偉いのになんで此処で働いてるの? 暇なの?」

 その率直さをサラが笑う。

「ええそうなのよ、ローラントちゃん。おばちゃん引退したらとっても暇になっちゃったの。おまけにお城は堅苦しいし、面倒なお客は多いし。ここでローラントちゃん達や孫のヴォルデマーの世話をのんびりみている方が楽しいのよ。城に居ると嫁が煩いしね……」
「あ、また出て来た……」
「お義母様!!」

 ローラントがサラの顔を見て、ダークサイド、と指さした瞬間──背後から金切り声が場を切り裂いた。

「あら、アデリナ」

 ほのぼのしているサラの視線の先にはアデリナが立っていた。
 アデリナは開け放たれた砦門を見て、わなわなとサラを睨んでいる。

「あんなに口出し無用と申し上げましたのに……!! ヴォルデマーを行かせたのですか!? 何故です!? これは人狼種全体の問題ですのに!!」
「……はあ、また嫁姑問題の勃発よぉローラントちゃん……」

 これがウンザリなのよねえ……とサラは長いため息をつく。

「あのねえアデリナ……一族大事という気持ちは分かるけど、こんな大切な問題に当事者抜きでと言うのは如何なものかしら。認めぬにしろきちんと言い分を聞いてあげなければ家族の中に大きな溝が残ってしまうばかりよ」
「その言い分が認められる物ではないからこうして引き離すことにしたのです! あの子の頑固さをご存知でしょう!?」
「そうかしら……あの子も頑固だけど貴女も十分頑固だわ……私の目には貴女が意地になっているように見えます」
「何ですって……!? 意地になどなっておりません!!」

 血色ばんだアデリナは更に視線を険しくする。しかし、彼女の姑はもう息子の嫁との諍いには慣れっこだった。彼女はシェリダン家に嫁入りしてからずっとこうなのだ。
 まあ落ち着きなさいな、とサラは言って、アデリナの突き刺さりそうな視線を平然と受ける。

「私だって口出しはしないつもりでしたよ。勿論我々人狼の未来を考えると血統の問題は確かに大切な問題です。私はもう退いた身ですしね」

 でも……とサラは眉をひそめる。

「貴女と来たら……砦の子達まで巻き込んでこんな大事にするなんて。泣く泣くヴォルデマーに盾突かせられる隊士ちゃん達の気持ちもお考えなさい」
「お義母様!! 今そんな小事を問題にしていたら、じき取り返しのつかない事態になってしまいます! これ以上息子とあの娘の仲が深まるのを見過ごせというのですか!?」
「深まる仲があるだけいいと思うのよ……あのヴォルデマーなのよ……? 一体どれだけの縁談を断ってきたと思っているの?」
「だからといって何も相手は人族でなくても!」

 と、アデリナが叫んだ時、配下がおろおろとそれを止める。

「アデリナ様……お話中申し訳ありませんが……ヴォルデマー様は追わなくてよろしいのですか……!?」
「! ……ああもう!! 本当に余計な事を……」

 アデリナは配下の指摘にハッとして、苛立たしげに唸った。そうしてサラをぎらりと強く睨むと、配下と共に砦門を飛び出して行こうとした。が、今度はそれを熊の門番達が行く手を阻む。

「なんなのお前達!?」
「ああぁああ申し訳ありましぇええん!!!」

 熊は再び泣いている。しかしアデリナの行く手を阻む事はやめなかった。
 その後ろでサラが微笑んだ。

「あらあら御免あそばせ。皆さん貴女の事はとっても怖いけど、私という免罪符があるなら是非ヴォルデマーの為に働きたいと言って下さったの。そうよねえ、だって大切な砦長よ。皆幸せを願っているわ」
「お義母様!!! どうしていつも私の邪魔ばかりなさるのです!? そんなに私が気に入りませんか!」

 牙を剥いて振り返るアデリナにサラは口の端を持ち上げる。

「いいえ、アデリナ。私はただ、愛する者の所に行きたいと願う孫と、本当はそんな孫を喜んで送り出したいと思っている砦の子達を貴女の束縛から放してあげたいだけよ。……貴女達にはしばらく此処に居てもらいます。せめてあの子がミリーちゃんのところに辿り着くまでは邪魔はしないで貰いたいの」

 ね、久し振りに嫁姑喧嘩でもしていましょ。と、サラは己を壮絶に睨んでいるアデリナに、にっこりと微笑むのだった。




 ……その二人がにらみ合う様を傍で眺めていたローラントは……

 「あんな怖いものなかなかないよ」と、後にエメリヒに語ったという。




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