偏愛侍女は黒の人狼隊長を洗いたい

あきのみどり

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三章

18 深夜の手紙

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 その時部屋に入って来た人狼を見て、ウラがハッと顔を上げた。
 ウラの実家の使用人の一人であるその人狼は、外套の内から一通の手紙を取り出すと気を揉むような顔をしている主人の娘にそれを手渡した。

「分ったの?」

 そう言いながらウラは受け取った手紙の封を急ぎ開く。
 人狼は娘の問いに頷きながら答えた。

「はい。親類の娘が伯の城で侍女をしているので……その者に調べさせました。やはり例の娘は城に居るようです」
「そう……」

 それを聞いたウラは安堵のため息を落とす。

「良かった……ヴォルデマー様も安心なさる……わ……?」

 話しながら、封筒から取り出した手紙に視線を落としていたウラの目が、一瞬、えっ? と、点になる。

「…………」
「? どうかなさいましたか、お嬢様?」
「…………」

 無言でその手紙を読み進めるウラの眉間には、見る見る皺がよっていく。

「……これ……ヴォルデマー様に……報告して……いいのかしら……」
「?」
「何をやっているのよ、あの子は……!!」

 手紙を握るウラの両手からはカッと鋭い爪が飛び出した。





 同じ日の深夜、ウラはヴォルデマーに話があると言って呼びかけた。

「当家の使用人づてにミリヤム・ミュラーの所在と現在の様子についての手紙が参りました」

 ウラがそう言うと、目の前の黒い毛並みの人狼は目を見開いて振り返る。
 部屋にはウラとヴォルデマーの二人だけ。
 着いた手紙の事を早くヴォルデマーに報せてやりたかったウラではあったが、昼間の執務室は監視が厳しくてとてもそれが出来なかった。おまけにそこには高確率でアデリナが居る。例え声を潜めて話したとしても、きっと耳の良い彼女達には容易くその内容を拾われてしまうと思ったウラは、アデリナが客間に引き上げる深夜を待った。
 勿論、現在も私室の前と、その続きの部屋になっている隣の執務室の扉の前には監視の兵が立っている。
 それが分っているヴォルデマーも、無言のままその扉の方へ危惧するような視線を送ったが……ウラは大丈夫ですと強かそうな顔を見せた。

「私とヴォルデマー様の二人きりの夜を邪魔せぬよう少し離れているように言いましたの。声の届く距離に兵は居りませんわ」

 今日は絶対襲うと言ったらイチコロでした、ほほほとウラは笑う。

「…………。……それで……手紙とは?」
「そうでした、ええと」

 ウラは民族衣装の帯の裏からすっと一通の手紙を抜き取った。

「……本当はどうしようかと思ったのですが……」

 言いながらウラはヴォルデマーの顔を少し気遣わしげに見る。しかし、そこで如何にも気を揉んでいるふうの男の顔を見て、仕方ないわね、と手の内の手紙を開き、そしてヴォルデマーの顔を真っ直ぐに見た。

「あの子、やっぱり領都のお城に居りますわ。客間の一つに軟禁中とのことです」

 それを聞いた途端、ヴォルデマーが一瞬眉間をぴくりと動かして。それから何かを恐れるような顔で問い返す。

「……では、ミリヤムは……無事、なのですね……?」
「ええ」

 ウラがこっくり頷いてみせると、彼は深い深いため息をついて。傍にあった長椅子の上によろめく様にして腰を下ろした。そこでもう一度落とされたため息には濃い安堵が込められている。ヴォルデマーはうつむいた額に片手をあてて、一時の間身動きが取れないようだった。
 
「……そう、ですか……」

 搾り出すような言葉がその口から洩れる。
 何日もの間、ずっとその行方と無事に気を揉んできた。おそらくそうなのだろうとは思ってはいても、確信となる物があったわけではない。母は相変わらず口を噤んでいるし、ミリヤムの行方も、様子も杳として知れなかった。
 “おそらく母も無理はすまい”……とは頭で分っていても、ミリヤムの無事を盾取られ、待つしか出来ぬその時間は、己でも信じられぬくらいに只々不安ばかりが募って仕方が無かった。
 そうしてようやく得られたその報せに、ヴォルデマーは心の底からほっとした。喘ぐようなため息をつきながら、ヴォルデマーは全身から力が抜けるような安堵感にめまいがした。

「……」

 そんな彼の様子を見て、ウラも密かに胸を撫で下ろしていた。
 先程までのヴォルデマーは表情がとてもとても暗かった。眼つきは鋭い刃物のように危うい光を放ち、静かに燃える怒りの炎が誰の目にも見えるかのようだった。彼のいる場所は常に張り詰めるような緊張感が立ち込めていて、ウラも、原因を作ったアデリナさえもまた、その怒りの強さに戸惑い始めている。
 けれど、その報せに、今やっと場の空気も和らいで。ヴォルデマー自身もやっと身体から力を抜く事が出来たようだ。相当疲れたようでぐったりはしているが、空気は格段に良い。ウラは調べさせて良かった、と心の底から思った。

(……敵わないのねえ……)

 少しの切なさを味わいながら、ウラはくすりと自嘲気味に笑う。


「……それで……ミリヤムは……」

 詳細は分るだろうか、と促されたウラは手紙に視線を戻す。

「ええ、それが……あの子、既に辺境伯様とも会ったようです」
「父と……」

 それを聞いてヴォルデマーの眉間に皺がよる。
 穏やかな様でいて彼はれっきとした領の主である。その父が時に冷酷な顔を持つことを知っているヴォルデマーは不安に表情を歪めた。
 そんなヴォルデマーの顔を見て、ウラがやれやれとため息をついた。

「掻い摘んでお話させて頂こうかと思いましたが……それではヴォルデマー様の不安が募るばかりになられそうですね……もう手紙の通りに読み上げさせていただきますわ。ちょっと……私には判断出来かねるところがございますので、どうかヴォルデマー様ご自身でご判断下さい」
「? 判断出来かねる……?」

 その言葉にヴォルデマーが固い表情でウラを見る。
 ウラはいいですか? と険しい表情で手紙を読み上げ始めた。

「……“拝啓 お嬢様。ご依頼のあったベアエールデからギズルフ様がお連れになったという娘ですが……”」

 手紙には、まずそのミリヤムが居るらしい客間の詳しい場所が書かれていた。
 次に到着した当初、娘がかなり具合が悪そうだった事、そしてヘンリック医師の看病で回復したことをウラが読み上げると、ヴォルデマーの表情があからさまに曇り、震えるようなため息がそこから漏らされた。

「それで──ここからが何ともお耳に入れづらいのですが──」
「……?」
 
 ウラの言葉にヴォルデマーの耳が不安そうに倒れる。人狼嬢は意を決したように口を開く。

「……“例の娘は辺境伯様の像に取りすがったり、客間の扉を何度も飛んでは蹴るなど大騒ぎをしておりましたが、そんな娘をどうやら伯の御嫡男様がお気に召したようなのです”」
「…………ん?」

 そこでヴォルデマーが怪訝な顔のまま頭に疑問符を浮かべた。
 手紙を読む娘もまた、微妙そうな顔で紙面から顔を上げていた。

「……今……なんと……?」

 ウラが憮然とため息をつく。

「……ですから、お兄様のギズルフ様がミリヤム・ミュラーをお気に召したと。そう書いてありますわ」
「……………………」

 そうしてヴォルデマーに長い沈黙が訪れた。いや、意味が分からない、と彼は思っていた。

「……兎に角先を読みます。……“ギズルフ様は毎日客間に足しげく通いつめ、最近は片時もお離しになりたくないのか、いつも背中に娘を背負って歩いておいです。どうやら訓練にもお連れになっているようです。また、本日などは、ギズルフ様は高価な品々を娘に片端から贈られ、終いには、あのギズルフ様が、花と草との違いも分らぬようなギズルフ様が、婚約者様にも花の一輪をも送ったことのない、あの! ギズルフ様が! 娘に可憐な花を摘んで、必死なご様子で走って持って行かれました”。ここ、かなり強調されておりますわ」
「……………………」
「“そうかと思えば二人で茶を飲み、ギズルフ様は娘に……「なんでお前が好きなんだろう」などとうっとり言われる始末です”」
「……………………」
「“伯との食事の際にお世話した給仕の話では、娘がギズルフ様の服を脱がせていた、などという話も出ています。どうやら二人はかなり親密な仲になっているようです”…………だそうです」

 ウラは、すんとした顔でそれを読み上げ、手に持っていた手紙をすっとヴォルデマーに差し出した。
 それを受け取ったヴォルデマーは……紙面に視線を落として無言である。

「………………………………」
「……ヴォルデマー様、大丈夫ですか?」
「…………」

 ウラが声を掛けると、ヴォルデマーは唐突にくるりと身体の向きを変え、壁際にかけてあった外套を手に取った。
 彼はそのまま無言で進み、戸を押して部屋を出て行く。

「ヴォルデマー様!?」

 驚いたウラは慌ててヴォルデマーの後を追う。ヴォルデマーはそれに視線を向ける事なく暗い廊下に出て行った。

「……領都に向かいます」
「!? え、でも……アデリナ様は……!?」

 ウラが戸惑ったように言ったところで、廊下の先で警戒していたアデリナの配下達が二人に気がついて駆けて来た。彼等はヴォルデマーが外出用の外套を手にしているのを見て眉を顰める。

「ヴォルデマー様……? 如何なさいました。お部屋にお戻り下さい」
「奥方様のご命令です、どうかお戻りを……」

 皆、ずっと大人しかったヴォルデマーの唐突な行動に戸惑っている。

「……」

 しかしヴォルデマーは無言だった。
 兵達を無視して足を進めようとする砦長に、兵士達が慌てて立ち塞がる。その背後からは騒ぎを聞きつけた兵が集まって来て、ヴォルデマーとウラはあっという間に彼等に取り囲まれてしまった。
 ウラが不安そうな表情でヴォルデマーを止める。

「ヴォルデマー様……ここは一度お戻りになられては……」
「……」

 しかしヴォルデマーは足を後ろには引かなかった。
 彼は集まってきた兵達に対し、低く静かな声で宣言する。

「……私は今から領都に向かう。止められると思う者は向かってくると良い」

 その途端、兵士達は皆──ぞわりとした悪寒に総毛立つ。男は静かな視線を周囲に向けただけだったが、その金の瞳と身体から放たれる気迫は、同族達を圧倒する力を持っていた。その圧に、兵士どころかウラすらも、動揺し尻尾を巻いて後ずさる。

「……ウラ殿」

 ヴォルデマーは道が開けたのを見ると、傍で身を竦ませている人狼嬢に穏やかな声を掛けた。

「……感謝します、有難う……」
「……ヴォルデマー様……」

 その言葉で身体の呪縛を解いたウラは、膝を折り、恭しく一礼した。

「行ってらっしゃいませ、ヴォルデマー様。……さようなら」

 にこりとウラがヴォルデマーを見上げると、ヴォルデマーはそれに黙礼し、そして廊下を去った。
 見送るウラの表情は、とても晴れやかだった。



 が、ふと一言。

「……あの子、もし浮気だったら……引っ掻くだけじゃすまないわよ!!!」








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