偏愛侍女は黒の人狼隊長を洗いたい

あきのみどり

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三章

27 仔人狼とおふろ

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「……」
「……」

 広いその浴槽の中で、二人の黒い人狼が無言で並んで座っている。
 温かな湯気がほわりほわりと二人の周囲を揺れても、彼等は微動だにしなかった。
 ただ、ひたすらに無言で湯の中に座っている。一人は憮然として。もう一人はじっと目を閉じて、耳だけをそばだてていた。





「…………なんだあれ、面白い……」

 そのまるで対のような男達を見て、離れた場所にある洗い場からそう言ったのは、勿論ミリヤムだ。
 そして直ぐにため息をつく。何もあんな無言で並んでいることないのに。いっそ湯の中で酒でも酌み交わさせた方が、兄弟の会話も弾むのだろうか、と思った。

「やれやれ、我慢大会じゃないんだから……あのお二人はいっつもあのような感じなのでしょうか……」

 そうぼやくと、目の前でちょんと座っていた泡だらけの仔人狼が振り返る。

「ヴォルデマー様とギズルフ様はいつもあんなかんじだよ。あんまり話さない」
「そうなのですか? まあ確かにヴォルデマー様はそれ程お喋りが好きなご様子でもありませんが……外ではそうでも、ご家族の前では特別的にフレンドリーになったりしないのですか。こう……ヘイ、ブラザー! ……的な……」
「なんない」
「ならないよ、ねえ」

 ちびっ子達はフルフルと首を振る。

「むーん……そうなのですか……」

 ミリヤムは小姓っ子の可愛い頭をもじゃもじゃ洗いながら首を捻る。
 兄弟のいないミリヤムにはその辺は良く分からなかった。が、そういえばフロリアン達侯爵家の兄弟達も、そんなふうではなかったな、と思った。フロリアンが、ヘイ、ブラザーとか言ったら二度見して、三度見して、きっと自分は天変地異に怯えるだろう。
 けれど、かと言って侯爵家の兄弟達は、あの二人の様に全く会話が無いなんて事はなかったのだが。

「……それでは……お二人はこのお城で普段どんな感じなのですか? 仲がお悪い?」
「ううん。悪いわけじゃないと思うんだけど……うーん……あんまり二人でいるところは見ないかなあ。ヴォルデマー様優しいから僕ら好きなんだけど、あんまりお戻りにならないし」

 だからさっきは嬉しくて飛び掛っちゃった、と笑う少年に、ミリヤムは「なるほど、レアキャラな訳ですね」と頷く。

「ギズルフ様はねえ、強いし怖いけどおもしろいよ」
「でも遊んではくれない」
「すぐいばる」
「あとすぐ物をこわす」
「……成程」

 砦勤務のヴォルデマーに比べ、普段同じ城で過ごしているせいかギズルフの話は小姓達の口からたくさん出てきた。
 配下達には物凄く厳しいのに、すぐお皿を割るだの、よく廊下を走ってぶつかりそうで怖いだの速くてカッコいいだの。

「…………思うのですが、若様は人族の私めが怖いそうなんです。すぐ死にそうで。お城に人族はいらっしゃらない? 廊下に配置してみてはいかがですか? 若様も走らなくなるでしょう。怖くて」

 頑丈な人狼ばかりに囲まれているから遠慮なしに走るのでは、とミリヤム。そしてそれが彼のガサツさに拍車をかけているのでは、と思ったミリヤムの問いに、小姓達は案の定、城に人族は居ないと言う。まあ、ギズルフの自分に対する反応からして、そうではないかと思っていたミリヤムは納得したように頷く。

「やはり若様は人族と初遭遇だったと……それであの珍獣扱い……まあ、そもそもこの辺りの地方は冬季の寒さが厳しいですから人族の集落があまりありませんしね。でも私ベアエールデで暫らく過ごしましたが、住めない事もなかったんですが……」

 ミリヤムが首を捻るも、小姓っ子達は首を振る。

「ていうか、人族だけじゃなくて、他の獣人もお城の中にはあんまりいないよ。城下にはいるけど」
「他の獣人族の方々も? お城にはいない?」

 ミリヤムが驚いて問い返すと、小姓達は、居ないことはないけれど多分下働きとか庭師とか、数えるくらいなのだと答えた。
 それはつまり、この城の殆どが人狼によって構成されているという事だ。
 それではギズルフが周囲に対して遠慮なしに行動するようになったとしてもおかしな話ではないな、とミリヤム。
 こんなに小さな小姓達ですら、重い家具類を軽々持ち上げるような種族だ。きっと皆、多少押したくらいではびくともしないのであろう。初遭遇の珍獣の脆さにギズルフが動揺したとしても、まあ仕方が無いのか、とミリヤムは納得した。

 しかしと、ミリヤムは唸る。
 
「……むーん……此処は随分と閉鎖的お城なのですねぇ……人族どころか他の獣人族も殆どいないとは」

 それでは奥方がミリヤムを受け入れないのも不思議なことではないのかもしれない。王都の王の侍女達が皆高い身分の娘達で構成されているのと同じ様に、此処ではそれが同族に限られているという事なのだろう。

「…………坊ちゃん達はどう思われますか? あの、他の種族について……」

 ミリヤムは身体を洗っていた十人目の小姓の背に湯をかけながら問う。と、彼等はきょとんと不思議そうな顔をした。

「? 他の? どう思うか、だって」
「どう思うか……?」

 小姓達は顔を見合わせて耳をパタパタさせている。因みにまだ洗い終えていない小姓達は洗い場に整列させられている。足くらいはご自分でお洗いなさいとミリヤムに言われ、それを素直にゴシゴシ洗いながら。

「うーん、別に……なんとも」
「何とも、なんですか?」

 ミリヤムはその答えに少し驚く。その閉鎖的な城で教育を受ける小姓達だ。もっと種族間の壁を感じるような答えが返ってくるのかと思っていた。

「うん。あのね、僕んちは城下だから。お城には人狼以外はいないけど、城下にはいるでしょう? 僕んちの執事は犬人族だし、他にも結構いるよ」
「僕んちも。お城の人達は人狼族が一番だって言う人もいるけど……よくわかんない」
「ああ……そうなんですか……」

 軽い調子の返答にミリヤムが少し戸惑いながら頷いた。そういえば彼等からは、そんな壁のある雰囲気は感じなかったな、とミリヤム。

「むーん……そうですかあ……」

 ミリヤムは考え込みながら目の前に座る仔人狼の耳と耳の間をわしわしと泡立てた。すると、その仔人狼が、泡だらけの頭をぐっと反らせ上下逆さまの顔でミリヤムの顔を見上げる。

「? なんですか?」
「うん、だからね。僕はお姉さんがヴォルデマー様のお嫁さんでもいいと思うよ」
「!?」

 小姓の言葉に、ミリヤムの手がぎょっと止まる。

「え? あ、な、なん……?」

 目を剥いているミリヤムに小姓はきょとんとした。

「え? だって、さっきサンルームで……ねえ」
「うん。仲が良さそうだったから」
「!? !?」

 順番待ちの小姓達も足を洗いながらうんうんと頷く。

──そういえば見られていたのだった──……

 そう思った途端、ミリヤムの顔色が真っ赤に急騰した。
 サンルームでの出来事を思い出し、ミリヤムは、ギャーと叫んで泡だらけの手で顔を覆った。

「羞恥で万死!! 私めときたら! お子様達の前でなんという……!!!」

 行き成り、ひー! と呻きだしたミリヤムを、小姓達がなんだなんだと見上げている。

「!! すご! 顔の色がきゅうに赤くなったぞ!!」
「なにそれなにそれ!? おもしろい!!」

 もう一回やって見せろ僕も見たいと集まってくる仔人狼達に囲まれて、ミリヤムはわなわなとしている。

「あ!? 耳まで赤くなった!? なんで? なんで!?」
「人族おもしろい!!」
「お姉さんちょっと、もう一回色を戻して!! それでもう一回赤くして!!」
「!??? む、むむ、無理!! ちょ、お、押さな……ぎゃー!!!???」

 迫り来る仔人狼達の群れに、後ろに引っくり返るミリヤム。
 小姓達はきらきらした目でミリヤムに迫って行った。

「坊ちゃん達!! せめて、せめて泡をなんとかして!!!」

 目に染みる! と叫ぶミリヤムの悲鳴は、広い大浴場に響き渡るのだった……




「……何をやっているのだあれは……」
「……」

 湯船の中でその騒ぎを見ていたギズルフが眉間に皺を寄せている。が、次の瞬間、彼は、はっ!? と、何かに思い当たったように、湯の中に立ち上がった。

「ほ、骨!? 骨は大丈夫か!? た、助けた方が……おいヴォルデマー!!」
「……あの者達は兄上とは違って手加減は心得ております。大丈夫です」

 ヴォルデマーは湯の中で落ち着き払っている。
 そして彼は、同族達がミリヤムと仲良く戯れている様を幸せそうに眺めていた。

(……子が産まれたら、あの様な感じだろうか……)

 ほのぼのとするヴォルデマー。

 しかし、その隣でギズルフはとても怯えていた。彼はぐいぐい仔人狼達に迫られ逃げ回っているミリヤムに、はらはらと視線を送り、弟の鬣をぐいぐい引っ張る。

「本当か!? 本当に大丈夫なのか!?? 濡れた床で滑って転んで骨を砕くのでは!? また首が外れたらどうする!?」
「…………大丈夫です。外れません。外れた事もありません」

 真顔で言うヴォルデマー。

 そこにやっと……兄弟達の会話が生まれたのだった……




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