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三章

29 城下へ 

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「ヴォルデマーが城に残るなら」という形でその許可を得たミリヤムは、次の朝、領都見学に町に降りる事となった。

 ヴォルデマーと再び離されることになったミリヤムだったが、悲しんではいなかった。もとより彼と領都に行くことが許されるとは毛頭考えてはいない。
 この状況でそんな事をさせれば、二人で何処かに行方をくらませてしまうかもという彼の父親の懸念は、ミリヤムにも充分理解出来るものだった。実際ミリヤムも、いっそそう出来たらと思ったこともあったから。


 さて、そうした条件下で許可を出したアタウルフではあったが、勿論町にミリヤムを一人で行かせるわけにはいかない。
 彼はミリヤムに、監視兼護衛の兵を数人と、その場に居合わせ同行を猛アピールしてくる小姓の内から二名を選び、案内役として同行させる事を決めたのだった。


 そしてその翌朝──現在。ミリヤムは城門を出て城下町を目指しながら、その御一行様──ようするに兵士と小姓達を振り返って頷いた。

「うん……対価は人件費になった……」
「阿呆め」

 その呟きに、間髪いれずギズルフが不満そうな顔をする。

「父上がわざわざ出向いてまで給金の補償をしてやると言って下さったのに……こんな折に物見遊山か? 何が人件費だ。馬鹿者め」

 ギズルフは金貨や腕を二倍の訓練費用にあてた方が幾分マシなのに、とぶつぶつ言う。

「しかしですね、若様……監視の方々も今まさにお仕事中でして、そこには必ず人件費が発生するのです。が……あの……私め別に若様の人件費まで払うつもりでは無いんですが……なんで着いて来られるのです?」

 何故か当然の様に着いて来るギズルフに付き合ってくれなくてもいいと言うと、彼はちょっとむっとしたようだった。

「……駄目だ。領都の者達は皆お前の脆弱性を知らぬ。見知らぬ者に雑踏でぶつかられたらどうする!? 足を踏み折られたら!?」
「私案外すばしっこいので大丈夫ですよ」
「見習いの小姓達にも追いつかれて引っくり返るような奴が信用できるか!! お前は領都を恐怖の底に叩き落すつもりか!? 領民の子が泣くぞ!!」

 カッと目を見開いたギズルフに小姓二人が顔を見合わせて突っ込む。

「ギズルフ様がこわいんだね」
「そうみたいだね」
「…………」

 あははと笑う小姓達に、ミリヤムは少しギズルフを脅かしすぎたのだろうかと思った。

「はー……領主の息子様の人件費は如何程でしょうかねえ……お高そうで迷惑です」
「黙れ。まったく……だいたい貴様は一体何がしたいのだ。出掛けの時のヴォルデマーの、あの憮然とした顔を見たか? お前に何かあったら殺すとありありと書かれていたぞ。俺をな」
「では友好な兄弟関係の平和を願って着いて来るのお止めになったら如何でしょうか……しかしヴォルデマー様はそんな怖い顔なさってませんでしたよ。いつも通り素敵でした」
「やれやれ……呑気なものだ。殺気も読めぬとは……」

 ウンザリしたようにギズルフ。(しかし帰る気は少しもないらしい)ミリヤムは彼の仕事が物凄く停滞しているのではないかととても心配になった)

 だが確かに、先程城の門までミリヤム達を見送りに来ていたヴォルデマーが、とても自分を案じているのだろうということはミリヤムにも勿論分かっていた。
 領都の城下町はとても治安が良いらしく、ミリヤムがどうしても行きたいのだと言い張ると彼も強く反対はしなかった。
 しかし、ヴォルデマーは今朝早々にミリヤムの客間を訪れると、あれやこれやとミリヤムの身支度をチェックし、危険な所には近づくなだとか知らない者には着いて行くなだのと、まるで子供相手のように諭していった。ヴォルデマーからしてみれば、ミリヤムとはずっと離れ離れだったのだ。彼が少しくらい過剰にその身を案じたとしても当然だと言えた。それが申し訳なかったな、とミリヤムは小さく呟く。

「……まあ、突然私があんなことを言えば、心配はお掛けしちゃいますよね……」
「分かっているのだったら客間で大人しくしていろ、まったく……」

 ため息をつくミリヤムにギズルフが面倒そうにそう言うが、ミリヤムは「そうも言っていられなくて、」と呟くように返す。

「じっとしていられなくて。どうしても知っておきたいなと………………」

 一瞬考えるように黙り込んだミリヤムに、ギズルフが首を傾げる。

「何をだ? 領都をか?」
「……」

 その問いに、ミリヤムはいつになく真っ直ぐな瞳の色を見せた。視線はじっと領都の町に注がれている。そうして暫く考えた後、ミリヤムはギズルフの問いに応えた。

「……はい。私は、この領都で──領民の皆さん方が、どうやって共生されているのかを知りたいんです」

 それを聞いたギズルフがきょとんとする。

「共、生……?」

 不思議そうな声で問い返してくるギズルフにミリヤムが頷く。

「私の暮していた侯爵領の都では、獣人族も人族も普通に共に生きています。そりゃあ種族間で多少の隔たりはあるのかもしれませんが、でも異種族婚や混血を駄目だという声は少ないです。けれど……この領都は少し勝手が違います。人口の過半数が人狼族で、人狼族の若様達が治めておられる人狼上位の人狼の町です。侯爵領とは文化が違う」
「まあ……そうだ」
「そんな場所で、人族とは言わなくても、他の獣人族の方達と人狼の方々がどう共生しているのかが知りたいんです。私は……ヴォルデマー様と一緒に生きて行きたいから……それが分かれば何かアデリナ様を説得する手掛かりになるんじゃないかって」

 ミリヤムはそこまで言うと、はあ、とため息をついて、少し唇を尖らせてうつむいた。

「こんな身分の私が高望みだって思われるかもしれませんが……私、本当にヴォルデマー様のお傍に居たいんです」
「……」
「だから……そのヴォルデマー様が生まれ育った土地の文化、常識は、多少人件費を払ってでも知っておいた方がいいかなと……アデリナ様とお話する時だって、それで何かが変わるかもしれないでしょう? 何も知らないままでは、アデリナ様に“お前に息子や人狼の何が分かる”と言われた時、何もお答え出来ないかもしれないじゃないですか。……それでは悔しすぎます。このまま何もしないで客間に篭ったままなんて出来ません。そもそも私、じっとしているの凄く苦手なんですよ」
「……それは……何となく分かる……」

 微妙な顔つきで頷くギズルフにミリヤムが小さな苦笑を漏らす。

「ええだから、手当たり次第でもいいから兎に角今は思いついたことを何でもやっておきたくて。私め本当に賢くありませんから、本当にこれでいいのかは分かりませんが……多分私には、もうあまり時間が残されていませんからね……」
「……」

 その呟きにギズルフが黙り込む。
 確かに、アデリナが帰還すれば物事は急展開を見せるだろう。
 父の予想では、アデリナはベアエールデで祖母達から足止めを喰らっているのだろうということではあった。しかし、その帰還はそう遠くは無い。すぐにでもと言っても過言ではない。
 ギズルフは──既にその母の企みを知らされている。彼女が送った手紙も、もうとっくに侯爵領に着いている頃だろう。
 
 娘もそれを何処かで察している──
 
 そう感じたギズルフは深い深いため息をついた。

「………………分かった。では、城下でお前は何がしたい? 何処へ行きたいのだ?」

 それを聞いたミリヤムがにっこりと笑う。

「小姓の坊ちゃん達とお約束してるんです。他種族の使用人さんもいらっしゃるというご実家を見学させて頂こうと思って。後は、普通に町の様子を見て、出来たら町の方々とおしゃべりしたいですね」
「……そうか分かった、では行くぞ」
「はあ、で、結局若様も着いて来られると……」

 やれやれと言われ、ギズルフが「何か文句があるのか!?」と怒鳴る。
 
 そうして一行は、一路領都の城下町を目指し歩いて行くのだった────




 因みに──……

 これらの全てのやり取りを──ミリヤムはギズルフの背の上から応じていた。
 最早誰もそれを注意しない。(勿論ヴォルデマーは別)

 うっかりそれが当たり前のようになっているのは、ミリヤムも同じようだった。




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