偏愛侍女は黒の人狼隊長を洗いたい

あきのみどり

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三章

45 対ギズルフ専用盾。そして終結と。

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「……見事に惚けておるわ」

 ロルフは笑いを噛み殺しながらそう言った。彼らの視線の先でヴォルデマーはミリヤムの顔を幸せそうに眺めている。
 それは傍目にはほとんど表情がないようにも見えた。しかし、彼の肉親達にはそのささやかに浮かべられた表情の普段との違いがありありと分かった。

「……あれを見れば、もう何の説法も必要がない気がするがのう」と、ロルフが呟くと、そんな父にアタウルフが問う。

「父上……」
「ん?」
「父上は何故、彼女に手を貸そうとなさるのですか?」

 息子の彼が知る限り、この先の領主は、けして容易い存在ではなかった。
 今でこそ腰も曲がり、毛並みも色褪せて、筋肉も衰えてしまってはいるものの、以前の彼は大柄で一際風格のある人狼だった。
 一睨みでヒキガエルに──とは、昔、彼と相対した王都の将軍が残した言葉で。その鷹よりも鋭い眼光と、肉体の強靭さから滲み出る威圧感には、周囲の畏怖が余す事無く集まった。全盛期には、彼の前には墓場に眠る死者ですら起き上がって敬礼するとさえ言われたものだ。
 そんな彼、ロルフ・シェリダンが領地の表舞台から身を引いてもう随分が経つが、今でもその信奉者は多い。
 だが、その影響力の強さは彼自身もよく理解しているはずだった。権力が大きいだけに、容易く人を助けられるが、それは思わぬところで危険を招いたりもする。
 現領主であるアタウルフにもそれは骨身に染みていて、だからこそ彼は不思議に思った。

「……先の領主である父上が、あの者の背後に立とうという理由はなんです?」

 だがそんな息子の問いを、ロルフは声を立てて笑った。

「そんなことは分かりきっておるわ。孫の幸せ第一じゃ!!」

 と、胸を張ってから(突進してくるギズルフを張り飛ばしながら)……ロルフは苦笑する。

「……も、あるがな……やはりわしはミリーちゃんには大層世話をかけて来た」
「……ちゃ、ん……ですか……」

 己の父が誰かの事をそんな風に呼んでいるのを初めて聞いたアタウルフは戸惑ったようにぎこちなく返す。そんな息子にロルフは笑みを深くした。

「それだけか、などとは思ってはならぬぞ? 他人の世話を毎日焼き続けるという事は、言うほど容易いものではない。……これまでにも砦には幾度も下働きの若者が入ってきた。だが皆続かなかった。皆、本職もあるというのに年寄りどもにまでこき使われるのは堪らぬと言ってやめていく。だが……わしらとて好きでこき使こうておるのではないぞ? 皆若い頃のようには体が動かぬし、身体も重く、どうしても痛む。出来るだけ自分達でやろうとは思っても思うようにならぬ事も多く、必然的に若者に頼ることも多い。だが……頼りたい年寄りが多過ぎるからのう……そうして若者が居つかぬと、働き手が足りず、結局年寄り達もいつまでも辞めることが出来ない。悪循環じゃったな」
「……」

 しばらくは隊士達の手助けでそれを補っていたロルフ達だったが、その内砦自体も本格的な人手不足に陥ってしまった。対策を打とうにも、長たるヴォルデマーですらギリギリの状態で働いていて、にっちもさっちも行かない。
 そんな状況に──身分を隠し、政治とは遠ざかって暮していたロルフとサラも困り果て、これはいよいよ息子に何らかの形で力添えを依頼するしかないか、と──考えていたそんな矢先、彼女が来た、とロルフは微笑む。

「しかし、ミリーちゃんを最初に見た時はこんな小さな娘ではまた続かぬのだろうと思った。が──……蓋を開けてみると、あの体の中には得体の知れない力が詰まりに詰まりきっておった」

 ふぇ、ふぇ、ふぇ、とロルフは如何にも愉快だったと言わんばかりに笑いを漏らす。

「あの子はその力で驚きと賞賛に値する働きを見せた。本職に加え、隊士達の面倒も見て、尚且つ我らの腰を揉み、肩を揉み、物を落としたと言えば拾い、足が痛いと言えば手を引いて階段を登った。“お年寄りの可愛さ卑怯極まれり!”などと叫びながらも、請われれば何処へでも飛んで来てくれて──サラなんぞ、一体何度老眼鏡を失くして探しに走ってもらったことか……」
「…………」

 アタウルフは驚いていた。ロルフの言葉の端々には、その娘に対する愛情で溢れていた。それはまるで孫娘の事でも話しているかのようだ。

「ミリーちゃんがわしらの中で、唯一の若者として奔走してくれたことは本当に有難い事じゃった。疲れて砦内で行き倒れて眠ることもあるあの子の懸命さを、皆がどれ程可愛らしいと思っていたことか。本当の孫でもあそこまではしてくれぬ……わしはただの代表だ。あの子は気がついておらぬかも知れぬが──ベアエールデの老体一同皆ミリーちゃんを愛おしんでおる。もう他によすがのない者も、過去に身分があった者も、変わらぬ気持ちであの子の未来を案じている。もし此処であの子を受け入れぬというのなら、わしらは喜んでベアエールデにあの子を連れ帰りたい」

 そうして過去の威光を使い御主から砦を奪い其処で皆で面白おかしく暮らしてやるわい、とからから笑う父に、アタウルフはため息をついた。

「ご冗談はお止め下さい……実現しそうで恐ろしゅうございます……」
「ははは、半分は本気じゃが。ま、それは最終手段だとして……」
「……」
「侯爵のお申し出……わしは、良いと思うぞ。隣国の脅威に備えようという話も利があるし、領民間の対立を和らげようというミリーちゃんの話ももっともな話だ」

 お前もそう思わんか? 、と問われたアタウルフも「ええ」と頷く。

「それにミリーちゃん自身も働き者で、他人を思いやる事の出来る娘であることは間違いがない。あの子が領民の為に尽くすと言うのなら、きっとそれは本気だ。恐らくわしらが思うよりずっと──愉快な事になるに違いないな」

 そう言ってロルフは再び軽快な笑い声を立てて、「この様な愉快な嫁が、悪い嫁な訳がないぞ」と朗らかに言った。

「それと──知っておるか? 今領都では、ミリーちゃんとヴォルデマーの婚姻の噂で持ちきりじゃ」「う、わさ……?」

 その言葉にアタウルフとアデリナが怪訝そうな顔をする。「なんじゃ、やはり知らぬのか」と、ロルフは今にも笑い転げたいというような顔である。

「その噂によると、ミリーちゃんは人族の中でも絶世の美女で、この世のものとも思えぬ良い体臭だということになっておるらしい。おまけにその宝石のような瞳で見つめられると猛獣(ギズルフ)をも従える不思議な力を持っているという」
「体臭……」
「猛獣……」

 それを聞いた途端、アタウルフ達は微妙そうな表情を浮かべた。(それを此処に来る前に聞かされたミリヤムは、その噂はフロリアンのものと何処かですり替わったに違いない、と思った)

「……どういう噂ですかそれは……」
「ふぇ、ふぇ、さあのう……だがしかし、民衆の注目があの子に集まっているのは確かだ。実際のミリーちゃんを見て皆が落胆するかどうかは分からぬが、何より、これだけ広まった婚姻話がやはり無くなったと言われれば、領民達はそちらの方がよほどガッカリするであろうな」
「……」

 くつくつと笑う父の言葉に、アタウルフは己の妻の顔を気遣わしげに伺った。アデリナは強張った顔でじっと義父の言葉に耳を傾けていた。が、不意にその足がロルフに向かって一歩進み出る。

「……お義父様。本当によいと思われますか、これが同族婚でなくても……」

 その固い表情にロルフは「アデリナ」と柔らかく呼びかける。

「如何した。己の息子があのように幸福そうに微笑んでいるというのに、御主は何故、そう辛そうな顔をする?」
「……確かに、あの子は今は幸せそうです。しかし、先々でその血統が先細って行く事を考えると容易くその望みを受け入れてやる事が出来ぬのです……」

 アデリナは苦しげにそう答えた。ロルフは既に、そこに母としての苛立ちや嫉妬があることは分かっていた。しかし、彼はそんな彼女の感情を否定する気はなかった。ヴォルデマーを産み育てた母が、息子との対立でそういった感情を持て余したとしても、それは仕方の無い事だと彼は思った。ロルフは静かな眼差しでアデリナを見る。

「アデリナ……心安らぎたければ受け入れてやる事だ。もし御主の思う通り、ヴォルデマーの意思を無視し同族婚に固執して侯爵からの申し入れを断れば、あそこにある幸福は消える」

 ロルフは表情を引き締め指差した。そこにあるのは仲睦まじく寄り添い立つヴォルデマーとミリヤムの姿だ。

「……っ」

 そこで娘に向かって表情を綻ばせる息子を見て、それが消えると突きつけられたアデリナは悲壮な顔をした。
 この一月でどれだけ息子が暗く沈んでいたかを思い出したその瞳には涙が滲む。アデリナとてそこに戻りたいわけではない。だが胸の内に渦巻いた様々な感情が枷となり彼女の足を重くする。
 けれどもロルフはそれでもあえて厳しい言葉を彼女に向けて続けた。

「……あの気の長い男がやっと得たそれを失い、その傷が癒え、そこからまた愛するものを探し出すまで待つというのか? それには一体どれだけの長い時がいるのだ? 御主もそれと同じ時を苦しみ続けるつもりか?」
「……」
「種族を守ろうという気持ちは分かる。だが、安易なのだアデリナ」
「安易……」

 弱々しく己の言葉を繰り返すアデリナに、ロルフは頷く。いつの間にかその瞳には彼の現役時代を思わせるような強い光が宿っている。

「何かを得ようとする時、犠牲を作る方法を簡単に選んでしまうのは安易なことであり、ひどい怠慢だ。時には例えそれが両極端なものであったとしても、調和させる為に議論を尽くし、少しでも実り多き道を探す努力をしなければ。──種族とヴォルデマーの想い、両方を犠牲にしない方法は本当にないのだろうか?」
「…………」
「あそこに見えている幸福が、御主にとって本当に、切り捨て、消しさってよいものなのか……種族を守るという名分の下に、本当に犠牲にしても良いものなのか……今一度よく考えよ、アデリナ」
「……」

 その威厳に満ちた声を噛み締めるように聞きながら……アデリナはそれが、まるで天啓か何かのようだと、何処かで思った……
 








「……若様は、おかしい……」

 切り込まれたかのような深い縦皺を眉間に走らせ──ミリヤムは言った。
 視線の先のギズルフは、繰り返し繰り返しロルフに突進して行く。(そして軽く弾き飛ばされる、を繰り返す)

 この場、この場面において、である。「アデリナ様が涙しておられるというのに、あの方本当に空気読まないな!?」とはミリヤムの言葉。「ある意味嫡男の風格か!?」とも。

「だいたい……あれだけ人を壊れ物と称して怯えておきながら……お年寄り様に特攻して行く若様の気が知れません!」
 
 お陰で危ないと言われ、ヴォルデマーがいつまでも離してくれず、ロルフ達の傍に行けないミリヤムは猫のように殺気立った。
 ちょっと叩いてこようか、とドレスの裾をたくし上げようとする娘をヴォルデマーはそっとその二の腕を柔らかく掴んで押し留める。

「……やめておきなさい。お前があそこに巻き込まれたら怪我だけはすまぬ。……大丈夫だ、祖父も人狼、頑丈に出来ておる」
「……そうでございましょうか……私め案外良い盾になると思うんですが、対若様限定で。」

 と、眉間に力を込めながら、ミリヤムがそう本気で言った時、
 
「……ヴォルデマー」と、静かな声がした。

 気がつくと皆が傍に集まっていた。(ギズルフはロルフにヘッドロックされている)←思わずそれを真顔無言で凝視してしまうミリ)

 ヴォルデマーは目礼を、ミリヤムは気になるもの(人狼の爺孫)もありつつ慌てて大きく一礼してそれを迎える。

「父上、母上」

 ヴォルデマーの手が二の腕から滑り落ち、ミリヤムの手に平に固く結ばれる。そこに彼の不安を感じ取ったミリヤムは、その手を強く握り返した。

 そんな二人の様子を見ながら、アデリナは細い息をそっと吐いた。そうして彼女はこれまでに無いくらい穏やかな声音で息子に向けて言葉を紡ぐ。

「……お前の……思うとおりになさい」
「……母上……?」

 それは、諦めたようにも、安堵しているようにも見える表情だった。
 アデリナは、己から受け継いだ金の瞳で自分を見返してくる息子に向かって、やっと、
 
 微笑んだ。


「侯爵様のお申し入れを──お受けすることにします」
「!?」

 それを聞いた途端、ミリヤムはびょんっと、飛び上がり、ヴォルデマーは軽く目を見張った。
 
「母上……真に……?」

 信じられぬという顔で見下ろしてくる息子に、アデリナははっきりと頷く。

「──その娘を、お前の正式な妻として──我が家へ迎え入れます」


 彼らの息をのむ音を聞きながら、アデリナは、

 お前の幸せを祈って、と、小さく呟いた。


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