偏愛侍女は黒の人狼隊長を洗いたい

あきのみどり

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三章

46 ミリ、お目付け役を賜る

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 呆然とした。

 穏やかに微笑する母を見て、ヴォルデマーは呆然とその顔を見つめた。
 その応えを求めては来たものの、実際にその口から「許す」という言葉が出てくると、喜びよりも先に驚きが勝った。

 だが、呆然とするその男の腕はしきりに激しく上下している。
 何故ならば、そこに繋がれた手の主である娘が飛び跳ねているからだ。彼女は──床まで届く裾の長いドレスを身に纏っているというのに──ぴょんぴょん、びょんびょんと、赤い顔で何度も何度も飛び跳ねた。

「……! ……! ……!! ヴォっ、ヴォルデマぁ様!!! ア、アデ、アデアデアデ……っ!!!!」
「…………落ち着きなさいミリヤム」
「っ!! っ!? ぅえっほ!?」
「ちゃんと息をしなさい……」

 どうやら驚きと度を越した歓喜で上手く口が回らないようだった。ミリヤムは舌を噛み噛み不思議そうな顔をしてる。ミリヤムは思っていた。こんなに己の口が回らなかったのはいつ以来だ、と。その目が恐ろしげに瞠られて、己が母に向けられるのを見て、ヴォルデマーは「ああ、“己の口を封じるなんて恐るべし”とでも思っているのだな」と、何となく察する。

 そんなミリヤムの様子を、アデリナは呆れたように見ている。(関係ないが、更に、それを見た衛兵達が、娘の奇行を前に、アデリナがやはりこの縁談を考え直すと言い出さないかハラハラしている)
 そしてその後ろではアタウルフがやれやれと苦笑していて、ロルフは愉快そうに笑っていた。と──そこでヘッドロックされていた黒い毛並みの兄が目を見張って嘆く。

「……という事は……俺様はこの先もずっとあいつの面倒を見なくてはならないのか……?」

 呆然とした呟きを耳にした瞬間、飛び跳ねていたミリヤムの足が、びたっと止まる。その眉間の皺ははっきりと「誰も頼んでないが、」と語っていたが、ギズルフは怒鳴った。

「貴様……少しは丈夫になって戻ったんだろうな!?」

 さあ腕を見せてみろ、1.2倍くらいにはなったのか!? と手を差し出すギズルフに、ヴォルデマーが冷たい目で言い放った。

「……滅びろ」







「それで……持参品はもう運び込んでも宜しゅうございましょうか」
「実はもう持ってまいりましたの」

 険悪に睨みあう兄弟達を物ともせずに、微笑みながらそう言ったのはフロリアンと侯爵夫人だった。夫人は先に渡したものとは別の書簡をアデリナに手渡し、「持参品についてや、婚約式や婚礼について希望はこちらにまとめてまいりました」と微笑む。
 その周到さに呆れつつもアデリナがそれを受け取ると、夫人は息子を連れて侯爵領に帰るゆえ、正式に日取りが決まれば報せてほしいと彼女達に言った。
 その言葉には、ヴォルデマーとギズルフを宥めていたミリヤムも驚いて振り返る。

「え……!? 奥方様も坊ちゃ……お父様も、もう侯爵領にお戻りになられるんですか!?」
「うん。だって、色々準備もあるし……」
「わ、わたくしめは!?」

 本来なら、まずは婚約式が行なわれるのが通例で、その後は婚約公示期間となる。婚約公示期間は約一ヶ月程が取られ、その間は婚約した者同士は同じ家で過ごす事は禁じられていた。

 ミリヤムが問うと、フロリアンは金糸の髪をさらりと揺らして首を傾ける。

「ミリはもうヴォルデマー様と離れるのは嫌がるかなって。一緒に居たいんでしょう? 婚約式をすぐにすませたとしても……公示期間中、ミリが侯爵領の家に戻ると、次にヴォルデマー様に会えるのは、公示期間が明ける一月後ってことになってしまうよ? そう何回も行き来できないしね」
「! え、ま、あ……そ、そうか……そうですね、」

 そうですけど、とミリヤムが戸惑うと、フロリアンが「だから」と微笑む。

「ロルフ様が城下に家を用意して下さったから、ミリは期間中はそこで過ごすといいよ。ロルフ様が面倒見て下さるそうだから」
「お……おぉおおお……」

 見ると、ロルフは右手の親指を立て、片目を瞬いてミリヤムを見ていた。(その前辺境伯の軽い様子にアタウルフが物言いたげな微妙な顔で押し黙っている)

「数日内にはサラも帰還するゆえ三人で面白おかしく過ごそうぞ! サラはアデリナからミリーちゃんを守ると張り切っておったぞ」

 その言葉にはアデリナがぎょっとしている。アタウルフは嫁姑問題が再来しそうな気配にため息をついた。

 しかし──ミリヤムは怪訝そうに首を傾げていた。

「? サラ、さん? ベアエールデの? サラさんが……いらっしゃるのですか?」

 何故ゆえ? とミリヤムが首を傾げると、ロルフが「ああ、そうじゃった」と、からからと笑い、ヴォルデマーがやれやれと言う顔でため息をつく。

「??? え?」

 周囲の者達が、一方は愉快そうで、もう一方では疲れたような顔をしているのに気がついたミリヤムは、解せぬという表情でロルフを見た。何故ならミリヤムは未だにサラの正体を知らなかった。
 と、ロルフがにこにこしながらミリヤムに告白した。

「ミリーちゃんにはまだ言っていなかったが──サラは我が妻でな」
「………………つ……?」(←まだ脳に達していない)
「ヴォルデマーの祖母じゃ」
「……そ…………」(←ちょっと来た)
「アタウルフの母じゃ」
「あ゛っ!?」(←やっと来た)
「アデリナの姑じゃ」

 そこまで聞いたミリヤムは謁見の間を越えて、廊下の先の先にまで聞こえる声で叫んだ。場をつんざく声に、驚いた衛兵達が思わず腰元の剣に手を掛けている。

「ひぃいいいいいいっっっ!!!???」
「!? っやめろ!!!」

 真っ青になって仰け反るミリヤムに、ギズルフが例に洩れず怯えている。だが、それを先に知らされていたフロリアンと侯爵夫人はころころ笑っている。
 辺境伯夫妻はやれやれとため息をついた。件の老母がこのミリヤムの驚きようを知れば、彼女はさぞかし喜ぶことだろう……と、思った。

 ヴォルデマーはよろめくミリヤムの背を抱きとめて「……すまぬ」と気遣わしげにその顔を覗き込む。
 その申し訳無さそうな顔を見て、ミリヤムは、そういえば似てる! とハッと息を呑んだ。

「……ロルフさんに気をとられて気がつかなかった!! ひ、ひっかけだっ!!! 無情!! 無情です!! ひ、卑怯なり!!!! あー!!!!!」

 ミリヤムは泣きながら血の気の引いた顔で叫んだが、それを近寄って来たフロリアンがよしよしと宥める。

「まあまあ。大丈夫だよミリー」
「お言葉ですが坊ちゃ、お父様!! わたくしめ、サラさんが汚したエプロンドレスを引っぺがして洗濯したり、お肉ばっかり食べたら駄目だ野菜も食べろと説教したり……あー!!! 人狼だから!?? そうか若様のおばあ様だから……肉食なのか!!!! 若様め!!!!」

 蒼白な顔でぎらりと睨まれたギズルフが耳をぺったりと倒す。

「……俺、関係あるか?」
「……」(ヴォルデマー)
「ふふふふふ」

 フロリアンは愉快そうに微笑みながら、「それで、」と続ける。

「そういう訳で私は一度侯爵領に戻るけど、婚約式までにはまた来るから。ロルフ様とサラ様もだけど、ヴォルデマー様とも仲良くしているんだよ?」
「!? お、おおおぉをお……」

 仲良くせよと言われたミリヤムは、青かった顔を今度は一気に赤らめる。(「!? 怖っ!?」※ギズルフ)←皆に黙殺される)

 ミリヤムはさっと涙と冷や汗をハンカチで拭うと、照れ照れしながらさりげなく(い、つもりで)、ヴォルデマーに寄り添った。そして嬉しそうにその顔を見上げる。
 
「…………」

 その表情を見た途端──寄り添われるヴォルデマーの胸に温かい喜びが広がった。
 ようやく、彼女を迎え入れると言った母の言葉に実感を持つことの出来たヴォルデマーは、思わずミリヤムを抱き締めた。

(……やっと……)

 彼はしみじみと幸福そうに、ミリヤムの後頭部に添えた手に力を籠め、そこに頬擦りをする。と、柔らかく甘い香りがヴォルデマーの鼻孔をくすぐって。その目頭が誘われるように熱くなった。

「……ミリヤム……」
「ヴォルデマー様」

 ミリヤムもヴォルデマーの胸に顔を埋め、思い切りその匂いを吸い込んだ。

 とても、とてもとても幸せな気分だった。



 ──と、ミリヤムが頬を緩めた瞬間、

 その二人の様子を朗らかに見ていたフロリアンが口を開く。
 
「そうそれで──私は此処を離れるのだけれど」

 にっこり。

「ミリにはルカスをあげるからね」
「っ!???」

 その言葉にミリヤムは、ヴォルデマーの腕の中で目をむいて吹き出した。

「ル、ルカ、ルカッス!?」

 脳裏には氷の眼差しを持つ幼なじみの顔が思い浮かんで。ミリヤムは唖然とし、慌ててフロリアンを振り返る。
 フロリアンは良い笑顔で笑っている。

「ルカスは強いから一緒だと安心だし、ミリーのブレーキになるからね」
「…………」

 ミリヤムは思った。
 やばい……あいつ絶対邪魔してくる……

 新生活におけるルカスの小姑ぶりは容易く想像がついて。ミリヤムはその元主、現義父を凝視した。

「……さては……のんびり仲良くさせる気、皆無ですか!? 坊っちゃま!?」

 いや違った、お父様!!!??? 


 ──と、

 ミリヤムは叫ぶのだった。






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