偏愛侍女は黒の人狼隊長を洗いたい

あきのみどり

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二章

8 辺境伯の手紙と、ウラ嬢の高笑い

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 その実家から使わされたという人狼青年の、如何にも喜ばしいという表情とぶんぶん振られる尻尾を見て、ヴォルデマーは嫌な予感がした。
 手渡された狼の紋章の入った筒から中身の手紙を無言で抜き取り、其処に並ぶ文字に目を走らせたヴォルデマーは言いようのない虚脱感に襲われて。思わず目頭を押さえて卓上に肘をついた。

「……なるほど……」

 その様子を見て使者を此処まで連れて来たイグナーツが首を傾げる。

「ヴォルデマー様? 如何なさいましたか? 辺境伯様は一体なんと?」
「……どうやら……ウラ嬢が外堀を埋めに行かれたらしいな……」
「……え゛!?」

 ヴォルデマーのため息混じりの言葉にグナーツがぎょっとした。脳裏には鮮やかな民族衣装を身に纏った勝気な人狼族の令嬢の姿(高笑いバージョン)が思い浮かぶ。

「……実家にも例のウラ嬢と私の恋仲の噂が届いていたようだ……やれやれ困ったものだ」
「ちょ、ちょっと失礼しますよ!?」

 イグナーツが苦笑するヴォルデマーの手から手紙を奪い取る。奪い取られたヴォルデマーはその手の形のまま、どうしたものかと目を伏せた。そして奪い取った主はというと、その文面を読んで再びぎょっと仰け反っている。

「ヴォ、ヴォ、ヴォっ」
「落ち着け」
「ヴォ、ヴォルデマー様! これが落ち着ける訳が……もうあちらはかなりその気ではありませんか!! こ、婚約式の日取りまで書いてありますよ!? ウラ嬢との!」
「まったく……」

 ヴォルデマーは手紙の文面をもう一度目でなぞりながら、己の母を思い出し頭を振った。
 ヴォルデマーとは違う銀を帯びた白銅色の毛並みの彼女は、職務に打ち込むばかりで永く浮いた噂のない硬すぎる息子にずっと気を揉んでいた。度々「私が死ぬ前に」などという手紙を送って寄越し、彼女によって持ち込まれる縁談の数も毎年片手で足りない数となる。ヴォルデマーはその度に相手方に丁寧に断りを入れなければならなかった。
 一体何処から実家に例の噂が伝わったのかは不明だが、ウラ嬢のと噂に彼女は相当喜んだ筈だ。
 ウラ嬢を不審の目で見るならば彼女がそれを熱望していたことを考えると、彼女自身がその噂を辺境伯領に流し込んだ可能性も考えられる。
 だがどういった経緯でそれが実家に伝わったにしろ、そこに件の娘が現れれば。

「まあ、当然こうなるだろうな」
「ヴォルデマー様!? ですからお笑いになられている場合ではありませんよ!! ウラ嬢はかなり足しげくご実家に通われているようではありませんか……」
「周到なお方だ……」
「ヴォルデマー様!? どうなさるのですか!?」
「……一先ず、返事を」

 ヴォルデマーがそう言うとイグナーツが慌てて手紙用の上質な紙と封筒、赤い蝋を棚から取り出してきた。用意された紙にヴォルデマーはさらさらとインクを付けたペンを走らせる。

「……すまないが、乾いたら私の代わりに封印を施してその者に渡してくれ」

 手紙を書き終えると、ヴォルデマーはそれをイグナーツに渡す。

「え? あ! はい! 畏まりました!」

 ヴォルデマーは手紙を持参した人狼に念を押す。

「充分休息をとってからでよい。必ず父に渡してくれ」
「はい、ではまた後ほど此方に取りに上がらせて頂きます。ヴォルデマー様! おめでとうございます!!」
「……」

 にこにこしてそう言い残して部屋を出て行った使いの言葉にヴォルデマーが微妙な顔つきをした。

「ヴォ、ヴォルデマー様……だ、大丈夫ですか……?」
「……ああ。母の早とちりには慣れている」

 そうは言ったものの、内心ではかなり疲労を感じていた。
 直前まで聞いていたフロリアン・リヒターの話の衝撃も落ち着かぬまま持ち込まれた実家の浮かれた手紙は、忙しいヴォルデマーの気力をごっそり削り取った。

「……早く仕事を終わらせよう」

 ヴォルデマーはため息混じりにそう言って、執務机に向き直るのだった。

(ヴォ、ヴォルデマー様がお疲れになっておられる……!!!)

 それを本人よりオロオロしているのはイグナーツだ。イグナーツは勿論ヴォルデマーの母の事も知っている。小躍りしている様子が文面から伝わってくるような手紙に、そうするしか方法はないとはいえ即座に否定の手紙を出してしまったら、一体あちらではそれをどう受け取るのか。考えるだけでも恐ろしかった。

(この様な忙しい時に……)

 イグナーツは手一杯の仕事を思ってくらっと来た。
 己はもちろんの事、ヴォルデマーの机の上も処理待ちの書類で溢れているのだ。リヒター家の兵団の到着で人手は増えたが、しばらくはその指導などで砦も騒々しくなるだろう。

「は! ミリヤムだ! ミリヤムを連れて……」
「駄目だ。寝かせておけ」

 どう砦長を癒そうかと考えていたイグナーツがぴんと閃くが、即座に却下された。

「ああああ! 何でこんな時に熱なんか……!?」
「イグナーツ、仕事をしなさい」

 叫んで頭を抱える白豹隊士にヴォルデマーはインクの乾いた手紙を差し出す。イグナーツはそれを受け取ると慌てて封蝋を捺す準備に取り掛かるのだった。




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