偏愛侍女は黒の人狼隊長を洗いたい

あきのみどり

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二章

11 対立

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 ミリヤムがローラント達を捕まえて入浴場へ放り込んでいた頃、隊長室では二人の男が向かい合っていた。
 一人は部屋の主ヴォルデマー、もう1人はフロリアンである。
 二人はテーブルを挟んで椅子に腰を下ろしていた。その間には先程イグナーツが入れていった茶が二つ。立ち上る湯気がゆらゆらと両者の間を揺れていた。
 ヴォルデマーは此処に来てからずっと何事かを思案するかのように目を閉じて黙りこんでいる。フロリアンは暫しの間それを黙って待っていたが、そろそろ頃合いだろうかと自分を此処に呼び出した男に落ち着いた声音で問いかけた。

「ヴォルデマー様、お話とは何でしょう」
「……」

 水を向けられたヴォルデマーはそっと瞳を開き己に微笑みかけている青年を見返した。誰にでも愛されそうな美しいさと柔らかな品を備えた彼を目にすると、それを褒め称える栗毛の娘の様子が思い起こされ、小さな嫉妬に胸が痛んだ。だが、ヴォルデマーはそれをおくびにも出さす静かな声で話し始めた。

「……ミリヤム・ミュラー、あの者の事です」
「ええ」

 ヴォルデマーが切り出した言葉にフロリアンは頷く。まるで予想していたかのように事も無げに。
 だがしかし、そこに続けられたヴォルデマーの言葉には流石のフロリアンも驚かされることとなった。ヴォルデマーは彼の目を見て、間を入れず言った。

「愛しています」

 フロリアンが瞳を瞬かせた。驚いて、しばしの間言葉も無く、今しがたその驚くような言葉を場に投下させた者の顔をまじまじと眺めた。だが、言葉の主は普段と変わらぬ淡然たる態度で其処に構えるばかりで。フロリアンは思わず小さく噴出した。

「驚いた……随分と端的に仰るんですね」
「一番言いたいのは其処ですから。遠まわしに上手く伝えられるような雄弁な性質でもありません」
「成程……」

 フロリアンは、ヴォルデマーらしいな、と苦笑する。

「先日の私の話を聞いた上で、という事ですね?」

 その言葉にヴォルデマーはしっかりと頷く。

「貴殿らの過去がどうあれ……変わるものでもない。事実を事実としてお耳に入れておきたい。私はあの者を必要としています」
「そうですか……」

 フロリアンは息をついた。

「では、私もそれを事実として受け止めましょう。ですが、私は彼女にした求婚を撤回する気はありません。春になれば彼女を領へ戻す予定も変える気はありません」

 きっぱりと言い切ってフロリアンは微笑んだ。そのまるで受けて立つと言わんばかりの様子に、ヴォルデマーは表情は変えぬまま口元を引き結んだ。彼もそう簡単にフロリアンが引き下がるとは思っていない。
 そんなヴォルデマーにフロリアンも切り出す。

「ヴォルデマー様、私も……今ミリヤムの心が貴方に傾いている事は分かっています」
「フロリアン殿……?」

 戸惑ったように寄せられた眉間にフロリアンは「ミリーは分りやすいですからね」と苦笑した。

「ですが……現状で貴方とミリヤムが添うのは難しいのでは? 私にお話になるくらいです。単なる戯れではなく、その覚悟あってのお話だと解釈いたしますが、ご実家は獣人界では指折りの名家。辺境伯閣下はお許しになりますか?」
「……簡単にとは、言えませんな」

 彼の指摘にヴォルデマーはその困難さを認め頷く。脳裏には家から届いた手紙のことが思い浮かんだ。母はきっと抵抗するだろう。
 フロリアンはヴォルデマーの表情の細かな反応を静かに窺いながら言葉を続ける。

「貴方には私以上に障害が多いはず。そこに希望がないのであれば悪戯にあの者の心を乱すようなことはしないで下さい。ヴォルデマー様がそのような事をなさるとは思いませんが……ミリヤムを愛妾にするなどという事は私は絶対に許しません」

 フロリアンがそう懸念を示したのには訳がある。この国に限らず、貴族の子息息女の多くは政略によって婚姻を結ぶ傾向にあった。そんな貴族社会で、貴族男子が正妻以外に妾を持つということは然程珍しい事ではない。婚姻で家を守りつつ、情を注ぐ者を非公式に傍に置くという事はよくある話なのである。しかし、それを黙認する風潮も強いがその為に起こる騒動もまた多かった。そのせいで割を食うのは結局弱い立場の者なのである。

「私がミリヤムに与えたいのはそんな陰のある立場ではありません……国の法が定めし通り、誠実な行いで彼女を唯一無二の存在として正式に迎え入れる用意が無いのなら、申し訳ありませんが話になりません」

 フロリアンの目は笑っていなかった。その瞳からは柔和な輝きは消え、厳しさを感じさせる視線がヴォルデマーに注がれている。

「私には、その用意があります」

 その悠然とした宣言に、ヴォルデマーは彼の決意の固さを改めて知る。
 だが、と彼はフロリアンを見た。

「無論、彼女にその様な扱いをする気などありません。家を説得するのは確かに簡単ではない。当家は同族以外の婚姻を結んだ事もありませんから、その事に反発する者も少なからず居るでしょう。これ幸いと攻撃してくる政敵もいるかもしれません。しかし──その労を厭うて諦められる程度の情ならば、私は貴殿にわざわざ宣言したりはしない」

 現状で、フロリアンは砦存続の鍵となる大切な存在だ。本来ならば其処に諍いなど、ましてや色恋沙汰での対立などあってはならない、絶対に避けなければならないことだった。
 ヴォルデマーは強い眼差しでフロリアンを見返す。

「フロリアン殿……彼女は私が初めて心から得たいと思った女性です。ずっと共にあり、同じ食卓を囲んで生きて行きたい……いつか来る将来、己以外の誰かが彼女の隣にあるかと思うと、想像するだけでこれまで味わった事のない焦燥感に苦しめられる。それが現実のものになるくらいなら、家族に刃向かう方がまだ易い」
「…………そうですか……」

 その言葉を聞くとフロリアンはため息をついて椅子を立った。

「ならばお互い出来る事を致しましょう。貴方と対立するようでとても残念ですが」
「……」

 フロリアンはそう言うと、微笑んで頭を下げ、部屋を出て行った。

「……」
「ヴォルデマー様……」

 残されたヴォルデマーが椅子にもたれ物憂げにため息をついていると、フロリアンと入れ違うようにして部屋に入ってきたイグナーツが困ったような表情で彼の傍にやって来た。

「ヴォルデマー様大丈夫でしょうか……リヒター殿が隊に協力しないなどと仰るのでは……」

 だがヴォルデマーは首を振る。

「心配せずとも彼はその様な人物ではない。……イグナーツ、これは私の個人的な問題だ。お前達は気にする事無く彼等とお付き合いさせて頂くように」
「はあ……」(←気にしないなんて無理だなあ、と思っている)




「フロリアン様……」 
「おや、ルキ其処にいたの」

 部屋を出たフロリアンは、廊下の先で彼を待っていたルカスに微笑みかける。こちらでもその配下は不安げに主を見る。

「大丈夫ですか……?」

 その心配そうな顔つきにフロリアンは軽やかに笑って見せた。

「ちょっと驚いた。ヴォルデマー様は本当に直球で来られるから」
「直球、ですか?」
「ふふ……だけどどうかな。ヴォルデマー様は力をお尽くしになるだろうけど、ご家族を説得するのは難しいだろうね。ルキも砦内に蔓延する噂を聞いただろう?」
「……長殿とどこぞの人狼女性との噂話の事ですか?」

 ルカスがそう答えるとフロリアンは頷く。

「人というものは己の信じたいものを信じるものだろう? あの噂があれだけ好意的にこの砦に広がっているという事がヴォルデマー様の立場を表しているのだね。つまり──彼は民衆からそう強く望まれているということだ」

 領主の息子たる砦長が、慣例どおりに血統を守り、つりあった家柄の娘と結ばれる。多くの領民がそう願うのは至極当然のことだった。

「そういう事に領主様もその下を守る方々も皆敏感なものだよ。領民の支持なくして土地は治まらないからね。辺境伯様もたとえ息子が好いた相手だとしても、よく知りもしない娘を相手にそうそう首を縦に振らないだろう」
「……」
「まあ、あちら側がどうあれ、私はきちんと自分の気持ちをミリヤムに伝えて説得するだけかな……」

 そう言って微笑む主にルカスは難しい顔で続ける。

「……ミリヤムも底の抜けた阿呆ですが、領主の邸に仕え続けて来たのですから……その辺りの理はよく承知している筈です。砦長様のお立場もきっと分る筈」
「……そうだね……」

 ルカスの言葉にフロリアンは頷いたが、小さな声で「だけど、」と、呟く。

「……ヴォルデマー様もそれはよくお分かりの様だった。……それでもあえて私に宣言されたという事が、ヴォルデマー様のお気持ちなんだろうね……」

 その固い気持ちを感じて、フロリアンは「同じだ……」と漏らし、胸の辺りを手で押さえた。

「フロリアン様? 如何なさいました?」

 フロリアンは胸を押さえたまま視線を床に落としため息をついた。

「“いつか来る将来、己以外の誰かが彼女の隣にあるかと思うと、想像するだけでこれまで味わった事のない焦燥感に苦しめられる”……」
「フロリアン様……?」
「ヴォルデマー様がそう仰っていた……同じだと思って」

 フロリアンは力なく笑ってルカスを見た。

「ミリが私以外の誰かを見ているという事が、こんなに苦しいとは思わなかった」




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