偏愛侍女は黒の人狼隊長を洗いたい

あきのみどり

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二章

14 困惑の脱衣所、忍耐の洗い場

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 ヴォルデマーは何故またこうなったのだろう、と思った。

 ぐいぐい手を引かれ連れてこられた見慣れた隊士用の浴場には、まだ早い時間のせいか他の隊士は誰も居なかった。二人きりか、いやしかしそれはいよいよ不味いのでは、と内心焦り始めていたヴォルデマーであったが……
 其処へ風呂場の掃除を終えたらしい老爺、灰色のロルフが二人の前にやってきた。ロルフは雑巾片手に二人を見て毛深い顔の相好を崩す。

「おやおやミリーちゃんに……」
「ロルフさん、お風呂入れますか!?」
「ついさっき湯を入れ始めたところだよ」

 ロルフの言葉にミリヤムは今だ正気さの乏しい顔で「一番風呂万歳!」と諸手を上げている。ロルフは「ふぇ、ふぇ」と笑いながらヴォルデマーを見た。

「また捕まったのかい? 不摂生するからじゃ」
「……」

 反論の余地がないヴォルデマーは黙り込む。ロルフは愉快そうに笑った。

「頑固なお前さんにはミリーちゃんくらいごり押しなお嬢さんの方が似合いかもしれんなあ……さてと、では爺さんは脱衣所の表で邪魔が入らぬよう門番でもしておるかな……ミリーちゃん頑張るんじゃぞ!」
「は! 畏まりました!」
「……」

 ロルフは途中にあったデッキブラシを門番風に持ち、「ミリーちゃんが居るとほんと面白いわい」と言い残して出て行った。

「……」
「さて、」

 ロルフが出て行くと、ミリヤムは早速がしりとヴォルデマーの隊服に手をかけた。ヴォルデマーはその手を押し留める。

「ミリヤム、自分でやるゆえ……一人で出来る」
「いえご遠慮なく。私めも無駄に“痴女”などと呼ばれている訳ではないんですよ。私めの観察によりますと、どうも、獣人の皆様は背中を洗うのが苦手でいらっしゃる。手が届かない上に毛深いですからね。ブラシもあて辛く、なかなか地肌までは清潔に出来ないご様子。皮膚病になるなら恐らく其処です。私めがしっかり軽い指どおりにして差し上げますからね」にこり

 ミリヤムはてきぱきとヴォルデマーの上着を脱がした。だがしかし、とヴォルデマーは困り果てている。

「お前に脱がされるのは少々……差し障りが……」
「……え?」

 ミリヤムが見上げると、ヴォルデマーは気恥ずかしそうに視線を逸らし斜めを向いていた。それはミリヤムが初めて見るその大きな男の表情だった。今までは己が恥ずかしがらされるばかりだったミリヤムは、そんなヴォルデマーの様子にうっかりときめいた。ときめいて、我に帰った。

「は!?」

 正気に戻ったミリヤムは、己の指がヴォルデマーの白シャツのぼたんの三つ目を外しているのを見て慄いた。それはもう殆ど開かれている。

「……!? なんだ!? どうした!? 私が……ヴォルデマー様を脱がせている!?」
「……」
「ひいっ、隙間から覗く胸板……な、なんたる色気……」

 途端ミリヤムの顔が一瞬にして茹で上がる。正常(?)に羞恥に悶え始めたミリヤムにヴォルデマーは、ほっとした。が──
 ミリヤムの叫び声に何かを察したか、出入り口外の老爺から愉快そうな声が送られる。

「ちゃんと綺麗にしてやらねば~」
「は! 皮膚病!? 蚤!?」
「!?」

 ロルフとの問答にミリヤムの背筋がびりりと伸びる。ついでにミリヤムの手も伸びた。その手は手品のようにヴォルデマーのシャツを脱がせ、ズボンのベルトを抜き去った。年季のはいった手つきはこの砦で大勢の隊士達を相手取ることで更に磨きがかかったようで、その手さばきは抵抗を寄せ付けなかった。
 勿論ヴォルデマーが本気で抵抗すればミリヤムに勝ち目はなかっただろう。だが、惚れた弱味というものか、好いた娘相手に戸惑っているヴォルデマーでは今回は勝負にならなかった。

「蚤の侵攻からヴォルデマー様を守るんだ!!」
「ミリヤム……気持ちは嬉しいが落ち着け……」

 と、ヴォルデマーが落ち着いて言った時には既に彼はすっかり脱がされていた。普段は彼の落ち着いた性質は数多の問題を解決するに適していたが、今回はそれが仇になった。

「…………、!」

 落ち着いている間に衣服を全て取られたヴォルデマーは一瞬そのミリヤムの手際に目を見張り──はっと我に帰った。

「……」

 彼はミリヤムが衣服を畳んでいる隙に無言で傍にあった布を己の腰元にさりげなく巻きつけた。その口からは困惑の色濃いため息が洩れる。
 ミリヤムがもうヴォルデマーだけは洗えないと思ったのと同様に、以前は平気だったことが平気でなくなったのは彼の方も同じだった。
 出会った当初は己の肉体がさらされても「何ら害もない」と、受け流したヴォルデマーではあったのだが、今回はそう思うことが出来なかった。ミリヤムによって己が脱がされるという事象の強烈さにヴォルデマーは眉間を押さえて呻く。此処に来るまでは、「二度目なのだから」と小さな油断も感じていたのだが……それがまったくの間違いであった事をヴォルデマーは思い知った。

 しかし、再びヴォルデマーを「蚤の侵攻から守る」使命に夢中になったミリヤムは服を畳んでしまうと、すぐさま彼の手を引いて邪気の無い顔で彼を見上げた。

「さ、行きましょう、ヴォルデマー様!」
「……はあ……」

 先程の「一緒にお風呂に入りましょう」発言を聞いてまさかと動揺していたヴォルデマーは、一先ずミリヤムが服を脱ぎださなかった事に心底安堵した。
 勿論そのような関係になることを望んでいないわけではないが、男にも心構えというものがある。そもそもミリヤムがその気で誘ってきているのならいざ知らず、これはどう考えても別件だった。
 しかし──然しものヴォルデマーも男である。情を向けた娘と浴室に二人きり。身体に触れられ何も無く終えられるのかには一抹の不安があった。

「……」
「さ、お早く。じっとしていると寒いですよ。早く洗って湯に浸かりましょう。急がねば毛並み泥んこ隊士達が雪崩れ込んできて湯を濁らされます」
「……」

 もういっそその方が気が楽なのだが、というヴォルデマーの葛藤も露知らず、ミリヤムは彼を石造りの洗い場へ追い立てて行った。
 そうしてヴォルデマーを洗い場に座らせると、彼女は木桶の中のブラシを取り出して黒い毛並みの埃をせっせと落とし始める。
 その様子は如何にも真剣で。その忙しなく動く白く細い腕を見ながら、ヴォルデマーはやれやれと肩から力を抜いた。此処まで来てしまっては仕方ない。もう後は耐え忍ぶだけだ、とヴォルデマーは観念する。

(……あの日以来か……)

 ミリヤムを見ていると、その姿が出会った頃と重なってヴォルデマーの胸に感慨深いものが過ぎる。その懸命な様はあの日と変わりが無いが、中身は大分変わったように思えた。
 あの時彼女には一切の躊躇が無かった。風呂場が正常に機能してないことに怒り、ヴォルデマー以下隊士達の意識の低さを叱り、それを正す為に隊士達の裸を目にすることに一体何の問題があるのだ、と堂々と胸を張り周囲の視線も物ともしなかった。
 だが、あの時仕事人に徹し、自分達を欠片も意識しなかった彼女が今、ヴォルデマーに触れることを恥じらい躊躇する。彼をきちんと異性として意識し、意識した上で、それをおして尚、己の健康を気にかけてくれている事がヴォルデマーにはとても嬉しかった。手荒くごり押ししているようで、相変わらず手つきは丁寧で優しい。その練熟した巧みさにヴォルデマーも改めて感心する。

(…………だが……)

 さわさわと触れていく細腕の感触に、ヴォルデマーはやはりこれは今後やめさせなければ、と心の中で堅く決意する。ミリヤムがこれまで同じ事を他の隊士にしていた事を歯がゆく思うし、これからもその気が無くともその気になる隊士が出るのではと案じられた。辛抱強い方だと自負していた己ですら触れられた場所から徐々に熱が高まる感覚に喘いでいる。
 ヴォルデマーは熱くなった顔に密かに渋面を浮かべ、まるで精神修行のようだと一人ごちる。

(これは、やはり……危険だ……)

 せめて腹側は自分で何とかしておかなければと、ヴォルデマーは自ら木桶に手を伸ばす。

「あら? 私めがやりましょうか?」
「!?」

 ヴォルデマーが桶と石鹸を手に取ると、ミリヤムが彼の背越しにヴォルデマーの顔を覗き込む。浴場の暖かさもあって高潮したミリヤムの頬にはもう汗が滲んでいた。湿ったうなじに張り付いた髪がいやに目を引いて。ヴォルデマーは一瞬、柄でもなくぎしりと身体を強張らせて彼女から目を逸らせた。その顔を見せられながら、今こちら側を洗われてはもたぬと思った。

「……いやいい。お前は背を流してくれ……」
「そうですか? ではこれをお使い下さい」

 そう言ってミリヤムは手にしていた櫛をヴォルデマーに渡す。

「しっかり毛の絡まりもとってからお洗い下さい」
「……ああ」

 手渡された櫛を持ってヴォルデマーは思った。
 
 イグナーツよ……これは本当にゆっくり出来るのか……?





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