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しおりを挟むグステルが己の失敗を悟った時、やっと、ヘルムートが彼女を見た。
ここにきてからずっと自分に背を向けていた青年が、ようやく目を合わせてくれたことにほっとする。その反面、青紫の瞳と目が合うと心臓は早鐘を打った。
先ほど『複雑』だと言っていた通り、青年の瞳には葛藤が浮かぶ。
それが、自分が彼に迂闊に向けてしまった『好き』という言葉に対する表情なのだと考えると、グステルもこれはさすがに気まずい。
どう弁解したものかと悩んでいると、ヘルムートが先に口を開く。
「……分かっています。きっと、あなたはそういうつもりで好きとおっしゃったのではない」
切なそうに言われ、グステルが返す言葉に詰まる。
いや、けしてそうでもないと口にしそうになったが、旅の目的を思い出して思いとどまった。
「……」
「今はあなたの将来に関わる大切な時ですし、私の気持ちを押し付けている場合でもない」
ヘルムートは冷静な顔できっぱりと断じて、ただ、とため息混じりに続けた。
「それでも……耐えている身に、あのような話を聞かされてしまうと、男としてはとてもつらい」
「!」
言いながら、ヘルムートは二歩分ほどあったグステルまでの距離を一歩縮めた。
急な接近に、グステルは咄嗟に半歩後ろに退くが……ヘルムートの手がそれを追うようにして再び彼女の手を取った。
留められた懐に、残りの一歩を詰められる。
(ひぃっ)
繋がれた手と手。
あっという間に埋められた互いまでの距離。
近づいた拍子に頬に軽く当たってしまった青年の胸に。
動揺ではち切れそうなグステルの口からは、危うく悲鳴が漏れかけた。
「っちょ……」
この接近に、グステルは目を瞠る。自身でも、少し意外なほどに慌ててしまった。
思わず身がこわばり、とてもヘルムートを直視していられなくて。つい視線を逸らすと、横を向いた耳にふわりと微々たる熱が降ってくる。
「……どうか逃げないで……」
「っ」
思わずゾクッとした。
耳元でささやかれたかすかな声は切実で。グステルは、その響きが己の芯に突き刺さるのを感じて気が遠くなる。
心の中で、天を仰いだ。
──これは危機である。
グステルは、ノックダウン寸前という悲壮な顔で、ヘルムートに待ったをかけた。──いつの間にか、腰元にヘルムートの腕が回されている。そのことに気がついたグステルは、今度こそ口に出して「ひぃ!」と叫び、真っ赤な顔でそこから抜け出そうと必死の形相。
「お、お待ちくださいヘルムート様! こ、これは危険ですよ⁉︎ こんな密着は──! これ以上ときめかされると、私はまた──ヘルムート様を襲いかねませんが⁉︎」
──そう、まったく恥ずかしい話、一番危険なのは自分だった。
はっきり言って、人生二周目のグステルは、恋愛に対してのハードルが低い。
けして節操がないわけではないが、普通に一周目の人生で十九歳をやっている若者たちに比べると、一周分色々経験済みなわけだから……そこに至る抵抗感やためらいがかなり少ないのである。
とはいえ今世で彼女は悪役令嬢。
そんな自分が恐ろしくて、色恋ごとからは遠ざかっていた。
相手が王太子だろうが、ヒロインの兄だろうが、人間、色恋に走れば嫉妬や怒りと無縁ではいられない。
悪役令嬢という存在は、だいたいの物語でそういったものに振り回されて道を誤る。
それが嫌で、意識的に避けてきたわけだが……。
けれどもそれは逆に、これまでグステルが禁欲的な時間を過ごしてきたということでもある。
だからこうしていざ鼻先に魅力的な色香を突きつけられると、グステルの十九歳の身は当たり前に本能が揺さぶられる。
おまけに今は、以前とは違って、自分が彼に好感を抱き始めていると自覚しているのだから困った。
このままでは、総合年齢還暦の理性が、十九歳の自分の渇望に負けてしまう。
危機がそこまで迫っていることを物語るように、今、グステルの胸は激しく高鳴っている。
心臓の鼓動が一つ打つたびに、彼に引き寄せられるようで──もう一押しでもされると、諸々の問題──自分が問題を抱えた悪役令嬢であることや、彼がヒロインの兄であること、総合的に見てだいぶん年下であることなどを忘れて。反動のように久方ぶりの恋愛に走ってしまいそうで怖かった。
グステルは必死で主張。
「っ熟女は危険です! ヘルムート様!」
──いや誰が熟女か、と、自分でも滑稽さを悔やんだが、慌てすぎてつい口走った……。
しかしそのグステルの残念すぎる制止にも、ヘルムートは静かに返す。
「それを私が拒むとでも?」
「う⁉︎」
……こういう時に、余裕を見せてくる青年が小憎らしく──それがまた、蠱惑的であった。
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